第134話 人や物の価値ってなんなの?


 俺はさっき入り口で見たチラシを思い出した。


 この、うーん、なあ……?と思う日本的なデザインはこのお姉さんの仕事か。


 日本のデザインは、ごちゃごちゃしている。


 なんかお腹が空きそうなデザインだった。握り飯に梅干しのようなデザインというべきか。さっきお姉さんがもぐもぐしていたが、納得。お腹空いてるデザイン。


 フリーでやっていくのは大変で、そんな仕事、任されるのも実はすごいことなんだが、お姉さん自身の名刺は、名刺にくらい金をかけろ、というお粗末なもので、俺は自分の不甲斐なさを呪った。


 俺、目だけ肥えてるんだよな。本当にこのアンバランスさ、どうにか俺は、自分を活かせないのかな……


 お前、口ばっかり偉そう、という流れになり、俺は、なんだか疲れて、別のブースへ行くことにした。仕事頼むことがあるかも、と考えて、さりげなくお姉さんからせっかくわざわざ名刺もらったが、デザインの仕事なら、ジョーか、もっと簡単なものなら自分でやっていた。


 この程度なら、自分でやる方が良さそうだ。俺はがっかりした。名刺のデザインが良ければ、いくらくらいでデザインするんですか?と聞こうと思ったが。聞くまでもない。ペラッペラの自分の家のプリンターで印刷した名刺。大丈夫かよ、デザイナーが。


 お姉さんに金を払って頼むまでもなく、俺もっと友達の面白いデザイナー知ってた。馬鹿高かったが、俺の名刺はそいつの作だ。名刺が良すぎて、引くくらい。質の良い紙だ。俺みたいに適当なやつから、そんな名刺がもらえると誰も思わないから、引く。俺もほんとね、ダメだわ。


 旅行王子の名刺も良いものだったが、それにも負けない。商業っぽい名刺とは違い、俺は不便でも紙の重さをケチらなくてよかったと思う。


 その友人デザイナーはこの村の出世頭で、印刷物のデザインの仕事も請け負うが、才能あった。俺は「こいつはいい、イケる」とBとの意見が瞬間に一致して、すぐにやつのリトグラフ作品を買った。俺、失敗したのは、おとぎの国にいた時に、才能ある若手の学生とたくさん接触があったのに、作品買わなかったこと。


 ほんと馬鹿だわ。


 Bが安い、買っとこうぜ、と言ったが、俺はバイトでキュウキュウしてたから、無理、と答えた。家賃半分、それ以上が、ぶっ飛ぶ。名前だけはもらっておいたから、後からなんとかなるだろう。気づいた時には買えないぐらい値上がりしてるかもだが。



 そういえば、この間たまたま、そのおとぎの国で、面識のあった作家さんとメッセで話していた。学生じゃないです。その人はその時点でちゃんとした作家。いやあ、あの時点でも買えなかったと思うんですが、今もっと上がってますよね。俺はネットのニュースを見て、ギャラリーでの個展画像から、気に入った作品の値段を聞いてみた。


 東京で個展中という作家は、「9000ユーロ」と言った。


 ちっちゃいアクリルの作品。もう全く買えない値段になってた。

おとぎの国にいた時の3倍くらいか。いや、9倍?


ふ〜



俺は、技法とかあんまり関係なく、「いいものはいい」と、落胆しながら、メッセンジャーを終えた。絶対にもう手に入らない。


 あんなちっちゃいやつで9000ユーロかあ。もう手の届かない値段。遅すぎた。ああ……。



 駆け出しや適当な値段をつけて売っている作家と違い、値段が下がることはまずない。値崩れしない。厳しいな。大きなギャラリーや美術館とちゃんと取引する人は、契約書交わしてて、自分で売ることはない。彼は最初からそうで、そういう作家は俺が見たようなアーティストスタジオの、ギャラリーが噛まない即売イベントが最後のチャンスだったというのに。あの時点でも、絶対に買えない値段だから諦めた。俺の基準は家賃で、さすがに家賃を超えてしまうような買い物はしにくい。車や冷蔵庫ならいざ知らず、俺だってさすがに。



 実はこの作家はすごいイケメンで、Bが「あいつ、日本人に見えねえ」と言っていた。Bが軽く嫉妬するくらい。俺から見たら日本人なんだが、やっぱりかなりカッコいいやつで、それは、性格が。顔だけじゃなく、性格が申し分なくカッコいい。


 力が抜けているのに、カッコいいやつというのは、本当に憧れる。なんだろう、あの感じ。日本にあんな奴っているのかな。Bは、彼、ちょっと韓国人っぽいが日本人か?と言った。それはわかんねえ。韓国人の方がまあ、日本人よりも体格が大きかったり、ちょっと性格って意味でも違う。大陸的というか。シャイな日本人とはちょっと違うことが多い。でも実のところ、おそらく彼は日本人だろう。


