敵本隊襲撃(第一次フルホト荒野迎撃戦)

 ラダールに乗るヒューゴの眼下には、およそ一万名のルビア王国軍がフルホト荒野に進軍する様子がある。

 前衛と中衛との間が徐々に狭まっている様子に、ヒューゴは少し焦りを感じていた。


 ――前衛と中衛との間に帝国軍が割り込むためには、もう少し間が広い方がいいんだけどな。


 前衛を任されている一般人は全員救いたい。だが、このままだと多少犠牲が出てしまうかもしれない。

 ルビア王国の集団農場でヒューゴは殺されそうになった。あの時、命を失ったのは無紋ノン・クレスト二人とその他一緒に働いていた十名程度だっただろう。ルビア王国の国民全体から見たらごく少数だ。

 だが、当事者にとってはそんなことはどうでもいい。


 自分は自分一人しか居ない。

 命も一つしかない。

 一つしか無い命が失われるかもしれない恐怖をヒューゴは知っている。

 その恐怖を思い出すと、自分は小さくて弱い存在だと今でも思う。


 集団全体から見たら数人の命かもしれない。

 命のやり取りをする戦場でのことだから、ある程度は仕方ないのかもしれない。

 それでも、できることなら兵以外の一人の命も失いたくはないとヒューゴは思う。


 ――今は、一人でも多くの命が救われることを祈るしかないか……。セレリアさんが上手くやってくれると信じよう。


 手綱を握る手が少し汗ばみ、不安な気持ちをヒューゴは感じている。しかし、今やるべきことは前衛の心配ではない。後衛のルビア王国軍本隊を攪乱し、前衛と中衛への援護できないようにすること。これはラダールで敵軍の頭を越えられるヒューゴにしかできない、他人に任せられない任務。

 

 ――やれることをやるだけだ。


 ラダールを更に上昇させ、敵後衛の背後まで飛ぶ。


 敵後衛は、騎兵、歩兵、弓兵の陣容。歩兵には魔法を使える者も居るだろう。

 その後ろに、ひときわ立派な兵装の騎兵が続いている。多分、そこに敵指揮官がいるとヒューゴは睨んでいる。


 敵指揮官を倒しても良いが、指揮官を失うと敵軍は混乱し想定外の状況が生じるかもしれない。前衛の一般人がいなければ、本来はその方が望ましい。

 だが、一般人を救出するまでは、敵には整然とした規律ある行動して貰う方が状況の変化を計算できる。


 今回の敵の目的は魔獣投入実験にあるとヒューゴは睨んでいる。中衛の魔獣集団さえ殲滅してしまえば、屠龍を連れていない本隊は退却するはず。退却の判断を早めにさせるためにも、敵指揮官を倒してはいけない。

 ヒューゴ一人で数千の敵兵を相手にしなくてはならないのだから、敵指揮官を倒さずに敵軍を混乱させるのは、本来は危険だ。だが、今回はそれをやらなければならない。


 士龍の力を使えば簡単に倒せる敵を倒さずに戦う。

 冷静に、そして効率的に動く必要がある。


 ヒューゴはこれから自分が行うべきことを整理して、気持ちを落ち着ける。

 

「よし、さあ、行こう!」


 首元をポンッと叩いて、敵後衛の背後へラダールを急降下させた。



◇ ◇ ◇


 ルビア王国軍北東方面軍司令グルシアス・ラメイノクは、予想外の敵襲に隊の再編を余儀なくされていた。ヌディア回廊を進み、もうじき全軍が出口に差し掛かる場所で背後から襲われているのだ。


「……どこから出てきたというのだ。状況を報告せよ!」


 ヌディア回廊の幅は大人三十名程度が並んで歩行できる程度の広さしかない。数千名の本隊が、その数の利を生かすことはできない。

 だが、回廊の両側は切り立った高い崖で、左右や背後から襲われる危険性のない場所。ルビア王国軍でも、ガン・シュタイン帝国軍でも、回廊へ進入する際には前方だけに集中すれば良い通路と考えられている。稀に、回廊内での遭遇戦が生じた場合などは、双方とも消耗戦を嫌って早めに撤収する場所なのだ。


 このような場所で背後から襲われた場合、隊列の再編成はほぼ困難だ。それ故に、背後や左右からの襲撃はないと想定しつつも、後背に数百名程度の兵を用意しておくのは、ヌディア回廊通過時の常道。


 今、背後からの襲撃が現実となり、備えていた後背が減らされている状況への対応に、グルシアスは苦労していた。


「敵は一人のようです。ですが……」

「何だというのだ! 早く報告せよ」

「昨年、首都近くで起きた……ズルム連合王国国王夫妻奪還事件。その際に国王夫妻を奪還した悪鬼と呼ばれた者が我が軍を襲っているようなのです」


 王都近くで起きた事件はグルシアスも聞いていた。たった一人で護衛兵数十人を殺傷した悪鬼と呼ばれる敵兵の存在も、その惨状を見た兵からの報告で知っている。グルシアスの部隊へ配属された兵の中にも、現場を見た者が居るので誇張されてはおらず事実だということも知っていた。

 

「だが……どれほど強い者かは知らんが、たった一人であろう? 包囲してしまえば倒すのは簡単ではないか!」

「そ、それが……狭い回廊を利用し、突出した兵だけを薙ぎ倒しているのです。使用している武器は長い棒でして、倒された兵は怪我こそ負っていますが、命に別状は無く、傷を負った味方が邪魔して包囲できずにいます」

「巧妙な真似を……。では、二つ牙以上の魔法を使える者を集め、後背へ回せ!」


◇ ◇ ◇


 ヒューゴの狙いは、敵本隊の後背を襲い、敵指揮官から戦況全体を冷静に判断する余裕を失わせること。もう一つが、魔法を使える兵を敵軍後背へ集めること。


 ヒューゴの戦闘は素早さに特化している。敵を倒す力も、突進時の素早い移動で生じる衝撃を利用していた。

 そのヒューゴにとって、もっとも嫌な状況とは包囲されることであり、敵後背を攻める際には包囲されないことを第一に考えている。


 魔法は遠距離でこそ威力を発揮する。敵の懐に入る攻撃を得意とするヒューゴにとっては、背後から攻撃されない限り魔法は恐ろしくはない。狭い回廊内で避けようとすれば魔法は嫌な攻撃だが、懐に入ってしまえば、剣や槍で攻撃してくる兵より楽な相手だ。


 ルビア王国軍本隊の魔法による攻撃が無ければ、帝国軍が気をつけるべき遠距離攻撃は弓矢だけ。矢による攻撃を気にしない火竜が居る帝国軍相手には、敵の弓兵は行動を制限される。敵前衛の一般人を救出するにも、魔獣集団を殲滅するにも、比較的楽な状態が生まれる。

 

 敵前衛を救出したらセレリアは合図を送ることになっている。

 その合図を受け取ったラダールの帰還まで、ヒューゴは敵後背で暴れていれば良い。


 想定外の状況に的確な判断できずにいるグルシアスは、ヒューゴの思惑通りに反応していた。

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