第171話 【過去編】:生徒集団失踪事件

【小泉 あきら




「お兄ちゃん、朝だよ!」


 その日、小泉明は妹の声と共に目を覚ました。


「うるさいなあ……」


 目を擦りながら体を起こすと、無邪気に笑う妹の顔があった。


「ほら、起きて。遅刻しちゃうよ」

「朝から騒がしいなあ」


 妹の沙耶さやに毎日無理やり起こされる。

 これが明の日常だった。

 けだるい表情や声を装うが、明にとって妹はかけがえのない存在だ。

 苦手な朝も、沙耶の元気な笑顔を見れば違ったものになる。

 また沙耶も、兄を慕っていた。



「アキちゃん、ちゃんと野菜も食べないとダメでしょ」


 母親にうながされ、嫌いなピーマンに手を付ける明。

 一口かじると皿に戻した。


「アキちゃん、今日ママ遅くなるから、沙耶をお願いね」

「うん、わかったよ」


 小泉の両親は共働きだった。

 父親は朝早くに家を出る。

 だからこそ、2人はいつも一緒にいることが多かった。

 


「いってきまーす!」


 朝食を済ませた明は、支度を終えると妹と一緒に家を出る。

 明が自転車通学であることに対し、沙耶は徒歩だ。

 だから一緒には出るが、いつも家の前で別れる。


 兄に手を振りながら走っていく沙耶。

 沙耶は中学1年生だ。

 この間まで小学生だった沙耶が気がかりな母親。

 その不安を和らげる兄。

 小泉明は、家では良き兄だった。


 明は今日も、颯爽と家を飛び出し、学校へと向かう。




たちばな たけし




「今日は武の大好きなハンバーグだからね!」


 晩ご飯のメニューに喜びながら、朝食を頬張る武。

 嫌いなものなどない武は、食べれるものならなんでも食べた。


 橘家の人間はみんな大食いだ。

 そのせいか居間にいる三人は同じ体系をしている。

 ただ上京してもうこの家にはいない歳の離れた兄は、何故か一人痩せていた。


 父と母の3人暮らしである武は、毎日食べたいものが食べられて幸せだった。

 何よりハンバーグが大好物で、母親からの予告が入った日などは、寄り道もせずに真っ直ぐ家に帰ってくる。


 朝食を済ませた武は、いつものように支度を済ませ、最後に弁当をカバンに入れ、自宅を後にした。

 自転車通学だった武の朝は、比較的楽なものだ。


 これが武の日常だった。




【田所 鉄平】




 鉄平の父はバイク屋を営んでいた。

 家の真下に店があり工場があり、父親は毎日そこで働いていた。

 学校から帰ってくると手を真っ黒に汚した父が、手を振って迎えてくれる。

 それが鉄平の日常だった。


「鉄平、今日学校から帰ってきたらウィンカースイッチの取り換え方を教えてやる」


 鉄平の父はごく偶にこういうことを言う。

 だが鉄平はバイクに興味がない。

 鉄平の趣味はアニメとゲームだ。学校ではいつも本を読んでいる。

 それを知っているからか、鉄平の父は偶にしか声をかけない。


 鉄平は気のない返事をした。

 どうせ教えてもらわないし、父親もどうせ教えない。

 互いにわかっているのだ。この会話に意味がないことを。

 だが父はコミュニケーションの一環として、そういった言葉をときおりなげかける。

 仲が悪いわけではない。趣味が合わないだけだ。

 あまり喋らないインドアな鉄平。

 若い頃からバイク好きだった活発な父。

 この2人の会話はいつも希薄だった。


「鉄平、カバンにお弁当入れておいたからね」

「うん……」


 母親に対しても暗い返事の鉄平。

 気にするものはいない。

 悪気があるわけではなく、性格の問題だからだ。


 鉄平は支度を済ませると、自転車にまたがり学校へと向かう。

 これが鉄平の日常だった。



 下駄箱の前で顔を合わせた3人は、適当に声を掛け合い、アニメの話をしながら教室へ向かう。

 2階へ辿り着き、しばらく廊下を進むと教室が見えてくる。

 正面より日高政宗の姿が見えた。

 3人は小泉を中心に、こそこそとニヤつきながら何かを耳打ちしあう。


 通り過ぎる時、明と武の肩に政宗の両肩が当たった。


「痛っ!」


 大袈裟に声を出す明。

 普通に歩いていれば、偶然にもそんなぶつかり方をすることは普通ない。

 もちろん、これはわざとだ。

 明と武は、政宗を挟み撃ちにする形で肩にぶつかった。


 政宗は尻餅をついた。

 その様子を見降ろし、ニヤニヤと笑みを浮かべる2人。

 鉄平は無愛想な表情で誰にもわからないくらいの笑みを浮かべていた。


「あれ、日高じゃないか。やけにしみったれているからか気づかなかったよ」


 この頃の政宗は日々のいじめに疲れ、もはや生きてすらいない。

 尻餅をついた程度では表情を変えないほどだ。

 痛みに対して反応が薄いのがその証拠だった。

 そんな政宗が、校舎の屋上から飛び降り自殺をしたのはこの日だった。


「……ごめん」


 死んだ魚のような目をした政宗。


「気持ち悪いなあ、そんな目で僕をみないでくれよ」

「ごめん……」


 小さく謝りと立ち上がり、政宗は去って行った。


「ハッハッ! 相変わらずの元気のなさだったね。また佐伯に何かされたのかなあ」

「さあ、どうなんだろう。あいつ全然喋らないし、何を考えてるのかわからないんだよなあ」


