第3話 聞き込みと探索
僕らが二年B組の教室に足を踏み入れると教室の中には男子が三人、女子が四人残っていた。
男子はバスケ部の
彼は教室に入った僕らを見るなり声をかけてきた。
「よお。お前ら、また何かやらかしたんだってな?
阿佐ヶ谷と言うのは、さっき僕らと職員室ですれ違った掃除当番で同じ班の人間の一人だった。
「おかげで退屈しないけどな。あまりうちのクラスが問題起こしてばかりみたいなイメージ持たれても困るからさ。少しは自重しろよ」
机に腰かけていた三鷹はにやにや笑った。彼とはあまり話したことがあるわけではないが、たぶん別段僕らの事を嫌っているわけではない。ただ、何かとトラブルを起こす明彦や教室で影の薄い僕の事を何となく一段下に見ているという感じはする。
「俺ら二人ぐらいで悪くなるようなら、元々大して良いイメージなかったって事だろ? それとも俺らがこのクラスの看板背負ってんのかよ?」
明彦が不敵に笑いつつ言い返す。
「看板を背負ってはいないが、しょっちゅう泥を塗る感じではあるじゃんよ」
「ハッハッ! それならそれで洗顔パックみたいに綺麗になるかもしれないぜ」
明彦が皮肉を込めて、わざとらしく反応してみせた。
嫌味の応酬になりかけているのを察した僕は割って入る。
「いや、それが違うんだ。今回は僕らは関係ないのに疑われていてさ」
「ほお?」
三鷹がちらりと僕を見る。スキャンダルを起こした有名人を見る野次馬のような、面白がる目つきだ。だが、それには構わず僕は言葉を続けた。
「できれば疑いを晴らしたいんだ。それで聞きたいんだけど昨日の最後の授業が終わった後、美術室から教室に戻ってきてから誰か教室から出て行った人間を見てないかな。……そのまま他のフロアへ行った人間とかさ」
「そりゃあ、教室の外に行く人間は何人かいただろうが……いちいち覚えてはいないな」
その時、三鷹の隣の男子クラスメイトが口をはさんだ。
「俺、トイレに行ったぜ。俺の他は平井と……あとは、住吉だったかな」
「本当に? ……あ、じゃあその時トイレとは別の方向に行くやつとかいなかった?」
「見てないな」
「そうか……わかった。ありがとう」
やはり、そうそう都合よくはいかないらしい。
僕が内心落胆しかけたその時、三鷹たちとは別方向から声がかかった。
「ねえ。あたしは阿佐ヶ谷くんたちの話よく聞いてなかったんだけど、何かあったの?」
背中まで届く長い髪、切れ長の目と美しい鼻梁、背も高く派手な外見の少女が僕らの方を見ていた。
「中野。……中野は美術の授業が終わって教室に戻ってきた後、また教室から出て行った人間に心当たりはないか?」
「え? 何でそんなこと聞くの? 何か壊されてたとか?」
「いいや。展示室の中にあった石膏像がなくなっていたんだ。それで掃除当番のとき展示室の掃除していたのが、僕らだったから疑われているわけ」
「そう」
そこで明彦が業を煮やしたように中野に詰め寄った。
「それでどうなんだ? 教室出て行った奴とかいなかったか?」
「それは……外に行った女子なら何人かいたような気がするけど。見張っていたわけじゃないし、別のフロアに行ったのかどうかは分からないかな」
「本当か? よおく思い出してほしいんだが」
「おい、雲仙。春香がその石膏像がなくなった話に関わっているわけないだろ? 因縁つけてんじゃねえよ」
三鷹が立ち上がって明彦にくってかかった。そういえば三鷹と中野は付き合っているんだったか。明彦は若干鼻白みながら、三鷹をなだめるように手の平を見せて上下に振るようなしぐさをする。
「オーケイ、わかった、わかった。おまえさんの彼女は石膏像を持ち出してなんかいない。誰も疑ってなんかいないさ。別に因縁つけているわけじゃなくて、ただ聞いているだけだろ。キれるなよ。……行くぞ、真守」
「ん、ああ。待ってくれ。一応、星原にも聞こう」
教室に残っていた七人の中で唯一、周囲と話をするでもなく教室の隅で一人静かに本を読んでいた少女。彼女が僕が名前を挙げた
星原は名前を呼ばれて、少し驚いたような顔で僕を見る。
つややかで切りそろえられた黒い髪。その前髪は目にかかりぎみだ。だがその下から覗く大きくて黒目がちの瞳は理知的な印象を感じさせる。その外見は小柄で可愛らしくはあるが控えめな性格をしているからなのか、あまり目立ったところを見たことがない。
