報告(その二)

 愛妻リナの温もりを、久しぶりに感じてヒューゴは目覚めた。村ではもちろん、帝国でも珍しいシルバーブロンドの髪が首筋にあたりくすぐったいけれど、リナの香りも漂っていてヒューゴはこの瞬間に幸せを感じている。

 安らかな寝息をたてるリナを起こさないようにずれ、寝床からヒューゴは静かに身体を起こす。

 着替えて顔を洗い、早朝の訓練に向かう。


 夏まではまだ遠い日射しが、やや涼しい空気の中で暖かさを与えてくれる。

 家の前から見える……見慣れた、自然に溢れた風景にベネト村へ戻ってきたのだと改めて実感し、ヒューゴは嬉しさを感じた。故郷と呼べる場所が誰にでもあるとしたら、ベネト村がヒューゴにとっての故郷なのだと、今感じている嬉しさで再確認した。


 家の裏へまわり、ラダールとロンドの小屋へいき扉を開けておく。鍵はもともとかけていないから、開けておく必要はない。ラダールもロンドも外に出るときは扉を押して開き、勝手に出て行く。だけど、こうしておくことで同じ空間を共有している気持ちをヒューゴは持つ。


 簡単に開けられる扉であろうと、大切な相棒のラダールとその娘のロンドには、何ものにも邪魔されない状態をできるだけ用意しておきたいとヒューゴは思う。

 冬の寒さをしのぐためつけた扉なのだから春から秋の間は閉めなくてもいいのだが、不思議なことに、ラダール達自らが扉を閉めるよう鳴くのだ。まるで、自分達のために用意されたものはきちんと使うべきと感じているようとヒューゴには思える。だがラダール達の本心は判らない。


 ラダール達の小屋から離れ、薪割りと水汲みを行う。ヒューゴが居る間くらい、力仕事は全てこなしておくつもりだ。訓練前に身体を軽くほぐす意味もあるので、リナ達のためだけということではないが。


 薪割りと水汲みを終えたら、本格的に訓練を始める。ヒューゴが一人で行う訓練は、足腰の鍛錬を重視していた。士龍の力を使う時もそうでないときも、移動の速度がヒューゴの技を支えている。山頂まで続く坂道の途中にある草原まで全力で駆け上り、そこから息を整えながら村まで下りて再び駆け上がる。これを朝食までに五十回行うのが、この村で暮らしていた時の日課だった。

 朝食を終えると鍛冶仕事をし、夕食前にはパリスと剣で打ち合う……そんな日々を、こうして坂道を駆けているとヒューゴは思い出す。

 村での日々は、ヒューゴにとって楽しく幸せな時間。

 それを取り戻せているようで、息を切らして走っているのについ頬が緩む。


 ――焦っても仕方ないけれど、こういう生活に早く戻ってきたいな。


 ハッハッハッと、ヒューゴの息づかいがまだ朝もやが残る坂道に響いていた。


・・・・・

・・・


 リナの父ヴィトリーノの仕事を手伝ったあと、家に戻ってリナ達と昼食をとる。昼食後にはライカッツが来る予定なので、ヒューゴは台所の包丁を研ぎながら待っていた。

 

「ヒューゴさん、ライカッツさんがいらっしゃいましたよ」


 作業に集中して、ライカッツの来訪に気付いていないヒューゴをリナが呼ぶ。包丁と研石といしを片付けて、ライカッツが待つ囲炉裏がある部屋へ行く。


 囲炉裏の玄関側にライカッツとアイナが並んで座り、手前にはリナとナリサが座っていた。

 リナの隣に腰を下ろして、ヒューゴはライカッツとアイナの様子を確認する。


 ――んー、これはもしかして……。


「……ヒューゴ。今日は、俺とアイナさんのことで話があって……」

「はい。どうぞ」

「この状況でもう判ったかもしれないんだが、アイナさんと結婚しようと思ってる」

「そうみたいですね」

「それで……ヒューゴに賛成して貰えないと、どうも……結婚しづらいというか……まぁそういう感じなんだ」


 頭を掻きながら、ライカッツには珍しく照れくさそうに話す。


「ヒューゴ。私、全部、何もかもライカッツさんには話したの……」

「うん……そうなんだ……」

「それでも私と結婚したいと言ってくれる人なんて居ないと思っていたのだけど……」

「うん」

「二人で話し合って、結婚するなら、ヒューゴにだけは賛成して欲しいし、祝福して欲しいと……」


 うつむき加減のアイナは、ヒューゴに上目遣いで気持ちを伝えている。二人の照れる様子が微笑ましいのと同時に、自分もリナのお父さんに結婚を許して貰うときはこういう感じだったのかもしれないと、ヒューゴまでなんだか恥ずかしいような気持ちになっていた。


「ライカッツさんとアイナには幸せになって欲しい。だって、二人とも僕にとってかけがえのない人達だからね。兄貴分と姉貴分が一緒になるのは少し不思議な感じだけど、僕は賛成するし、もちろん祝福させてもらうよ」

「そうか? それで、ダビド村長にはもう話してあるんだけど、ヒューゴが賛成してくれたら早速一緒に暮らそうと思っていてだな……」

「ええ、当然じゃないですか?」

「ヒューゴ。おまえの姉は必ず幸せにするからな」

「ライカッツさんなら、まったく心配していません」


 ヒューゴが賛成したのを知り、ライカッツもアイナもホッとしたようだった。

 そして思い出したようにヒューゴがナリサを見ると、目があったナリサは下を向く。

 もじもじしている様子にヒューゴは、こっちもなのか? と疑った。


 ――まさか……ナリサも……誰かと?


