第52話 腫瘍マーカーは?

 ビリルビンは前からおかしかったが、今回もおかしかった。

ドクターは血液検査結果を見て、もし癌なら、これもこれも、これも上がる、だから大丈夫だと言った。白血球、ヘモグロビン……俺の結果で正常値でないのは、直接、間接、総ビリルビン、ビタミンD、C……尿もおかしい。


 すでに前回の検査、数年前に、専門医から、何かがおかしいが、何がおかしいのかわからない、時間が経って病気がはっきりしたらまた来て、と言われていた俺。腎不全かもしれないと。


 当時よりも少しだけ悪い。ドクターは、そう変わってない、と言った。

そう、病気ならもっと、ガタッと大きく変わるはず。


 俺は、うさぎちゃんが言ったことが、頭をよぎる。「実は、癌でも、腫瘍マーカーに出ないことがあります」


 おばさんにそう返事した。おばさんは、俺の検査結果をうさぎちゃんに送り、相談した。「岬くん、絶対にこんなこと、普通は良くないけれど、あなたは家族、うさぎちゃんのアドバイスを読みなさい」と言って、うさぎちゃんからの返事を見せてくれた。


 うさぎちゃんの返事には、エコーは実は立ち会ってないと、画像だけでは判断しにくくて分かりにくいです、力になれずすいません、とあった。癌は腫瘍マーカーに出ないこともあり、若いと進行が早く余命も短くなります。もし万が一、癌であれば、やりたいことを箇条書きにし、それをこなしていく、笑って過ごす、というのが重要です、と返事に書いてあった。先にこんなこと言うのは、万が一、突然に告知され、心の準備ができてないよりは、今申し上げておく方が、いいかもしれない、と。


 俺は、うさぎちゃんが、はっきり血液検査結果を見てしまったら、たとえそうであっても、これは癌かも、と告知まではできない……と考えたのだ、と思った。検査結果を見て、はっきりわかったとしても、勝手にナースの分際で言えない、と思ったんじゃないか。でも俺は……俺だって素人だが、検査の結果見たら、もしそんなにはっきりしていたら、検査結果の紙だけでわかるだろう。


 さすがにネットの人間関係で「癌告知」は重い。今は癌は死なない病気になってるとは言え、膵臓の癌は手の施しようがなく、オペの予後も悪い。気づいた時には手遅れ、というパターンばかりだ。このエコーは怪しい、もしもそうなら、痛みがある場合は3〜4ヶ月の余命となる、とこちらが先に書いたから、うさぎちゃんもそう書いたんだろう、と思った。


 それにしても気丈だ。先を読んでいると、うさぎちゃん自身にもトラウマがあり、人の生き死にに立ち会う仕事、ナースは絶対に泣いてはいけないが、泣いてしまうことがある、と書いてあった。そういう時に患者の家族が、自分たちのためにありがとうございます、と言われることもあるけれど、しっかりしないといけないのに、未だに慣れない、と。


 そんなうさぎちゃんが、真面目に返事を一生懸命書いているのを見ると、ドクターとナースでは権限が違うが、本当に一生懸命にナースの仕事だけでなく、話し相手のバイトもやっているのだな、と俺はなんとも言えない気持ちになった。


 公開はしていないが、そんなうさぎちゃんを……たとえ夢の中の無意識であろうと、勝手に俺の相手にしちゃったことについて、勝手に見ちゃった夢なんだけど、俺はすごく罪悪感を感じた。


 このドクター、実はすごく頼りないんだが、聞けるところは聞いておかないと、俺は思い、質問を重ねた。


 「じゃ、このしつこい痛みは一体、なんですか?」と聞いた。


ドクターは、ストレスはありませんか?と聞いた。


 ストレス……。


「確かにこの一ヶ月、すごいストレスが続き、徹夜ばかりしてました」


 俺は、夜中の間中、暗い中、水浸しになりながら、泥だらけになりながら、バケツで水を汲み出したりというような、この一ヶ月を思い出した。俺の人生ってなんだろうな。


 音楽やってて仲良かったやつが実は中卒で、水道工事の仕事についていたことがあったらしいが、俺もそんなふうにもうちょっと電気工事とか、水道工事とか技術的なこと、知ってたら、と思うことが多かった。まさかそんな知識が必要になるとは、ゆめゆめ思わなかった。俺は、友達になった歯科衛生士の綺麗なお姉さんに「やっぱ自分で歯を削って虫歯治療って、無人島に流れ着いても、やっちゃいけないくらい危険ですよね?」と尋ね、彼女を笑わせたことがある。彼女は、歯って、神経のことがあるから、その知識なしで削るとまずいのよ、と言った。


 要らなくなった教科書、暇があったら読んでみたいので、貸してくれませんか?と言うと、お姉さんは、もう要らないと思って売っちゃった、と言った。あのお姉さん、最後にお茶する約束に来れなかった。突然の胃の痛み。胃潰瘍。


 俺と同じなのかな?お姉さんに聞いたら、わかるかもしれない。俺は久しぶりに連絡してみようか、と考えた。お姉さんは本当に綺麗な人で、俺が子供の頃から、全く変わらない歯医者の受付をしていて、あそこの歯医者は綺麗どころの歯科衛生士しか取らない、と、子供心に、あの先生の好みがわかるな、と思っていた。先生はとても厳しく、ちょっとでも手つき、角度が違うと歯科衛生士を怒ったので、俺は、職人肌な先生だな、と思った。職人肌で女性の好みもうるさい先生は、おそらく食通で、それは先生が選んで受付に置く雑誌を見ればわかった。


 

 俺、子供の頃の俺に会ったら、きっとこう言うと思う。


 何でも知ってないと、なんでもできないと、たくましくないと、この世界はな、生き残れない……便利に慣れて、何もできない、知らないと、いざという時、死ぬぞ。僻地でも、無人島でも、なんでも自分でできるようになれ。習える時に、しっかり習っとけ。


 

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