第63話 開店
一度ログアウトして、食事やトイレ、トレーニング、入浴などをさくっと済ませて再びログインするとゲーム内時間はちょうどお昼前くらい、計算通り。
ログイン中は眠っているようなものなので身体的に疲れることがないのは有り難い。例えるならずっと明晰夢を見ているような状態なので精神的には疲れるのかも知れないが、仮にログアウトせずにゲーム内で8時間眠ればリアルで8時間眠ったのと同程度の休息になるらしいので、ゲーム内加速は睡眠時間を節約できるツールとしても注目されているらしい。
ちなみにあくまでもこれは精神的疲労の場合。肉体的な疲労は当然リアル時間でしか回復しないので、例えばブラックな企業で朝まで働いて3倍加速のゲーム内で6時間寝て、6時間睡眠扱いで、リアルの2時間後にまた出勤なんてことをし続けたらすぐに体を壊すだろう。
閑話休題
ログインして、目を開けると木製の天井が視界に映る。本当なら『知らない天井だ』ネタを入れたいところだけど、すでにリイドで1年近く過ごしていた私にとってはもはや見慣れたもので、むしろリアルに戻った時のほうが天井があまりに白くてびっくりしたほど。
体を起こして軽く伸びをするとベッドから下りて主寝室を出ると、誰かいるかなと思いそのまま2階のリビングへと移動する。
扉を開けると部屋の隅には昨日設置された簡易ポータル、ちなみにこれの設置と同時にひとまず護衛のアオはリイドに送還してある。ホームの中だし、ログアウト中まで束縛するのはさすがに申し訳ないからね。その他には大きめのテーブルとそれを囲むソファー。そして1階のキッチンよりも大きいカウンター型のキッチンが備え付けられている。
「起きたかい、あんちゃん。なんか食べるかい?」
「あ、おかみさん、おはようございます。ごちそうになります」
扉を開けるとキッチンで作業をしていたおかみさんが私に気が付いて声をかけてくれる。ついでにお腹もすいてきていたのでお言葉に甘える。
「ほら、食べな。今日もお店やるんだろ。始まったら食べている暇がないかも知れないからね」
ソファーに座って待っている私におかみさんが持ってきてくれたのは、ローストした狼肉と薄くスライスした各種野菜をパンに挟んだサンドイッチ。そのサンドイッチが食べやすく三角にカットされて大皿に山盛りになっている。相変わらずの大皿料理で素敵なボリューム感である。
「大丈夫ですよ、おかみさん。昨日も閑古鳥が鳴いていましたからね。今日も開店休業状態だと思いますよ」
気楽に返事をしながら、手に取ったサンドイッチを口に運ぶ。勿論安定の激ウマさである。
「そうかい? 外を見るととてもそうは思えないんだが、あんちゃんがそう言うならそうなのかね」
「は?」
「あん? 気が付いてなかったのかい? 外には結構な人が集まってるよ」
は? いやいや、まさかそんな……
サンドイッチをかじったまま半信半疑で窓から通りを……
「ぶほっ!」
見下ろした途端に思わず食べかけのサンドイッチを吹き出す。そこにはすでにいろんな種族の冒険者風の人たちが数十人。さらには噴水広場の方からもぞくぞくと人が歩いてきている状態だった。
おそらく最初はリナリスさんたちが集めてくれたお客さんだけだったのではないだろうか。だけど、リアルに戻れば夢幻人はほとんどが行列好きな日本人。人が集まっていたことで、人が人を呼ぶ状態になったのかも知れない。
「あ、コチさ~ん! お客さん連れてきたよ~!」
「……」
店の前で行列の整理をしていたリナリスさんが私に気が付いて無邪気に手を振っている。うん、ちょっとリナリスさんを舐めていた。まさかここまでの影響力があるとは……
「コチさん、あとどのくらいで開店予定ですか?」
「え? あ……えっと、ちょっと早いですけどあまりお待たせしてもあれですから、すぐに開けます。もう少し待っていてください」
「良かったぁ! そろそろ収拾がつかなくなりそうだったから助かったかも。じゃあよろしくお願いします」
「はい、少々お待ちください」
窓から離れ、慌ててサンドイッチを掻きこむと絶妙のタイミングでおかみさんが出してくれた水を受け取って飲み干す。
「ぷはぁ、ありがとうございます。おかみさん、今日も美味しかったです。これからお店を開けてきますけど、おかみさんたちは表に出ないようにしてくださいね」
「まあ、あたいのことなんか誰も覚えていないとは思うけどね。ウイコウにも言われているし承知しているよ」
おかみさんがあっはっはと笑いながら手をぱたぱたと振る。任せておけということだろう。
「あ、そう言えばアルとコンダイさんはどちらに?」
「ああ、アル坊は暇だからってひとりで狩に行ったね。コンダイはいったんリイドに作業しに戻ったけど、今はニジンも連れて帰ってきて裏で開拓作業しているよ」
アルめ……勝手に出歩くなって言っておいたのに。まあ、もともとろくに会話もできない門番だった訳だし身バレするこはないだろうけど。ん?
