第284話 侵攻
ダンジョン内の獣王領は、勿論、ネムの伯母に当たるミネルヴァさんが取り仕切っている。
家臣である犬族のカユウさんの姿もあり、帝国から救い出した白猫族の子供たちの姿もあった。
だが一人は救えなかった。
「ニト殿、そのような顔をしてくれるな。そなたのせいではない」
「……俺のせいです。これは……俺のせい。ネムに申し訳ない。また一人、ネムの家族を救えなかったんですから」
王座の広間は談話室の様に作り替えていた。
以前の様にするつもりはなく、憩いの場にしたいと、ミネルヴァさんから要望があったのだ。
「遺体は一先ず、ダンジョンへ埋葬してください」
「……ニト殿。ネムは、元気にしているか?」
「……はい。今は魔国にいます。トアと、スーフィリアと、一緒に」
「スーフィリアとはアルテミアスの王女のことか」
「……」俺は思わず顔をあげた。
「やはりそうか」
「知ってたんですか」
「彼女がまだ幼い頃、一度会ったことがある。顔を覚えるのは得意な方でな、面影があったのだ」
「そうですか……。ネムは今、剣の訓練をしていますよ」
「訓練か……そうか。そういえば、猫拳の伝授がまだ途中だった。いずれ、ネムに教えてやりたいものだ」
「ウラノスを殺せば可能です。いえ、それまで待たなくとも、ここに連れてくることはでいます」
「だが、慈者の血脈については話していないのであろう?」
「……はい。色々と、複雑でして」
「話はエルフェリーゼ卿から伺った。種族を迫害する人間を、殺すと」
「……はい」
「迷っておるのか」
「え?」
「迷っておるのだな。だから言葉が遅れる」
「……いえ。迷いはありません。ただ――」
「ただ?」
「……いえ。迷っているのかもしれませんね。胸を張って言えることでないのは確かです。きっと、トアは受け入れてはくれない。軽蔑するはずです」
「獣人の王としては、獣族を守ってくれるだけで十分だ。なぜ人間を殺す必要があるのか、私にも理解できない。エルフェリーゼ卿はニト殿に聞けと」
「……」俺は答えられなかった。
「答えたくないか?」
「はい。極めて私情的な理由で……。ただ、この世界のためには、間違いなくなります。なるはずです」
「だがまだ信じ切れていない。そうだな?」
「それよりも人間の方が信じ切れません。という、だけの事です。ただ、ネムの見たアノール・フェリアは作ってあげたい、とは思います。ネムの父親が人間だったことも理解しています。俺は何も人間を無差別に殺すなんて言ってないんです。見分ける方法は持ってます。それで選別するだけです」
「深淵というものは得体が知れない。ニト殿自身、まだ自分の言葉で説明できない部分もあるように思う。となれば、やはり信じるとまではいかない。なぜ見分けられるか。その影の正体も分かっていないのであろう?」
そこで俺はソファーを立った。
「時間です。もう行きます。この続きは帰ってからにしましょう」
「ニト殿」
「……」
「あまり一人で背負い込むな。ニト殿にはこれだけの仲間がいるのだろう」
「…………ですね」
俺は広間を後にした。
※
ダンジョンを一つ
その先には冥国シグマデウスの姿が見える。
「これほどの潤った国を築きながら、なぜ人知れずここにあり続けているのか」
シグマデウスの印象は、花の都と言っておこう。
オアシスに建設された色鮮やかな国だった。
建造物はバロック調。中世的な風景。
「遅かったな」
「待ちくたびれたポロン」
「最高指導者とは、やりたい放題ですな!」
呆れた視線を送ってやった。
「お前たちを生かしたこと、激しく後悔してるよ」
「……そう言うな。頼まれたことはちゃんとやってやる」
「当たり前だ。イグノータス……。お前らの帰る場所はもう慈者の血脈だけだ」
俺は――――彼らを殺せなかった。
ラグパロスの広間で対峙した時、侵蝕は3人を侵さないと、俺はそれを初めから分かっていた。
あの刹那、俺は殺さず、ダンジョンへと飛ばしたのだ。
ルシウスさんはもちろん知らない。
「ニト、作戦は」とカリファさんが痺れを切らす。
「簡単に説明します。と言ってもそれほど作戦はありません。目的はゼファーの体です。この国どこかにある」
「私たち4人で探すのね」
「そうです。俺は行けません」
深淵同士は感知してしまうからだ。
ここより防壁に近づけば、俺は一瞬でアドルフの居場所を理解するだろうが、それはあちらも同じ。
「俺はできるだけ町の中心部には入りません。俺がやるのは
「それで、場所はどこにあるの?」
「分かりません。ゼファーは知っていながら場所はいいませんでした」
「……どう思ってるの? そこにも何かしらの意味があるとか?」
「ただ言えなかっただけか、大して複雑な場所にないからなのか……分かりませんが、まあ、探すしかないですね」
「おいおい、お前らはっきりしてくれよ。てめえ仮にもこの組織の最高指導者だろ。俺たちは未知の国に乗り込むんだぞ。話ではあのウラノスはがいる上に、てめえみたいなのがさらに一人いやがんだろ。物の居場所も分からねえで探すだと? さすがに無理があんだろ」
イグノータスの言い分は一理ある。
だが仕方がない。
「無理でもやってもらう」
「はなから作戦なんてねえんだろ。あのエルフェリーゼとかいう奴は考えてくれなかったのか、総合演出なんだろ?」
「彼はただのデザイナー兼プロヂューサーだ」