いつも自分の席で本を読んでいたりしていて、一部の親しい女子クラスメイトと話すことはあるものの、それ以外の人間とはあまり親しくはしていない。そんな少女だ。
「…………何?」
ぼそりと呟くような声で少女は僕に反応する。
「読書中、邪魔をして済まない。星原。聞いていたかもしれないけど美術室にあった石膏像がなくなって僕らが疑われているんだ。たぶん昨日美術の授業が終わった後、誰かがこっそり持ち出したと思うんだけど、ホームルーム前の休み時間に教室を抜けて美術室に戻った奴に心当たりはないかな?」
「…………残念だけれど、私もそういう人は見ていないわ」
「そうか。わかった、ありがとう」
星原は、また目線を本の方に戻した。
「真守。それじゃあ、A組とC組の方にも聞きに行くぞ?」
「ああ、わかった」
僕は明彦に返事をして教室を横切って廊下に続く扉へ向かう。ちらりと教室の中央を見ると三鷹と中野がぼそぼそと話していた。
「春香、帰りどこかに寄っていくか?」
「え、ごめん。ちょっと今日は用事があるから。でも明日は絶対一緒に帰ろ?」
「そか、わかった。……そういや、昨日渡したやつ、気に入ってくれたか?」
「うん。あのネックレス、この前買ったトップスにも合っていてチョー良いよ」
「それじゃあ、今度のデートの時にも着けてこいよ」
どうやら、三鷹は可愛い彼女にプレゼントをしたらしい。それにしてもデートねえ。生まれてこの方したこともないな。麗しいことで。
僕は親しげに話す二人を尻目に教室を後にした。
「あーもう、どいつもこいつも『覚えてない』とか『特に見ていない』とか何だってこう他人に対して無関心なんだ。現代社会の病理を見た思いだぜ」
下駄箱の前で明彦は苛立たしげに毒づいてみせる。
あれから僕らは学校に残っている同学年の人間を見かけては声をかけ、ホームルームの前に教室を出て行った人間がいないか話を聞いたのだが、特にそれらしい証言を得ることはできなかったのだ。
徒労の果てにとりあえず今日は一度帰って状況を考え直そうということになり、昇降口で愚痴をこぼしつつ帰り支度をしていたわけである。
「そうはいっても普段から他人の動向を細かく見ている人間なんてそうそういないって。明彦だって昨日のホームルーム前に出て行った人間のことを覚えていないんだろ?」
だが僕の指摘に彼は気取った顔を作って「ふっ」と鼻を鳴らす。
「別に覚えていないわけじゃない。ただ、俺は過去を振り返るより未来を見据えて歩いていきたいんだ。若さとか青春ってそういう事じゃあないか?」
「信条としては立派だが、それを覚えていないというんじゃないのかな」
言い訳だけは達者な男である。彼は僕の言葉にさらに何か言い返そうとしたが「うっ、けほけほ」とむせはじめた。
「……畜生、歩き回っていろんな奴に話しかけたせいで喉がカラカラだ。真守、ちょっくらジュースを買ってくる。済まんがカバンを見といてくれ」
「はいはい、いってらっしゃい」
明彦は「いってきまーす」と僕に背を向けると、自動販売機が設置された校庭のほうへ小走りに足を運んで行った。
一人残された僕はこの先どうしたものかと途方に暮れてため息が出そうな気分になる。と、その時だ。
「……月ノ下くん」
いつの間にか僕のすぐそばに黒髪の小柄な少女が佇んでいた。先ほどすでに話を聞いた星原である。
「ああ、星原か。どうかしたのか?」
「…………いえ、私の下駄箱がそこなんだけど」
「え、そうだったか。済まない」
僕は小さく謝ってその場を退いて場所をあけた。
彼女は自分の下駄箱から靴を取り出しながら、横目で僕を見る。
「それで、石膏像が無くなったことについて手掛かりは見つかったの?」
「いや、今のところは何も見つからないな」
「そう。……やっぱり真犯人が見つからないと困るの?」
「僕は真犯人は最悪見つからなくてもいいと思っている。ただ、石膏像は戻ってこないとまずいだろうな。飯田橋先生は僕たちがやったと思っているけど、このまま見つからなかったら直前に美術室を使っていた僕らのクラス全体が疑われることもあるかもしれないし」
「それじゃあ、犯人よりも石膏像のありかが優先ということなのね」
彼女は確認するように呟く。
「ああ。……もしかして何か心当たりでもあったのか?」
「いえ、別に」
「そうか」
僕は内心肩を落とす。
「でも、何か思い出したことがあれば連絡しましょうか?」