「あれ? ニジンさんもですか?」
「ああ、大型の従魔に開墾を手伝わせるんだとさ」
大型の従魔? リイドで私が見たことのあるニジンさんの従魔の中には狼サイズより大きいのはいなかったからまだ見たことのない従魔か。是非見てみたいけど、今はお店が先か。
「お店が片付いたら私も手伝いますので、コンダイさんとニジンさんに外に出ないようにというのと合わせて伝えておいてください」
コンダイさんとニジンさんはリイドの中では必須クエストのメンバーではないから知名度も低いはずだし、もともと畑部分は通りに面していないから裏にいる分には問題ないはず。
「わかったよ、頑張っといで」
「はい、行ってきます」
おかみさんに見送られてリビングを出て階段を下り、1階の店舗部分に出ると扉を開ける前にカウンター代わりの簡易キッチンを出す。この店は扉開閉式の入口じゃなくて、昔ながらの茶屋や八百屋のように間口を全開にするタイプの店なのでこれがないと、商品棚もなにもない現状ではただのスペースになってしまう。
「店内になだれ込まれるようなことはないと思うけど……一応立ち入り禁止の設定にしておくか」
店舗やホームでは所有者が第三者の出入りを制限することが出来る。なので店舗部分はフレンド限定で立ち入りを許可。フレンドが少ない私の場合、これで店舗の敷地に入れるのはリイドの住人と『翠の大樹』のみになる。居住区や畑にはいまのところリイドの人たち以外に許可を出すつもりはないので、そっちも忘れないうちに設定しておく。
「これでよし。リナリスさん! 開けますよ!」
「は~い! 了解です!」
扉の向こうから返事があったので収納型のスライド式になっている店の扉をガラガラと開けていくと、金髪エルフのリナリスさんが手を振っていた。どうやら列の先頭にいる長身、白髪、白鬚のダンディなナイスミドルと話をしていたようなのでおそらく知り合いなんだろう。
「お待たせしました。でも、どうしてこんなことになったんですか。こんなにたくさんの人がわざわざイチノセまで高い料理を買いに来るなんておかしいですよ」
「ん~、わかってないなぁコチさんは。例の方法で私も昨日【料理】スキルを覚えられたのよ」
「あ、そうなんですか! 良かったです。これで自分でも好きな料理が作れますね」
「そうなの! やっと……やっとまともな料理を作って食べることが出来るの。つまりは、そういうことよ」
「は?」
えっと……ようはリナリスさんは【料理】スキルが取得できて凄く嬉しいってこと?
まあ、それはわかる。スキル取得のために体を差し出してもいいくらいに熱望していたんだからそれは嬉しいだろう。でも、それとこの行列になんの関係が……あ!
「もしかしてここにいる人たちって料理、もしくは食べることが大好きな人たち、ですか?」
「正解! 料理スレでスキル取得方法を無償で教えてあげるからお店に来てってお願いしたら、あとは何もしなくてもどんどん話が広まって……この状態ってこと!」
リナリスさんがえっへんと無い胸を張る。なるほど、そういうことか。
ゲーム開始以降、いくらレシピを集めて料理をしてもスキルは取得できない。そして作った料理はどれも美味しくない。そんな状況がゲーム内時間で二カ月以上……いや、もうすぐ三カ月か、そんな状況がそれだけの期間続いたら、美味しい料理と【料理】スキルの取得方法にこれだけの価値が出てもおかしくない。しかもここにいる人たちはその中でも特に料理することや食べることに強い想いがある人たち。うん、なんとなく納得だ。
まあ、別にスキルの取得方法は広めてもらって構わないし、料理が売れるなら私にとっても有り難いことなので問題はないのだけど……やれやれ、忙しくなりそうだ。
「事情はわかりました。宣伝ありがとうございます、リナリスさん。でも私は料理の販売はしますけどスキルの取得方法の説明はしませんから、そっちはそちらでお願いしますね」
「わかってます。この北通りは農業区でここより北にはほとんど人はいないし、料理を買ってくれた人たちをそっちに誘導して私のほうで対処するから任せておいて」
「よろしくお願いします」
売り子だけで手一杯になりそうなので、スキル関係はリナリスさんに丸投げだけど、別に私自身が教えると言った覚えはないし、リナリスさんも自分で説明するつもりだったみたいなのでそっちは好きにやってもらおう。
さしあたって私はこのお客さんたちの対応に専念する。インベントリから作り置きしてある料理を取り出しながら並んでいるお客さんたちに向かって声をかける。
「それでは『兎の天敵』開店します!」
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