第286話 終幕と損失
地面にイグノータスの首が落ちる。
血の跡が追い、転がる首が止まった。
「兄者…………兄者ぁあ!」
ビシャスは悲鳴を上げた。
フェルゼンは戸惑い身動きができない。
一連の光景を横目にウラノスは黒い大剣構え、カリファへ素早く距離を詰めると振り下ろした。
「膨大な魔力だ。レベル差を感じる。お主、何者だ?」
「あなた、アドルフの部下? ウラノスということは、あなたが皇帝ね? なんでそんな人とアドルフいが……」
「答えぬか」
――連撃。
ウラノスはその長く大きな漆黒の剣を軽々と振り抜く。
カリファは両手の球体でいなした。
その様子からは平然とした面持ちが窺える。
カリファにとって、ウラノスは脅威ではなかった。
「あれはあなたの息子?」
「ニトの部下にはお主のような者がまだおるのか」
「……私はカリファ。部下ではないわ。ただ、アドルフを止めに来ただけよ」
「なんだと……」
ウラノスは眉をしかめる。
それがあの伝説の冒険者、妖艶のカリファだと分かったからだ。
「道理で……」
「そう。私を知ってるのね。ということは、やっぱり……」
「ラインハルトよ! さっさとその者らを殺してしまえ、こ奴は我一人では堪え――――ぐはっ!」
カリファの正拳突きが不意をつき、ウラノスは後方へ飛ばされてしまった。
だが息子たちに案じる表情はない。
「ジェイド! これは僕が貰ったよ!」
ラージュは動揺しているビシャスへと距離を詰める。
楽しそうな表情だ。
すぐさま戦闘が始まり、未だ動揺が収まらぬままビシャスはラージュの足技を受け流した。
「一人一体だ! 手ぇ出すんじゃねえぞ!」
ジェイドがフェルゼンへと迫る。
「馬鹿な……このようなところで……兄上が……」
フェルゼンは放心状態であった。
それは鼻水を垂らし泣きじゃくるビシャス以上であり、心ここにあらず。
だがジェイドは今だと言わんばかりに最大級の魔法を詠唱する。
「――《
それは右手を剣のように伸ばし、構え、そして繰り出される技だった。
手刀には微量の炎が纏い、線香花火のように表面に火の粉が散っている。
突き刺した瞬間、勢いある炎で敵の内部を焼き切る魔法だが――」
「――《
背後にふとカリファが現れたかと思うと、ジェイドの右手にあった炎が突然に消える。
何の前触れもなく消えたことで、足を止めジェイドは「はあ?」と戸惑った。
「俺の……魔力が……」
絶縁魔法により切り離され、ジェイドは魔力を失っていた。
「――ラインハルト!」
部屋の隅で背中から倒れるウラノスの声が聞こえた。
ラインハルトは反応し。
「ジェイドを!――」
すぐに助けに入ろうと、ジェイドを振り向いた直後――
――カリファがジェイドの肩にそっと手を触れていた。
「…………ジェイド」
目は虚ろになり、体が前のめりに倒れると共に、ゆっくりと瞼も落ちる。
その場に倒れ、ジェイドは死んだ。
「肉体から存在を切り離したわ。すぐに存在も消えてわ絶命する」
横たわる弟に瞳が揺らぎ、スイッチが入ったかのようにラインハルトの目つきが変わった。
素早くカリファへと駆け出し――「《
「それはアダムスの!?……」
カリファは詠唱の呪文に戸惑いつつ、直ぐに自身の全身へ《
「よせラインハルト! 奴にその魔法は効かぬ!」
一心不乱に迫るラインハルトをウラノスは止めた。
が手遅れであり――
「……なんだ、これは」
手がカリファの肩に触れた瞬間、ラインハルトの魔法は消えた。
魔力を切り離されてしまったのだ。
直後、戸惑うラインハルトの体が大きく左へ持っていかれた。
「そうはさせぬ!」
ウラノスは風属性の魔法を用いてラインハルトを避難させた。
すぐさまカリファの目前へと現れ、大剣を振り下ろそうとするが――。
「なっ!」
――カリファの手が添えられた瞬間、大剣は触れた部分から蒸発するように消えた。
「くっ、ビクトリアの魔法を乱用しよって……」
「アダムスの魔法よ?」
そう言ったカリファの手がウラノスへと伸びる。
その時、2人の隣に黒い渦が現れた。
「――カリファ、久しぶり」
「……」
カリファは目を丸くし、その手を止めた。
傍にアドルフの姿があったからだ。
だが直後、現れたアドルフとウラノスが何者かによって大きく蹴飛ばされる。
「上手く潜り込んだみたいですね」
それは政宗だった。
カリファの無事な様子に軽い笑みを浮かべる政宗だったが、ある事に気づき表情は変わった。
