魔女たちの定め

 かつて定めを破った青銀の君は、報いを受けて一旦お亡くなりになったのですって。生きながら、誓約の石が放つ業火に、灰になるまで焼かれたのだそうよ。

 想像するのも恐ろしい、なんて凄惨なご最期かしら。けど、普通の人間なら、それでおしまいなのだわ。どんな惨いご最期であっても、一度きり。それ以上はないのだもの。

 でも、でもね、ハイランシアは違う。因果の紡ぎ手は、ご自身に課せられた義務を果たし終え、時が尽きるまで、決して本当には滅びることができないの。だから、殺されても、炎に燃やしつくされたとしても、同じお姿で甦えられるんだって。

 だけど、甦られるまでの記憶は、全て忘れてしまわれるのだそうよ。どれほど大切な思い出であっても、お持ちにならないそうなの。それは本当にお亡くなりになってしまうのと、何が違うのかしら。ただ同じお姿というだけなんて。

 青銀の君アラリエルさまは、これまでにも何度となく甦って、リュノーさまと、リュノーさまが生まれ変わられる前のお姿と、出会われている。たとえば、仙境の森の奥、狩りの途中迷い込んだ一介の若者と隠された館の女主人。たとえば、王の命を受けた輝かしい使者とそれを迎える青銀のハイランシア。あるいは、今はもう滅びた国の若き王と、彼が王国の担い手たれるか見定める、王冠の守護者として。出会い、惹かれあい、お二人は苦悩の果てに、終には因果を結んでしまわれる。

 少しずつ道を変えながらも、同じ運命を辿られるお二人は、どんなに嘆き苦しみ、悩みぬいても、結局は同じ結末、同じご最期を選んでしまわれるの。それはいつも周囲の方々を悲しませて、でもどうしようもなくて。

「愛しい家族なの。アリーは、わたくしのかわいい妹なのよ。あの子が絶望する姿も、不幸になる姿も、わたくしは見たくないの。

 ねえ、ウェルウィン。大切な人が傷つけられるとわかっていて、その相手をどうすれば憎まずにいられて? どうすればそんな恋を、笑って祝福できるのかしら。

 わたくしには、どうしてもわからない。いくら考えても、その方法が思いつかないの」

 だから、いつもあんな目で睨んでしまうのだわ。と、純白のミュリエルさまはおっしゃって、寂しそうに、悲しそうに、……ふたたび微笑まれた。


 人生にはきっと、どうしようもないことっていうのが、あるんだわ。知ってしまっても、片目を瞑って、そこにないふりをしながら生活していかなくちゃならないこと。

 わたしはとっても後悔したんだけど、それは聞いてしまった中身のせいじゃない。純白の君の苦しいお心を無理にこじあけて、お話させてしまったことなの。

 わたし、純白の君を抱きしめてさしあげたかったわ。ごめんなさい、苦しかったわね、って。父さまや母さま、兄さまがよくしてくださるみたいに、頬ずりしてさしあげたかった。わたしはいつもそうして、かわいそうに苦しかったでしょう、って言ってもらうと、もう何でもないことのように思えて、元気になれるから、きっと他の方にも効果があると思うの。

 だけど、純白のミュリエルさまは大人で、ハイランシアで、とっても高貴な方で。わたしは貴族だけどちっぽけな女の子で、それでもうほとんど大人になりかけていて。たぶんそんな風に子どもにするみたいに、ぎゅっとして頬ずりすることは、すっごく不敬になってしまうから。だから、できなかった。

 わたしたちは、また日々を送りはじめた。お茶を飲み、姉妹のように、また友だちのようにおしゃべりして、平和に暮らす日々。

 時折青銀の君とリュノーさまがおいでになって、純白のミュリエルさまがお一人でリュートを奏でられても。そうして純白のハイランシアのお心を映す仙境の雨が、野茨の花を激しく叩くことがあったとしても。

 顔を合わせれば、わたしも純白の君も、何ごともないように笑いあって、普通に過ごしたわ。

 わたしはたくさんご本を読み、純白のミュリエルさまがその声にじっと耳をかたむけられる。

 おだやかに見える日々が過ぎて行った。

 その時まで。


 ちょうどキリーの手ほどきを受けてる時だったわ。純白の君ミュリエルさまは、その時、長い透明な硝子の匙を使って、お茶の調合の仕方を見せてくださっているところだった。

 ふいにそれはやってきた。

 純白のミュリエルさまは、突然、ビクンッと身をすくめられて、どこか遠くを見つめられると、次の瞬間叫ばれたの。

「ああ、いけないわ、アラリエル! 燃え尽きる、貴女燃え尽きてしまうわ!」

 取り落とされた匙が床で音を立てて砕け、わたしはハイランシアの魔法が実際に使われるところを、はじめて目にした。かき消すように純白のミュリエルさまがお姿を消されたあと、すこしの間その場にちいさな星屑が瞬いているのを、わたしは目を円くして見つめていたわ。

