第22話 牧場主ニジン

「いらっしゃいませ! ニジン牧場へようこそ」


 オレンジ色の長い髪を両脇で三つ編みにして、丸眼鏡にそばかすの元気な女性が牧場を訪れた私を明るく出迎えてくれた。


「ありがとうございます。私はコチと言います、よろしくお願いします」

「はい、私がこの牧場で一番偉いニジンです。といっても従業員は私しかいませんけど」


 一人ボケ突っ込みをして、あはあはと笑うニジンさんは草色のツナギのような服を着ているから分かりにくいけど、細身で女性らしい曲線は隠しきれていない。私の見立てでは、おそらく磨けば光るタイプ! 



 ……うん、言ってみただけです。でも透明度の低い大きな丸眼鏡で、そばかす、三つ編みおさげが揃っていたら、絶対にこの場合のテンプレは『眼鏡外したら美人タイプ』だと思うんだけど。確認は……出来ないだろうなぁ。出来ればこの街を出るときまでに、素顔を見せて下さいってお願いできるくらい仲良くなりたい。


「それでは、今日は可愛い家畜ども・・のお世話をしながら畜産について学んでいきましょう」

「はい。ん?」


 あれ、いまなんか……


「畜産というのは、ぶっちゃければ農業と一緒です。家畜どもに水と肥料の代わりにいい餌を与え、雑草取りの代わりに畜舎を綺麗にして、熟した果実を収穫するようにたっぷり脂がのった家畜どもを収穫。それだけのことです」


 聞き間違いではなかったみたいです。私は菜食主義ではないので、肉も食べて生きている。むしろ肉は大好きである以上は、食肉として飼われている動物たちをかわいそうだと言うつもりはない。そんなのは食べる側の自分本位な考え方エゴだ。

 ……かといってニジンさんほど割り切れるかというと、それもまた難しいんだけど。


「わかりましたか?」

「えっ……あ、はい」

「よかったです。ではご案内しますね」


 左翼側は全てが牧草地となっていて、居住区と一定距離をとって柵で囲われ中には見た目が牛と鶏のような生き物がのびのびと草を食んだりしている。

 門に近い位置に畜舎となる大きな建物があり、その隣にニジンさんが生活している小屋もあるらしい。


「家畜どもが外に出ているうちに畜舎を掃除します」

「はい」


 うわ、ちゃんとうん……じゃなくて排せつ物がある。プレイヤーにトイレの概念はないし、ゲームなんだからそんなところまで別に再現しなくてもいいのに。


「それではやりましょう、コチさん」


 ニジンさんはそう言うと私の返事を待つことなく、立てかけてあった四本爪の背丈ほどのフォークを手に取り畜舎のなかに突撃していった。


「いいですか、コチさん。やつらが間違ってもストレスで病気になったりしないように、徹底的にやってください。やつらには熟して私たち・・に屠殺されるその瞬間まで、なんの労苦もなく幸せに生きる権利があります。言い換えれば私たち・・畜産に関わる人間は家畜どものその権利を保護する義務があるんです!」

 

 いつの間にか私も畜産農家の一員に扱われている。まあ、そんなことは別に構わないんだけど、ニジンさんのテンションが高すぎないだろうか。


「そのためにも清掃は大事です。排せつ物は勿論、汚れた寝藁や床、壁、室内の空気に至るまでとことん洗浄してください。水は畜舎の隣に井戸がありますからそれを。もし【水魔法】が使えるならそれを使っていただいても構いませんが、畜舎の設備や家畜どもにほんの少しでも被害があった場合は…………軽く殺します・・・・よ」

「うひっ!」


 いつの間にか私の目の前にフォークの先端を突き付けた体勢になっているニジンさんに気が付いた私は思わず変な声を漏らしてしまった。今の動きとか、またしてもまったく見えなかったんですけど、たぶんこの人も槍系の達人っぽいです。ちなみにコンダイさんも斧とか槌とか重装備系の達人でした。

