Episode.36:紅いチェイサー
「ねぇ、貴方は心から何かに従った事、ある?」
車の中、重苦しい空気を破ったのはクラリスの方だった。その問いかけは、彼女自身の何かを丸ごとぶつけてきたような、そんな物だった。
「…………無いな」
「そっか…………」
助手席から沈む太陽を見ながら、彼女は何かを考えていた。普段のように韜晦するでもなく、ただただ素のままで何かを考えていた。
「初めて人を殺したのは三歳だったかなぁ。お父さんはその場で頭を撃ち抜かれてて、お母さんは二人に犯されていた。うん、今でもあの光景だけは覚えてるの。どうして、ケフィールを作ってただけの家なのに、どうして私達はこんなに酷い目に遭わなきゃいけなかったのか。最初の頃はずっと疑問だった。それは今でもわからない。でも一つだけ分かった事があったの」
新品の飲むヨーグルトにストローを刺しながら、彼女は寂しそうな笑顔を見せていた。彼女の話をただただ聞くことしかできないのは当たり前なのだが、そこに何故か悲しさを隠さずにはいられなかった。
「言われた事に忠実になればいいんだ、犬みたいに言うことを聞けばいいんだ、そう思ったの。だから、痛いのも我慢した。少し大人になって幹部達の慰み者になろうが、命を軽視されているような任務を出されてもなにも言わなかった。だって、死んだらそれこそ私の価値がなくなってしまうじゃない」
物心ついた時から裏の道を歩かさせられる、通常の人間ならば辟易するような話なのだろう。だが、彼らに辟易する権利はない。何故ならば、彼女にとってそれが普通なのだから。
「今回もそうだった。極東の島国にいる、脅威になりうる男をとっとと殺せばよかった。それなのに、コンタクトを取ってみればイメージとは大違い。私と同じような人間かと思ったら、真反対の人間だった」
「そうか、そんな事はないような気がするが……」
「私からすればね、自分の信念の為には手段を選ばないような人間は真反対の存在なのよ」
信念を貫いて、手段を選ばない。他人から見ればそうとも見えるのか。新鮮な感情を手に入れて、俺は少し嬉しくも思えた。
「でも、多分今日くらいには私を
「それはできない。俺の仕事の支障になるからだ」
夕焼けに焦がれた彼女の顔は残念そうに笑い、ストローを咥えていた。
それを不意にも美しいと思ってしまった。美しい物は美しいというのが俺な筈だが、こればかりは何かこそばゆい気持ちに包まれる。
「だったら別にいいわ、でも貴方以外に殺されるのだけはお断りだからね」
一本飲み終わった彼女は、ダッシュボードからもう一本取り出すとまた飲み始めた。
彼女は一息つくと、足を投げ出してくつろぎ始めていた。
もうそろそろ、目的地近くのインターチェンジに辿り着く。俺は車線を左に寄せて、高速道路を降りる準備を────
右からの衝撃に目が一気に覚醒する。そのまま車体が左に寄せられていき、壁が左に迫り始めた。このトレーラーは間違いなくこの車を潰すつもりだ──!