 ナリサからリナへ視線を移すと、微笑んでコクと頷いた。

 

「お邪魔するよ~ヒューゴ」


 聞き覚えのある声が玄関から聞こえ、ラウドが顔を出した。


「ラウドさんなのかぁ……」

「お? ライカッツさんの方はうまく行ったようだな」

「それで、ラウドさんもナリサさんと結婚を?」

「まぁ、そう焦るなよ。俺は段階を踏むぜ。つまり婚約だ」

「ラウドさんもナリサさんも成人してるのに、婚約を?」


 男女ともに十五歳になれば成人し、結婚も基本的には本人同士で決めても構わない。親が相手を探し婚約してからという形が多いが、成人後であれば、本人同士で決めても特に問題はない。だから、もうじき二十三歳になるラウドとリナの一つ年下で十七歳のナリサが、ヒューゴの同意など確認せずに結婚を決めるのが普通ではないかと思った。


「ああ、そうだ。……俺としちゃすぐ結婚でもいいんだが、彼女にも事情があってだな」

「事情?」

「今、リナちゃんから薬草のこととか勉強してるだろ? それで一通り勉強してからと言うんでな。彼女の気持ちを大事にしたいということだ」

「本当? ラウドさんから強引に迫られたとかしていない?」


 コクリとナリサは無言のまま頷く。


「おいおい、ヒューゴ。それはないぜぇ。俺達もう十年の付き合いだってのに、信用してくれてもいいんじゃないか?」

「ラウドさんのことはもちろん信用していますよ? でも、顔を合わせるたびに、早く結婚したいって言っていたものだから……」

「そりゃぁさ? 早く結婚して、家を出て一人前の暮らしをしたいと思っていたさ。でも、誰とでもいいだなんて思っていなかったのは知ってるだろ?」

「ええ、それは知っていますが……」

「そういうことだ。……さて……、ヒューゴ、俺はナリサさんを妻として迎えたい。彼女の気が済むまで勉強して貰って、その後になるが結婚したい。だから彼女の保護者のヒューゴに認めてもらいたい」


 いつものおどけた表情から神妙な顔つきに変えて、ラウドはヒューゴに頭を下げた。ヒューゴがベネト村へ来てから付き合いがあり、仲の良い友人ラウドの気持ちは伝わった。


「ラウドさんとの婚約。受けて良いのかい?」

「……はい……」


「じゃあ、僕が反対する理由はない。でも、ラウドさんはやんちゃな人だよ?」

「おーーーい、ヒューゴ。リナちゃんにはもちろん、あのパリスにだって当たり障りなく接していたことを忘れて貰っては困る。俺は女性には優しいんだぜ?」

「リナはともかく、パリスさんには……面倒だったからじゃないのかなぁなんて」

「ハッハッハ、面倒だったってのはあるかもしれない。でもそれだけじゃないのが俺の良いところじゃないか」


 ラウドのこの明るいところは昔から変わらない。ミゴールが亡くなったあと、この明るさにどれほど助けられてきたかをヒューゴは思いだしていた。


「それで、……ライカッツさんもラウドさんも、アイナとナリサさんとはどういった経緯で結婚しようと?」


 魔獣や獣と出会う機会は、ベネト村周辺の森では珍しくない。だから、ライカッツとラウドは、アイナとナリサが薬草を採りに行く際、護衛として付き添っていた。

 ほとんどの場合は、ライカッツもラウドも怪我など負わずに魔獣や獣を倒し追い払っていた。だが、あるとき、集団で襲ってくる魔獣を相手にした際、ライカッツとラウドは怪我をした。命に関わるような怪我ではなかったけれど、魔法による治療は絶対に必要な程度には深い傷を負った。

 二人に付き添って怪我をしたのだからと、リナの魔法による治療が終わり全快するまでの間、ライカッツにはアイナが、ラウドにはナリサが看病に通ったという。

 ライカッツとラウドの説明をヒューゴは聞いて納得した。


「怪我を負ってもライカッツさんは強がってたらしいです。アイナさんはそれが心配だったんでしょうねぇ。あと、ラウドさんはナリサさんの前ではやはり強がってたらしいですが、お父さんの前では痛い痛いとうるさかったらしいですよ? ラウドさんのお父さんが、情け無い奴だと言っておられました」

「リナちゃん……それは内緒にしておいてくれよぉ。あ、話を変えるようで悪い。魔獣で思い出したんだけど、最近、蛇型の魔獣が現れた話を知ってるか?」


 ライカッツに顔を向けてラウドは訊く。だが、ライカッツは横に首を振った。


「森の奥で親父が出遭ったらしいんだが、ドラグニ山ではこれまで見たことがない魔獣で、火竜並みにでかいらしい」


 火竜は、家なら四軒から五軒分の大きさだ。確かに、そこまで大きな蛇型魔獣はヒューゴも見たことはない。


「それで、近いうちに討伐隊を出そうという話になってる。村の近くまで来られたら厄介なことになるかもしれないからな。……ライカッツさんとヒューゴにも声がかかると思うぜ」

「そうだな。慣れない魔獣にうろつかれるのは困る。声がかかったらもちろん参加する」

「僕も行くよ。ラダールに上空から見張って貰えば、不意を突かれることもないだろうし……」


 男性三名はお互いに頷き、魔獣の話を終える。


「じゃあ、アイナさんの荷物をライカッツさんのおうちに運びましょう」


 緊張した空気を和らげるようにリナが言い、ヒューゴも微笑んだ。

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