Episode.34:覚悟あるコンフロント




「おー、来たか、今日は冷えるけど何食べてく?」


 相変わらず訛った言葉で、店主がニコニコしながら来る。まずは何か腹ごしらえをしてから話をするとしよう。


「チャーハンと餃子」


 あいよー、と楽しそうな返事を返して調理を始める店主。そのカウンターの内側には彼しかいなかった。

 具材を刻む軽快な音を聞きながら、俺はどう話を切り出そうか考えていた。


「…………そういえば、娘さんは」

「…………どこか行ったんじゃないか?」


 意外とあっさりした返事が返って来て、肩透かしを食らったような気分になる。香味油の香りと、中華鍋を振る音で現実に引き戻された。

 上辺だけの話ならば簡単にできるのだが、深い話に触れる程俺に度胸はない。それ程までにこの店主、紅浩然は実力と性格を兼ね備えているのだ。


「南埠頭に明日の十八時ちょうどに来い。来なければいつも通りだ」


 突然、先程とは打って変わった冷たい声が投げかけられる。いつも通り、と行っても殺されるわけではない。

 “いつも通り”情報をもらって、仕事を続けるという事だ。


「はい、チャーハンだヨ!」


 差し出されたチャーハンと餃子は、いつも通り食欲をそそるような香りを漂わせていた。

 “いつも通り”とは一体なんだろうか。果たしてそんな言葉が使える程、安定した日常を送って来ただろうか?

 事件があっては犯人を探して殺し、束の間の日常を過ごしてまた仕事に戻る。ある意味では安定しているのかもしれないが、そこに平穏はない。むしろ不穏な空気の中で俺は生活して来たようだ。


 長束も死んで、ここの娘も死んで、空も死んだ。母親はいなくなり、父親も死んだ。


「死んでばかりだな……」


 自分と知り合った人間が死んで行くのはどこか放っておけないような感覚に陥る。何故か、自分のせいのようにも思えてくる。

 あの時大人しく死んでおけばよかったか。そうも思えてきた。だが、もう遅い。

 この仕事を始めた以上は、完遂しなくてはなんの意味もなくなってしまう。

 最後の一個の餃子を口に放り込み、飲み込む。


「ごちそうさま」

「あーい、また来な〜」


 腑抜けた声の店主に見送られて、俺は店を出た。あと四時間どこで何をして潰そうか……

 ふと、俺は“始まりの契機”を回顧しようと、足をとある方へ向けた──。



 見覚えのある大学の、見覚えのある広場。今では心霊スポットとして有名な場所になったようだ。

 なんでも結婚を間近に控えた女子大生が、ここで無惨にも射殺死体で発見されたという現場らしい。それ以来、その場所の死体があった場所には彼岸花が咲くようになったという話がある。

 さらに、死亡推定時刻の午後十一時くらいになると、その女の影が彷徨っているのが見えるらしい。


 ────空も亡霊扱いされてかわいそうなものだ。


 ここは、空があの女に殺された場所だ。俺が友達を振り切っていち早く駆けつけていれば、こんな怪談話の主人公にすらされなかっただろう。

 よく一緒に昼を食べたベンチに座る。ここで色んな事を話した。

 授業の事、苦手な教授の事、明日の予定の事────将来の事。


『また明日ね〜』


 そう言って軽く唇を重ねて、それぞれの家に帰るのが毎日の日課だった。あれからもう九年、いや十年経つ。

 ずっと一人で殺してきたし、戦場に立ち続けた。それしかできなかったから諦めたのだ。

 いつの間にか喪失感やら悲愴感やらは消え失せていた。残った物はない。罪悪感すらもなく、ただただ悪いと思ったものを殺して行くだけの日常。これのどこが“殺人機械”ではないのだろうか。あの男の言った意味が、今なら理解した。


『殺す事に快楽を覚えるのでもなく、殺す事に大義を置くのでもない。命を奪う事を己が手段の一つでしかないと認識している君は、ただの機械でしかない』


 ああ、そうだ、命を奪ったからとて何かが残るわけではない。奪った先に残る結果のために俺は殺すのだ。

 だからこそ機械でなくてはいけない。機械であればその手段を取ることは容易い。


「そろそろ、行くか」


 時間は十七時。時間に遅れてしまっては何を言われるか分からない。俺は、南埠頭行きのバスを目指して、その広場を離れた。



***



 埠頭に吹き付ける海風がまだ寒い。俺は顔をコートに埋めさせながら、倉庫街を歩いていた。


「時間ちょうどだな。さすがは俺が見込んだ弟子なだけはあるな」

「時間を一秒逃せば榴弾の餌食になる、戦場はそういう所だと教えたのは貴方です」


 その通りだ、と不敵に笑いながら対峙するのは我が師にして戦場の虎と恐れられた兵士。とある国との戦争では、この兵士さえいなければ戦勝国と敗戦国はひっくり返っていただろう、とさえ言われている。


「榴弾が飛ぶような仕事を今はしていないだろうが、時間を守ることっていうのは至極当たり前の事だ」

「言われずともそう心得ております」

「そうかそうか、まぁ、挨拶はここら辺にして、本題に入ろうじゃないか」


 ついに来た。最大の情報を引き出す為に避けては通れない道に俺は立っている。ここで引き出せなかったら?

