第315話 【忘却の此方編】:邂逅プラトニック

 儀式まで半月を切ったある日のこと――。


 ナースチェンカはグィネヴィアに連れられ、城下街のショッピング街へ訪れていた。

 そこには神国でしか取れない、ある特殊な鉱物でつくられた服やカバン、冒険者などにとっては武器や防具が手に入るため旅行者の姿で溢れていた。


 神国は屈指の観光地だ。

 ショッピング街にはそういった土産物エリアのみならず、レストラン街も隣接しているため、訪れた観光客のほとんどはこのエリアに集中する。


「久しく来ていませんでしたが、相変わらず賑わっていますね、お姉さま」


「そうね……。ナースチェンカ、何か欲しいものはない?」


 二人が王の娘であると、この国の者は誰一人知らない。

 名前のみだ。

 その素顔を知る者はいない。

 これもすべて儀式のためであり、いつからかそのような風習が定着した。


「欲しいもの、ですか?」


 ナースチェンカには姉の想いが見えていた。

 またグィネヴィアにも妹の悲しみが見えている。


 一方、ナースチェンカの心中は複雑だ。

 見える景色は偽りの上にあるのだと今や考えは一変し、自分の命が無意味に終わろうとしていることに我慢ならない。

 だが逃げることができないのは、自分が逃げれば姉が殺されてしまうからだ。


「お姉さま……」


「ん?」


 ナースチェンカはあれから何度も切り出そうとした。

 だが――。


「私は……恋がしてみたいです。ずっと、そう思っていました」


「恋?……」


 上の空なナースチェンカ。

 その横顔にグィネヴィアは心の中で頭を抱えた。

 自分としても経験がないからだ。


「ここはもう見飽きてしまいました。お姉さま、高台に行きませんか?」


 姉の返事を待たずにナースチェンカは言った。


「ええ、いいわよ……」


 高台とはこの国で修道院の次に高所にある、国を一望できる観光エリアのことだ。

 そこにはパワースポットでもある、アダムスの巨像が展示されている。


「この像はいつ建てられたものなのでしょうか……」


 巨像の前で記念撮影をする観光客たちを遠目に、ナースチェンカは呟く。

 グウィンの親友とされる初代国王が建てたものなのか、だとすれば何故、彼はアダムス信仰を持ち出したのか。

 それも当時の人間にとっての都合でしかないと、ナースチェンカの中には今や信仰心はない。


「デカいなぁ……」


「これが創成の魔法使いか……」


 そこでふと声が聞こえ、二人は視線の向きを変えた。

 巨像に興奮する旅行者たちがいる一方で、周囲に憧れの眼差しを向けられているある一団の姿があった。


「あれは……」


「龍の心臓ですよ、ナースチェンカ!」


 グィネヴィアの興奮した声が聞こえた。

 だがナースチェンカは違った。


 周囲は龍の心臓――彼ら5人の姿に、憧れを向けたまま距離を取っている。

 彼らもそれには気づいているが、慣れたもので今や相手にしない。


 大陸の全土を巻きこんだダームズケイル帝国による大戦争を終戦に導き、ダンジョン攻略まで果たした彼らは今や英雄にして伝説の存在だ。

 どこへ行こうが彼らは常に注目の的だった。


 グィネヴィアが興奮している隣で、ナースチェンカは5人の内のとある一人に目を奪われていた。

 彼女は自身がその瞬間、胸に抱いてしまった感情を知らない。

 だがグィネヴィアには分かった。

 その横顔はナースチェンカの心中を表していると。


「今なら声をかけられるわ」


「え」


「行きなさい。あなたと思うがままに……気になる人がいるんでしょう?」


「……」


 姉に背中を押され、ナースチェンカは久しぶりの未来を見た。

 だがその瞬間にも儀式が脳裏にちらつく。


「ほら、今がチャンスよ」


 ナースチェンカは他者への思いやりに溢れていた。

 先を見通す視野も持ち合わせていた。

 彼女は彼の姿を通し彼との未来を脳裏に描いたのだ。

 だがそれは実現しえないものだと諦めるしかない。


 ナースチェンカはまだ話したことすらない彼の未来を想ったのだ。

 そして彼女は最初の一歩を踏み出した――。


 アダムスの巨像が携えた大杖に目を奪われ、一団の一人――カリファは疑問をこぼす。


「ねぇ、これっても、しかして……」


「……まぁ、そういうことだろうな」


 考えに同意するゼファー。

 雑談を交わしていた彼らの前で、ナースチェンカは足を止めた。


「それは、半身の杖です」


 聞こえた言葉に5人は振り返った。

 それぞれは彼女の美貌に目を奪われた。

 夕日を背景に輝く髪。

 だが一人、4人とは違う反応をする者がいた。