 武は首を傾げた。


「僕は興味ないなあ、楽しけりゃいいよ」


 ブツブツと答える鉄平。


「何をしても怒らないから面白いよね。佐伯が構う訳が最近になって分かったよ。要はサンドバックなのさ。鬱憤をぶつけるためのね」


 明は「上手い例えだろ?」とニヤついた。


「そんなことより教室に行こう。一時間目は体育だろ、早く着替えないとマズい」


 3人は急ぎ足で、教室へと向かった。



 3人はいつも一緒にいた。

 アニメやゲームの話で盛り上がりながら、その合間に政宗を虐めるのだ。

 佐伯ほど酷いものではないが軽いものでもない。

 そこには確かな悪意があった。

 つまり、政宗の傷ついた姿を見るのが好きだったわけだ。

 政宗は手を出さない。

 3人は、いつも政宗で遊んでいた。

 すれ違った時は必ずと言っていいほど何か良からぬことをした。


 昼のチャイムが校舎に鳴り響いた。

 いつものことだ。

 政宗は佐伯にパシリらされる。

 そこに河内が登場し、佐伯をとがめる。

 ついでに「何故言い返さないのか?」と政宗もとがめる河内。

 その様子をニヤニヤしながら眺める3人。

 明たちは愉快でならなかった。


 しばらくして政宗は教室を出て行った。

 明たちは出て行った政宗のことなど忘れて、楽しくアニメの話をしながら昼食を食べようと机をくっつけた。


 政宗が、屋上から飛び降り自殺を計ることも知らずに。


 だがその数分後、教室をあの光が包む。

 それは勇者召喚の光だ。

 3人は異世界召喚に巻き込まれ、バノーム大陸にあるグレイベルク王国へと召喚された。



 もう小泉が、妹の沙耶に会うことはない。

 また沙耶も、大好きな兄に二度と会うことはないだろう。


 この日、沙耶は両親の帰りと兄の帰りを待ちながら、冷蔵庫にある晩御飯を一人で食べることになるだろう。

 だがそれは始まりに過ぎない。

 沙耶はこれからずっと一人なのだ。もう兄は戻ってこないのだから。


 橘武も例外ではない。

 母親は家でハンバーグを作って待っていたことだろう。


 その夜、テーブルには手つかずの状態で、ラップのかかったハンバーグが置かれていた。

 もうその席に武が座ることはない。

 置かれたフォークとナイフを武が手にすることはないだろう。

 武が母親のハンバーグや手料理を食べることは、もう二度とない。


 鉄平も同様だ。

 鉄平が、手をススと油で黒く汚した父親に迎えられることはもうない。


 その日。

 鉄平の父は、いつもなら帰ってきてもおかしくないはずだと首を傾げながら、少し心配そうにその道の先を眺めていた。

 だがそこに、鉄平が現れることはない。

 父が鉄平にバイクのことについて語りかけることはもう二度とないだろう。

 鉄平と父が朝食を囲むことはもうないだろう。

 鉄平がウィンカースイッチの取り換え方を、父に教わることはもうないだろう。


小泉明、橘武、田所鉄平。

3人はこうして世界から姿を消した。



 錆びれた表札に、擦れた字で「小泉」とある。

 玄関を開けると、最初に見えるのは薄暗い廊下と階段だ。

 小窓はすべて、ガムテープで密封されていた。

 左手の扉を開けるとリビングがあった。


――『例えば集団パニック。ということは考えられないでしょうか?』



 零れるテレビ音。



――『どうでしょう、可能性はあるかもしれませんが……』



 締め切った状態の窓とカーテン。



――『この年頃の多くは、集団パニックを起こしやすい傾向にありますから』



 連日、立て続けにインターホンを鳴らし、家の前に張り込む報道陣。



――『当初は誘拐が濃厚でしたけど、防犯カメラには何も映っていなかったわけでしょ?』


 病んでしまった母親。

 娘は部屋から出てこない。

 扉の前には冷めたおかず、茶碗の中には硬くなった米。


――『そもそも21名もの生徒を同時に誘拐するなんて、簡単なことじゃないですよ。組織ぐるみでやらないと無理です。ネットでは自主的に失踪したんじゃないかという声もありますが、いずれにしろ誰かが姿を見ているはずなんですよ。でも誰も見ていない。防犯カメラも見ていない。防犯カメラは建物の中には設置されていませんから、となると、おそらく彼らはまだ校舎の中にいるんじゃないですかねえ』


 テーブルの上にたまったビールの空き缶。

 放置されたゴミ袋。


――『今も現場検証が続いているわけですよねえ、警察もその線で捜査してるんじゃないですか』


 夕日で紅く染まる暖色のカーテン。


――『つまり失踪自体がなかったと?』


 カラスの鳴き声。


――『それ以外には考えられませんねえ。近隣にもコンビニとか、いくつかカメラはあったわけですから。いずれも映っていないとなると、生徒たちは動いていないということになります』


 薄暗い部屋。

 カビのよどんだ空気と、生ゴミによる悪臭。


――『連日放送しています。立山東第二高校生徒集団失踪事件ですが、未だ生徒たちの行方は分かっていません』


 茜色の空を遮るカラスの鳴き声を、出待ち待機の記者が見上げた。

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