第262話 多重人格
「それからトアは、ロザリアが呼んでいると言って、よくいなくなるようになった」
「はぁ……はぁ……」
政宗は肩を揺らし呼吸しながら、墓石の前に腰を下ろすルシウスへ目を向けていた。
「エレクトラと話し合い、トアを城から出さないようにもした。いつ何が起こるか分からないからと、エレクトラの提案で魔術や剣も学ばせた。だがそうでもしなければトアを守れなかった……湖の話題にさえ触れさせたくなかった。トアが町で暴走すれば、国民の命も危ない……これが、最善の選択だった」
「……リサさんは?」
政宗は呼吸を落ち着かせた。
「リサーナにはトアを監視させていたんだ。他のメイドには、私やエレクトラが外出する際のトアの身の回りの世話を任せていた。だがリサーナ以外の者には極力会話は控えるようにと命じていた。何が影響するか分からなかったからだ」
「……その間、お二人はどこへ?」
「カサンドラとイグノータスを見張っていた。その後カサンドラについては潔白であったことが分かったが、あいつだけは目を離す訳にはいかなかった」
「……なんで殺さなかったんですか」
政宗はポツリと呟いた。
「イグノータスを殺せば済む話じゃないですか? 奴はロザリアさんを殺したんですよ? トアだってこんなことにならずに済んだ……」
「君なら殺したか?」
「……どういう意味で聞いてるんですか?」
「深い意味はない。ただ素直に、そのままの意味で質問している。君なら、イグノータスを殺したか? 私の記憶を通して、君はこの国や魔族の歴史、事情について知ったはずだ。それでも君はイグノータスを殺すと言えるのか?」
「だかから何が言いたいんですか? 俺はトアのためなら殺しますよ?」
「トアのためか……ふっ、独善的な考えだ。少しは周りを見ようとしたらどうだ?」
「……」
「イグノータスを殺すなら、もちろん彼の弟であるビシャスやフェルゼンも殺すことになる。彼らも意志を同じくしているからだ。だが、そうなればラグパロスの血は滅ぶ。同時に、ロゼフ様と……最初の魔王が種族の隔たりなど気せず、人間と手を取り合ったという、その歴史の形が一つ消えてしまう。その意味が分かるか?」
「トアよりも大事なことですか?」
「……」
「トアよりも大事な話ではないですよね? 俺にとってはトアだけが大事なんです。だからトアが大切にしたいものは守りたい。湖や町や、この魔王城もそうです。庭園だってそうです。ロザリアさんとの思い出が残っているかもしれません。でも、ラグパロスはどうですかね?」
「……君は、一体何を言っているんだ?」
突然、政宗の言葉の意味を理解したように目を見開くルシウス。
動揺で瞳が少し揺らいでいる。
「私はイグノータスについて話しているんだ。あいつをどうすべきかという話をしているのであって、ラグパロスについての話ではない。君の言い方では、まるで……」
「そういう意味で言ったんですよ?」
そう話す政宗の瞳に表情はない。
「……」
ルシウスの表情は入り乱れていた。そして沈黙している。
少なくとも政宗の前では隠すことを止めたのだろう。
そして、政宗の言葉の真意を理解し、疑っていた。
「……“隔たりなど気にせず”なんて言ってますけど、結局、あなたは種族間の違いに重きをおいているじゃないですか? 種族の違うもの同士が手を取り合ったから、だから何だって言うんですか? そしたら素晴らしいってことになるんですか? 意味不明だ。俺にとっては魔族も獣人もエルフもドワーフも、みんな同じ生命です。隔たりがどうとか、そん問題じゃないんですよ。でも……人間は違いますよ?」
――政宗の両瞳が紅く光っている。
だが右目は染まり切ってはいないことを表していた。
「愚者の眼か……」
ルシウスは呟く。
「愚かなのは人間ですよ」
政宗の暗い声が聞こえた。
だがすぐに政宗は笑みを浮かべた。
そしてため息をつく。
ルシウスは「君も人間だろう」とは言わない。
その問が意味を持たないことを分かっているからだ。
「でも、これで腑に落ちました」
「……なにがだ?」
政宗は『《感情感知》で読み取れないのか?』とルシウスの表情を窺った。
