6-5. 死にゆく竜
言葉もなく震えているアエディクラ人キャンピオンを目の前に、デーグルモールのイオはどうすべきか考えていた。
父の言葉を待つまでもなく、白竜とその主人をここに置いておくのは危険すぎる。むしろ、なぜ一時的にでも彼らを中に入れたかのほうが疑問なくらいだった。おそらくは、ガエネイスとダンダリオン、二人の王の間でなんらかの契約があり、断れない条件があったのだろう。こうなっては、キャンピオンたちをアエディクラの王都へ帰すべきなのだろうが……
つまり、自分が動く必要があるだろう。彼らを王都へ送り届け、ガエネイスにも何らかの申し開きをせねばなるまい。
イオが今回ここに戻ってきたのは、白竜の王リアナについて父に報告するためだった。できればイーゼンテルレの動きについてもうしばらく偵察しておきたかったが、それは引き伸ばさざるを得ない。今は同胞たちの危機を回避する方が先決だった。
そのための手順を考えていたとき、空が陰った。イオがそれに気がついたのは、
オォォォ……と、遠くで
「地震――?!」
イオが知っているなかで現状に最も近いのは地震だった。だが、ダンダリオンの動きはすばやかった。
兵士たちのほうへ走っていくと、白竜のほうへ手を振って示し、「麻酔弾を撃て! 気絶させるんだ!」と叫んだ。竜は黄金色の目を見開き、身体をくねらせながら叫んでいた。鬨の声のように聞こえたのは、苦しみで呻く竜の声だったのだ。その姿は、一瞬恐怖を忘れるほど、神話の生き物じみていた。
(――竜!? これは、白竜の力なのか!!?)
「無理です!」兵士が叫んだ。「射程距離まで近づけません!」
不死者の王は舌打ちしてその銃を奪い、みずから竜の近くまで駆けていく。竜の目の死角となる位置から近づいて、尻の上あたりを狙い、撃った。
降ってくる土くずは小石となり、拳ほどの大きさの石が
「メドロート公を起こせ! じき、制御不能になるぞ!」
そして、イオに向かった。「同胞たちを避難させろ。スクイアとおまえで指揮を
「あなたはどうするんだ!?」
「私はニエミとけが人を運ぶ」
「この竜は――」
「私に任せろ。後で合流する」そして、一瞬考えてから付けくわえた。
「いいか、私になにかあればおまえが頭領だ。同胞たちを死なせるな」
「でも――」
「おまえならできる、行け!」
ダンダリオンは手を振って方向を示し、ふだんの穏やかな顔からは想像もつかない形相で怒鳴った。イオは一抹の不安をおぼえながらも、きびすを返して走っていく。
(父さん、あんたはいつもそうだ――)
いつでも、同族たちの安全だけを考えて生きている。指導者にしては優しすぎる。もはや生命あるものたちの規律には縛られない不死者たちが彼に付き従うのも、そのせいかもしれない。
(でも、俺はちがう)
イオは走りながら同胞たちに呼びかけた。
〔アエンナガルは倒壊の危険がある! 動けるものは全員、水道橋側の入り口に集合しろ!〕
応答の波長が次々に返ってくる。父たちとは違う、ぼんやりした意識の集合体のようなものだ。さらに、父の竜にも呼びかける。
〔シュノー! 来い!〕
黒竜の巨大な応答を感じながら、さらに走っていく。敗走の悔しさが、さらに決意を強める。
(もしも、俺が王なら、負傷者を逃がすために残ったりしない。人間どもの国家に屈したりもしない。竜族にもだ!)
(竜を増やし、ライダーを増やし、俺たちを蛆虫みたいに扱う連中に目にもの見せてやる……!)
