第264話 目立たない奴が最もすごい


 料理が運ばれてきたが、やはり思った通りに地味だった。まあ、いい。


 俺が何となく食べていたのは、みんなの会話が本当に面白かったからだ。女子から話しかけられたが、俺は上の空だった。男子の仕事の話に聞き耳を立てていた。専業主婦の子も、実はどうなのかわからない。彼女だって成績はずっと俺よりよく、理系の国立大学出身だ。もう一人の子は大学からアメリカに研究留学に派遣されて、帰ってきたばかりの大学講師だった。


 彼女の研究内容は免疫に関することで、その点で、ノーベル賞を狙っているという医学部教授と話が合いそうだったが、二人が話していたかどうかは知らない。医学部の教授になった奴は、記憶に関する研究をしていた。高校の時、同じクラスにいた奴らがみんな、ここまで結果を残しているというのに、俺は何をしていたんだろうというような気持ちになった。


 かと言って、別に俺は落ち込んだり、負け犬のような気分でここにいたわけではなかった。それは不思議なんだが、俺の頑張りは短距離走的だったな、と反省しただけだった。その時々、頑張ったつもりでも、なんというか盲滅法、当てずっぽうな努力だったんだろう。


 バレー部の奴が、外科の医者を茶化す。


「お前、今日の時計はどこのブランドなんだよ?」

「今日のは安物、スウォッチ」


 プッと吹き出しそうなやり取りが続く。


 奴は外科の医者になったらしく、景気の良い話が聞こえてくる。ものすごく羽振りが良かった。車と同じか、それ以上の値段の張る時計のコレクションをしているのは、忙しくて金を使う暇がないからだ、と言う。


 激務の医者はみんな同じなんだが、海外に長く行く時間が取れないから、近場の香港やマカオでギャンブルとかに出かける。さっと行って、さっと遊んで帰る。車に女に海外旅行か。俺は苦笑しながら聞いていた。金の使い道も分かりやすいな。

 

 女子には悪いが、隣の掘りごたつの話を聞いて、いちいち苦笑する。俺の目の前の弁護士の友人も、さすがにモラル的にどうかということについて、同意ではない異議をどこで一応示しておくのか、間合いを測っている。


 どうやら人を人とも思ってないから、手術の成功率が高いんだろう。「検査?そんなの俺の仕事じゃねえ、内科に回しとけ!」と言っている。俺はむしろここまで傍若無人な先生の方が、職人肌でいいんじゃないか、と思った。患者が死んだとメソメソしてるメンタルだと、医者なんて務まらない。「俺の手術の成功率は100パーセントの成功率だ!」と豪語するが、手術が成功して、患者が死ぬこともあるというカラクリを明かす。術後、無事に病巣を取り切って、ある一定期間内にすぐに死ななければ、手術は成功ってことになるらしい。ま、仕方ないな。自信のないやつに切ってもらうより、とりあえず死なせずに切れるぞ、俺は一流だから、って医者の方がいいよな。


 よくある、手遅れだから、開けたけど生存の期間を伸ばすために、そのまま閉じました、ってケースはどうなるのか、俺は聞かなかった。患者のためを思って切ったりやめたりしてるのかは、実のところ、わかんねーような物言いだった。ま、何が本人にとって良いというのはわからない。そういうことを深く悩むタイプには向かない仕事だろう。本人を見てると、とにかく切って切って切りまくる、自分ほどの技術の医者はない、自信があると見えた。


 外科の医者が声高に武勇伝を話すのを静かに聞いているメンツは、昔から大人しかった。あまりに人道的でないことを正々堂々と言ってしまう外科の医者に、堪り兼ねて弁護士になった友人が静かに言った。


「そうは言っても、死んでまでお金を持っていくわけにいきませんから、そんなにあってもあまり意味がないのでは」


「そういうお前は今、何してんの?」


 逆に聞き返す外科の医者。こんなに騒がしいやつ、いたかなあと俺は首をひねったが、同じクラスになったことはないから知らない。弁護士の友人は「弁護士をしています」と言った。昔からいつも、誰にでもきちんとした敬語を話す。俺は遠くから見てて、すごく尊敬していた。先生も自分が説明しにくいような問題は、この友人に当てて、説明させる。先生の代理ができるくらいになんでもよくわかっていて、それでいて一切奢ったところもなかった。みんなで盛り上がっていても、時間を見て「では、僕は残りの勉強があるから、これで失礼する」と席を立つのも彼だった。


「弁護士か……揉め事があったら、よろしく頼むよ」


 外科の医者がそう言うと、バレー部が「いや、あいつはそんな案件を扱わないよ、外資企業のM&A案件が専門だから」と言った。「日本一、弁護士料が高い事務所で働いてるんだよなあ、俺知ってるよ。高いもん、あいつの事務所」と付け加えた。