「すいません、急に話しかけたりして……。随分、楽しそうにご覧になっていらしたので、つい……」


「え~と、あなたは?」


 ゼファーが訊ねた。


「す、すいません、申し遅れました、私はグィネヴィアと申します」


 ナースチェンカは事もあろうに、姉の名前を名乗ったのだ。

 だがそれが、彼女の優しさだった。


「グィネヴィア?……なんか、どこかで聞いたような気が」


「どうした、カリファ」


 横顔を覗くゼファー。


「そうよ! グィネヴィアって言えば、神国の王女の名前じゃない!」


 グィネヴィアは恥ずかしそうに微笑む。


「あの……その、王女様は何故、ここにいらしたのですか?」


 一人、王女へ違った反応を見せるカゲトラ。

 彼は彼女を見つめたまま、湯上りで火照ったような顔をしていた。

 表情は既に冒険者のものではなく、血走った目付きもない。


「お、王女様だなんて!……グィネヴィアで大丈夫ですよ?」


 ナースチェンカは頬を赤く染めた。


「で、では、グィネヴィアさん。何故ここへ?」


 お互いに見つめ合いながら、そして照れ笑いを交えながら会話を進める二人。


 シャオーンとゼファーは二人の様子にニヤニヤが止まらない。

 カリファは小声で「よしなさいよ」と二人へ注意するが、同じくニヤニヤしている。


「その……皆様が、あの龍の心臓だということは一目見て直ぐに分かりました。なので王女として、ご挨拶をと思いまして」


「そうでしたか。私は龍の心臓のカゲトラと申します」


 慣れない言葉遣いで紳士ぶるカゲトラ。

 彼は必死になって会話を進めた。

 アダムスの巨像についてのレクチャーを聞き、話し込む二人。


「半身というと、やはり彼は深淵使いだった訳ですか」


「はい。おそらくは、そういうことなのだと言い伝えられています」


「なるほど、仲間にも一人深淵を使える者がいまして、私の兄なんですが」


「そ、そうだったんですね!」


「はい」


 出会ったばかりだといいうのに照れながらも二人の会話ははずんだ。

 これがカゲトラとナースチェンカ、二人の出逢いであった――。


「どうしたの、アドルフ?」


 一人、輪に入ろうとしない物静かなアドルフ。

 彼の様子が気になり、カリファが声をかける。


 カゲトラとナースチェンカの様子に興味津々のゼファーとシャオーン。

 だがアドルフだけは一歩下がった位置におり、少し暗い表情をしていた。

 その視線の先にはナースチェンカがいる。


 その目の奥には疑心が窺えた。

 だがアドルフは時折こういった雰囲気でいることがあり、仲間も今となってはあまり気にしなくなっていた。


「何でもない……」


「……そう」


 カリファの中には小さなもやが残ることになる。

 だがそれもいつものことだ。

 だからカリファ以外は気にもかけない。







「どうして名前を伝えなかったの?」


「……」


 カゲトラたちと分かれ、修道院に戻った二人は玄関口にある柱の陰にいた。


 近くから一部始終を見ていたグィネヴィアは、夜景を見つめるナースチェンカの横顔へ訊ねた。


「なぜ、私の名を?……」


「……感謝しております、お姉さま」


 先程まで、あれほど楽しそうにしていたナースチェンカの表情が沈んでいる。

 彼女の心中は複雑であった。

 多重的な葛藤がありつつも心は既に決まっている。


「私とお姉さまは、幼い頃から瓜二つだと言われてきました……」


「……何が言いたいの?」


 話を逸らし質問に答えようとしない彼女に、グィネヴィアは少しばかり苛立ちを覚える。

 だがナースチェンカは答えようとしていた。


「私が死んだ後、カゲトラ様をお願いします」


「……ナースチェンカ」


 低く一礼するナースチェンカ。

 グィネヴィアの頬を涙が伝った。


 背を向け、修道院の中へ離れていく彼女へ、グィネヴィアはかける言葉が見つからなかった。


 翌日、正午前――。

 ナースチェンカは昨日の会話などなかったかのように、清々しい表情をしていた。

 グィネヴィアに行き先を伝え、修道院を後にする。


「カゲトラ様をお待たせする訳には行きません……行ってきます、お姉さま」


 姉に笑顔を配り、ナースチェンカは駆けてゆく。

 グィネヴィアはまた、その背に何も言えなかった。


 ショッピング街へと向かう道中、市街地を通り抜けようとしていたところ、ナースチェンカはアドルフと出くわした。

 彼は一人だった。


「あ……おはようございます!」


 ナースチェンカは笑顔で挨拶を交わす。


「アドルフ様ですね。カゲトラ様からお話は伺っております」