「いえ、この国へ訪れた時から気になってたんですよ。なんでルシウスさんの表情は暗いのか……なんでエレクトラさんの表情は悲しそうなのか……いや、そういうことじゃなくて、なんというか、すべてが空虚なんですよ」
「空虚?」
「……ここはトアの故郷で、家で、皆さんは家族で、だから馴染み深いものであるはずだ。でもそれは全部、まるで空っぽであるみたいに中身を感じない……空虚。なんて言ったらいいのか分かりませんけど、他人同士なんじゃないかとさえ思う時があるくらいなんです。もちろん国が違えば文化も違うでしょうし、俺がただ理解できてないだけなのかもしれませんけど、まるでハリボテだ」
「……」
「その答えが分かりました。ロザリアさんを殺したのもトアを悲しませているのも、この国を空虚に変えたのも、すべて人間なんですね……」
「それは違う」
「違いませんよ。だってイグノータスは現に人間を恨んでいるじゃないんですか? もちろん、イグノータスが人間を恨んでいるのは、シャステインやウルズォーラの魔族に馬鹿にされたからだ……ですよね? 逆恨みに近い部分もある。でも諸悪の根源が人間であることの証明にはなる。人間とさえ交わらなければ、この歴史は存在してなかったかもしれない。仮にイグノータスが純血な魔族なら、この現状は生まれてません」
「また別の問題が起きていたかもしれないだろ? 物事とはそういうものだ」
「実体のない話なんてしても仕方がないですよ。ロゼフが人間とさえ関わっていなければ、イグノータスは生まれてません。つまりそういうことです」
「そういうことだからなんだと言うんだ! だから彼を殺すのか?」
「そこまでして庇う意味が分かりません。殺さない理由がありません」
「だが君は!……ラグパロスの……無関係な民まで殺そうとしているだろ!」
「無関係じゃないからですよ。イグノータスを殺しても、また次のイグノータスが現れます。元をどうにかする以外にありません」
二人の会話が止まった。
緩やかな風が吹き、ルシウスはおもむろに墓を見たが、墓標は何も語らず、また政宗と向き合うことになる。
「君に打ち明けた私のミスだ」
「放置し続けたルシウスさんのミスです」
「違う!」
また、会話が詰まる。
「両方は無理ですよ? イグノータスの意志は変えられない。それはルシウスさんが一番分かってるんじゃないですか? だから放置したんですよね? 解決できたなら、もうっとくに終わってるはずの話です。カサンドラが死ぬこともなかったかもしれない」
「殺したのは君だろ?」
「トアです」
ルシウスは初耳だと言わんばかりに驚いた。
「選ばせたのは俺です。でも選んだのはトアです。もちろん、それはもう一人のトアの話ですけど……そういえば、なんでトアはイグノータスではなく、カサンドラを恨んでるんですか?」
そこで政宗は思い出したように話を変えた。
「幼かったにしても記憶は残っているはずで、月日が経てばあれがイグノータスの仕業だったと分かるはずです」
「それは《支配》に利用されているからだ。最初に言っただろ、これは多重的な問題だと」
「聞きました」
「通常、《支配》により現れたもう一つの人格は、本体に味方しない。それはこのスキルが人格を二分するからだ。簡単に説明するなら、二分した人格は善と悪を意味する。善は当人の思う善行を成し、悪はそれに反することで本体を陥れようとする。それが本来の《支配》だ」
「本来の《支配》? つまりトアの場合は違うんですか?」
「見たはずだ。あの時、《支配》は明らかにトアを守っていた。トアの精神が壊れないように自分が守っているのだと、そう言っていた。だがそんなことはあり得ない。《支配》は常に頭の中で語り掛け、当人の思う悪へ陥れようとする。単純なものなんだよ。それに打ち勝ったものだけが、このスキルを支配できる。だからこそこれは《支配》と呼ばれる」
「つまり……え? どういうことですか?」
「どういうことだと思う?」
「答えは出てるんですよね? じゃあ教えてください」
「……トアの中には人格が三つある」
「……」
「厳密に言えばという話だ。今は二つ。どの時点で生まれたのかは分からないが、過去には三つあったのだと、私は仮説をたてた」
政宗はその話をすぐには呑み込めなかった。
