第265話 美術部の友人と。


 たまたま正月に集まらないか、と声をかけた時、奴は東京でなく、実家にいた。よく考えたらおかしいと思うべきだったのに、俺はなんとなく流して、その後すぐに知った。


「実はさ、うちの母親、癌で入院してて、退院してきたんだけど、長くないかもしれないんだ」


 俺はそのメールを見て、すぐ電話した。大丈夫なのか?見舞いに行こうか?


奴が言うには、気持ちだけ嬉しく受け取っておく、見舞いと言っても、もう意識がないんだ、と。その状況次第で、同窓会には行けないかもとのことだった。本当にその数日後、御母堂は亡くなられた。


「むしろさ、気分転換に集まりに行くよ」


 法事と重なる日というのに、親戚が集まるのは夜からだから、それまでに変えるなら大丈夫と奴はそう言った。身を切られるようなタイミングだった。実は俺は、御母堂を知ってる。何度か会ったことがある。あの人が亡くなったのかと思うと、言葉にならなかった。


 ちょっとふくよかな色白の肝っ玉母さんのような風情で、着物がよく似合っていた。俺を見て微笑んで「本当にいつ見ても凛々しい男前ねえ」と、褒め称えるようにそう言った。俺は、そういう賞賛には慣れていたのに、なぜか、他の人に褒められるのとはちょっと違っていた。まるで身内に心から褒められているような、まるで義理の息子にでもなったような、そういう親しみが沸き起こった。それは不思議なことだったが、本当にまっすぐな感じの人だった。


 何だろう、あっという間に時間って流れて行くんだな。


 高校の卒業式に会ったのが最後だ。その後も、奴とは時々会った。特別に仲が良いとか、そういうんじゃなかったが、縁があった。それと、やっぱり同士、同好の士という感じで。Bと俺と3人でも会ったことが2度ある。理由はわからないが、何となく気が合うというやつなんだろう。東京のミシュランレストランに案内された俺はちょっと感動した。プロデュースしたシェフが同じなんだから、テイストが同じなのは当たり前だが、思わぬセンスの良さにBも喜んでいた。奴が選ぶ話題はいつも俺にとっても未知の外国の話題で、どこでどうやってそんな情報を仕入れるのかと思うと、やはり東京で働くとコスモポリタンだな、と俺は奴に会うのを楽しみにしていた。失礼かもしれないが、大学入試の蓋を開けてみるまで、俺は奴の学業成績のレベルについて全く知らなかった。他の奴も多分、これまで知らなかったに違いない。もちろん俺より成績が良かった。


 藤浪くんから、お前学歴コンプあるんじゃないかと言われたが、学歴コンプがあるというよりは、「面白い話ができる素地があるのかどうか」という意味で学歴を一つの物差しにしているのは否めない。実は別に、学歴に寄らない。俺が最も尊敬して深く付き合っていた友人は実は中卒だった。頭の良し悪しは大学名に寄らない良い例なんだが、素地を生かしきってないという意味で、どこかもったいないというのはあった。不要なんだろうが、俺が海外に出る時、お前も来ないかと誘って、奴は来なかった。もっと現実的に生きていたというのはあったろうし、俺の泥舟に乗りたくないというのもあったのかもしれないが、俺にとっては残念な気持ちが今もある。俺が成功したら呼んでやる、と頼まれもしないのにそう言ったが、そんなものアテにする奴じゃない。


 できることは多いほうがいいし、語学は話せたほうが良いし、頭が良いほうが面白い人生が行けるし、金があれば、最悪、最も困った時も乗り切れることが多い。結局のところ、それらのファクターだけでは幸せに充実した人生をいけないが、何もないのに比べたら、武器を装備するという意味で、丸裸よりはずっといい。


 俺は大学生の時は、バイトと学業で多忙すぎて、高校の友人とはほとんど誰とも会ってなかった。今になって、こんなふうにみんなで会って、俺は、今までの人生の中で、今、ほぼ全くと言っていいほどに、「どん底」にいる気がした。もちろん、高校の時も、俺は最悪な状況だったわけで、そう思うと、常に高校のクラスメートに会う時は、俺は底辺に沈んでるわけだった。


 高校での俺の成績は破滅的に悪かった。いや、高校のレベルが高すぎたんだ。その証拠に、大学に行ったら、俺は別に下位もなんでもなく、むしろ授業ノートを売っていたくらいなんだから。先に書いた中卒の友人と出会ったのは、社会人になってからだ。奴の行く道は、特別だから書かないことにする。俺が奴を尊敬しているのは次元が全く違うからなんだが、そんなところに話を持って行くと、俺が今書いてる全ての文章は、アテナイ以外も全部、無意味だということになるのでやめておく。


 話を高校の友人に戻すが、美術部にいた馴染みで、俺のことはよく知ってて、俺の作ったサイトを「あれはちょっとまずい」とか教えてくれたのも奴だった。IT関連にいるから、いろいろ詳しい。今でこそ俺はアングラに潜ったが、前は普通に本名や連絡先なんかもネットに掲載していた。本名じゃないと信用されないから仕方ないというような理由で。それにしても、これから俺はどこへ行くんだろう。


 努力が足りないのと、努力の方向性が間違っているというのはわかった。最も難しいのは「自分がどんなふうに生きていきたいのか」わからないという点かもしれない。いつまでも同じところをぐるぐる回ってる。


 このことがはっきりわかったのは先に書いたが「手術は成功したけど、命は助からなかった」という結果を想像して、外科の友人には気の毒だが、何故か俺はその結果にホッとしてしまった点だった。俺、実はあんまりもう生きてたくないのかもしれない。突き詰めればそうなのかもしれないが、俺はとにかく、高校の時はもうちょっとまともだった、と自分を思い返し、最後の努力をしようと決めた。生きてても仕方ないと言いながら、もう十分長く来すぎた。このままろくでなしを続けるのには無理があった。


 あまりに負け犬の状態で死んでしまうのはさすがに面白くない。生きることに価値など感じられなくとも、今のままではあまりに情けない。俺は、高校の友人に会うという対処療法が、結構有効だったと感じていた。自分だけがこんなふうに漂流して目標もないまま、時間を無為に過ごしてる。自分ももうちょっと本当は頑張れるだろうに、何故そうしない?


 心当たりはあったが、俺は頭を振った。過去ばかり見てても仕方ねえ。もうちょっと俺も、胸を張れるような結果を追うよ。

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