3."Remember,remember,"
姿見をくぐると、しばらくは闇だった。
足下から硬い床の感触が消え、ふわふわと落ち着かないものに変わる。
そろそろと歩くドロッセルを、ノエルがゆらりと追い越した。彼は何歩か先で立ち止まると振り返り、白手袋を嵌めた手をそっと差し伸べてきた。
「……お手をどうぞ、お嬢様」
ドロッセルは硬い表情でうなずき、ノエルの手を取った。そうして先導されながら歩くドロッセルの後ろから、トム=ナインが軽やかな足取りでついていく。
足下に硬い感触を感じた。そして気づけば、ドロッセル達は薄暗い屋敷にいた。
堅く閉ざされた扉、正面の大階段、蜘蛛の巣だらけのシャンデリア。壁の燭台では蝋燭が青い火を揺らし、階段の窓からは不気味な顔をした異界の月が覗いている。
「間違いない……あの屋敷だ」
「そのようですね」
ノエルが制帽のつばを軽く持ち上げ、辺りを見回す。
ドロッセルはじっと、足下で毛繕いを始めたトム=ナインを見下ろした。
「トム……お前、やっぱりこの場所をずっと前から知っていたのか?」
トム=ナインは前足をぺろりと舐め、小さく鳴いた。
ドロッセルは肩をすくめ、広間を見回した。
よくよく見ると、薄闇に紛れ込むようにしていくつかの扉が存在している。以前は気づかなかったが、どうやらこの屋敷にはまだ未知の領域が存在しているらしい。
「……今回はちゃんと、帰還できるように鏡を持ってきている。調べられるだけのことを調べて、向こうに戻ろう。そうすれば、バックヤードの捜査にも役立つはずだ」
「はい、お嬢様」
二人はうなずき合い、ひとまず手近な扉から始める事にした。
それから、一体どれだけの時間が流れたのか。
食堂、書斎、遊戯室……扉を開くごとに、薄暗い様々な部屋がドロッセル達の前に広がる。ほとんどは前も見た部屋で、それを見るたびにドロッセルは肩を落とした。
しかしいくつめかの扉を開いた時、嗅ぎ慣れない樟脳のにおいが鼻を刺した。
物に溢れた部屋だった。
内部には無数の装飾台が並べられ、その上に様々な珍品や宝物が並べられている。床にも無数の本が積み重なり、塔を築き上げていた。
「ここは……驚異の部屋だな」
「驚異の部屋……各地の珍しい収集物を収めた部屋、博物館の原型、ですね」
「詳しいな」
「一通りの知識は人造霊魂に入力されております」
ノエルの言葉を聞きつつ、ドロッセルはざっと部屋の様子を確認した。
ビロードの布をかけた台の上には偽物の人魚のミイラ、目が三つある牛の頭骨、栄光の手など得体の知れないものばかりが並んでいた。
そして、壁には無数の絵が掛かっている。
有名な絵画の模写の他に、ラングレー本人が書いたと思われる雑なスケッチや雑に書かれたメモなども画鋲で留められていた。
そしてその隣には壁一面を覆うほどの大きさのタペストリーがあった。
「これは……アーサー王伝説を描いているのか。すごいな、これ」
「そうなのですか」
感嘆の声を漏らすドロッセルに対し、ノエルはいつもと変わらず淡々としていた。
ドロッセルは思わず状況を忘れ、タペストリーを指先でたどる。
聖剣を抜くアーサー王、トリスタンの悲恋、荷車で駆けるランスロット、緑の騎士と戦うガウェインに、弟を殺した双剣の騎士ベイリン卿、聖杯を手にするガラハッド――。
「グウィネヴィアとランスロットの場面が多いな。馬上槍試合の場面もある。――おや、これは最後の戦いの場面で終わってるみたいだ」
「そうなのですか」
「ああ。ここのところから、最後の戦いへの流れが書かれているな……」
ドロッセルはタペストリーを示しつつ、ノエルにその概要を語って聞かせた。
戦いのきっかけは、王妃グウィネヴィアと円卓の騎士ランスロットとの不倫だった。ランスロットは密会の場を押さえた騎士達を返り討ちにして、不義の罪から処刑されそうになっていたグウィネヴィアを救って逃走する。
「王は友であるランスロットを追うことに躊躇いつつも、摂政に留守を任せ、ランスロットをフランスまで追撃した。しかし、ここで思わぬ事が起きる」
「思わぬ事、とは?」