「デザ……なんだって? 分かるように話せよ」
「作戦は全員での話し合いか、そうでなければ毎回俺が考えてる」
「おいおい、嘘だろ。よくそれでやってこれたな」
「今回もそれでいく。もう愚痴愚痴言うな。いずれにしろやってもらうんだからなあ」
「じゃあなんだ、めぼしい場所って言やあ、城か?」
「可能性は高い」
「ニトより兄者の方が信用できるポロン」
「まったくですな! 国盗りが何か全く理解していない事実!」
「国盗りじゃない、ただの捜索だ。それと窃盗。ほら、もう入れ、お前らうるさいから」
ダンジョンの渦を出してやった。
出口はシグマデウスの路地裏だ。
渦の中はダンジョンを経由しているため、俺の深淵はこのやり方では外に漏れない。
その証拠に、出口は国の中に続いているはずだが、俺の方もアドルフの深淵は感知できてない。
イグノータス、ヴィシャス、フェルゼンが進み。
「常に指輪は装着しといてください。あと、あいつらにも言っといてください」
「分かったわ」
「バレた場合は作戦を変更して、俺もカリファさんのいる地点に転移しますから」
軽く頷き、カリファさんも渦へと消えた。
と、俺にはここからやることがある。
国に絶望を与えるほどの混乱を、今から披露しなくてはならないのだ。
慈者の血脈の襲撃だと、一瞬で分からせる必要がある。
「召喚魔法と、それから柑橘の類をすべて出し切るか」
やることは定まった。
「召喚魔法――《
青い空が一瞬で灰色に染まり、ぐつぐつと煮えたぎるような黒い影が平地に現れる。
影は横に広がると、闇から這い出るように、鎧を纏うミイラの騎士――その大群が出現した。
「《
さらに影を増殖。
範囲を拡大し――。
「《
地表に這っていた影は上空への伸び上がり、煮えたぎるような二つの影が現れる。
まるで二つの塔だ。
と、王と女王――二体の巨人が姿を現した。
グレートソードを携えるさび付いた鎧の王。
荒んだドレスと軽装の鎧を纏う女王は、冷気を帯びたステッキを手に――。
「進軍せよ!」
軍勢と二つの巨塔が駆け出し、平地に砂ぼこりが舞った。
大地が揺れ動き、シグマデウスの防壁に向かって一直線――。
と、そこで、進行方向の地面より、白い水の壁が突然に築かれた。
「……来たか」
思ったよりは早かった。
どのタイミングでかは分からないが、おそらく深淵を感知されてしまったのだ。
「アドルフめ」同じく奴の深淵を感じた。
「来るのが早すぎないか」
突如、背後で声が聞こえ――。
俺の《執行者の斧》と、奴の白い直剣が交わった。
丘の上に衝撃波が散る。
「深淵に扱いだけはお前の方が上だ。それだけは認めてやる」
「……ん。以前と少し違うね」
「これが本来の力だ――《
大斧を振りかざし、アドルフに一撃を入れる。
が、寸前で防がれるも。
「剣術なら俺の方が上だ。シャオーン直伝の技を披露してやる」
アドルフは大きく跳ね飛ばされ、丘の下へと落ちていく。
怠惰なの
見るとアドルフの背中にも黒い翼が二枚。
俺と同じ仕様のものだ。
「少し意外そうな顔をしているね。君だけが特別ではないんだよ」
嫌味を吐き捨て戦場へと逃げるアドルフの後を追った。
地上ではアドルフのものであろう、あの白い水が、俺の召喚した王族たちを洗い流すように無双している。
だが構う必要もない。
魔法である以上、そこに死はないのだ。
だからこそ俺のみで挑んでいる。
「一人でここに来るとは勇敢だ。そう言っておくよ」
「考えることは同じか。ウラノスもいるんだろ」
「いるよ」
「姿が見えないな」
「君ごときに彼の出る幕はない。僕一人で十分だ」
また刃と刃が交わる。
その度に衝撃波が広がる。
「それはグレイベルクの剣術だね、シャオーンがいつか見せてくれたことがある」
俺の刺突の構えに、アドルフは懐かしむ。
「ではこれはどうだ?――」
《神速》を発動。
素早くアドルフの頭上へ移動し――。
掌底の構えから、アドルフの後頭部に向けて右手を突き出した。
「ぐふっ!――」ギリギリで剣を盾にするアドルフ。
「
衝撃を逃がせず、ちじょうへと落下していくアドルフ。
大斧を突き立て、俺は全速力で後を追った。
地面に転がりながらも何とか体勢を立て直したアドルフ。
すかさず上空へ向けて周囲の白い水を放ってきた。
「全軍――アドルフを襲え!」
《
白みがかった水色の発光だ。
周囲に冷気が舞い、女王の足元から地を這い駆けるような冷気がアドルフへと迫る。
後には氷漬けの大地が広がっていた。
「深淵では殺れないと、分かっているだろ」
「ああ、もちろん」
殺す必要はない。
これは足止めでしかないから。
『カリファさん、ゼファーは見つかりましたか?』
『…………城に入ったわ』
上々だ!
「アドルフ。全能力をもって貴様を愚弄してやろう。あの日、私を殺し損ねたことが最大の失敗であり、今後も敗北し続ける貴様という愚かしさの根幹だ。その純情な脳みそに焼き付けろ」
「……純情だと」白い水の膜から覗くアドルフの鋭い眼光。
「片想いを引きずる弱いお前に、俺は殺せない」
アドルフのその表情に、怒りが絶頂を迎えていると悟った。
《感情感知》を使うほどもない。
「深淵の王はこの俺だけでいい。伝説の臆病者よ――」
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