 想像だけど、たぶんこの時、青銀の君アラリエルさまがお亡くなりになろうとしていたんだと思う。もう何度目かわからないご最期。誓約の石の炎に焼かれて、燃え尽きられようとするのを、きっと純白の君ミュリエルさまは止めに行かれたんだ。

 だけどそれは間に合わなくて、ううん、青銀の君のご最期には間に合ったのかもしれないけど、純白の君には止められなくて。それで、純白の君ミュリエルさまは深い深い悲しみに落ちていかれたんだ。

 銀紗を透かしていつも見えていた太陽は、真っ黒な雲に覆い隠されてしまった。滝のような雨が地面を殴りつける。激しい雨は風を呼んで、仙境が嵐になる。純白のハイランシアの悲しみ嘆かれるお心をそのまま映して、吹き荒れる嵐が、野茨の白い花びらを散らしていく……。

 とても恐ろしい一夜だった。

 純白の君の激しく泣き悲しまれる声が、館中に響いている。閉じた鎧戸の外では雷がとどろいていて、打ちつける雨と強風で多くの木々の枝が折れて飛ばされる音がしていた。

 わたしは、どうすることもできずに、ただ毛布の下で震えて朝を待った。後になってふりかえれば、悔しいけど、大人になりかけのちっぽけな女の子ウェルウィンは、この時、ハイランシアのお側に寄り添うこともできなかったんだ。



 朝がきた。

 嵐は去って、空はおどろくほどすっきりと晴れわたっていた。いつもの銀色の不思議な雨も今日は降っていなくて、無残に散らされた野茨の白い花びらが、いくつもの大きな水溜りの端に吹き寄せられて積もっていた。

 純白の君は朝食の席に既にいらしていて、お支度もきれいに整えてらして、おやつれになったご様子もほとんどうかがえなかった。けれど、わたしに向けられたその笑顔からは、乾いた印象を受け取ったの。まるで、銀の雨が降るのをやめてしまったみたいに。

 これは後になって気付いたことなんだけど、純白の君ミュリエルさまは雨の祝福のハイランシアなのよね。いつも降っていたあの銀の雨は、純白の君の慈愛のお心だったの。だから、純白のハイランシアのお心にあの庭を慈しむだけの余裕がなくなってしまったら、嵐になったり、雨が降らなくなったりしてしまうんだわ。

 いつも通りの、ううん、これじゃ嘘ね。いつもと違う静かな朝食だった。衣擦れの音と、ナイフやフォークが食器に触れるかすかな音だけが食堂に響いた。

 最後のお茶を飲み干したあと、わたしは純白の君から告げられたの。

「今までありがとう、ウェルウィン。今日で貴女の行儀見習いはおしまいにしましょう。……ずっと、楽しかったわ」

 ああ……。この時の純白の君のお顔を、わたしの胸の内にやって来てすぐに去っていった思いを、なんて言ってあらわせばいいんだろう?

 わたしは立ち上がり、一礼すると、手早く自分の荷物を支度してきて、純白の君へお別れのご挨拶を述べた。

「ありがとうございました、ハイランシア。野茨の館で暮らさせていただいた日々は、とても素晴らしく、光栄でございましたわ。またいつか、お目にかかる日がありますことを」

 わたしは、まっすぐに純白の君ミュリエルさまを見つめる。

「わたし、きっとずっと、ミュリエルさまが大好きです。あこがれて、でもお友だちみたいに思っていたの」

 向かい合って立つ純白の君のお手元で、ちいさな星屑がくるくると渦巻き始めた。

 わたし、家に帰るのね。突然だから、父さまたちは驚くかしら。またいつか、純白の君とお会いできる日は来るのかな。もう少しここに居たかったとか、残念だって思っちゃうのは、欲張りってことになっちゃうんだろうか? 純白の君も、お別れを残念だって思って、今すぐ取り消してくれないかしら?

 くるくる回るちいさな星たちが、ぱちんとはじける。お別れだ。

 ふわんと、浮き上がるような不思議な感覚。

 景色が、一転した。

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