「え、ああ。そうだな」
「それなら、携帯電話の番号を教えてくれる?」
彼女は自分の携帯電話を取り出すと僕の伝えた番号を素早く打鍵する。程なくして僕の携帯電話に着信があり、液晶画面に彼女の番号が表示された。
「……それが私の番号」
彼女はそっけない調子でそう呟くと、床に敷かれたマットに腰を下ろして片足を上げながら靴を履き始めた。
ももの辺りまで覆い隠していたスカートがまくれて、すらりとした脚線美が露わになる。
「……私の足が気になるの?」
つい無意識に凝視してしまっていたらしい。急に恥ずかしくなって「あ、いや別に」と僕は誤魔化すように呟いた。だが星原の方は特に気にするでもなく言葉を続ける。
「私って足の形が若干縦長らしくて、ハイヒールとか苦手なのよね。すぐ痛くなってしまうし」
「ああ、確かに星原はハイヒールとか履いているイメージがないな」
話題が別の方向に転がっていったが、同級生の女子の脚線に見とれていた男という印象を持たれるよりましなのでその話題に乗っかることにする。
「……月ノ下くんはハイヒールの起源って聞いたことある?」
「確か西洋で身分の高い人が、身長を高く見せるためのファッションとしてするようになったのが始まりだと聞いたことがあるな」
「そうね。その後、千六百年代のフランスで貴族の令嬢が服を汚さないようにするためにハイヒールを履くようになったそうよ」
「へえ、詳しいな」
「私のお父さんは古美術商をしているから、西洋文化史の話とかたまにしてくれるの。……何でも当時のパリは下水道が整っていなかったから道路に汚物が捨てられていたんですって。パリの貴婦人が街を歩くときに、汚物を踏まないよう面積の少ない靴が必要ということで、かかとが高いハイヒールが作られた。もともと歩く必要の少ない貴族の女性のために作られた靴なのに、日本人の庶民女性が履くのは滑稽だって思うのよね」
どうやら彼女は、実用性の低い服装をさせられることに思うところがあるようだ。
「まあ、靴が高くなったからって、その人間の品格まで高くなるわけじゃないしなあ」
「言えているわね。正味な話、見かけだけ高くして周りを見下ろそうとするくらいなら、ありのままの自分の足で見上げた方がましだと思うくらいだわ」
「そこまで言うと主張が尖りすぎだが、まあ考え方は僕も共感するよ」
僕も自分を過剰に飾りたてるのはあまり好まないたちだ。
彼女は僕の言葉に小さく頷いて立ちあがる。
「マニキュアなんかも元々は自分で身の回りのことをする必要のない身分の人間だからこそ爪を伸ばして色を塗っていたのに、いつのまにか庶民のお洒落として広まったそうね。…………こういう本来の姿からかつての意味が失われて別のものになり果てる話って、私はどこか物悲しい気持ちになるの」
彼女は何故かここではない遠くを見るような感傷的な表情になった。
「本来の形は変わっても、何かの形で残っているならそこに意味はあるんじゃないかな」
「そうかしら」
彼女の物憂げな横顔を見て、何故かはわからないが不思議と切ない気持ちに襲われる。
一瞬おりた沈黙をとりなすように僕は「でもそういう、あるものが他のものに変わってしまう由来の話ってのは少し面白いな」とおどけて見せた。
「そう? まあ、そういう話も話の裏を調べてみたら面白いかもしれないものね。……それじゃあ、私そろそろ帰るから」
彼女は僕に背を向けて静かに歩き始めた。やがてその姿は見えなくなる。
「よう、待たせたな。真守。……どうかしたのか? 変な顔して」
いつの間にか缶ジュースを手にした明彦が戻ってきていた。
「いや、別に何でもない」
今の話は何だったのだろう。意図的に話題を誘導されたようにも感じるが、何か目的があったのだろうか。
それにしても普段、物静かな彼女があんな風に饒舌に語るのを見て僕は少し意外な一面を見る思いだ。
不思議そうな顔でこちらを見る明彦に、僕は無言で背を向けて歩を進める。明彦も黙って一緒にバス停まで歩き出した。
* * *
その夜、星原から一件のメールが届いた。内容はたった一言。
『キリンが何故キリンと呼ばれているか知っている?』
「何なんだ。この子は」
自分の部屋のベッドで寝そべっていた僕はそのメールを見て思わず困惑の声を漏らした。
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