第273話 カーニバルの日

 

 ギリシャのコンペには落ち、俺はがっかりしていたが、まあ、遊び感覚だから仕方ない。俺が初めてギリシャに行ったのは、どこか地中海沿岸の国の記憶を思い出したからだったが、それがギリシャかどうかまではわからなかった。


 俺はいつも子どもの頃程度の年齢で死ぬことを繰り返していたが、それはある意味、しあわせな時間の繰り返しと、無責任でも良い、そういう気軽さと、大人になれたなら、もっと世界を変えるために何かできたのかというような、未来への希望で人生を終えていた。


 今回、偶然大人になり、環境的にも恵まれたのに、俺が成したことというのは、本当に大したことじゃなかった。むしろ、子どもで死んでいた頃は知らなかった、大人になるということの純粋な複雑さと、病気についての知識と、体が成長して老いに向かって進んでいく過程というような変化を知っただけにとどまった。大人になったことはゼロじゃなかったんだが、ここまで精密にそういうことを考える暇がなかったんだろう。体を成長させるのに必要なことというのも、今回初めて知った気がする。当たり前だが、睡眠と運動と、食べることはものすごく大事だということ。良い環境に育たないと、種が良くても、良い花は咲かない。面白いが、結局のところ、自然をちゃんとなぞっているのだ。


 俺は、そういう基本的なことを今回おさらいするだけで終わるのかということについて、以前はもっと野心があったよな、と考えた。輪廻の仕組みに気づいた当初は、よし今回で輪廻は終わりだとゲームの上がりを意識していた。今は、とてもじゃないが、無理だなと思い始め、いろんな場所に同時に存在しようとすることを実行しようとしたら、精神的に分裂してややこしいことになりそうだと、本当に基本に立ち返っていた。


 どうもリミットがあって、キャパを超えたことをやろうとすると、熱暴走のように、何もかもダメになるらしい。混乱するせいで、簡単で単純な答えを出すのに、驚くほど時間が取られる。


 それは、まるでコンピューターの仕組みとそっくりで、要らないジャンクな情報に満たされた、無秩序で整理されていない状態のPCが、わけわからないことになるのとそっくりだった。そのうち壊れて、インプットもアウトプットもできなくなるような感じだ。結局のところ、きちんと整理整頓し、要らない情報は捨てるか、置いとくにせよ、どこか別の、外のハードディスクに移して、待機している場所のスペースを広くあけておかねばならないらしかった。


 俺のように、過去生をたくさん待機している場所に置くと、どの立場、どの状態を基本に、答えを引き出すのか、わけがわからないことになる。裏と表が同時に答えとして現れ、常に矛盾することを話し続けることになってしまう。一つの答えを出すには、視点を定めないといけないが、その視点、基本となるものがたくさんありすぎて、訳がわからなくなる。何よりも、肉体に付随している今の状態自体を否定したら、答えを出そうということ自体が、何の意味もないことになってしまう。喋る必要もゼロであるし、実際のところ、生きる必要も全くないことになってしまう。そこまで到達しても、肉体を持っている以上は虚無としてしか表現できない。肉体を捨てたら解決するかと最初思ったが、実はそうではなかった。


 肉体なしに存在できる場所に救いがないことを知ると、この今の現実世界に戻ってくるしかなくなる。生命というものを否定すると、ただ動かない暗闇の無の一部となり、光のない世界となる。


 昔は光の一部になる方法もあるんじゃないかと思ったが、肉体を捨て、光に向かうのは難しい。特に、普通に死ぬのでなければ、どうもものすごく難しいらしいと感じ、ごく普通の死を待つしかない。


 単純な生物、細胞みたいなレベルであればあるほど、この光の世界に近い気がするというのは皮肉なことだった。単純に条件で増えるというような状態が、最も幸せと感じるのは、人間という視点のせいか。


 なぜ増えることが喜びなのかはよくわからないが、生命である以上、そういうことなのかもしれない。



 俺は助手席から、カーニバルで使われた細かい色とりどりの紙吹雪を眺めてそう思った。紙吹雪とはいえ、綺麗な小さな形に切られていて、紙というよりも、他の素材に見えるようなしっかりしたものだ。


 これが2〜3日風に吹かれて綺麗に舞っている期間、人々が春の訪れをこんなにも喜んでいるということなのだと、毎年そう思った。


 暖かくなり、一斉に草花が芽吹き、色とりどりの小さな花が咲き誇る。雑草のようにスミレやヒナギク、水仙があちこちに顔を出す。


 俺は、小さな子供のチュールのドレス姿を見ながら、そんなことを思い出していた。南に下ると、もっともっとカーニバルは印象的になるのは、既に暖かい気候のせいだ。厳しい寒さの北から南に移動すると、突然の気候の変化に、それだけ感動も大きくなる。


 「意味のある人生、意味があるとか、ないとか、そういう価値判断をいい加減やめたらどうなのか?」



 どこからかあいつの声が聞こえてきた。俺はあいつのそういう思考を手探りで捕まえた。


 「過去と未来。なぜお前は、今を見ない?」


 あいつの声は静かで、別に俺を責めているわけではなかった。単に事実を述べているだけだ。


 俺はぐっと無意識に詰まった。俺は今度生まれ変わったら、絶対、医者になると誓った。なんのためだ?


 

もしも医者だったら、少なくとも……



 「人はいつか死ぬ」


あいつの声だ。声にならない声。


そうだな……


 俺はうな垂れるようにあいつに返した。自分にはどうすることもできないことを、また俺は悩むんだろうな。


 でも、今よりも、絶対に具体的に人の役に立てる人生になる。


「なぜだ?」


 あいつは、「なぜ今はそうでない?」と返してきた。


「そうでないのか?そうでないなら、なぜそうしない?なぜ今を、今をないがしろにして生きるんだ?」


 俺は詰まった。確かにそうだな……


 俺が海外に出た当初、大きな夢があった。自分がすることは、絶対に他の人が救えると信じていた。でも今はそうでない。本当に現実の困難にいる人には、この方法は有効じゃないんだ。


 「本当にそうなのか?


 お前はお前にできることをやるべきなんじゃないのか?未来でなく、今のお前ができることで」


 俺はその通りだと感じた。俺は、もう今の現実はゲームオーバーになってると思い込んで、次に賭けるしかないと考えていたが、まだ完全に終わったわけじゃなかった。


 「意味があるとか、ないとか、そういう価値判断が邪魔している。そういうの抜きで、自分でできることで、自分がやりたいことをやれよ。意味があるとかないとか、判断するな」


 俺はそうだな、と思った。さすがあいつだな。


 俺は満開の桜を助手席から眺め、あいつは俺が喋ってないことまで知っている、と軽い疼きに似た痛みを感じた。


 今、この瞬間、俺のことよくわかってて、わざわざ俺にそんなこと言うんだ。


 俺は悲しいんだろうか、と考えた。何も感じなくなって久しいはずなのに。

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