第158話 ネット検索で驚愕
俺が何気なくインターネットでさっと調べたところ、なんとムッシューの家が売りに出ていた。
……やられた。
俺は絶句した。これでキッチンの裏の敷地を買い足すことができない。万が一、ムッシューに裏の家と同じデベロッパーに土地家屋を売られたら、俺らの家は、大きなりんごの真ん中の虫食い家屋になってしまう。
キッチンの大きな窓部分は、窓の壁からたったの80センチしかなく、通常は狭すぎておかしい。普通は2メートル80センチないと売買が違法なのに、いざ契約の段になって、敷地の境界線の場所が不動産屋が言ってた場所と違った。不動産屋は常識で、ここまでと目測で言い、実際の測量のラインは80センチの場所だった。これは憶測だが、もしやキッチンは増築で、後から2メートルせり出したから、土地境界線が80センチしか残らなかったのかもしれなかった。
俺が話が違うと主張して、ムッシューはその裏の土地を売っても良いと返事し、書類も持ってきていたが、とにかく売買契約の締結を不動産屋と公証人に急かされて、後で買えば良い、これ以上遅れると自分たちがバカンスに出られないという勝手な理由で、だから今すぐサインしろと押し切られた。
俺は嫌だと言ったが、Bも鬼のような形相で俺にサインしろというから、俺は後でもっと金がかかるのに、Bは馬鹿だと思ったが、この国の人間はバカンス優先だから仕方ない。俺はこういう経緯でその後、ムッシューから嫌われ、とても面倒になったため、Bのやり方は正しかったのかもしれない。この国の人間は面倒で細かいことを嫌い、詰めが甘いが、帳尻を無理矢理に合わせ、結果オーライにするのが特徴だった。大雑把なコミュニケーションで物事を進め、決定し、細かい確認をしようとすると、うるさい、頭悪いと思われる。ミスがあっても、仕方ないで済ませる。
あの場所を早く買っとかないと、ムッシューが亡くなって、誰か次の人が塀でも立てたら鬱陶しい。たかだか30万円、さっさと買った方がいい。俺は何度もBに言ったが、Bは動かなかった。ムッシューに、土地を欲しがってると思われたくないらしい。Bはいつもムッシューの顔色を伺っていた。確かに気むづかしい爺さんだが、そんなこと言ってられない。爺さんの生きてるうちは購入しても使わないことを条件にしてでも、買い取っておかないと、隣に万が一、建物や塀が立ったら、自分の家の窓の前に近くなりすぎる。
俺は、爺さんが俺らに黙って、家を売りに出したことをネット検索で知り、目の前が暗くなるくらいショックを受けた。俺、相変わらず滅茶苦茶に勘がいい男。爺さんに裏切られたら一巻の終わりなんだが、ムッシュー、やはり裏切ったか……。
俺の計画が……。
全てが音を立てて崩れた。俺はここを将来、アトリエ、サロンに育てたかった。小さくとも、私設美術館のように保存したかったのだ。裏の土地を買い、出来れば母屋も買い取るのが俺の密かな野望だった。うちをこのテイストのまま、まだ無い半分を再生させれば、四角い屋敷になる。庭に手を入れ、美しい庭園にし、自分はここに住まなくても、とにかく綺麗に保存し、一般公開を目指したかった。人を海外からも呼ぶ。アーティストを招聘し、アーティスト・イン・レジデンスにしたかった。ここは大都市中心まで電車で20分。市内ならどこも1時間くらいで移動できる。何もない田舎の町おこしにもなる。俺は、何もないところに自分で作ることにいつも興味を持った。既にある場所にコンペで応募する客より、俺自身がブルドーザーを運転し、開拓するパイオニアがいい。だが、俺には、実行力とパワーに問題があった。だから、Bのような人間が必要だった。兄貴は俺に金を突っ込んでくれたが、俺の成功は中途半端だった。これから、って時に金が尽きた。巻き返そうとすると、今度は健康上の問題。無茶はダメだと悟った。俺にとって体など、一時期の乗り物に過ぎないが、ここまで長く一つの体に乗ってることが少なく、俺のような使い方では、長く使えないことがよく分かった。食べたり寝たり、ちゃんとしてないとダメらしい。俺は無茶ばかりしてきて、今になってそのツケを払うはめになっていた。大きすぎる借金。体が資本とはよく言ったものだ。
俺の最期の賭けが、この屋敷にかかっていた。
この家は奇妙に、スパッと半分に切られたような形状をしていたから、どうしても、まだない部分を増築するのは密かな悲願だった。その前に、キッチンの前が80センチという、違法で無茶な状態だけでも、何とかしないといけなかった。ムッシューから早く買わないと。
問題は、ムッシューが難しい性格であることで、俺はちょっとしたこと、ゲートを開けたら犬が逃げる、見張ってすぐに閉めて欲しいなど、ムッシューからの"クレームの手紙攻撃"を即日、しょっちゅう受けていた。まるで監視下の生活だったが、俺は見られるのは慣れていた。今までも演劇の主人公のような人生だったから。それにしても舞台のように丸見えな家屋だった。風呂場も何もかも。死角がほぼない。
だが、こんな俺の密かな野望、思惑は軌道に乗る可能性が低かった。全ては金の問題。何とか調達法を探さねば実現不可能だ。
今は何とか住めるよう格闘してる状態で、時間が過ぎていた。のんびりなどしてないが、裏の隣人は大手と組んで、裏に巨大なマンションを建てたい、と言ってきた。寝耳に水、そんなことになれば、全く条件が変わってしまう。
開発。新しくとも、醜い安っぽいマンションが、こののどかな、古く美しい歴史的な建物が多く残る村を数年前から虫食い状態に侵食していっていた。古き良き時代の個性の残る美しい村が、アメリカナイズされた平たい画一的な、すぐ古くさくなるスラム化を誘うような下品な建物に駆逐されていく。
実はそう考えショックを受けている俺とは裏腹に、おじさんも、I先生も、 Yさんも「同じ別の意見」を俺に進言した。
むしろ、手ばかりかかるその古い家をデベロッパーに高く売りつけるチャンスなのでは?