 その無表情が板についた様子に困惑しつつも、ナースチェンカは笑顔を見せる。


「……カゲトラなら、同じホテルにいますよ」


「はい、ありがとうございます。それでは、失礼いたします」


 物静かな様子に不気味さを感じつつ、ナースチェンカは彼の傍を通り過ぎていく――。


「――ナースチェンカ」


 しかしアドルフが口を開いたことで、その足は止まる。


「僕はそちらの名前の方が好きだ。グィネヴィアなんて発音の意味不明な名前は嫌いだ。カゲトラもきっとそう思っているよ。僕らはビヨメントの出身で戯国の血が入っているから、聞き慣れない名には抵抗を感じやすい」


「……」


 ナースチェンカは振り向くことができない。

 だがアドルフは振り返り彼女の背を見つめた。


「だけどあなたの背にはちゃんと影がる。影があるということは嘘はついていないということだ。カゲトラへの想いは本物ということだ……だが嘘をつく理由が分からない」


 ナースチェンカは彼がどんな表情をしているのか想像した。

 想像すればするほど振り向けなくなる。


「臆する必要はありません――」


 だがアドルフの声色は一変した。

 それまでの雰囲気が嘘であったように、晴れた声が聞こえた。


「彼のあんな笑顔は久しぶりに見た。戦争以前の彼はずっと笑顔だった。ただの駆け出し冒険者だった頃に戻れればと、何度思ったことか……その必要はなくなりました。ナースチェンカさん、偽名のことは気になしでください。僕にはステータスが見える。ただそれだけのことですから」


「あの――」


 だがナースチェンカがやっとのことで振り向いた時、そこにアドルフの姿はなかった。







 アドルフは観光エリアから外れた古い民家の続く路地を歩いていた。

 すさんだ空気と人気のない雰囲気に、かつての国の雰囲気を思い浮かべるアドルフ。


 彼はとある民家を訪ねた。


「すみません、少し道を教えていただきたいのですが」


「ああ?」


 玄関の奥から姿を現したのは、初老のドワーフであった。

 だが屈強な肉体は健在である。


「すみません。この辺りにゴルディムという方の住まいがあると伺ったのですが、ご存じありませんか?」


「……知らねえなあ。さあ、帰っとくれ。まだ寝足りねえんだ」


「――あなたが、ゴルディムさんですね?」


 だがアドルフは浅い笑みを口元に浮かべた。


「…………誰だ、お前」


 ドワーフの魔力が荒げ始める。

 戸棚が揺れ始め、屋根の木の板がカタカタと音を立て始める。


 アドルフは一層嬉しそうに微笑んだ。


「牽制は不要です。僕はあなたを殺しに来た訳ではない。頼み事があって来ただけだ」


「……」


「ドワーフの体にエルフの耳と、エルフの白い肌。それに僕には、あなたの名前がはっきりと見える」


「……お前、魔眼持ちか」


「ご名答。普通の人が知らないことにも容易く答えるとは、噂は本当だった……」


 ゴルディムは怒りを鎮めた。

 揺れ動いていた家が収まる。


「探したよ、付与師ゴルディム」


「誰に聞いた……」


「とりあえず、中に入ってもいいかい? もう一度言うが、頼み事があって来ただけだ。僕に敵意はない」


「…………話を聞いてやる」


 ゴルディムは警戒を解かず、彼を招き入れることにした。


「僕に一つ、反魔法を付与した刃物を作ってほしいんだ。素材は持ってきた、これだ」


 木造建て民家の居間だ。

 丸テーブルを挟み向かい合うと、アドルフは彼へ黒い刃の短刀を渡した。


「こりゃあ、まさか……ローグ・ジョーカー・ラビッツの黒刀か?」


 ゴルディムは慌てた様子で短刀を手に取った。

 細部を眺めると、ますます表情は緊張する。


「本物で間違いないよ」


「すべて魔王に破壊されたはずだ」


「最後の生き残りさ」


「……俺に、何をしろと?」


「言った通りさ。その短刀に、ヨハンセンの反魔法を付与してほしいんだ」


「なんだと……。あんた、こいつが何か分かって言ってんのか? こいつは――」


「――刺した相手の肉体を内側からえぐる、だろ?」


「それだけじゃねえ、こいつはあらゆる力を倍増させるんだ。魔法に関わらずなあ。刺された瞬間には死んでるって話だ。全身を切り刻まれて」


「ああ、知っているとも。だから君を探したんじゃないか、ゴルディム。早い話が、この短刀の魅力は浸透とあらゆる力の倍増」


「……だから反魔法を」


「反魔法は魔術にあらず。それは概念であり分析不可能。ゆえに解明されていない。あらゆる魔法の概念を一時的に封じ、その間、対象は魔術を詠唱できず魔力すら使えなくなる」


