第37話 古谷悟の件(2)〜ランボー一際威張る

 現場になった階段は練習試合を行った高校から、歩いて15分程走った距離にあった。高校生なら自転車で5分程とかからない距離だろう。

 対戦相手の高校は小高い山の中腹にあり、帰り道しばらく下り坂が続く、そして階段があり、降りると住宅街に繋がる。高校から階段までの間は人気が少ない。目撃者もいなかった。


 ランボーは階段の数を数えたり、階段1段の高さを測ったらしていた。


「あり得ねえな、こんなところで死のうとしたら、相当助走つけてダイブしねえとなんねーぞ。死ぬのにわざわざこんなところ選ぶか?」


「だからご両親は、誰が突き落としたのと思ってるんじゃないですか」


「警察も事故で処理しないで、なんで自殺って断定するかなぁ」


「そりゃあ、可愛い息子が関わってるかもしれないからじゃないですか。事故にしたら財前泰司は現場にいたんですから」


「うるせえ、今、俺が言おうと思ったこと、先に言うな!」



 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


 再び、古谷家に向かうと、アパートの周りに人だかりができていた。古谷夫婦は表に出ていて、父親の方が消化器で火を消していた。どうやら古紙回収で出そうと束ねてあった新聞紙の束が燃えていたようだった。母親は集まってきた近所の人に、お騒がせしてすみません、と何度も頭を下げていた。

 聞こえてくる近所の主婦たちのお喋りを盗み聞きした。


 えー、なに?古谷さん家?小火?古谷さん家よ、可哀想に。この間息子さん亡くなったばかりだって言うのに。こんな昼間にねえ、放火じゃないの。いやねー。


 近所の主婦たちに混ざり、体格のいいスーツの男が2人いた。


「なんかマズくないですか?」


「目を合わせるな!自然に歩いて通り過ぎろ!」


 ランボーは小声で言った。俺たちが踵を返すと、それに気づき男たちはこちらに向かってきた。普通を装い歩く。

 角を曲がった途端、ランボーは「走れ!」と言った。


 振り向くと男たちも、走って追いかけてきた。


「振り向くな!こっちだ」


 民家の塀を登り、庭を突っ切り、また塀を乗り越えた。ここは民家が密集していて、肩の高さくらいの低めの塀で仕切られ、迷路みたいになっている。ランボーはすばしっこく逃げる。俺もついていくのがやっとだ。息が上がる。

 こういう時映画やドラマだと、後に走る俺が瓶ビールのケースやら木材やらゴミバケツなんかをなぎ倒して、追手の障害物にするのだろうが、そう都合よく物は置いてはない。

 何軒目かに入った庭に、むかし流行った錆びたキックボードが1台、鍵の付いたままの自転車が1台、都合よくあり、ランボーは自転車に跨った。マジか、と思ったが選択肢はキックボードしかない。子供用のキックボードでハンドル部分が低い。ハンドルを握ると腰を曲げ、地面を蹴った。


 ランボーは自転車を運転しながら携帯をかけた。電話相手に、場所を指示している。なにやら話がまとまらず、揉めているようだ。


「うるせえ!俺が来いって言ってんだから来い!腹痛えなら、正露丸30個くらい飲んで早く来い!」


 こちらが自転車やキックボードで必死に逃げているというのに、足で走っているスーツの男たちは、じわじわと差をつけているものの、まだ視界から消えない。


「あいつら、どういう鍛え方してんだ!」


 どれだけ走ったかわからない。地面を蹴る右足の裏の感覚がない。ハンドルを握る手にも握力がなくなってきた。こちらの逃げるスピードも遅くなってきたが、追手のペースもダウンしてきていた。


 広い車道に出ると車にクラクションを鳴らされた。黒いワンボックスが、少し先へ行ったところで停車した。

 ランボーは自転車を捨て、ワンボックスのスライドドアを開け、飛び乗った。


「浅野!急げ!」


 俺もキックボードを投げ捨て、飛び乗った。


 俺たちが乗ると、ワンボックスは急発進をし、後ろからクラクションを鳴らされた。


「遅えーぞ!このハゲ」


 運転席のシートを後ろから蹴った。運転手はたしかにハゲだった。毛が1本もないスキンヘッドに真っ黒の濃いサングラスをしている瘦せぎすの男だった。


「GPS追いかけても、お前、狭い道ばっかり走ってるから、この車じゃ入れねえよ」


 さすがに追手も車には追いつかないだろう。

 俺は心臓が飛び出しそうなほど息が上がっていた。スポーツ全般苦手な俺は、こんなに体を動かしたのは社会人になってから初めてだ。喉の壁が張り付いて、息がうまくできない。

 それにこの車の中は、なにか油臭いというか、独特な苦い臭いがした。運転手のレザーパンツと革ジャンの臭いだ。まさか、と思ったが、間違いない。『シュワちゃん』だ。


「俺は子分じゃないからな」


「うるせえ、いいからもっとスピード上げろ」


 息を切らしながら、ランボーは携帯をかけた。


「あ、所長、じゃなくて『Mr.ブラック』。ヤバイです。多分、警察の連中に間違いないですが、勘付かれたようです。古谷さんの家に火ぃ点けられました。はい。俺たちも追いかけられました。逃げましたけど。今『シュワ』と合流しました。はい。そっちにも多分行くと思います。はい。はい。じゃあ、そうします。お願いします」


 ランボーは携帯を切ると、少しの間息を整えるため黙った。


「あれは警告だな。もう嗅ぎ回んなってことだ」


「古谷さんちの小火ですか?」


「そう。殺すためなら、夜中とかに火ィ点けるだろ。あんな真っ昼間に新聞燃やしたってすぐ気づくだろ。多分、俺たちが来たことで、多分サツも俺たちのこと普通の探偵事務所だと思ってるから、今回の息子の不祥事の真相を嗅ぎ回るために探偵を雇ったって思われてんじゃねえか」


「じゃあ、署長の父親が」


「多分そうだ。これでハッキリしたな。意図的なのか事故なのかわかんねえけど、息子の財前泰司が、古谷悟の死と関わってんのは間違いねえ」


「胸糞悪いな」


 スキンヘッドが運転しながら言った。スキンヘッドがハンドルを切ると、革ジャンがミシミシ音を立てる。


「署長に、俺とお前は、しばらく事務所に立ち寄るなと言われた。しばらくホテル暮らしだ。ホテル代は経費で落ちるよな。お前、家帰れねえぞ」


「それはマズいです。家族にはこの仕事のこと言えないですし」


「適当に言っとけ。本社の入社研修が泊まりにだとか。家族持ちは面倒くせえな」


「急過ぎですよ。妻に怪しまれます」


「これで帰っても、お前が尾行されて、家族が危ねえぞ」


 なにも言い返せなかった。なんて言い訳すればいいのだろうか。

 車はコンビニの駐車場に停まった。


「おいハゲ。なんでコンビニ寄るんだよ」


「糞だ。悪いか?」


 運転席の男から、グルグルグルと地響きのような音が聞こえた。


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