第20話『生徒会』

 スクラムの始動から数週間がたった。



 式儀から翌日、生徒たちは予想に反して揚々で、多くが白亜の塔を目指した。優秀であるがゆえの切り替えの速さが功を奏して、攻略は順調に進められている。




 学園内でも小数派である商人たちがこぞって店を連ね、彼らのサポートを担っている。



 敷地そのものが広いこともあって、中規模な市場マーケットと化したなかには、外部からのものも含まれている。もはやギルドというよりも、独立した街に等しいくらいだ。



 生徒の自主性と潜在能力を引き延ばす一大制度。ここでなら、存分に各々のレベルアップが期待されるだろう。



 だというのに。

 ここに、不満げに机に突っ伏している少女がひとり。



 周りにヒトはおらず、座っているのはアイラのみ、一クラス分の人数が収容できるそこは、学園校舎に位置する教室である。



 眉間に皺をよせて、正面を不機嫌に睨む。視線のさきには、例のごとくあの鬼畜教師。なぜ彼女がこんなところにいるのかという話は、すべて彼に帰結する。


「ではソードスキルの『詠唱』と『無詠唱』は――」


 一方の青年はこちらの視線をすらりと躱して講義を続ける。坦々と授業を進める様子は、アイラをまるで見ていない。



 流麗な声とチョークの擦れる音のみが静寂を打ち消していた。我慢ならずに叫び挙げたくなるが、それこそ無意味だと思えて、ぐっと吞み下す。



 あの日、アルヴァに攻略の不参加を告げられてからというもの、こうして毎日ひとり座学を受ける日が続いていた。



 ほんの9ヶ月前まで学生だった身としては、座学などとっくに習得している。

 そのためこれは退屈以外の何ものでもない。



 何度か抗議してみたが、「必要なことですので」と言って聞き入れてくれない。

 ふくれっ面で右から左へ流しているとふいに窓のそとが目に入った。



 四人組の学生パーティが獲物を提げて談笑している。攻略の帰りなのか、所々に汚れがあった。会話の端に笑顔がもれる様子は、はたから見ていて、もどかしさを募らせた。


「はぁ、こんなはずじゃなかったのに……」


 ほかの生徒たちはもう、攻略に向けてそれぞれのグループをつくりはじめている。それがアイラには焦りだった。自分だけが取り残され、ここで時間を潰している。そんな苛立ちがせっかくの美貌を崩してしまっていた。



 歯がゆそうに唇をかんだ少女の額に――バシュっと硬いなにかがめり込んだ。


「カハッ――!?」


 衝撃が予想だにしなかったのか、一瞬意識が飛ぶ。続いて反動で強打した後頭部の痛みに叩き起こされると、遅れてきた額の痛みに絶叫した。


「痛ったぁぁぁ!?」


 目に涙を浮べて覚醒すると、仰け反った体を丸める。

 もだえる少女の足下で青年がふんすと腰に手を当てて立っていた。

 その脚下には白いチョークが粉末とともに転がっている。どうやら打ち込まれたのはこれのようだ。


「集中力が切れてますよ」


「――アンタ、乙女の顔をなんだと思って……」


「このくらい余裕で避けてください。注意力が散漫している証拠です」


 今日はお開きにしましょう、嘆息をして青年がチョークを拾い上げる。



 痛む額を抑えながら、促され、卓上の教材を抱え上げる。古めかしい造りのそれは、青年から賜ったもので、来週までに暗記しろとのことだった。魔導書じみた厚みでかさばるそれらを落っことさないよう留意しつつ、そそくさと出ていく青年の後を追う。



 教室を一歩でると、まっすぐ続く廊下に反響した声が遠くから聞こえる。どこも忙しそうだ。もともと教鞭のための施設ではないので、教室の数はさほど多くない。代わりに、事務関連の部屋が大半を占めている。


「午後からは一度屋敷に戻ってトレーニングですね。――昼食はどうしますか」


「面倒だから外食にしよ。カフェなんていいんじゃない? ほら、このまえアンタが連れてってくれた裏路地の。あそこのアップルパイ、おいしかったな」


「構いませんが、食べ過ぎると戻しますよ?」


「そんなにキツいの……?」


 歩きながら冗談を交える二人を数名の生徒が通り過ぎた。会話が一変、アイラの顔から表情が消える。



 生徒たちがすれ違う間際の目、それが一瞬鋭い眼差しに変わったのはアイラは見逃さなかった。


『見ろ、あれ……例の』


『ああ』


 ひそひそとした呟き声に背中が小さくなる。至るところでこういったことは何度もあった。



 スレ違うたびに向けられる目。それは決して好気のものではなく、むしろ腫れ物をみるように近い。



 かろうじてその時は無視しても、後ろから聞こえてくる含み声まではできない。


『ヴァンキーラだ。でも隣の男は知らないな……?』


『知らないの? 《略奪》の令嬢は先月婚約したんだってさ』


『――フン、五大貴族だかなんだか知らないけど、自分さえよければいいのよ。私たちとは住む世界が違うんですもの。大人たちに守られた庭園で高みの見物のつもりかしら。どうせ私達のこともバカにしてるんだわ』