「こいつに反魔法を……誰に使うのかなんて知りたくもねえがなあ。そんなことをすれば、そいつは根底から魔法の概念を失うぞ?」


 アドルフは歯茎を見せてニヤついた。


「……まさか、それが狙いか?」


「作れるかい?」


「あんた、イカレてる! 正気じゃねえ」


生憎あいにく、僕の国に道徳という概念はないんだよ」


「笑えねえなあ」


「それで、できるのかできないのか、どっちだい?」


「……作ってやるさ」


「そう言ってくれると思ったよ」


「見返りは?」


「この短刀をあげるよ、それから使いきれないほどの財産も」


 アドルフはダンジョンの渦から布袋を出した。


「先払いにしておく」


「俺が作って、それをそのまま俺が貰うのか? あったやっぱ正気じゃねえだろう?」


「もちろん、僕が一度使ってからの話さ。そうでもしないち君は引き受けてくれないと思ったんだ。ゴルディムの頑固さについても色々と聞いてね」


「やっぱ誰かに使うのか。いや、その先は言うな。聞きたくねえ。俺たちはただ作るだけだ、使われ方なんざ考えねえ。それが名工ってもんだ」


「……僕も哲学は好きだよ」


 アドルフは彼に布袋を渡した。







 レストラン街に立ち並ぶ飲食店の一つに、魚料理を扱う店がある。

 カゲトラとナースチェンカはその店のテラス席にいた。


 目の前には小魚の泳ぐ、青く透き通った川が流れている。

 優雅な景色を見ながら、二人はそれぞれ違った料理を頼んだ。


「グィネヴィア、本当にそれで良かったのか? 魚は食べないんだろう?」


「良いのです。あなたの故郷の味を知りたかったから……意外と、美味しいものですね」


 ナースチェンカはナイフで魚を切り分け、美味しそうに食べていた。


「俺は別に戯国の出身って訳じゃない。だからビヨメントでも肉は食べられた。むしろ魚は嫌いで、肉ばかり食べていたよ。魚が食べられるようになったのは数年前さ」


「そうなのですか? さっぱりしていて美味しいのに」


「君は心が広い」


「ふふ……ありがとうございます」


 二人の関係は他愛のない会話と時間を通して深まっていた。


「聞いてもいいですか?」


「なんだい?」


「アドルフ様とは、一体どんな方なのですか?」


「アドルフ?……気になるのか?」


「いえ……その、少し物静かな方で」


「ああ、なるほど。少し怖い感じがしたんだね。初対面の人はみんなそう言うんだ」


「はい……」


「アドルフは……なんというか昔からあんな感じなんだ。人付き合いのしないタイプで、僕ら意外とはほとんど話したがらない。僕にとっては兄者の次に兄貴って感じかな。悪い奴じゃないよ。ただ人が苦手なだけさ」