思わず俺はアクセルを思い切り踏んでいた。この先はインターチェンジ独特の急カーブが続いている。
「嘘……嘘よ……!」
「黙ってろ、舌を噛むぞ」
側道に入り、車線が一車線になる。急カーブをうまく使ってトレーラーは振り払えたようだ。後ろからの轟音と共に、ミラーに黒煙が映り込む。後ろからやって来るのはジープ一台。
「あのジープ、明らかにまずいな……」
「まさか、もう特定されたっていうの……!!」
料金所のゲートを突き破って、一般道に合流する。交通ルールなんて守ってたらまず蜂の巣になるのは明確だ。見晴らしのいい幹線道路を出来る限り、アクセルを踏んで加速する。後ろとの差は二百メートルあるかないかだろう。
リアガラスが粉々にひび割れる。師匠に頼んで防弾加工をしてはもらっているが、小銃掃射に耐えられるほどなのだろうか。
「このままだと脳みそぶちまけられるわよ!!」
「黙ってろ、舌を噛むぞ」
左に急ハンドルを切り舗装の荒い脇道に入っていく。のどかな風景に似合わないスポーツカーとジープ、それに加えて銃声がひっきりなしに聞こえるのだから、住民はもはや迷惑ですらあるだろう。
「ダッシュボードの中にグレネードがある、それを落としてくれ」
「この銃弾の中?! そんなのバカがやるこ──」
「いいからやれ」
歯噛みしながら、クラリスは手榴弾を手に取った。数は三つ、そのうち一つのピンを抜いて窓を開ける。
既にサイドミラーは粉々に壊れていた。これで走り続けられていられるのが奇跡なくらいに、ボロボロになっている。
落とすまで一秒、後方から閃光と熱風が襲ってきた。轟音が耳をつんざき、しばらく聴覚が著しく落ち込む。
「追っ手が一台ならいいけど、もう二台くらい来そうよ」
「あと五分だ、黙ってろ」
とうとうふてくされた様子でむくれたまま窓の外を見ている。前方には煉瓦塀に囲まれた森と、鉄の門が見え始めた。
ハンドルを切って運転席を後ろに見せるように停車する。
「降りろ、来るぞ!」
既に向こうからはジープが二台来ていた。トランクを開けて、中からM4カービンを取り出す。前と違って今回は重装備で来ている。
向こうとて、流石にマシンガンは持って来ていない筈だ──!
「で、前には敵、後ろには敵の本拠地、これで生きて帰れる可能性は?」
「さぁな、そんなこと考えたこともない」
ジープが停車して、一台から四人前後の“兵士”が降りてくる。手にはAK47、どこからの敵か分かりやすいもんだ。
「撃て」
位置についたクラリスには一言で良い、その一言で応戦が始まった。七.六二ミリ弾の雨がこちら側に降り注がれる。窓ガラスはヒビで使い物にならなくなり、直接視認しない限り敵を仕留めることが難しくなっていた。
リロードの援護を受けている暇さえない。空の弾倉を落とし、右手でグロックを引き抜く。手の甲をかする熱さが敵の銃撃の厚さを思い知らせてくる。
「前と違って、やりがいがある仕事ね」
「随分余裕なんだな」
左手でリロードを終えると、今度は三点射に切り替えて正確に撃破を目指す。兵士のうめき声が聞こえたかと思えば、また銃声の波が激しく押し寄せて来た。
残された弾倉は残り五つ、こちらが尽きてしまえば一巻の終わりだ。
相手の残りは五人、三十発に一人仕留めないといけない。
「ねぇ、私の事、忘れてない?」
横から声が聞こえる、少しでも選択を誤れば一気に崩れてしまう中、彼女は引き金を引き続けてきた。
同じAKの三点射に急所を撃ち抜かれた彼らは、何を思うのだろうか。
頭を割られた彼らに思考は許されないのだろうが、慈悲をくれる暇すらない。
「あと三人、どうやって殺すの、最悪増援が来たら終わりだよ」
「いや、簡単な方法を思いついた、最初からこうすればよかった」
助手席のドアを開けてダッシュボードを開ける。そこには残り二個あるグレネード。
「ちょっと、この至近距離で投げたら私達まで死ぬわよ」
「誰が至近距離で投げるといった、走れ」
車から退避するように門の中に駆け込む。呆気にとられたような顔をした彼女を急いで引き摺り込む。
「ちょっと、何するの────
声すらも吹き飛ぶ轟音、二個のグレネードは正しくガソリンタンクを爆破できたようだ。爆風が追い立てるように俺たちを窪みに落とす。森の温度が一瞬にして上昇したように感じられた。
「これでなんとかなった、あとはここからまっすぐ進めばいい」
「…………ホントに無茶しないでよ……」
お互い武器を構えて、燃え盛る車を背にして獣道を進んでいった。
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