第23話 前日の準備
土曜日の朝、僕は親に「買い物に行ってくる。昼ご飯は食べてくるから」と告げて、ショッピングモールに出かけた。デートの下見と服を買いに行くためである。
途中で銀行に寄って預金を下ろしてから電車に乗る。ショッピングモールの最寄駅はそこそこ大きい駅だが、改札は一つだったからここで待ち合わせをしても問題ないだろう。
まずは、明日行く予定のレストランで雰囲気と値段を確認した。インターネットで事前に目星をつけておいたところである。ランチの値段は千円強ぐらいで、高校生でもどうにかなるような価格だし、雰囲気も小奇麗で板張りの床と木製のテーブルと椅子があり悪くはない。僕はひとまず席だけを予約することにした。一応、大久保さんに苦手な食べ物とかないか、メールで聞いておいたところ「特にないです」という返事だったし、映画館にもほど近いから問題ないはずだ。
食事を終えた後で映画館まで実際に行ってみて、どれくらい移動にかかるか確認する。歩いてみると十分くらいだった。まあ許容範囲と考えよう。
午後はブティックを回ってこれはというものを探す。三軒ほど見て回り、自分のセンスからかけ離れていない、あまり派手ではないがそれなりに見栄えがよく清潔感のあるファッションという条件で服を選ぶ。いろいろ探した結果ライトグレイを基調にした明るい色の半そでのカッターシャツを選んだ。ナロータイというのか細身の黒ネクタイがセットでついていて、おしゃれな気もする。ボトムの方は無難に黒いチノパンにした。ファッションセンスに特に自信があるわけではないが、自分のセンスをとりあえず信じよう。大きく外してはいない、と思う。
次にショッピングモールを出て、公園を散歩するコースを確認した。大久保さんがメールで映画の後で行きたいと言っていた場所だ。公園は高台にあって、ちょうど今ぐらいの時間帯になると、夕日が街並みをてらし、それがだんだんとネオンが光る夜景に変わっていく様子を見ることが出来た。うん、悪くない。ロマンチックな感じだ。
あれ、でもこれってよく考えたらすごいことじゃないのか?
初めてのデートで、こういう所を、つまり夕暮れの時間帯の人目があまりない公園を指定してくるなんて。……これは、やっぱり、あれだろうか。こういう場所で僕との関係が深まることを彼女も期待しているということなのか?
今まで女の子とそういう関係になったことはなかったが、僕もついに……なんてことを頭の片隅で考えて思わず胸が高鳴っていた。
帰りぎわに駅近くのスーパーを通りかかって、ふと考える。何か明日のデートに必要な物はないだろうか。財布や携帯電話は当然持っていくとして、ハンカチ、テイッシュなど必要そうなものは準備したつもりだが。
あ、そうだ。料理を食べた後で口臭とか気になるかもしれない。洗口液とか買っておいた方が良いんじゃないか? 彼女と息がかかる距離まで顔が近づくことだってあるかもしれない。そんな風に結論を出した僕はスーパーに入って、もう少し買い物をすることにした。
だがガラス張りの自動ドアを通って店内を見回すと、ふと見覚えのある顔が目に飛び込んでくる。あれはもしかして……。
「日野崎?」
「あれ、月ノ下。買い物に来たの」
そう、そこにいたのは髪を結いあげたボーイッシュな雰囲気の女友達。クラスメイトの日野崎がスーパーの入り口に立っているではないか。
「そうだけど。その恰好……」
僕は思わずまじまじと彼女を見てしまう。彼女はスーパーの店員の制服を着ていたのだ。
「う、うちの学校はバイト禁止じゃなかったっけか?」
「いやこの店、あたしの家なんだよ」
「へ?」
「だから、あたしの家、スーパーを経営しているんだよ」
「そうだったのか……」
「そうそう。だから、あたしがやっているのはあくまでも家の手伝いってわけ。家の手伝いをしてお小遣いをもらうことについては別に禁止されていないでしょ?」
「まあ、確かに家の手伝いは禁止されてないけど、な」