 海外で活動する場合、韓国というのを隠す必要がないから、日本で生まれ育っていても、海外では日本名を使わず、はっきり自分は「韓国人」と名乗る人が多い。日本から出てしまえば、隠す必要ないし。日本にいると、日本名を使う方が便利だから、わざわざ言わない人が多い。日本だと生活しにくいことが多い。母国のこと全く知らない、帰ったことない人は特に、通名を使う。


 俺は力抜けてて、毒づいてるばかりだからな。無理して買っとけばよかったな。その作家、世界観がかわいいだけじゃない一癖ある脱力系なんだが、なんというかね、奥にある暖かさに必ず手元に置きたいような気分になるんだよ。世界観がすごく魅力がある。痛い部分をべたっと撫ぜてくれるわけじゃなく、その痛みが和らぐように……なんだろうな、うまく言えないけど、甘くなく。甘くないのに、力づけられる。


 動物が怪我してるモチーフとか出てくるんだが、なんだろうな。入院してる時に、友達が見舞いに来て、自分はたまたま席外してて、お土産に「天津甘栗」がベッドの上に置いてあるような感じか。


 これがエロ本の土産なんかでなく、リンゴやミカン、メロンじゃなく「栗」って感じなんだよな。なんか渋い。ああ、そうそう。渋い。


 なんだろうな、俺がカピ@@ちゃんがいないと寝られないように、すごく大切な世界が扉の向こうにある。大の男が、美術館で必死に、そういうのを淡々と制作しているのを見ていると、自分に疑問なんて持ってない、そのストレートな感じが心を打つ。


 なんというか、卑屈さの欠片カケラもない。俺は他にも脱力系作品を作る作家を知っているが、なんというか、こういう世界でごめんなさい、という、そういう卑屈さが作品にあるとダメなんだよ。


 これが俺の世界、と、堂々としているところ、俺はそこが大好きで、本人がイケメンである以上、言うことない。海外で作家で食っていくって、かなり腹をくくってないとできない。その作家はそこから、すぐNYに引き抜かれていったから。


 NYとおとぎの国じゃ、おとぎの国の方がいいが、そんなことも言ってられない。まあ俺は、少なくともおとぎの国の方が好きだ。


 あの作家の生き方は本当にカッコいい。オープニングで見かけても、なんと言うか、オーラが違う。それっていうのは自己顕示欲などではなく、自分の世界を確立しているものが持つ、そういう威厳。なんだろうな、海外で見かける日本人作家で、いいもの作ってる人はみんな持ってるね。そういう感じ。


 作品が脱力系でも、なんだろうな、凛々しい。俺はそういう作家、すごい好きで、やはり武士道的にキリッとした感じがある。おどおどしない。みんな自分に自信があって当たり前というか、こんなふうに生きててすいません、みたいな人はいない。


 俺も、俺の世界を好きになりたいが、俺の場合は迷いが多すぎる。俺自体が強さに欠けていて、世界を成立させきれてない。


 多分、もう少し筋力がいるような気がする。だから、武道でも、もう一回ちゃんとやるべきなんだよな。せめて道場に通え。俺、棒の稽古見ただけで、歯が折れるなこれは、と帰ってきちゃったもんな。俺、歯だけはほんと、鬼門。絶対に歯医者に行きたくないし。あれって木刀らしいが、もっと長く見えたぞ。


 俺はそういう、体力的な意味でのバイタリティ、アグレッシブさ、自分の自信に欠けている。口ばっかりだからな。本当に口ばっかりだ。自分でも嫌になってきた。なんでこんな口だけの男になってしまったのか。行動するということにここまで尻込みする男になってしまったのか。ずっと動かずにいて、歩けなくなった男。


 誰かがやってきて、コテンパンに俺をノシて、悔しいならかかってこいよ、と馬鹿にされたら、俺はやる気が出るのかもしれねえ。本当にそう思う。こっちの馬みたいなオバハンどもから、散々馬鹿にされたが、俺はにこやかにハイハイと下僕でいて、そうこうするうちに、本当に下の下まで落ちたな。


 生身で誰かと闘いたいというのが、こんなに切実というのもおかしいが、俺には何かそういう、無理やりな暴力的なそういう争いごとが必要なのかもしれねえな。俺がチキンすぎて、もはや腰が抜けちゃってるから。オバハンどもは殴るわけにいかねえし。やっぱり誰か、先輩みたいな人から、道場の真ん中に放り投げられないと、ダメなのかもしれねえ。


 

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