第281話 心臓の実態

 カリファの表情が硬直した。


「アドルフ・シグマ。そう名乗っていました。総合的に分析した結果、シグマデウスを統治しているのはアドルフでしょう」

「ちょっと待って!……そんな、はずは……。だって、彼はこの何百年の間、一度も私の前に現れたことがないのよ?」

「酷く動揺してましたよ」

「え」

「カリファさんの名を出しただけで、アドルフは酷く動揺してました。そこで一瞬ですけど、ふと思いました。俺と同じ種類だと」

「同じ、種類? どういう意味?」

「いえ、気のせいかもしれません。ただ……まあ俺の話はいいとして。カリファさんのその表情からして、あなたはアドルフに気づいてなかったんですね」

「何が言いたいの?」

「カリファさんが彼に気づけなった程度には、皆さんのパーティーは実は上手くいっていなかったということです。その証拠にカゲトラさんは死んでいるそうですから」

「…………嘘よ」


 カリファは激しく後退るように席を立った。


「自分が殺したと、悪びれもせずにそう言ってました。カリファさんから聞いた話と様子がだいぶ違っていてびっくりしましたよ。もっと温厚な方だとばかり思ってました」

「そんな……アドルフにカゲトラが殺せるはずないわ。実力的にもカゲトラは私たちの中では最強だった。それにカゲトラはゼファーの弟よ」カリファの口調が強まる。「私たちは幼馴染で、同じ町の出身で……」

「だから。それだけ上手くいってなかったってことですよ」

「……でも。殺しただなんて」カリファは動揺を抑えることができなかった。

「他人は他人に都合のいい他人を求め押し付ける。理解の浅いうちから。人物像は主観的価値観です。カリファさんはそれだけアドルフを理解してなかったんでしょう」

「……あなたに何が分かるっていうのよ」カリファは鋭い視線をむけた。

「何も」

「……」眉をひそめた。

「ただアドルフは密かに」

「――やめて!」


 カリファはその先を言わせなかった。

 まるで政宗が何を言うのか分かっていたかのように。

 その様子に政宗は小さく笑った。


「なんだ、分かってたんじゃないですか。あなたも悪い人だなあ。だから龍の心臓は分裂したんですよ。まあ現時点で考えうる要因の一つに過ぎませんが」

「ここで話すことじゃないわ」

「もう言いません。あとは皆さんの問題です。いえ、あなた方3人の問題ですね。ところでカゲトラさんは確か勇者でしたよね。それも天属性の使える」

「……よく知ってるわね」


 収まりはついていない様子だが、苛立ちながらも返答するカリファ。


「カーペントから聞きました」

「……そう」

「アドルフはカゲトラさんよりも実力があったんですか」

「言ったでしょ。カゲトラは最強だったのよ」

「深淵よりも上だったんですか? カゲトラさんは深淵を有していないと聞きましたが」

「……え。どういうこと。何を言ってるの?」

「何って……」政宗は眉をひそめた。「つまりアドルフは俺と同様に深淵を使うわけですけど、それでもカゲトラさんの方が上だった。つまり天属性は深淵魔法を凌駕していたのかと、それを聞いてるんです」

「ちょっ、ちょっと待って。……アドルフが深淵を使うって、どういうこと? 彼は地属性魔法の使い手であって……」


 カリファから動揺が消え驚愕に変わった。

 政宗はその様子に思わずため息をつく。


「まったく、カリファさんは本当に何も知らなかったんですね」

「アドルフは深淵を使えるの?」

「はい。俺よりもはるかに手馴れていましたよ。深淵についても詳しいようでした。思うにそれはここ最近のことじゃない。当時からでしょうね」

「当時から? 私たちと旅をしていたころからだと言いたいの?」

「でないと辻褄の合わないことがあるんですよ」

「どういうこと」

「アドルフと手合わせして分かったことがあるんです」


 政宗は一度、ワインで喉を潤した。


「というのも、深淵は深淵を殺せないみたいなんですよ」


 カリファは疑問を浮かべた。


「アドルフは後半、一度も深淵を使いませんでした。奴はおかしな白い水を操るんですけど、あれがおそらく深淵だったんでしょう。何か欲深い意志を感じました。けど俺には通用しませんでした。結果的に触れても命が脅かされることはなかったんです。ただそれは向こうにとっても同様でした。俺の深淵はアドルフを殺せなかった。存在が半減していたとはいえ……まあその話はいいとして。奴は雑多なブロードソードに持ち替えてきたんです」

「……魔法はダメでも、剣なら殺せたから」カリファは紐解くように呟いた。

「そうです。そこで腑に落ちました」

「腑に落ちた?」

「自分以外の深淵なんて見たことがなかった。だからまさか、深淵が深淵を殺せないなんて、知るよしもなかった。ゼファーは教えてくれませんでしたからね。でも、2人は2人なりの方法で教えようとはしていたのかもしれません」