 式儀の日、あの後どう運んだか知らないが、青年は理事である叔母から自分を攻略に参加させないための許可証を貰っていた。



 その情報がどうやって漏れたのか、翌日の時点でヴァンキーラが攻略に参加しないことはすでに知れ渡っていた。



 同級生たちの非難の声と冷たい目。《略奪》はこの茶番に参加しない、そう皆から揶揄されている。


「……ッ」


 言い返したかった。でも、事実であるそれを否定することは叶わない。

 俯きがちに書物をぎゅっと抱き締めて、足早に青年の背中を追いかける。 



 そんな彼女をアルヴァはどう思ったのか。背後の弱々しい気配を感じながら、困るように首筋をかいた。



 マズったなぁ……。ことここに至って自分の詰めの甘さに痛感する次第だ。



 アルヴァが彼女を為を思って手回した配慮すべてが裏目に出てしまったのである。



 元来よりアイラ嬢の飛び抜けた才能が仇となった。もともと聖央騎士団というトップギルドに最年少で所属したことも相まってか、彼女の知名度は半端ではない。



 加えて、人前での彼女の性格がキツいことも相まって、巷でのアイラに対するイメージが『高尚で近づき難いお嬢様』と根強く張り付いていたのである。



 ただでさえそうなのだ。そこに攻略に不参加でのうのうと個人レッスンを行う姿などが映れば、周囲から反感を買うのも必然。



 そんなことなどいざ知らず、彼女に基本的な生活習慣を叩きつけるために尽力していた青年からすれば、迷宮攻略など笑止千万であったため、いらぬレッテルが貼られることも気づかずに、思いがけず主人を孤立させてしまったのだ。



 悲しいかな、いままで学生という身分を経験したことのない自分は、そこに気づくのに半月も掛かってしまった。



 マジどうすっかなコレ……。

 確かにアイラや世間体を尊重するなら、彼女を攻略にだしてやりたい気持ちもある。だが、彼女の健康状態を考えるとそうも言ってられない。



 まともな生活を怠り無理をした結果、彼女はいちど死にかけた。そのことを考慮したうえでも、まずはステップアップのための準備――体作りからというのがアルヴァの考えである。