「経済誌のインタビュー見たよ」


 俺は言った。丸坊主でインドから帰ってきたと言う奴が有名な事務所の弁護士と知らない外科の医者は「で、お前、相変わらず筋トレしてんの?」と笑いながら聞いた。俺も苦笑したが、そっか、昔からストイックだったのか。俺は寮の中のことは詳しくなかった。俺は寮生活なんて鬱陶しいと、さっさと通学に切り替えてしまったから。


 弁護士の友人は、俺にヴィッパナサー瞑想の本を勧めるくらいだから、いくら金を持っていても、そんなものになんの意味もないと思ってるだろう。俺は、この両極端の組み合わせを見て、一体誰が呼んだんだ、と苦笑いした。今日は苦笑しっぱなしだ。悪い意味じゃない。



 俺は離れたテーブルから外科の医者に声をかけた。ほぼ話すのは初めてじゃないか。俺は在学中に奴と言葉を交わした覚えは一度もなかった。


 「なあ、膵臓癌って、実は検査で見つからないこともあるのか?痛いとかなると、万が一にもアレだったら、もうアウトだよなあ。俺、まさかとは思うんだけど、MRIで膵臓に石灰化したものみたいなが写っててさ」


 その場の空気が凍る。なんだよ、分かりやすいな。また天使がそうっと歩いていった。静かになりすぎるなよ!これだから真面目な奴らは。


 俺は、失言したかと思ったが、仕方ない。続けた。


「いや、5月ごろから、半年ほど、結構、左が重くてずっと痛いんだ。向こうで検査してて、腫瘍マーカーなんかは正常だし、日本に帰ってきてからは治ってるけどな」


 お前、なんか悪いもん見つかったら、俺のも切ってくれよな。俺は笑ってそう言ったが、全員の反応が、真面目な顔すぎて怖い。


 俺は(もしこいつが俺を手術して、手術には成功しても、術後、結構すぐ俺が死んだら、同窓生から大ブーイングだな)と心の中で、苦笑した。なんと言っても「手術したが、結局は俺を死なせた奴」ってことになってしまうな。相手が俺だと、普通の患者と同じわけには行くまい。


 そう思うと悪いなと思ったが、まあ、お前なら大丈夫、伝説に語り継がれてくれよ、と俺はそうは言わなかったが、みんなそれぞれが、まさかな、という顔をしていた。


 即座に外科の医者の奴は「カメラは飲んだか?」と真顔で言った。

「いや、CTとかMRIだけだ」

「飲めよ」

 間髪入れず言い、全員が俺を見る。


「はは、そうだな。ずっと前に飲んだことあるんだが、嚥下の反射がひどいからさ、出来るだけ苦しい検査は避けたいな、と。だからまだ飲んでない。海外は待ち時間も長いんだ。日本みたいに、はい胃カメラで、すぐ診ましょうというわけじゃないからな」


 俺は確かにそういえば、技師から「胃カメラ」と打診されたのを思い出した。


 沈黙を破るみたいに明るい声で「今は痛くないカメラもあるんじゃないのか、鼻から挿管のやつとかさ。大丈夫、検査、案外、痛くなくなってる」バレー部の奴が言った。俺は、そうだな、と料理の鶏肉を突きながら、雰囲気に気圧されていた。あっちでどれだけ痛いおかしい、と言っても、誰に言っても、ここまで心配してくれる雰囲気とか今までなかった。国際電話の母さんさえ「自業自得じゃないの、あなたの生活だと病気にならない方がおかしいわ」と言った。兄貴は「俺の方が絶対早く死ぬと思う。お前よりも俺の方が深刻」と言った。


 俺は、なんというか、この同級生たちの真面目な反応に、ちょっとびっくりしていた。やはり昔の友人というのは、何かが違うのかもしれない。俺が今生きてる世界って、本当にドライだ。誰も俺のことなんか、ここまで心配してくれるもんか。


 とにかく、そこまで調子悪いなら、絶対に日本で検査してなんとかしろ。みんなが口々にそういうプレッシャーをかけてきた。「はいはい、岬はとにかく健康第一、安心のために今は何も気にせず、とにかく検査に行け。それだけをまず考えろ。健康でないと何も始まらないということで」バレー部の奴がみんなの意見をまとめた。