「ああ。摂政だったモードレッド卿が反旗をひるがえしたんだ」
タペストリーの該当の箇所を探せば、モードレッドの姿はすぐに見つかった。他の騎士達と違い、彼だけはその悪性を強調するためか黒い鎧で描かれている。
円卓の騎士モードレッドは、アーサー王が姉との間に作ってしまった子供だ。
『五月一日生まれの子が国を滅ぼす』という魔術師マーリンの予言によって、彼は他の子供たちとともに海に流された。
しかし九死に一生を得て、彼はブリテン島に戻ってきた。
「モードレッド卿は留守の隙を突き、王国を乗っ取った。その知らせを聞いたアーサー王はすぐさま国に帰還し、モードレッドの軍勢と戦った」
最下段には、彼とアーサー王との最後の戦いが記されていた。
王の槍はモードレッドの胸部を貫通し、モードレッドの剣は王の頭を断ち割った。
「――そうして二人は、カムランの丘で相打ちになった」
「…………カムランの丘?」
その時、扉が開く音が響いた。
「――なんだ、ここにいたのか」
間延びした男の声に、ドロッセルは凍り付いた。
現われた彼は――グイード・ウィッカーマンは部屋を横切り、当然のような顔でドロッセル達の横に並んだ。タペストリーを見上げて、小さく口笛を吹く。
「相変わらずすっごいなぁ、これ。まさに職人技って感じだ」
「ど、どうして、お前が此処に……」
「……はっはぁ。嬢ちゃん、さてはこの屋敷の仕組みを知らないんだな?」
グイードは低い声で笑うと、手近にあった椅子にどっかりと腰を下ろした。
「ここはな、ラングレーの根城だよ。だーれも知らない……資格を持った限られた人間しか入れないように細工されてる」
グイードはもったいぶった所作で、指を二本立てた。
「資格があるものは二つ。ラングレーが許した者と、ラングレーに作られた者だけ。今じゃ、ここに入れる奴はごく一握り。寂しいもんだね」
白いハンカチを出し、グイードは芝居がかった調子で目元を拭ってみせる。
その時、タペストリーを見つめたままノエルが口を開いた。
「……貴方は、どちらです?」
「お、珍しく自分から喋ったな。どちらって?」
「屋敷に入るための二つの資格……貴方はどちらに該当しているのですか?」
わざとらしく目を丸くするグイードに、ノエルは無機質な視線を向ける。
その言葉の意味は――ドロッセルは目を見開き、グイードとノエルとを見た。
「……はっはぁ、もうわかりそうなものだがな」
グイードは片手で顔を隠し、「やれやれ」と言わんばかりに深くため息を吐いた。
その大きな掌の影で、唇がにやりと吊り上がる。
「――お前と、おんなじさ」
その瞬間、ノエルが動いた。一瞬で双剣を取り出し、グイードめがけ斬りかかる。
しかし突如、その眼前で爆炎が炸裂した。
ノエルは目を見開き、すんでの所で後退する。
片手で顔を隠したまま、グイードがゆっくりと立ち上がった。
「……はっはぁ。どうしたんだい、優男。なんだか焦っていないか?」
「グイード……お前、まさか――」
わずかに後ずさるドロッセルの前で、グイードは乾いた声で笑った。
「そのまさか、さ」
グイードの掌の下で、みちりと嫌な音が響いた。
赤い
男はにんまりと笑ったまま、躊躇いなく顔の皮の半分を剥ぎ取った。現われたのは銀と黒の
その頬骨や眼窩からは、ゆらゆらと炎が燻っていた。
「黙示録シリーズの二番――生前の名はガイ・フォークス。ま、改めてよろしくねぇ」
「ガイ・フォークスだと……!」
それは恐らく――イギリスで最も有名な赤髪の男。
時は一六〇五年。ユリウス歴にて十一月五日。
国会議事堂を爆破し、時の国王を暗殺しようとした者達がいた。幸い計画は実行寸前で露見し、この火薬陰謀事件に関わった一味は処刑された。
そしてこの時、現行犯として逮捕された男こそが――。
「爆破実行責任者ガイ・フォークス……! お前がそのレプリカだというのか!」
「そうらしいよぉ。ま、いまいち実感がないんだがね」
グイードはため息を吐き、うつむいた。
「おれはガイ・フォークスの記憶を全て持っている。スペインの戦役も、ロンドン塔での拷問も、処刑台に立った日のことも。……だが」
