対等の戦いで

 紫の光で覆われた一帯は風もなく、その場に居る者達の息づかいと鼓動が静かに響いていた。

 攻撃する様子もなく、十三本の鎌首を皇龍ヒューゴにヒュドラは向ける。その視線を受け止めた皇龍は口を開く。その声は落ち着いていて大きくもなかったが、離れて見ているパトリツィアとライカッツにも聞こえる。

 

「ヒュドラよ、龍に憧れ、龍を目指し、そして挫折した蛇龍の成れの果てよ。こうして会うのは千年? いや二千年ぶりか」

「皇龍か……」


 体格だけならば、ヒュドラの相手にもなりそうもない。だが、皇龍から発せられる気配は尋常ではなく、統龍達が頭を垂れるのも不思議ではなく、パトリツィアとライカッツにも今にも平伏ひれふしそうな畏れを抱かせた。


「このまま眠りにつけ。再び紋章となりて闇でひっそりとその命保つが良い」

「ふざけるな。お前が出てきた以上、もはや勝ち目は我にない。しかし! 魔獣王と呼ばれし我が、おまえの情けで命を保っていては矜持が許さぬ」


 ゆらゆらと鎌首を揺らし、ヒュドラは威嚇するように一歩足を進めた。


「それに、お前を宿すヒューゴに伝えねばならぬことがある」


 赤黒い光を強めたヒュドラが、みるみるとその身体を縮め人間の姿に変わる。それはディオシスだった。


「何をしている。その姿になっては単に弱くなるだけではないか」


 皇龍の言葉にニヤリとディオシスは笑う。


「ヒューゴ。士龍の主であり、皇龍を宿すお前のことは調べた」


 皇龍は厳しい視線をディオシスに向けている。その表情には「しまった」とでも言うような動揺が見えた。


「お前を捨てた父や母。殺された仲間のこともな」

「今更、そのようなことを言って何になる」

「お前にはどうでも良いことだろうが、宿主のヒューゴはどうかな?」


 ディオシスは不敵に笑う。


「人間の姿になっていても、もう元の人間の意識など残っていまい」

「ああ、確かにな。だが、ディオシスの記憶や感情はしっかりと残っている。ヒューゴの父や母に対して行ったこともな」


 意味ありげなディオシスの言葉を聞いていたヒューゴは皇龍に言う。


 ――皇龍。僕が話す。


『やめろ! 今のあいつは確かにただの人間だ。だが、これは罠だ。ヒュドラとして対しては我に勝ち目がない。だから、我ではなくお前と戦おうというのだ』


 ――判っている。でも、ただの人間を龍で倒すわけにはいかない。それに……。


『お前が死んだら、我はあの祠で眠ることになるのだぞ? ヒュドラを抑えられなくなる。良いのか?』


 ――僕は負けない。もし、戦いの途中でヒュドラの姿に戻ったなら、その時は頼むから……。


『……お前の人としての拘りか……』


 ――ああ、そうだ。僕が皇龍のお前に選ばれたのは、その拘りのせいだと思ってる。

 

『フッ、愚かだな。だが確かに、その愚かさゆえにお前は世界に選ばれたのかもしれん』


 ――諦めてくれ。


『良いか? お前が士龍の力で戦おうとも、あやつはヒュドラの力で抗ってくる。回復能力がないだけだ。つまり対等の相手かもしれんのだぞ?』


 ――勝てるとは限らないと? それでも僕が勝つよ。


『どうしてそう言い切れる』


 ――僕は一人じゃないからさ。だが、あいつは一人だ。支えてくれるモノがない奴は、意地だけで戦う。僕にも意地もある、それに支えてくれる仲間が居る。ここに居なくてもそれは力になるんだ。


『我には判らん。だが、お前の意思は尊重しよう』


 ヒューゴは身体の自由を取り戻したと感じる。皇龍を通してではなく、自分で見て、自分で動いていると感じた。


「さぁ。ディオシス、いや、ヒュドラか。僕が相手になる。その前に、僕の両親に何をしたのか話して貰おう」


 目を爛々と輝かせ、口端を大きく上げてディオシスは笑った。「ハッハッハッハッハ」と勝負に勝ったとでも言いたげに笑い、ヒューゴを見る。


「そうだ。そうでなくてはな。いいだろう。教えてやる。……お前の父親は王都で家庭を築いていた。紋章クレスト持ちの子供も居たな。母親は、北部の小さな村で農家に雇われて小作人となっていた。お前と離れてやっと掴んだ生活を送っていたんだ」


 ヒューゴの鋭い視線を感じていないように楽しそうにディオシスは話す。美しく整った表情が笑みで浮かべる様子は、恐ろしいヒュドラが話しているとは感じられない。


「……二人とも捕えて、魔獣の餌にしたよ。母親は黙って受け入れてたが、父親はお前を呪っていたな」

「!? 何故だ! 何故そんなことを!!」


 泣きそうな表情でヒューゴは叫んだ。


「当然だろう? 憎むべきお前の両親を放っておけるわけはない」

「憎むのは僕だけで良かっただろう!」

「ああ、それとお前と一緒に集団農場で働いていた……タスクとウィル……だったな。無紋ノン・クレストの二人の遺体も掘り出して海に捨ててやったわ。魚の餌になっただろうよ」

「どうして……どうしてそんなことを……」


 ヒューゴを逃がそうと叫んだタスクの最後の表情を思い出し涙が零れた。


「我の憎しみを癒やすためさ。ディオシスは、我の思いを汲み取って平然と指示したぞ」

「許さない……お前だけは絶対に許さない……」

「いいぞ、いいぞ、その憎しみに溢れた瞳、その禍々しい感情。もっと見せろ。それでこそ我の気持ちが癒やされるというものだ」


 血の涙を流しそうな形相でヒューゴは返事もせずに腰の剣を抜き、ディオシスに近づいていく。

 口の片端をあげて笑い、ディオシスも剣を抜いた。

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