イオが最後に父の声を聞いたのは、いかにも彼らしい言葉だった。
「竜の主人を殺すな!」
崩壊は止まらない。アエンナガルは落ちるだろう。
♢♦♢
ダンダリオンは天幕を乱暴に押し開け、中央の寝台に駆け寄った。研究員らしき男がぎょっとしてなにかを取り落とすが、かまわず「退け」と短く命じる。なかは医療器具らしきもの、あるいは実験用具らしきもので雑然としており、その中央の簡易寝台に、白竜公が寝かされていた。
「なんということを」ダンダリオンは呟いた。
それほど、ひどい状態だった。
メドロートはなかば裸で、全身に激しい拷問の跡が残っていた。それぞれの傷はきちんと手入れされており、おそらく生命は維持するようにと命令されていたのだろう。情報を吐かせるためだけにこれほどの拷問をするとは思えず、白竜を思い通りに動かすためのものに違いない。目は開かれていたが、焦点はあっておらず、ダンダリオンの呼びかけにも答えなかった。口もとを嗅ぐと
ダンダリオンは逡巡した。
暴走する白竜に自我を取り戻させるには、メドロートに命じさせる必要があるが、この状態ではまず無理だろう。かといって、
どちらのケースも経験しており、今回どうなるかは判断がつかなかった。自分だけの力で白竜を殺すことは、できないわけではないが……。
(あるいは、次の持ち主がすぐに彼女を継承するかもしれない)
そうなれば白竜が落ち着く可能性が高いが、その考えはすぐに打ち消さざるをえなかった。この竜の次の主人がアエンナガルの近くにいるとは考えられない。
白竜を殺すしかない。
ダンダリオンは決意を固め、メドロート公の腹部に手を当てて〈霜の火〉を送りこんだ。臍を起点に漆黒の双葉が芽吹き、まっすぐに上に向かって伸びはじめ、じきに蔓となって渦を巻きだした。動きまわる刺青のように、白竜公の上半身が黒い植物で装飾されていくのを見守る。
じきに身体の温度が下がりはじめ、臓器はゆっくりと動くのをやめ、眠るような最期が訪れるはずだ。竜にとっても、主人にとっても最善の処置になるだろう。
このように竜族の領主に情けをかけるのを、イオは喜ばないだろう。デーグルモールの頭領として処断が甘いと言われ続けている。もっともなことだった。
だが、望んで王になったわけでもなく、ただ生き残り続けた結果、彼らを率いる形になっただけだと、ダンダリオン自身は考えている。亡者の群れは、保護者を必要としていた。自分は羊飼いのようなものだった。自分が死んでも、ほかの誰かが羊たちを導いてくれるだろう。
「あなたの血族を、昔、ひとり知っていた」天幕を出る前に、そう声をかけた。「安らかに眠れ、白竜公」
崩落は断続的に続いていた。アエンナガルは旧イティージエン帝国の地下貯水場の遺跡を居住区として利用していて、施設のほとんどは地下にある。いずれにせよ全員を避難させる必要があるだろう。ダンダリオンは貯水槽のあいだの通路を抜け、階段を上がって負傷者のいる小部屋に戻った。部下のニエミはすでにそこにいて、半死者たちを起こしてまわっていた。
デーグルモールはケガや病気で死ぬことはないが、不活性の状態に陥ることはある。このうちの半数ほどは、竜族の血と肉を与えればすぐに回復するとニエミが請けあった。とすれば、メドロートの身体は彼らにとって素晴らしい回復薬になるだろう。すぐには無理だが、避難をしたのち、数名の兵士たちで安全を確認して公の死体を運ばせよう、とダンダリオンは思った。
「『変容』中のものは、こちらの指示が通らない。置いていくしかありませんね」
「そうだな……」ダンダリオンは顎に手をやって考えていたが、「いや、やはり、連れていこう」と言った。
「仰せのとおりに」ニエミはうなずくと、配下のいる兵士たちに指示を出した。
避難は遅々として進まなかった。それを見越して、こちら側の避難経路はかなり短いものだ。幅の広い階段を上ってかつての礼拝堂に出るルートで、崩落の危険は少なくなるが、一方で万一敵の襲撃を受けた場合には真っ先に見つかる可能性が高い。しかし、その場合でもこちらが囮として機能すれば、イオの率いる本隊はその間により遠い水道橋側の出口から安全に脱出できる。
もちろん、敵に出会わないに越したことはないが、神ならぬ身の彼はいつも悲観的に二手三手先を考えることにしていた。
「よし」
ダンダリオンは、副官ニエミに計画を伝えた。
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