グイードはゆっくりとドロッセルを見る。露わになったその銀色の
「この体は、人間のまがい物だ。血も肉も骨も――魂さえもが作り物だ」
人間のまがいもの。その言葉に、ドロッセルは言葉を失う。
同じレプリカであるノエルは何も言わず、黙ってグイードの言葉を聞いていた。
「レプリカの魂が本当に本物なのか――あるいは形質だけを似せた偽物なのか。それはあのラングレーにもわからなかった。あの数百年生きた魔法使いでも、な」
グイードは目を伏せ、また一つため息を吐いた。ひどく疲れているように見えた。
「なぁ、騎士様よ。あんたはどうだい。自分が偽物か、本物か――どう思う?」
半身を燃やしながら、グイードは二人の前に立った。じりじりと肌が焼けそうな熱気が伝わってくるが、グイードの瞳は氷のように冷たい。
「おれは時々、自分が何者なのかわからなくなるんだ。『本物』か『偽物』か、『人間』か『機械』か、『異形』か『人形』かわからなくなって――気が狂いそうになる」
その時、ドロッセルはヒラリーの言葉を思い出した。
自殺してしまったレプリカのカスパー・ハウザー。彼に限らず、レプリカの多くが自殺するか、暴走してしまったという。その理由は――。
「――ま、欠陥品のあんたに聞いても意味はないか」
諦観と失望の滲むグイードの声に、ドロッセルははっと我に返る。
「あんたは本来、黙示録シリーズの四番になるはずだった。……けれど初回起動時にひどい暴走を引き起こして、水牢処理された」
グイードはくつくつと笑う。その拍子に、顔の炎がぱちぱちと火花を散らした。
「しかし起動してみれば、中身はご覧の通りのがらんどうときたもんだ。羨ましいね、悩むことも狂うこともなくてさぞかし気楽だろう」
ノエルは表情の一つも変えていない。
きっと彼は、このあざけりの言葉に何一つ感じていないのだろう。
けれども、ドロッセルは黙っていられなかった。
「……ノエルを侮辱するな」
ノエルの前に立ち、ドロッセルはグイードをきっと睨む。
グイードは緑の瞳を一瞬丸くした。
が、続いて心底愉快そうに肩を震わせて笑った。
「はっはぁ……こりゃ、ずいぶん入れ込んでるものだな。正直予想外だ、前の感覚同調の時もそうだが、よりによって嬢ちゃんがそいつを気に入るなんてな」
「私がノエルを気に入るのはおかしいのか? それは何故だ?」
「秘密さ」
「だろうな。……なら、無理やり吐かせる」
「おぉ、怖い怖い。いったい誰に似たんだか。とはいえ、こっちも仕事でね」
グイードはドロッセル達に背を向けて、ゆっくりと歩き出した。
彼が軽く肩を回すと、そこからかち、ぎち、と異様な音が聞こえた。その音が、人間のような顔をしたこの男の中身が全て機械である事を思い知らせた。
「……今度は本気でやれって、
「お前の主人――父は、なんのために私を攫おうとしている!」
「さぁね。旦那の考えはさっぱりだ。なんでも、四番目を動かすのに嬢ちゃんが必要らしいよ」
「四番目……それは、黙示録シリーズの四番目のことか?」
「どうだかねぇ。――さて、お喋りはここまでにしておくか」
グイードが、足を止めた。
その両手がゆるやかに広げられる。
途端、彼の纏っていた空気が一気に張り詰めた。
「――ガイ・フォークス・ナイトは楽しかったかい?」
それは十一月五日に行われる祝祭。
その日、イギリス人はガイと仲間達による国王暗殺が失敗した事を祝う。
「お前達は『ガイのために一ペニーを』って言うらしいねぇ。そうして金を集めておれの人形を燃やすんだって? 死後も処刑し続けるとは、なかなか愉快じゃないか」
振り返ったグイードの凶悪な笑みが、赤い輝きに染まった。
ごうっと音を立てて、炎が膨れあがった。まるで地獄の炎がその身に宿ったかの如く、グイードの体が激しく鳴動する猛火に包まれる。
「さて――そんじゃ、ガイのために命を置いていってもらおうか!」
直後、炎が奔流の如くドロッセル達めがけて押し寄せてきた。
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