「決して悪い方だとは……」


「分かってるよ。さあ、冷めないうちに食べよう」


「はい」


「その内、普通に話せるようになるさ」


「……はい」


 アドルフについて、ナースチェンカには引っ掛かるものがあった。

 だがカゲトラには話さなかった。

 上手く説明できそうになかったからだ。


「グィネヴィア。俺から少し話があるんだ。その……少し聞いてくれるかい?」


「はい、もちろん。どんなお話ですか?」


「僕らについてのことだ。近い内に……その、みんなに話したいんだ」


「……」


 ナースチェンカは黙ってしまう。


「いいかなあ?」


 カゲトラが自身を誇ったことはない。

 小さな町の生まれの平民であるという自覚。

 対してグィネヴィアは王女だ。

 ただしナースチェンカは王女の妹である。

 カゲトラは知らない。


「もちろん……」


 ナースチェンカは笑顔で答えた。

 自然とカゲトラの不安げな表情は消え去り、いつもの笑顔が戻る。

 恥ずかしさが見え隠れした笑顔だ。


 それから数日して、カゲトラはナースチェンカを4人に改めて会わせた。


「彼女と……付き合うことになった」


 ホテルのロビーでの出来事だ。

 カゲトラは頬を赤く染め、ナースチェンカを愛おしそうに見つめている。

 彼女も同じように頬を赤らめる。


「ちょっと、どういうことよ?」


 カリファの問いに、カゲトラはナースチェンカの手を握った。


「こういうことだ」


 一瞬、その場が静まり返り、


「うぉおおおお! よくやった、よくやったぞ、カゲトラ!」


 ゼファーはカゲトラの肩に腕を回し、大喜びした。


「兄者、やめてくれよ。グィネヴィアの前で」


 兄に髪をグチャグチャにされ恥ずかしがるカゲトラ。

 そんな兄弟の姿を微笑ましそうに見つめるナースチェンカ。


「そうか……カゲトラにも春がきたか」


 シャオーンは嬉し涙を浮かべた。

 だが見られたくないのか二人へ背を向ける。

 その姿にカゲトラやゼファーやカリファは、かつて自身の里を怒りの形相で滅ぼした、当時の彼の姿を重ねる。

 今ではもう想像もできないほど、シャオーンは変わった。

 誰もが時間を経て変わっていく。


「アドルフも何か言ってやれよ?」


 一人、隣で別のテーブルに着いていたアドルフ。

 ゼファーの声にカゲトラへ振り返った。


「うん。僕も嬉しいよ。カゲトラ、おめでとう」


 アドルフは笑みを浮かべ、ワインを一口飲んだ。

 乾杯、そう言いたげにグラスを掲げる。


「みんな、大袈裟だなあ。付き合うことになったって言っただけだろ」


 だがいくら英雄とはいえ、冒険者が一国の王女に手を出すことは許されない。

 カゲトラは仲間に真実を伝え、彼女との関係を神国から隠した。


 ただ5人は冒険者だ。

 いつまでもこの国にいる訳にもいかない。

 別れの日は訪れる。







「お待ちください、カゲトラ様! 私も連れて行ってください!」


 カゲトラたちはナースチェンカを交え話をした。


 神国を一先ず離れるというゼファー。

 ナースチェンカは嘆願した。


「私はカゲトラ様と離れたくないありません!」


「君はこの国の王女だ。連れてはいけない……」


「では私は……どうすればよいのですか! 次はいつお会いできるのですか!」


 儀式までもう一週間も残されていなかった。

 だがカゲトラは知らないのだ。


 ここに来て、ナースチェンカは自分の命を惜しく思うようになっていた。

 死にたくはないと。

 彼女の問いにカゲトラは黙りこむ。


「実は一度、ビヨメントに戻ろうかと思っていたんだ」


 ゼファーが言った。


「一度海に出たら、もうこの大陸には戻って来られないかもしれないだろう? だからカゲトラ、半年後にビヨメントで落ち合うっていうのはどうだ。それまでにどうするのか決めろ。意味は、分かるな?」


 ゼファーは王女を誘拐しろと言っているのだ。

 カゲトラは理解している。


「分かった、兄者。半年後にビヨメントで会おう」


「よし、じゃあビヨメントに戻るとするか」


「僕は残るよ」


 ゼファーの意気込みを遮るようにアドルフは言った


「ん、なんだ、アドルフ。まだ何か用があるのか?」


「うん。実はとある鍛冶師に武器の発注を頼んでいるんだ。もうそろそろできる頃なんだよ」


「なんだ、それを早く言ってくれよ。じゃあ、それができるまで待ってるよ。実はそんなに急いでもないしな」


 ゼファーはカリファやシャオーンへ確かめるように言った。


「いや、いいんだ。受け取ったら、次はルージュゲルトにも行くつもりだから」


「ふ~ん、そうなのか……。分かった。じゃあやっぱり俺たちは先に戻ってよう。終わったらアドルフもビヨメントな?」


「うん、直ぐに向かうよ」


 ゼファーはアドルフの都合をくみ取る形で同意した。

 アドルフの場合、特に理由は話したくないが一人で行動したい時というのが偶にある。

 それはこれまでにも何度かあったことであり、珍しいことではない。

 ゼファーは彼のそんな一面を理解していた。


「じゃあ2人共、いえ、3人共ね。次はビヨメントで会いましょう」


 カリファはそう言って先に部屋を出た。


「では友よ、また会おうぞ」


 シャオーンはそう言い残し、部屋を後にする。

 相変らずの紳士ぶった言葉の表現に、カゲトラは微笑む。


「じゃあ、待ってるからな」


 最後にゼファーだ。

 アドルフとカゲトラも手を振り返す。

 ナースチェンカはお辞儀して彼らを見送った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る