 それにしてもニジンさんて…………そういえば、おかみさんのところに牛や鶏っぽい骨はあったけど量はものすごく少なかったし、宿の料理は兎肉ばっかりで牛肉も鶏肉も使われていたことは一度もなかったような。もしかして……


「あの……もしかして、ニジンさん。間違っていたら申し訳ないんですけど、飼っている動物たちに感情移入しすぎないようにわざと辛辣な言葉を使ってます? しかもそこまでしているのに、結局食肉として処分できてなくて自然死とかした動物だけを泣く泣く宿に卸したり……とか?」


 あ、フォークの先端が揺れた。動揺したっぽい、図星?


「ふ……」

「ふ?」

「え……」

「え?」


 先端だけだったフォークの揺れは、徐々に全体へと広がりいまやニジンさんの体が小刻みに震えているのが私でもわかる。


「ふえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇん! どうしてそんなこと言うんですかコチさぁぁん! せっかく、せっかく! 今度こそはしっかりと畜産者らしくやろうと頑張っていたのにぃぃぃぃ!」


 あ、泣いた。

 フォークを取り落とし、床に座り込んで天井を仰ぐようにしてがん泣きです。ちょっとこれどうすれば……とにかく理由を。


「な、なんでそんなにしてまで……」

「だぁって! 仕方ないじゃないですかぁ! モウさんもコッコさんも可愛いんですよ! 可愛くて可愛くて仕方ないんです! でも、食べるために飼育しているのに食べない訳にはいかないじゃないですかぁ! 私だって好きで【畜産】の達人になった訳じゃないんですよ! 動物たちが好きで好きで好きでたまらなくて、ずっとお世話をしてたらいつの間にかなっちゃってただけなんです。うぇぇぇぇぇぇん!」


 うわぁ……触れてはいけない部分に触れてしまったらしい。多分だけど会話の制約がかかっている状態だと、淡々と畜産について説明と実技をこなせるんだろう。もしかしたら鶏を絞めて、血抜きして、解体してなんてことまでやるのかも知れない。


「もうあの子たちを殺すのは嫌ですぅぅぅぅ!」


 完全にキャスティングをミスってますよ運営さん。こんな設定じゃかわいそうだから、なんとかしてあげて欲しい。まあ、いくらなんでもいちAIのために運営が修正を加えるなんてことはないだろうけど。


「あの、ニジンさん。とりあえず私はそこまでの指導はいりませんから安心してください。畜産の流れと動物たちのお世話の仕方だけ教えて貰えれば十分ですから」


 ゲーム内で畜産プレイをするつもりもないからそれで十分だろう。ただ、今後モフれる動物や魔物と触れ合う機会があったときのために、基本的な動物のお世話の仕方は教えて欲しい。


「ふぇ? …………本当ですか?」


 泣きじゃくっていたニジンさんが、眼鏡越しに私を凝視する。いや、疑わなくても嘘とか吐く気はありませんよ。


「はい、本当です。それにニジンさんは魔物なら倒せるんですよね?」

「……人と相容れない魔物はたくさんいるので、そういうのはむしろ容赦なく」


 ははは……やっぱりこの街の住人だなぁ。でもそれなら、無理にここの動物を食べなくても魔物を倒してドロップしたお肉を食べればいい。あっ、でも制約があるから狩りにはいけないのか。私が旅立つ時には、持っている肉は全部置いていくことにしよう。


「少なくとも私がいる間なら、私がグラスラビットを狩ってきますし安心してください。牛や鶏も食用じゃなくたって牛乳や卵を分けてもらうことはできると思いますし」

「はう! あ、ありがとうございます、コチさん! あなたいい人ですね。それじゃあ私も張り切って説明しちゃいます!」


 ぐすぐすと涙を拭いながら立ち上がったニジンさんが、照れ隠しにはにかみつつ小さく拳を握りしめてやる気を見せている。だいたいこの街の人たちがやる気を出すと大概ろくなことがないんだけど……大丈夫?

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る