ここに座っていると、ほぼ卒業以来会ってないのに、俺のことをそんなふうに真剣に大切に思ってくれている空気が伝わってくる。これがクラスメートってやつか。


 成績の良い奴らは、自己管理が徹底している。本当にストイックに、全て計算されている。それこそ朝ごはんから、寝る時間まで。それは、弁護士の友人のメールで、毎回ちょっとした細かいアドバイスをくれることで、感づいていた。成績が良い奴は、自分だけのことで精一杯というイメージとは全く異なる。高校の時も激烈な競争の中にいたが、目標は大学進学だから、うちの学校にはイジメのような陰湿な環境はなかった。そして、ここにいる成績の良かった奴は、試験勉強のために徹夜したり絶対しない。夜中はかえって勉強の効率が落ちることを知っていて、夜遅くなる前にさっさと寝てしまう。元から頭が良いのもあったが、俺も、もうちょっと早いうちに奴らから学んどけばよかったのに。


 

 俺らは3年ではもう文化祭どころでなく、実質文化祭参加は2年までだったし、ずっと勉強ばっかりやってて、ほとんど特別に喋った覚えも遊んだ覚えもなかった。遊ぶというのは校外や放課後な訳だが、俺が学校の奴らと出かけたのって、数える程しかない。映画一回、二回、初詣にビデオや写真の撮影の遠出に、グループやダブルデート。修学旅行に部活動。俺は文化部だから、実質、帰宅部のようなものだ。名前だけのクラブで、俺は隣の写真部の暗室に時々顔を出していた。


 この中のメンツと、学校にいた頃、遊びに出たことは皆無だ。一回だけ女子と昼ごはん食べたこと、覚えてる。夏休みに「腹減ったんだけど〜」となんとなく言ったら、「食べさせてあげる」と。料理上手だった、姉御肌だよな。今、目の前にいる彼女だが。何にも変わってない気もするし、すっかり変わってしまった気もするし。


 俺は、あの夏の暑い日差しに白く照り返す校舎の壁と蝉時雨せみしぐれの声に引き戻されて、学校の教室に戻ったような錯覚に襲われた。あの頃と、何も変わってねえ。それは、数年前の学年全体のホテルの大きな同窓会会場でなくて、こんな小さな店でひっそり集まったからかもしれなかったが、俺はすごく感動していた。陳腐な言葉だが、言葉を交わしたことなど、ほとんどなくても、同じ空気を当時共有していた仲間の持つ温かい空気感に。


 それに比べたら、俺が今生きてる世界は砂漠だな。俺が死のうが、その辺で野垂れ死んで倒れてようが、ほとんどゴミと同じに近い。


 俺はこの「違い」について、心が柔らかい時期に出会う出会いは「稀有なもの」なんだと心に刻んだ。大人になって、すっかり出来上がった硬い心だとこんな絆は自然に生まれない。「大人になってからは、本当の友人はできない」というが、そういうことなのかもしれない。


 俺は「心機一転して頑張るよ」と最後の一本締めの後、皆と握手しながら言った。自分のことを誰も何も言わないまでも、「人間としての根幹を信じてくれている」ことが、自然に伝わってきた。

 

 俺がごく普通に突っ張ってても、俺の根幹や本質を知ってくれてて、俺を応援してくれている。


 俺はせめて、あいつらのように「まともな目標を立て、それを実現させる最短の道を選び、地道に努力しよう」と決めた。俺は斜に構えていたが、あいつらのようなまっすぐな生き方は社会にストレートに還元できる結果をすぐに提示できる効果的な方法だ。だらだら愚痴る暇があれば、最短で解決を模索して、トライアンドエラーを繰り返して、出口を探るのが、やはり最善。


 真面目なやつらというのは、あまり娯楽や享楽に興味がない。俺はちゃんと「結果」を俺も掴みたい、と強く思った。「結果」なんかボタンを押せばレジからお釣りのように自動で出てくるに過ぎない、つまらないと過去思っていたが、それは俺が間違ってる。


 ボタンを押しても何も自動で出てこないし、食いついて探求して、ダイヤの原石が埋まってそうな場所を「ちゃんと目当てをつけて探す」方が、無為の中でゴミ袋を漁って、何か価値あるものが「間違って捨てられてないか探す」より、ずっと意味がある、そう思えた。


 今日、俺の隣にいた奴は、美術部の仲間だった。俺は実は高校の時、美術部にいた。中学でスポーツのクラブにいてすっかり懲りた俺は、念願の美術部にいたが、在学中に書いたのは、適当なパステル画ぐらいだった。まるで女の子が書くようなふわふわしたものを文化祭に出したら、これまた学年で一番の上級生が、譲ってくれないか、と言って、俺はなんとなくあげてしまった。今でも持ってるんだろうか。


 俺なんかよりデッサンとかちゃんとやってそうな絵を描いていた友人は、この年末の数日前に母親を亡くしたばかりだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る