「……」また眉をひそめた。

「だからシャオーンは剣術を与えたんですよ。俺に」

「剣術?」

「必要になるものだと、そう言ってました。でも何で必要なのか、それについては何も教えてくれませんでした。ただ言えないと」

「アドルフに剣は届いたの?」

「はい。ちゃんと刺さりましたよ。たぶん深淵使いの間では共通の認識なんでしょうね。深淵では襲っても血が出るほどの傷にすらならない」

「そう……」物思いにふけるような表情。

「ゼファーやシャオーンは知ってたんでしょうね」

「え」

「深淵は深淵を感知できるんですよ。今の俺にはアドルフの深淵を感じ取ることができました」

「じゃあ、ゼファーは」

「知っていたはずです。ゼファーは存在を鎧に具現化するほどには、深淵に長けていましたからね」

「知らなかったのは、私だけ……」

「150年前、アドルフはカゲトラを殺した。おそらくゼファーも殺したんでしょう。だから体がない。深淵に染まった者は寿命を失います。存在が肥大して不老不死になりますからね。それから」

「シャオーンをダンジョンへ逃がした……そういうこと?」

「おそらく。ただ、その後ゼファーがどうなったのかは分かりません。どこにいるのかも」

「プレイアデスよ」

「なんですか」

「プレイアデス。彼はおそらく観察者に捕まっている」

「観察……誰ですかそれ」

「誰とかそういうことではないわ」

「アマデウス様。神話をご存知ありませんか」とエルフェリーゼ。

「ん、神話? なんだ、エルフェリーゼ卿は観察者を知っているのか?」

「もちろんです。それは古くから伝わる神話。まあ、およそおとぎ話程度のものですが」

「それがどうも、おとぎ話ではなかったらしいわ」

「……なるほど。なかなか興味深い話ですな」

「おい」と政宗。

「失礼しました。端的に申せば、観察者はとは大いなる存在です。我らのみならずこの世界そのものを見守っている。とされています」

「神様みたいなもんか」

「解釈は様々。プレイアデスとは観察者の庭です。我々生命はみなそこで生まれたとされています」

「胡散臭いからもういい。それで、ゼファーはいまそこにいるわけですか?」

「本人がそう言ってたわ。神話は嘘じゃなかったと」

「……そうですか。でもだとしたら、なんでそんなところにいるんですかね。そういえば、ゼファーとシャオーンは牢獄だとか言ってましたけど」

「ええ、その話はあなたから聞いたわ。だから私も考えていたの。そして一つの答えに辿り着いた」

「なんですか」

「……深淵に落ちた者は自由を失う」


 政宗はしばらく、その言葉ついて考えた。時にワインを一口にのどを潤す。


「ゼファーは落ちたんですか?」少しだけ笑みを浮かべる政宗。”落ちた“という表現がツボに入ったらしい」

「真面目な話よ」

「はい。もちろんです。すいません」カリファはため息をつく。

「とにかく、それが私の答え。今のところは」

「深淵を愚弄した者の言葉なんてあてにしたくないですけど。使い慣れると染まる。意志に背くと呑まれる。ここまでは分かってます。じゃあ落ちるとは、何をすると落ちたことになるんですかね」

「……さあ。それは分からないわ。ゼファーに聞かないと」

「神様的な奴に捕まるくらいだし、なにか悪いことでもしたのか……。そういえば何故かオリバーも捕まってるんだよなあ」自問自答した。

「分からないことは考えても仕方がないわ。それより、わざわざ私を呼んだということは、あなたはシグマデウスに行くつもりなんでしょ?」

「近々。でも別にカリファさんを連れていこうとは――」

「私もいくわ」

「はあ……。まあ、別に構いませんけど。一応三人に調べさせました」小人三兄弟のことだ。「あとで簡単に説明させます。アリシア、襲撃日を占っといてくれ」

「分かりました」

「え、占い?」疑わしい表情を見せるカリファ。

「ただの日課ですよ。襲撃の決行日はアリシアに選んでもらうようにしてるんです」

「そう、なの。まさかあなたが占いに頼るとは思わなかったわ」

「アリシアに頼ってるだけです。運も必要ですから」

「今回はすいませんでした」頭を下げるアリシア。

「いや。アドルフを確認できたことは大いに役にたった。完全に天が見方してる」

「天は観察者を意味しますがな」とエルフェリーゼ。

「じゃあ観察者以外の天だ。まあ、ゼファーくらいにしとこう」


 緊迫した空気が包み込んだと思えば、突然に和気あいあいと茶化し始める者たち。

 カリファは無言のまま疑わしさを隠す。

 疑問には思っているが、なぜ政宗が慈者の血脈を束ねているのか、そこに触れようとはしなかった。

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