エスティセンの騎士

 ところで、野茨の館へ来てからのわたしの毎日はこんな風なの。

 朝は召使に起こされて、寝台で目覚めの濃いお茶を飲む。

 飲み終わったら、侍女たちに手伝ってもらって手早く身支度を整えて食堂へ移り、純白の君と同じ朝食の席に着く。

 軽いおしゃべりを楽しみながら、給仕される焼きたてのパンと冷やしたミルク、ふわふわの卵、それに香草のサラダと果物を摂り、食後の甘いお茶をいただきながらその日の予定を確認する。といっても、予定はたいてい同じなんだけど。

 純白の君は朝の涼しいうちに家令や家政婦に当日の指図を終えられて、そのあと、わたしといっしょに少しの間ダンスを練習される。

 それから、育ててらっしゃる草花の様子を見に薬園へお一人で行かれる。その間わたしは、リード家でしていたのと同じ、語学や詩、音楽のお勉強。

 おしゃべりしながらの昼食のあとは、少し眠って、特にお客様のいらっしゃる予定がない限り、純白の君から、キリーと呼ばれる特別なお茶のお作法と調合の手ほどきをうける。

 終わったら、純白の君が選ばれるご本を読んで、間に喉をいたわるお茶。

 また暫くご本の続きを読んでさしあげていると、日が傾いて光がやわらかくなってくる。そうしたら、そろって庭園へ散歩に出て、野茨の白い花や、つやつやした木々の葉枝を、愛でて歩く。

 純白の君ミュリエルさまといっしょだと、傘がなくても雨に濡れないのよね。雨が止むとかそういうことじゃなくって、なんていうのかな、雨粒がわたしたちだけを避けていくの。

 きっと何か不思議の技をお使いになってるんだろうけど、わたしにはそれが、この仙境中が純白のミュリエルさまにかしずいているあかしのように思えて仕方がない。天から落ちてくる雨まで意のままにしてしまわれる、ハイランシア。ハイランシアとごいっしょできるわたし。なんて素敵!

 夕食もおしゃべりを楽しみながら、召使たちが運んでくる色とりどりの前菜に始まって、パンとスープ、お魚と二種のお肉、サラダ、口直しの氷菓。最後の焼き菓子とお茶まで、順番にたっぷりといただいて、満足して終える。

 食後、純白の君は、館の西端にある特別な塔におこもりになる。ご自身のお使いになる魔法の関係で、この時間に塔で色々やらなくてはならないことがあるのですって。

 わたしは興味津々なんだけど、さすがに塔へは普通の人間が立ち入ってはいけないそうで、未だに見せていただけないのよね。だから、塔の中がどんな風になってるのかとか、純白のミュリエルさまが中でどんなふうに過ごしてらっしゃるのかとか、わたしには想像もつかないの。うーん、残念。

 一方、わたしは自室へひきあげて、召使たちが運ぶお湯で湯浴み。ほてりを冷ましながら、侍女たちに肌や髪の手入れをしてもらって、届けられた家族からの手紙を読んだり、返事を書いたりする。

 夜のお茶をいただいて、寝台へもぐりこんだら、そのまま睡魔に身をゆだねて就寝。

 平和よね。


 一月ほどが、ゆるゆると過ぎていった。


 この間にわたしは、純白の君のお目が弱くてらっしゃること以外に、もうひとつ、別のことに気付いた。

 それは、定期的に訪れるお客様の中に、純白の君ミュリエルさまにとって、どうやら特別な方がいらっしゃるということ。

 そのお客様がいらっしゃる日は、純白の君が朝からそわそわしてらっしゃるから、すぐにわかるんだけど。いざお会いになったあとは、ひどくお心を乱されたご様子で、窓辺でお一人リュートを奏でられるの。

 そうして純白の君ミュリエルさまがリュートを奏でておられる間、野茨の庭を甘く濡らしている雨は、叩きつけるように強く激しくなる。まるで、純白の君の代わりに、泣いているみたいに。

 ううん、そのお客様にわたしはお会いしたことはないわ。他のお客様の時と違って、純白の君にお邪魔をしないように言われてたから、お客様がいらしてる間、お部屋へも近づかないようにしていたんだもん。

 だから、ついさっき、わたしが出会ってしまったのは偶然。事故みたいなものだったのよ。

 わたしは図書室へ行くところだったの。廊下を歩きながら、いつものように窓の外へ注意がそれていたのは認めるわ。だから固くて弾力のある壁みたいな物にぶつかったときには、一瞬何が起こったのかわからなかった。

