第十二章 ヒュドラ復活

決別前日

 ルビア王国の統龍紋所持者メリナ・ニアルコスは、国王アウゲネス・ロマークへの直訴のため王宮の王座の間にて待機していた。

 諸官並ぶ中、長く艶やかなブラウンの髪を垂らし、まだ空の王座の前で跪いている。

 ロマーク家には絶対に従うメリナが、直訴に来る事態は異常であり、立ち並ぶ諸官の表情にも緊張がある。


 近衛二名を引き連れ、アウゲネスがやってくる。王座に座り、メリナに顔を上げるよう声をかけた。


「それで、本日は何用で参ったのだ? メリナが事務官を通さずに直接願うなど初めてではないか」


 形式的な問いかけだが、その口調も声も気楽である。アウゲネスはメリナの訪問を珍しいとは感じているが、特に問題があることとは思っていないようだ。


「ハッ、私の我が儘でこのような形で参りましたことお詫び申し上げます」

「よい。気にするな」


 笑みこそ浮かべていないが、柔らかい声で片手をあげアウゲネスはメリナの詫びを止める。

 

「ではお言葉に甘えて早速……。陛下、国内で行われている非道な行いに目をつぶってらっしゃるのは何故でしょうか?」


 キッと顔を上げ厳しい視線をメリナはアウゲネスに向ける。


「非道な行いとは?」

「魔獣の餌に罪人を与えていることでございます」

「死罪になるものの処刑としてと聞いているが、それが非道なのか?」


 メリナの鋭い緑の視線を受け止めてアウゲネスは即座に答えた。


「建て前はそうなっております。私としては、罪人であろうとも魔獣の餌にするなどという刑には反対でございます。しかし、陛下がお認めになったということであればまだ諦められます。ですが、実情は死罪の罪人だけではありません」

「どういうことか?」


 周囲に並ぶ将官に目をやると、皆俯いてしまう。アウゲネスは短い言葉に不安をまとわせ再びメリナを見て問う。


「罪状を歪め、軽微な罪でも死罪とされ、魔獣番のところへ送られております」

「それは真なのか?」

「はい、盗みを働いた者を連行する際、役人が死罪を申し渡していた現場におりました。裁判もなくその場ででございます」

「……その役人だけが行っているのではないのか?」

「いえ、私以外の者も国内の至る所で目撃しております」


 再度、周囲の将官を見回す。皆一様に俯いたままで、救いを求めるようなアウゲネスと目を合せようとはしない。


「皆、知っておったのか……そのような事実を……何故伝えぬのだ……」

「陛下、ディオシス様は陛下の弟君おとうとぎみでございますゆえ」


 目を閉じ口を強く閉じるアウゲネスを真っ直ぐにメリナは見ていた。

 汗が幾筋もアウゲネスの額を流れている。そして絞るように言葉を発する。

 

「……馬鹿な……いくら弟であろうと、国政を歪めることは許さぬ」

「ですが、皆はそう感じてはおりません」

「……ディオシスへの愛情で、目を曇らせておると?」

「ハッ、口の端に上げるのもはばかることながら……」


 肉親や部下を思う気持ちが強いアウゲネスの心情を察しつつも、現実を伝えなければとメリナは言う。

 うつむき加減で目を閉じていたアウゲネスは顔をあげ、カッと目を開く。


「弟を……ディオシスを連れて参れ!」


・・・・・

・・・


 ルビア王国の中心からやや南側に広がる森林の一部を開いて、牧場のように柵で囲まれた地域がある。魔獣がそこで飼われていた。数十名の飼育係として働く兵とともに魔獣番のディオシスは詰め所に居た。

 詰め所奥にあるディオシスのの部屋へ、王都から使者が来た。

 

「国王陛下がお呼びです」

「判った。すぐに参ると伝えてくれ」


 使者に返答した後、ディオシスは身支度を調え始める。

 部屋に一人になると……、


『どうやら、バレたようだな』


 おかしそうにヒュドラが言う。


「仕方あるまい。想定していたよりも長かった。おかげで雑魚を従えられそうな魔獣を幾頭も育てられた。満足すべきだろうよ」


 平坦なモノから多くの装飾がある軍服へと着替える。


『どうした? 気が向かないようだが?』


「そのようなことはない。宰相を降りて魔獣番に就いてから三年。この日が来ることは判っていた」


『やはり兄だけは失いたくないのか? ククク、脆弱なことだ……』


「そのようなことはないと言っているだろう!」


 腰に剣を刺し、怒気を含んだ声をあげる。


『お前でも、自分を愛してくれた兄だけは特別なようだな。まぁ、そう怒るな』


 嘲笑の気配を消して、労るような調子。

 ディオシスの反応を待つようにヒュドラは黙る。


「兄を失うことが……これほど感情を刺激するとは思っていなかった」


『では諦めるか? 大陸征服の夢を』


「それはできぬ。魔獣に多くの人間を餌として与えていたことは、さすがの兄でも許せるものではない。極刑は確実だ。ここまで来た以上、どちらかが死ぬ以外の選択はない」


 窓の外を見ると、蜘蛛のような魔獣がディオシスを見ている。森で見かける通常のモノより二回りは大きい。ディオシスが命令していなければ、ここで働く兵等も食い尽くすだろう。そんな強力な魔獣がここには数十頭居る。皇龍が誕生する前に、あれらを使って士龍ヒューゴを倒さなければならない。

 倒せなければそこでディオシスの夢はおしまいだ。


 ここまで準備しておきながら、命を失うわけにはいかない。

 最後に残った、ディオシスの人らしい感情を捨てる決意を固める。


「行くか……兄上との別れのために……」


 ディオシスの背には、十三本の鎌首を揃えた完全な魔獣紋があった。鎌首の一つ一つがそれぞれ笑みを浮かべている。だが、彼はそのことの意味を気付いていない。

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