政宗はイグノータスの首と首のない体を見たのだ。
傍では泣きじゃくるビシャスとラージュが戦闘を繰り広げていた。
「イグノータス……」政宗は落胆した。
「ニト……」傍にいたフェルゼンが。「なぜ、兄上を守ってくださらなかったのですか……」
「フェルゼン……」
「兄上は、もう……」
「…………ああ。もう、死んでる。救えない」
フェルゼンの瞳から涙が溢れた。
顔色を窺うとカリファは首を横に振った。
もう救えないということだ。
政宗は再度、ビシャスと戦闘を繰り広げているラージュを見る。
すると不意にラージュが動きを止めた。
政宗のスキル《念動力》だ。
ラージュは表情を力ませ硬直したように動かない。
「ビシャス、戻ってこい」
政宗に言われ情けない表情のまま素早くフェルゼンの隣へ合流するビシャス。
「ぐすっ……あ、兄者が……あっ、兄者ぁあああああああ!」
「……」政宗は泣き叫ぶことを責めなかった。
一方、ラインハルトは生気を失ったジェイドの頬に、そっと触れた。
「ジェイド……」
「ラインハルト、貴様、何をしていた……」咎めるウラノス。
「……」
「無駄よ」とカリファ。「存在との縁を切ったから、もうその体に意識はないわ」
「カリファ、何てことを……」悲しそうな表情で見つめるアドルフ。
「……全部、聞いたわ」
「何が?」とアドルフ。
「あなたがカゲトラを殺したこと……ゼファーを殺したこと。私たちを引き裂いたこと……」
「――――――――引き裂いたのはゼファーだぁああ!」
アドルフの怒号が薄暗い部屋に響いた。
政宗は眉をひそめ初めて見る荒々しい様子のアドルフに、薄ら笑いを浮かべる。
「アドルフ……」カリファの声が少し同情的なものになる。
「奴が! 僕らを旅に同行させなければ、誰も!…………」
怒鳴るように語るアドルフ。
「……父や母は死なずに済んだ」
とその一言からまた冷静な口調に戻る。
「だからカゲトラを殺したって言うの? でもあなたに殺せるはずない。だってカゲトラは――」
「確かにカゲトラは最強だった。でもね、死なない体ではなかったんだよ。終焉の魔法とやらをどこまで使いこなしていたかは分からないけど、つまりカゲトラは最強ではなかったんだ。どうやって殺したか聞きたいかい?」
「……やめて」
アドルフの暗い目つきと片方の口角だけを上げた陰湿な笑みに、カリファの中にあったかつての優しかったアドルフが消えていく。
「あなたは優しい人よ……いつも気が弱そうで、けど、それでもいつも皆を助けて……」
「優しい?……違うよ。それは単にカリファ、君にとって都合のいいアドルフだっただけだ」
「違う!」
「君はね、僕が優しい優しいアドルフでないと気が済まないんだ。周囲の他人と同じさ、誰もが皆――『主観的価値観を押し付けたがる』」
政宗とアドルフの声が、重なった。
アドルフはまた薄っすらと目で笑った。
「ニト?……」
「カリファさん、もうこいつに何かを望むのはやめた方がいいですよ」
「カリファ、覚えてるかい?」
「え」
「かつてこの近くにはまだ国すら持っていなかった頃のアルテミアス家が住んでいた。僕はね、カゲトラの力は認めていたんだよ、一応ね」
「何の話?」
「ゼファーには別れ際に話皆したんだけど。僕はね、彼らに反魔法の簡素なナイフを作らせたんだよ」
「待って。まさかそれで…………殺したの?」
「見事な工夫だろ? だって彼は勇者だから、そんなことで死ぬはずがないんだよ。たかだかこのくらいの長さのナイフで刺したくらいで、死ぬはずがない。でもね、グィネヴィアに見惚れていた彼の背中から心臓に向けてナイフを差し込んだ後、彼はね、反魔法の影響から何の処置もできなくなってしまったんだ」
「反魔法……アルテミアス?」
政宗は聞き覚えのある言葉に自身の記憶を探っていた。
「それが真実だ」
「じゃあ……グレイベルクのグィネヴィアは……」とカリファ。
「もうそこまでは分かってるんだ。そうさ、僕らは最初からグルだった。いや違う。グィネヴィアは最初からカゲトラのことなんて好きじゃなかったんだ。ただカゲトラを利用していただけだった。僕らは当時有名人で、特にカゲトラは龍の心臓の看板だったから、直ぐに気づいたって言っていたよ」
「なんのため……なんのために、そんなこと」
「だからゼファーのせいだって言ったろ。後は本人に聞くことだ。もう僕には関係ない。ほら、あげるよ、欲しいのはこれだろ」