 その時は死ぬか、また元どおりの生活に戻るか、それだけでしかない。


「ミズ・バルバロッサ、その本拠地を教えていただきたい」

「────大きく出たな、。確かに場所は知っているし、あの女の正体も知っている。だが簡単に教えると思ったか?」

「ええ、貴方の……娘さんの情報について、情報を手に入れましたので」


 師匠の顔が、戦場の時のそれと同じになる。だが、紅雪花が統一戦線六六小隊のアジトにてクラリス──イリーナ・ヴェールスカヤに射殺された事なんて、彼の情報網に引っかからないはずがない。


「……いつ気づいた」

「貴女の娘さんが、酒を飲んでいたことからですよ」


 師匠は、酒を嫌う堅気な男だった。曰く、戦場に泥酔して立つなど言語道断、それこそ死ぬしか無くなる、と。

 だからこそ、娘がビールを飲んでいるなんて事はあり得ないのである。つまりあの女は────


「貴女を監視する為に送られて来た刺客。貴女が本国に不利益な事をすれば、人質となった本当の娘を処刑されるのでしょう」

「ったく、お前さんは本当に頭のいい奴だな……」


 苦笑いしながら、師匠は海の方に目を向けていた。いや、その目は絶望したかのように昏くなっている。

 俺は、その話を告げなければいけない。だが告げてどうなるか、想像がついてしまうのに嫌気がさしていた。


「で、うちのはどこに行ったんだ?」

「貴方の娘さんは────」



 ────今朝、処刑されました。



 最後の使用と決めて使ったLaplaceの権能。使用先は隣の国の法務省に当たる機関、その死刑執行者リストを閲覧した。

 その結果は予想通り、国家反逆罪による死刑判決を受けて即日死刑執行。流石はもみ消しにおいて迅速な事で有名なあの国だ。


「…………ああ、そうか、死んじまったか」


 師匠はそっと見上げて、ニヤリと笑い、懐から九二式手槍ハンドガンを取り出した。


「────何してるんだ!!」


 脊髄反射、と言う言葉がふさわしかっただろう。こめかみに向けられる九二式の銃口を、向けさせないが為に、俺は師匠の手を撃ち抜いた。


「なぁ、お前は分かるか。人はな、何かしらを支えにして生きてるんだよ」


 その言葉を受け入れるのに時間がかかった。俺にとっての支えは、家族であり、空であったはずだ。それを打ち崩されてもなお立てているのだから、その話は俺にはわからな────


「俺はな、あの日お前さんを見かけた時、支えがなくなったんだ、そう思ったんだ。俺はそういう奴が嫌いなんだ。別に戦うのが好きじゃ無い。戦えば金が入る、金が入れば娘に好きなだけ飯を食わせてやれるから戦って来ただけだ」

「じゃあ、あの日、俺を“入社”させたのは……」

「ああ、そうだ。昔のお前とおんなじで、ただ人の支えになってやりたかっただけだ。そいつの人生がどうなろうと俺のものじゃ無いから知らん。だがな、自分から死ぬっていうのはバカがする事だ。そうだろう?」


 師匠は、いつもの感情を押し殺した声で、苦しみながら話していた。

 俺が近づいても、何も反応しない。落とした銃を遠くに蹴飛ばしても、追おうとすらしない。


「だったら……自分がそれを返します」

「…………なんだ、気が触れたか?」


 どうなろうと今生きている以上、この人には勝てない。俺はなぜかそれを悟っていた。

 支えるっていうのは何か分からないし、娘の代わりにはなれない。だが、師匠は自分の信念に矛盾してまで自死を選ぼうとした。

 信念を持つ人間は、最後までその信念を守らなければいけない。そう、言っていたのに。


「俺は、俺の仕事を最後まで果たします。俺が生き続けている以上はも生き続けなきゃいけないって事です。自分から人の支えを折りに行くなんてどうかしてるんじゃないんですか……?」

「ハハッ、お前さん、なんだ、心を持ってるんじゃねぇか……」


 師匠はゆっくりとこちらを向いて、いつも通りの笑みを見せていた。何かが吹っ切れたような、そんな印象が見て取れる。


「そうか、お前さんが覚悟してこのに立ち向かうっていうんなら、俺はその支えになってやらにゃならん。ったく、俺も耄碌もうろくしたもんだなぁ?」

「……これは、娘さんの手紙です。でも、読んで死なれると困るので焼却処分にしますね」

「おいおい、やめてくれよ。それは俺の葬式にでも読み上げてくれ」


 いつもの、いつもの“兵士”が戻って来た。俺のハットをいつも通り潰して頭を揺らしてくる。この感触はどこかくすぐったく感じていた。


「これがお前さんの求めている座標だ。ここに行くまで大変だと思うが、俺が直々に手助けしてやろうか?」

「いえ、遠慮しておきます。これは俺の仕事なので」


 高笑いが埠頭に響いて、背中をバンバン叩かれる。痛みこそ感じるが、その痛みに何かを押される気がしている。


「帰って来た時に美味しい料理を待っています」

「ああ、任せろ、考えといてやるよ」


 師匠は、先ほどとは打って変わった自信のある足取りで埠頭を出て行った。

 胸ポケットに入れられた新しいUSB。そこに最後の標的がいる。

 タバコに火をつけながら、俺はゆっくりとその場を離れた。その目線の先の月は、いつも通り明るく感じた。

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