第4話 証言者現る。そして

 薄曇りの空からはぼんやりとした陽光が差し込んで、教室の空気までもどことなく憂鬱に感じさせる。


 一晩明けて、翌朝のホームルーム前である。


 教室では登校した生徒たちがそれぞれこの間の小テストの愚痴や噂話やテレビ番組の話など雑談に興じている。


 僕は学校に着いて早々に明彦に話しかけようと席に近づくが、彼はどういう訳か自分の席で顔をしかめて頬杖をついていた。


「明彦、今日はどうするんだ? まだ話を聞いていない人間も何人かいるけど」

「いや、その事だがな。冷静に考えたら、石膏像が無くなったという話は隠すべきだったんじゃないかという気がしてきた」

「え? どうして?」

「だってそうだろう。仮にお前が犯人だったとして『美術の授業の後で石膏像を持っていったんじゃないのか』なんて聞かれても素直に答えるか?」


 確かに決定的瞬間を見ていた人間がいるわけではないし、とぼけられる可能性は大きいかもしれないが。


「それを承知で状況証拠になりそうな証言を集めていたんだと思っていたけど……。つまりどうするべきだったと?」

「だから、あえて石膏像のことは伏せておいてだな。『美術の授業の後で教室を出て行かなかったか』を尋ねて、聞いてもいないのに『盗んでいない』とか『美術室に入ってない』とか口を滑らせる奴を探すべきだったんじゃないかと思うんだ」

「一理あるとは思うよ? でもさ、そもそも阿佐ヶ谷たちが石膏像が無くなったことを昨日の時点でも何人かに話していたじゃないか」

「あっ! そう言えばそうだな」


 明彦は臍を噛むような思いになったのか、俯いて頭を掻いたが、思い直したように顔を上げた。


「何にせよ、今更犯人が名乗り出ることを期待したところで望み薄なのは確かだな。だが犯人じゃない奴は嘘なんかつく必要ないし、確実な証言をあつめて矛盾を割り出せば誰が出て行ったのかわかるかもしれない」

「確実な証言、か。じゃあなるべく信頼できそうな人間にだけ聞いた方が近道かもね」

「そうだな。そうなると……」

「クラス委員の虹村、かな」


 僕はクラスの席の一番前の方に座っている少女に目をやった。髪をポニーテールにして結い上げて眼鏡をかけている女子生徒。彼女は自分の席で一時間目の予習をしているようだった。


 虹村志純にじむらしずみは二年B組のクラス委員であり成績優秀で生真面目な女子生徒だ。彼女ならまず、物を盗むなんてことはなさそうだし嘘をつくような人物ではない、と思う。


「……悪くない線だな。よし、早速いってみるか」


 明彦はおもむろに立ち上がると、教室の前の席で予習をしている彼女の所へツカツカと近づいた。


「やあ、おはよう。今日もお美しいね」


 教科書を広げていた虹村は無表情で顔を上げる。


「どうしたの急に。飛ばしてるわね。頭でも打ったの?」

「君のことばかり考えてしまうことを除けば問題ないさ」


 おそらく明彦なりに虹村の気持ちをほぐして、話を聞きやすい雰囲気を作ろうとしているのだろう。多分。


 しかしそもそも今は時間が惜しいのだ。会話のキャッチボールならぬドッジボールを繰り広げている場合ではない。みかねた僕は思わず口をはさんでいた。


「虹村。予習の邪魔をして済まないが、訊きたいことがあるんだ」

「あら、月ノ下くん。どうしたの? 勉強のこと?」

「いや、そうじゃなくてさ。一昨日のホームルームの前に教室を離れた奴がいたか覚えている?」


 彼女は一瞬考え込むような表情をしてから口を開く。


「もしかして、あれ? 美術室の石膏像がなくなったって言う……」

「聞いていたか。ああ。そのことなんだ」

「阿佐ヶ谷くんたちが話しているのを聞いたわ。あなたたちが飯田橋先生に疑われているということもね」

「そうなんだよ。でも僕たちは何もやっていない。僕たちが掃除をするために展示室に行ったとき、既に石膏像はなかった。だから疑いを晴らしたいんだ」

「それで、あなたたちが掃除をする前に誰かが美術室に行かなかったかを知りたいということなのね」


 明彦も大仰に手を合わせて頭を下げる。


「貴重な勉強の時間を邪魔するのは本意じゃないが、頼む。覚えていることとかないか?」

「私も流石にみんなを見張っているわけじゃないし記憶していないけれど。でも要は美術室にあの時間、誰が近づいたか分かればいいんでしょう?」

「ああ、そうだけど」

「それなら委員会でよく話す一年生の子がいるんだけどね。その子が一昨日授業で課題が長引いちゃって、家庭科室に一人残ってホームルームの時間ギリギリまで作業をしていたらしいの」