実質バイト待遇っぽいし、色々とグレイゾーンな気がする。
そこへもう一人、店員の制服を着た少年がやってきた。背が高くて、真面目そうな雰囲気だ。
「日野崎先輩、野菜売り場の品物が切れかかっているんですが」
「ああ、そう。市ヶ谷、在庫がある場所はわかる?」
「はい、なんとか」
「それじゃ、出して並べておいてくれる? あたしもすぐ手伝いに回る」
「はい!」
先輩? バイトの先輩という意味かな。
「なあ、日野崎。今の人って……」
「ん、ああ。うちの学校の一年なんだよ。この間から高校生でも大丈夫なら自分もバイトさせてほしいって頼み込んできて、働いているんだ」
「おいおい」
「だから、あの子がやっているのは、他の家のお手伝いをしてお小遣いをもらうということになるのかな」
「もはや、完全に校則違反のような……」
「でも、まあ短期間だけってことでお願いして来たし。それにまじめでよく働くし……っと、おしゃべりしている場合じゃないや。あたしも仕事中なんだ。それじゃあね」
「ああ、頑張ってな」
さて、と。
日野崎と別れた僕は目当ての口内洗浄液を探して、医薬品コーナーを歩き回る。携帯に便利な旅行用とかの小さ目のボトルが売っていたはずなのだが見当たらない。棚を見るとそこの部分だけが空になっていた。売り切れたのだろうか。大きいお徳用のものはあるが、こんなかさばるものをデートに持っていくわけにもいくまい。
「何かお探しですか?」
「え?」
振り返ると、話しかけたのは先ほど見かけた市ヶ谷という少年だった。さっき言っていた品物の補充はもう終わったらしい。
「いや実は口内洗浄液を探していて。外出の時も携帯できそうなサイズのやつがいいんだけど」
「ああ。それなら在庫があったかもしれません。取ってきましょうか?」
「いや、そこまではしなくとも。コンビニとか行けばあるかもしれないし」
「でもこんな時間にわざわざ探すっていうことは、すぐにでも使うんですよね?」
「まあ。明日使うつもりなんだけど」
「じゃあ、探してきますよ」
市ヶ谷少年は言うが早いか踵を返し、きびきびとした動きで売り場の奥にある店員専用扉の中に消えていった。そして、一分もかからずに彼は手に品物が詰まった箱を抱えて売り場に戻ってきた。
「はい。こちらでよろしかったですか?」
「あ。はい」
「失礼します」
ニカッと笑って市ヶ谷くんは去っていった。何とも快活でさわやかで好印象の少年である。
あ。お礼を言うのを忘れていたな。だがタイミングを外したので仕方がない。
とりあえず品物をもってレジに向かうと、担当していたのは日野崎だった。
事務的にレジの機械でバーコードを読み取る彼女に僕は小声で話しかける。
「さっきの市ヶ谷くんって人。僕のためにわざわざ品物を探しに行ってくれたんだ。あとでお礼を言っておいてくれないかな」
「へえ。そうなんだ。気が利くやつだねえ。今週でやめるのがもったいないよ」と日野崎はしみじみとささやいた。
「そうなのか」
「うん。よくわかんないけど野球部にも所属しているらしくて忙しいんじゃあないかな」
「なるほど」
部活にバイトか。しかも野球部って毎日のように練習あったはずだし、練習が終わった後でここにきて働いているのだろうか?
実に活動的な少年だ。一つ年下なのに僕よりもずっと頼りがいがありそうに見えた。
いや、今はそんなことに気を取られている場合じゃない。僕は雑事を頭から追い出すつもりで軽く首を振る。
明日は大事なデートの日なのである。寝坊なんてしないように早めに家に帰って就寝するとしよう。
僕は帰りの電車の中で明日のデートの待ち合わせ場所と時間を大久保さんにメールで送信する。程なくして彼女から「ありがとうございます。楽しみにしています」という返事が来た。
明日は僕の人生で記念すべき楽しい一日になるといいな、と思いながら僕は家路についたのだった。
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