 校舎を出て広場へいくと、敷地の真ん中に位置する大きな噴水のまえまできたところで、奇妙な人だかりが目にうつった。



 学園の入り口から反対にある転移門への通路。白亜へと続くその道から5つの影が人混みをかき分けた。



 ただ一般学生というわけではない。胸元に印字された、裂傷の入った月の紋章。

 生徒会だ。スクラムを束ねる学園の代表。教師や教官いないここでは、理事を除いて実質的に学園のトップに位置する。



 権力の中枢である彼らは学園スクラム計画の創設当初から関わっていると聞く。手練れをはじめ、幅広い分野に対応できる人員が備わっている。



 両面の人垣が絶大的な権力の証ともいえるだろう。

 生徒たちが脇へと道を譲るのを脇目に、アルヴァたちも道を急ぐ。


「なんだ、ヴァンキーラじゃないか」


 不意に先頭の青年がこちらに気が付いた。途端、アイラがぎくりと肩を跳ね上げて顔をしかめる。



 身長はアルヴァと同じくらいだろうか。スラリとした体格はファッションモデルのように整っていて、脇目から乙女たちの好気の視線が厭でも目にうつる。



 反して背中に覗く大きな獲物が、並み大抵の騎士ではないことを示唆していた。


「こんなところで何してる」近づいてきた黒髪が切れ長の目でアイラを見下ろす。


「あら、最条。今日も呑気にお散歩?」


 身長差が好ましくないのか、あまり肉薄しない距離に退いてアイラが睥睨する。



 尋問するような鋭利を彼女は涼しげに応えた。心なしか、あたりの空気がぴりぴりと張り詰めていく。



 武鬼ベルセルクの《最条》。アルヴァの表情がわずかに厳しくなる。

 皮肉を交えた小言に、最条はフンと鼻を鳴らした。


「暇なお前と違って、こっちは面倒な立場だからな」


「は? ――今なんツった?」


「なんとでも」


 バチッと二人の間を見えない火花が激突した。青年は扱い慣れたもので、端然としているがアイラ嬢はマジである。


「まあまあお二人さん、かまえてかまえて」


 その間を飄々とした声が割って這入る。

 いままで最条の背で見えなかった影がひょっこりと顔をだして現れた。副会長だ。ローブ姿の彼は、《ウィザード》クラスのロングワンドを手に、薄緑の髪を爽やかに揺らす。


「わわわ……っ!? そこ、『抑えて』だよ! フェイくん!!」


 ひょうきんな煽りに、慌ててべつの声が重なった。桜に似た髪色の少女がおどろおどろしい口調でこちらに「すみません」と訂正をはかる。


「あはは、冗談だよっ。姫」


 困ったように苦笑するお調子者にもうっ、と口をすっぱめて、ほっと肩を下ろす。


「用がないなら、さっさと行きなさいよ。私だって暇じゃないんだからっ」


 脱線しそうになった会話を戻しつつ、不機嫌そうにアイラが口出した。


「そうだな、できればそうしたいが、問題児を取り締まるのも俺たちの仕事だ」


「問題児? 誰のことよ」


「お前だバカ。――まったく、初日から命令違反とは関心しないな。なぜ攻略に参加しない? お前の実力なら充分通用するはずだ」


「それは――」


「それはオレが無理言ってそうさせているのですよ」


 言いよどんだ主人の代わりに、ここでまで静観をとっていたアルヴァが口を開いた。


「――――貴様が?」


「ええ、きちんと理事長からの許可もとっておりますので」


 突如割り込んできたアルヴァを最条は訝しげに睨む。数秒その状態を留めると、合点がいったように苦笑した。


「……なるほど、お前が例の許嫁か」


「お初にお目にかかります。鬼灯アルヴァと申します。以後、お見知りおきを」


「それで、その入り婿がいったいなんの権利をもってフィアンセを拘束しているんだ?」


「端的にいうと、アイラが器用貧乏だからです」


「……なに?」


「確かにアイラの実力は目を見張るものがあります。が、詰めが甘い。ポテンシャルに頼りすぎるあまり、生活習慣などの根幹がおろそかになっている。成長途上の体に無理は禁物。ですから今、それを叩き直しているところです」


「それはいつまでだ? 期間は決めているのか」


「だいたい一ヶ月、といったところでしょうね……」


 会話の端々でアルヴァのビジネススマイルと最条の眼光が研ぎ尖れを繰り返す。

 当のアイラ本人は置き去りにされて、微妙な面持ちであった。



 最条の方はしばらく考えこんだようにおとがいに手をあてていたが、表情は隠れてよく見えない。


「なるほどな………わかった」


 やがて諦めたように渋々と納得すると、アルヴァがぱっと顔を明るくする。


「ご理解いただき感謝します。今後の予定は――」


百川ももかわ、いま開いている修練場グラウンドはどこだ?」


 しかし話を続けようとした手前で、場の空気が一変した。言葉を続けようとして本能的な寒気に見舞われる。



 最条が冷ややかな声で腰を折ったのだ。目も向けられず問われた少女は、戸惑ったように瞳を瞬かせる。


「え? ――あ、4番が開いてます……けど」


 ――マズい。反射的にアルヴァが自覚したのと同時だった。厭な予感がする。

 短いやりとりの直後、弾むようにふくれあがった目の前の殺気に、反射的に腕が動く。




 空気が穿たれた。




 直後、激迫した衝撃が全身をつんざく。有無を言わずに抜刀した刃先に思いがけない衝撃が伝わる。爪先から頭の上まで、脊髄を通る神経が息づまる。ブンッという羽音が遅れて鼓膜に張り付いた。



 峻烈な雷が灯った体は、衝撃を堪え切れずに、そのまま態勢を攫われる。


「――――え、……?」


 コンマ時間を置き去りにして、迅風がアイラたちを巻き入れる。



 直後、一閃を投じた残響に地面を靡かせた。爆速のマナの膨縮がぎる。


「少し借りるぞ」


 肩をポンと叩かれたアイラはすぐに反応することが出来なかった。

 数秒のラグを残してようやく首が動く。だがその顔は呆然としていた。



 目の前にあるのは空白。刹那の前、隣にいたはずのアルヴァの姿はそこになかった。






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