 家庭科室。……家庭科室は美術室のすぐ向かいにあるのだ。


「じゃあ、その子に訊いたら……」

「ええ、誰が美術室に近づいたのか分かるかもしれないわ」

「ありがたい! それじゃあ早速、その子を紹介してもらえないか?」

「今日の昼休みでいい?」

「ああ、それでかまわない」


 虹村はノートをパタンと閉じながら明彦にニッコリと営業マンのような作り笑顔でこう答えた。


「その子には、変な口説き文句だかお世辞だかは言わないでね。そんなことしなくても素直に答えてくれるし聞いていて恥ずかしいから」




「どうも。一年A組のクラス委員をしています。高円寺菊乃こうえんじきくのです」


 虹村から紹介してもらった一年生の女子生徒、高円寺さんは髪をおかっぱにした日本人形のような雰囲気の少女だった。昼休みに虹村に先導されて一年の教室に行き、そこで声をかけて連れてきてもらったのが彼女である。


 一年の教室の廊下なので何人かの生徒がちらちらとこっちを見ているが、どうせそんなに時間のかかる話ではない。気にしないことにして僕は話を切り出した。


「ああ。実は訊きたいことがあったんだけど、君が一昨日の最後の授業の時に家庭科室で居残っていたというのは本当かな?」

「あ、はい。家庭科の授業で裁縫していたんですけど、私不器用なもので授業時間中に終わらなくて。先生にお願いして作業させてもらっていたんです」

「そのとき、美術室に誰か授業が終わった後で戻ってきたりしなかったかな?」


 高円寺さんは、頭に手を当てて少し思い出すような仕草をしたが「いいえ」と答えた。


「誰も戻ってきていないと思います」


 明彦が若干焦ったように問いただした。


「ほ、本当に? 誰もか?」 


 高円寺さんがびっくりして後ずさる。


「雲仙くん。そんなに詰め寄らないであげて。怖がっているじゃない」

「ああ、済まない」


 虹村にたしなめられて明彦は思わず黙り込む。


「いや、あの。私が家庭科室に残っていたので、最後に出て行った人はドアを閉めずに開けっ放しで教室に行ったんです。だから私にはちょっと顔を上げれば、美術室の入り口も見えたし、出入りした人がいたら音も聞こえたと思います。だって私以外の人はみんな、先に教室に戻ってしまって静まり返っていたんですから」


 なるほど。自分一人しかいない静寂の中で誰かが来たら流石に記憶に残りそうなものだ。ということは、本当に誰も美術室に戻ってきて石膏像を持ち出したりはしていなかったことになる。


「……わかった、ありがとう」


 僕はとりあえず高円寺さんにお礼を言ったものの、内心困惑していた。





「聞き込みをする必要はなくなったが、逆に混乱してきたぜ。……一体何がどうなっているんだ?」と僕の隣で明彦がぼやく。


 あの後、僕らは協力してもらった礼を言って虹村とは別れた。


 しかし今後の方針をどうすればいいのかわからず、途方に暮れて本校舎と実習棟を結ぶ渡り廊下のそばの花壇に腰かけていたところである。


「美術の授業の時には石膏像はあった。その後ホームルームの前まで誰も近づいていない。ホームルームが終わって僕たちが掃除のために入った時には、石膏像はなかった、か」

「それじゃあ誰も石膏像を持ち出してなんかいないことになるじゃないか。あっ。……まさかあの高円寺という一年生が犯人ということは」

「そんなことして何の得があるんだよ? わざわざ用もない美術室の中に入る理由がないだろ」

「だーよなあ」


 彼は肩を落として力なく呟く。


「なあ、一度美術室を調べてみないか。昼休みだって開いているはずだよな、確か」

「何か手がかりがあるかもしれない、ということか?」

「少なくとも聞き込みをしても無駄みたいだし、もしかしたらこの間掃除をしたときにはわからなかった何かが見つかるかも」

「オーケイ。こんなところで花壇の煉瓦を尻で温めているよりかはましだな」


 明彦は腰を上げて実習棟の入り口を指さして言った。


「じゃ、行くとしようぜ?」


 僕も追うようにゆっくりと立ちあがった。

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