俺はそんなこと、考えられなかった。ここまでやっとお化け屋敷に手を入れた俺の苦労はどうなるんだ。
それ以外に、この家の美術的価値が、取り壊される悲劇。俺は、嫌だ。
俺が住む前なら、仕方ないと思えても、俺が住んでいるのに、取り壊しになることを許すのは忍びない。
文化財のように価値がある家なのに……なんとかできないのか。
俺は、この家がやっと俺の居住を認めた、と感じていた矢先の出来事に、文字通り目の前が真っ暗になった。
俺の全ての努力、労力、全ての計画が水の泡になろうとしている。
ネットに掲載されていたムッシューの母屋は調度品も美しく、広かったが、俺は、俺らの買ったこっちの家の方が美術的な価値が高いと思った。小さいのに、それ専用、鑑賞用に建てられただけあって、洗練されている。
ここはもともと、アンティークを見せるために建てられたショールーム、ムッシューの趣味を詰め込んだ隠れ家的な母屋の離れだった。
ムッシューはおそらく、昔から風呂も食事も実は母屋でしていたはずだ。
でないと、風呂の壁までが"布張り"な訳がない。俺はそう読んでいた。とにかく実用に向かない。
俺らが入ってから、あっという間に風呂場の壁の布にシミが浮き上がってきた。以前は、ほぼ使ったことがないんじゃないか。
洗濯物についてのクレームに、謝らねばと気を揉んでいた俺だが、不気味なことに、全くムッシューは屋敷にいる気配がない。ムッシューは、自分の誕生日前日の日付で俺に手紙を残していた。ポストに入ってたが気づいたのは翌日。家を売りに出すのに見学者が敷地内入ってすぐ右手に生活感満載の洗濯物を見るのは、確かにまずかろう。俺はネットで見て、いつから売りに出たのか首を捻ったが、庭の花の写真を見ると、比較的最近のことだと思った。これまで誰か見学者が来たか考えたが、わからなかった。
もう売ってしまったのか、ムッシューに何が起こったのか?まさか殺されてるとかじゃ……。
俺はお手伝いさんの電話番号を探したが、運悪く書いてあるノートが行方不明になっていた。
怖い。俺は、開いていた玄関の格子戸の金属の隙間から、誰かいませんか〜! と何度も呼んだが、もちろん返事はなかった。
警察に連絡するべきか? もう2週間以上経ってる。
雨が降り、雷が鳴った。こんな時に限って、3日も続けて嵐のような天気だ。やめてくれよ。
俺は、敷地にあった普通の屋敷がこんなに無人というだけで急に怖くなるものか、とゾッとした。大きくゲートに覆いかぶさる見上げるような大木が不気味に屋敷を暗く見せ、人気のない立派な屋敷が文字通り「お化け屋敷」に見えてくる。俺はあんなに気むづかしいムッシューでも、いなくなるというのは困る、生きていて欲しいと、想像出来る事は全部想像した。あんなムッシューでも、元気に出入りがなくなってしまうと、景色がうら寂しくなり、主人のいない家が気持ち悪くそびえて見えた。居てもたっても居られない気持ち悪さは、ムッシューがいなくなると、古い屋敷を守る同士がいなくなる恐怖だった。
たくさんの購入希望者をことごとく蹴ってきたムッシューが俺らに決めたのも、何とかこの屋敷を保存できないか、と俺らが心底、この場所を気にいっていたからに違いないわけだが、俺が購入に最後、反対した理由はむしろ、人が住めば傷むというのもあった。
本来、他に住んで直していかないと、この家はとても冬など住めるコンディションでなく、実際、ヒーターが止まり、俺らは隙間風に凍え、暖房ないと死ぬ、と電気ヒーターを二台買った。予算の関係で会社のデスク下に置いて、ひっそり足だけ温めるようなお粗末な小さい安物だった。
なぜ、別宅として使いたい人を蹴ったのか。その辺、ムッシューの思惑は不明だった。毎日ここに住む人に売りたい、と。むしろ、この家は別荘仕様にも関わらず。
一人で居ることが不安になってきたんだろうか。高齢だから。
いやでも、あのお手伝いさんに限って、ムッシュー殺して高跳びとかないよな……
さすがにそれはないだろう……多分。
人が出入りしている気配がほのかにある。お手伝いさんが来てる以上、事件性は低いはずだ。お手伝いさんが犯人に協力していれば別だが、まさか。
黒人のお手伝いさんは、忙しく働き、ムッシューの目を盗んで油を売るような人でなく、俺が話しかけても、せっせと庭掃除をする箒の手を止めない。俺が一番最初に、ムッシューはどんな人か尋ねた時も、優しい人ですと答えた。模範的だ。
だが、 俺は、あまりに事件に出会い過ぎていて、警察を呼ぼうか、考えた。もしもの可能性。身寄りゼロの金持ちの爺さん。事件に巻きこまれてもおかしくない。俺、同じ敷地にいて、すぐそこに犯人が潜んでるかも、とブルッと身震いした。
もしも、何もなければ人騒がせ。だからまず、警察に通報の前に、近所の人が何か知らないか、ムッシューの消息を知る人がいるかもしれないし、聞きに行くことにした。
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