何をしたのか、すると祭壇に浮かび上がるゼファーの肉体。
「思い出の品にと大事に取っておいたんだ。彼は僕から最愛と親友と、そして家族を奪った。だから殺した。そして深淵に落ちたんだ。英雄としてはいい終わり方だった、そう思わないいかい?」
「深淵に落ちた?」
そこで政宗が口を挿む。
「落ちたとはどういう意味だ? 何故ファーはプレイアデスなんて場所にいる」
「……ゼファーが言っていたのか?」
「ああ」
「そうか…………。肉体のない存在が
「は?」
「ウラノスから聞いた話だけどね。僕はゼファーの時の一度しか知らない」
「……もういい。肉体は貰っていく、これで終わりだ」
いつの間に。とカリファは驚いた。
祭壇から肉体が消え、政宗は異空間収納にゼファーをしまった。
「ふ、言ってくれればあげたのに。そしたら彼が死ぬこともなかった」
「結果論だ、お前はただでは渡さなかった」
「代わりにカリファを置いて行けよ。彼女は僕の仲間だ」
「もう望まれてないんだよ、お前なんて。いい加減気づけ」
アドルフは確かめるようにカリファの表情を窺った。
優しく微笑み、無言のままその真意を確かめた。
だがカリファは俯き目を逸らす。
「そう……じゃあ仕方ないね。ねえカリファ?」
「……」カリファは顔をあげない。
「すべてを失った僕は、これから何のために、この長すぎる寿命を使えばいいのかなあ」
「……アドルフ」
「もう知り合いなんて君しかいない。グィネヴィアもね、聞くところによるとあの時、今の僕と同じ状況だったんだ」
「フェルゼン、イグノータスの遺体を回収しろ」
ダンジョンの渦を出し、撤収を告げる政宗。
「帰る前にラインハルトの魔力を戻してくれないかなあ」
政宗を窺いつつ、アドルフはカリファに問いかけた。
「これが、今のあなたの支え?」
「違うよ」
「じゃあ……」
「僕に支えなんてもう無い。やっぱり分かってないんだね、君は理解者じゃなかった」
「……」
絶った縁を戻し、カリファはラインハルトの魔力を元に戻した。
だが存在は戻らず、ジェイドは生き返らない。
遺体を回収したことで用が済んだ政宗たちは、その後、渦を通りシグマデウスから去る。
互いに一人仲間を失ったことで、今回の争いはひとまず終わりを迎えた。
※
「ゼファーが帰ってくる……」
政宗らが去った後、祭壇にて。
アドルフは喜びを噛みしめるようにそう言った。
ラインハルトはジェイドを抱え、瞳を閉じたその表情を見つめる。
ウラノスとラージュもそっとジェイドに触れ、突然の別れを惜しみ合った。
「ウラノス、ゼファーが帰って来るまでに数年かかる。それまで戦争はお預けだ」
「冥王様……息子が……息子が死にました。なぜ、このような結果に……」
「……カリファが躊躇い知らずだということを忘れていたよ」
「それだけですか?」背中を向けたまま、ウラノスは声のトーンを落とす。
「……何がだ?」
「息子が死んだと言っているのです!」
躊躇いつつも、声を張り上げた。
「私の息子が……ガイアの……私たちの息子が」
ウラノスはその場に両膝をついた。
アドルフはその様子を横目で見下ろす。
「情けないな、ウラノス」
「……」ウラノスは見えない角度からアドルフを睨んだ。
「僕に怒っているのか? では僕を殺すか?」
「……………………いえ」
「そうだろ。君は……僕らはまだ死ねない。そうだろラインハルト?」
「ですがこれはミスだ。アドルフ様の傲慢さが招いた結果だ」
「言うようになったじゃないか。君の成長が一番の成果かもしれないね。ガイアが死んだ後、君はほとんど何も話さない暗い少年になった。目つきも悪かった」
「……」ラインハルトは返答しなかった。
「ウラノス。でも僕らが共にここにいるのはそのためだろ」
ウラノスは正座の状態で地面を見つめた。
そして言葉を返さず、じっとしている。
「今は時間が必要か。でもまた会えるさ。ジェイドだけじゃない、ガイアにだって。そのためには僕らはもう悲しんではいられない。そうだろ?」
「……はい」とウラノス
「遺体は祭壇で大切に保管しておこう。いつか来るその時まで」
ジェイドの顔を見下ろすラインハルトの表情は悲しく、悔しさも垣間見えた。
「いつか必ず……」
ラインハルトは誓いを立てるように、腕の中で眠るジェイドへ呟いた。
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