「ご無礼を。お怪我はありませんか、姫君」

 はね飛ばされて尻もちをついたわたしに、大きな手が差し出された。

 見上げると、そこには翡翠色に燃える情熱的な瞳があった。彫り深く整った精悍な顔。短めの黒い髪が、ひと房ふた房、額の上で縮れている。うわ、なにこの方。すっごい美男子。ため息が出そう。

 背が高く、がっしりとした体にまとっている青いお衣装は、胸元や袖に襞をとった見慣れない形をしていた。ここでは外してらっしゃるのか、剣は帯びてらっしゃらないけど、剣をつるすための革帯を腰につけていらっしゃる。て、ことは、どちらの方かわからないけど、騎士でいらっしゃるのだわ。

「姫君? どこかお怪我を?」

 もう一度呼びかけられた。これ、東部テセン語だ。二つお隣の国、エスティセンの公用語。ってことは、この方は、エスティセンの騎士さまってこと?

 騎士なら、どこの国の方だろうと徽章をつけてらっしゃるはずだわ。

 そう思って注意深く見てみると、襟元に誓願石でできた徽章を留めていらした。石の中で揺らめいているのは、二本の槍と蛇の尾をもつ若獅子の紋章。あ、やっぱりエスティセンの方なんだ。

 わかったところで、つかの間、わたしは黒髪の騎士さまにどういう態度で接すればいいか迷った。

 レーデンスフィードでは、騎士はわたしたち貴族よりも一段低い身分、準貴族の者がなる職業なの。だから、わたしたちは、彼らに接するとき、下の者に対する態度を選ぶのね。

 けど、エスティセンの騎士制度は違う。騎士になられるのは、伯爵家以上のお家のご子息さま方。ご次男やご三男以下の、お家を継がれない方だけでなく、子爵さま、つまり後継ぎであるご長男までもがなられたりするのよ。

 そういうわけだから、エスティセンの騎士さまをお相手にするときには、慎重にならなくちゃいけないの。もしも、すっごくご身分の高い方に、間違ってご無礼を働いて、国同士の問題にでもなっちゃったら大変だもん。

 結局、わたしは最上級の敬意を払って接することにした。

「お気遣いいただき、ありがとうございます。わたくしは、なんともございませんわ」

 わたしはすまし気味に答えると、騎士さまの手に縋って立ち上がり、軽く膝を折ってお辞儀した。

「こちらこそ、気を散じておりましたせいでご無礼をいたしました。もうしわけございませんでしたわ。お許しくださいませ、騎士さま」

 この一連の流れ、どうかしら? 完璧な貴婦人っぷりじゃない? その気になればわたしだって、これくらいのご挨拶はできるのよね。

 黒髪の騎士さまは、ふっと口元に笑みを浮かべられた。わあ、ドキドキしちゃう。魅惑の魔法にかかりそうよ。

「ジルサール・リュノーです。リュノーとお呼びください、姫君。貴女も、ハイランシアでいらっしゃるのですか?」

「えっ!」

 わたしは、はしたなくも、うらがえった大きな声を上げてしまった。

 わっ、わたしがハイランシア!? それだけ高貴に見えるってことなら嬉しいけど、でも!

 うわああああああ、それはとんでもない誤解だわ。わたしはウェルウィン・リード。たんなる一貴族、リード男爵家の娘。行儀見習いに来ているだけの普通の人間なんだもん。不思議の技なんてもってないし、ハイランシアだなんて、ここで頷いたらとんでもない偽りになっちゃうわよ。問題にならないうちに、妙な誤解は解いてしまわなくちゃ!

 わたしは慌てて首を振った。

「違いますっ。わたしはウェルウィン、行儀見習いに来てるだけの人間なの!」

 あっ、しまった! 慌てすぎて口調が素に戻っちゃった!

 わーん、リュノーさまが目を円くしてらっしゃるぅぅ。馬鹿馬鹿、ウェルウィンの馬鹿っ。ぐすん。

 でも、さすが、エスティセンの騎士は立ち直りも早くていらっしゃった。

「ああ、なるほど」

 リュノーさまは頷いて、なにごとかを口にしようとなさる。

「ウェルウィン姫、貴女は……」

 その時、お言葉を遮るように聞こえた声。

「ジルサール」

 この、ただ一言、リュノーさまのお名前を呼ばれたお声に。

 えっ、て思った。

 え、この声、すごく……。


 ――すごく、わたしの声に似てる。

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