第277話 分離する化身

「そうですか。ルシウスさんは知ってるんですね」

「……魔的通信は魔国にも流通している」冷静さを保ちながら話すルシウス。「あの八岐の王を二人も殺した組織だ。知らぬはずもない。各地での不穏な動きも……今や慈者の血脈は国際手配されているほどだ」

「みたいですね。しばらく読んでなかったので知りませんでしたけど、今知りました」


 ルシウスはその言葉の意味をそれほど理解していない。分からず表情を変えた。


「口頭が伝達でしか情報の共有ができないんですよ。こんな風に元に戻れば別ですけどね。どうやら色々あったみたいですけど……いずれにしろ、俺の判断であることは間違いない」


 政宗はの言葉は自分に言い聞かせているようにも思えた。


 政宗はハイルクウェート在学中に橘武を殺した際、魔術 《結合カップリング》を手に入れた。

 これを反転し、のちに魔術 《分離する化身ドッペリンク》を習得したのだ。


「初めて会った日のことを覚えているか。私は君の中に怒りと闇をみた。それが君の深層にはあった。だが深層への停滞は不可能だ。他人の心を奥深くまで覗き見ることはできない。感情感知を使えてもだ。だから私は探りを入れた。だが君の表層は平然としていて……。だが、それでも一つだけ見えたものがあった。大量の生き物の死だ。感情感知とは時に共有に近い性質を見出す。ことがある。感じたのは匂いだ、人間の血の匂い。君に何があり何をしたのかはわからない。だが人間が殺していることは間違いないと感じた。それも深層に染みつくほどの数だ。だから言った……トアもいずれ気づくと」

「……そうでした。そういえばそんなことを言ってましたね」

「今では君が取り除いたことでもうトアのなかにはいないが、《支配》の人格は既に気づいていたはずだ。あれはそういった感情に敏感だ」

「待ってください……それは」

「そうだ。人格が外に出ている時、うちに引っ込められた本体の人格は視界や感覚を共有している。いずれにしろ、トアもいずれは気づく」


 政宗の感情があらぶった。怒りではない。焦りだ。

 政宗にとって、アンク・アマデウスは知られたくないものだった。


「そうか。君はトアに隠していたかったんだな」

「今更」

「もちろんそう思ってたさ。あの時から。おそらく気づかれたくないんだろうと。だから忠告しただろ」

「俺は……」

「トアにはできるだけ感情感知を向けないようにしているんだろ?」

「……はい」

「私もそうだった。妻や娘には魔法やスキルは使わないようにしている。だから君のそのもろい価値観も、少しだが分かる」

「今、トアは気づいてるんですか?」

「見てはいない。それはもちろんのことだろ? トアは知らないよ。ただ、なんとなく気づくんだ。《支配》は罪悪感に襲われたりしない。だから君の闇にも肯定的だ。だからすぐに気づいた。だがトアは違う。君を善人だと信じている。だから闇を見てもすぐには信じない。そんなこと考えてしまう自分に罪悪感を抱くんだ」

「俺はどうすれば」

「深淵をこれ以上つかわないことだ。深淵は裏切りを生む。なぜだかね。ほら、もう既に君はトアを裏切った。トアはいまだに君を信じているよ。だが文献などによる“裏切り”とは、もっと大きなことを指しているに違いない。そうならないように、もう深淵は使わないことだ」

「ルシウスさんは深淵を知らないからそんなことが言えるんですよ」

「……ああ。知らない」

「使わないなんてことはできません。それは己の意志への否定だ。深淵に背くこと、それは奈落を意味する。俺は深淵に呑まれます。魔法を上手くコントロールできなくなる。それだけならまだいい。人格さえ歪んでしまう」

「今以上に歪むことがあると」

「俺が俺じゃなくなるんですよ」

「……なるほど」


 そこで政宗はヴェルを出した。

 黒い大杖に「喋る杖か」と頭の中で記述をなぞる。


「ヴェル、話せ」

『深淵に呑まれた者は敵と味方の区別もつかなくなり、深淵に見境がなくなる。意図せず深淵は他者を襲い、マスターはそれすら気づかなくなる。王の器を失うからだ。俺たち半身はそれを深淵の愚者と呼ぶ』

「いつか見た記述に似ている」とルシウス。

「アダムス・ラド・ポリーフィアも深淵使いらしいです」

「なんだと」

「噂です。かもしれないという程度。話半分で聞いてください」


 頷くルシウス。


「アダムスは半身の言葉を引用したんでしょう。半身は一部の記憶を共有するそうです」

「共有?」

「はい。ヴェルにはほんの少しですが、過去の深淵使いの情報が断片的に紛れ込んでいます。理屈は知りませんが、だから深淵に詳しい。ヴェル、俺が深淵を使わないように抑制したとして、そのあとどうなる」

『呑まれるぞ~』ヴェルはふざけておどすように言った。

「茶化してますけどヴェルは嘘は言ってない」

「嘘だとは思っていない」ルシウスは深刻そうに語った。

「……だから深淵を使わないなんてことは――」

「マサムネくん」ルシウスは言葉を遮った。「別に私が深く知ることはないんだ。それはあくまで君の問題だ。知ってどうにかなるなら私も協力しよう。だがものが深淵ではどうにもならない。私が君にいいたことは一つだ。トアを悲しませたら許さない」

「……」政宗は真顔で見つめた。

「今の君には大いにその可能性がある。姉を失いカサンドラを誤解で殺してしまい、さらに君は大虐殺者だ。私にバレてしまうようなものだ。いずれ人間も英雄ニトがアマデウスだと知るだろう。時間の問題だよ。そうなったとき君は追われ、だが悲しむのは君じゃない。トアだ」

「よくそんなことが言えますね」

「私は娘のことを考えているだけだ。傷つけたならすまない」

「傷つきはしませんよ」

「ならばなぜ苦しんでいる」

「は」

「終始、息切れしているようだ。私にはそう感じる。君はまだ、私になにか隠しているんじゃないか。そもそも人間を殺す意味がわからない。マサムネくん、目的はなんだ。なにがやりたい」


 政宗は直ぐには答えなかった。しばらく立ち止り、ときおり深呼吸し、考えていた。


「トアが……」政宗は切り出す。

「……なんだ。トアがどうした」


 ルシウスはその途切れた言葉にさえ、不穏なものを感じていた。感情感知ではなく勘だ。


「トアが死にます」

「…………なんだと」


 ルシウスはこれまでにないほどの動揺をみせた。

 目を見開き、そこには怒りも混ざっている。その奥には悲しみも見えた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る