だからしばらく黙りこみ、いつものように考えに耽った。
「これはあくまで仮説にすぎない。だが、君もこれからトアと長く過ごせば、あるいはその答えに辿り着くかもしれない。おそらくトアは、《支配》による人格の二分とは別に、もう一つ別の人格を生み出してしまったんだろう。幼少のトアは常にロザリアに憧れていた。慕っていた。ロザリアの言うことならなんでも聞いた。姉のようになりたかったのだろう。いつもロザリアのようになれるかと私たちに問うんだ。美しく優しい王女に……」
言葉を止めたルシウスへ問題の答えを求める政宗。
ルシウスはまだ自分の仮説に対し、確信を持っていなかった。
「トアはああ見えて利口だ。おそらくだが、トアはある時点で思い出したのだろう。つまり誰が姉を殺したのかも思い出した。ならば殺意が芽生えるのはごく自然なことだ。特にそれが愛していた者の死ともなれば避けようがない。誰しも一度は復讐を誓う。だが果たして、それは大好きだった姉の望む自分だろうか?――トアは自分にそう問いかけたはずだ。《支配》が表面化した時、トアはよく目の前の者を殺すことでロザリアが喜んでくれるという趣旨の話をする。逆説的に考えるなら……つまり、それは《支配》がそう言わせているということだ」
ルシウスはロザリアの墓石に手を添えた。
「姉の求める善の自分。イグノータスを殺すべきだとする自分。そして悪の人格――《支配》。トアの中でこの三つの人格が生まれ、《支配》は後にイグノータスを殺すべきだとする復讐の人格と混ざり合った。その結果、トアはカサンドラに殺意を抱き、殺せば姉が喜ぶなどという不本意なことを口にするようになったんだ」
「でも、イグノータスが殺したと知ってる訳ですよね? それが何でカサンドラを……」
「カサンドラに非がない訳ではない。だがそれよりも問題はイグノータスであり、カサンドラが断っていようと事は起こっただろう。だが何であろうと、あの場にカサンドラがいた事実は変わらない。そしてロザリアにとどめを刺したのはカサンドラだ。幼少のトアはロザリアの腕の中でカサンドラの姿をはっきりと見ていた。私はカサンドラとイグノータス、二人の記憶を《支配》で読み取ることによりそれを知った。月日が経ち、物心ついた時にはトアも問題はカサンドラではないと理解したはずだ。実際そうだったのだろう。だが幼少のトアは覚えている――姉を殺したのはカサンドラだ。その時、幼少のトアが抱いた感情がそのまま記憶となり、トラウマとなった。それは月日が経ち、理解しようとも消えない。《支配》は、トアの脆いその隙をついたんだ」
だからトアはカサンドラを恨むように支配されている。
多重的な問題。
紐解かれたトアの事情を政宗は知った。
だが表情は余計に曇っている。
まだ知る前の方が晴れ晴れとしていた。
「少し考えてみてほしい。私は放置していたかもしれないが、それは考える時間だった。今も答えはでていない。イグノータスを殺すということは種を滅ぼすことと同義だ。魔王として、どうすべきなのかが分からない。感情のままに動くのであれば……私はイグノータスも、その弟たちも殺す」
ルシウスにとっては簡単ではないのだろう。
政宗はそう理解しているが、あえて指摘するようなことはしなかった。
「ウラノスが帝国を築いた理由だってイグノータスかもしれない。ましてやロザリアさんを殺しトアを孤独にしたのはイグノータスだ。はっきり言って、殺さない理由がない。ルシウスさんが殺らないなら俺一人で殺ります」
「では君はトアに何と言うつもりだ? ラグパロスの魔族は一人残らず殺したからもう大丈夫だと、そう話すつもりか?」
「カサンドラを手違いで殺しておいてイグノータスを殺さない訳にはいかないんですよ」
「そんな話をしているんじゃない! それではトアの問題は解決しないと言ってるんだ!」
ルシウスは政宗の理解のなさに苛立っていた。
口調は強く、声を荒々しい。
「そもそも議論の余地なんてないですよ」
だが政宗は声は冷静だった。だが冷め切ったような視線だ。瞳は紅く禍々しい。
まるで静かな怒りを浮かべているようだ。
「じゃあどこにあるんですか? はっきり言ってリックマン一族を殺した時点でイグノータスが正気じゃないことくらい分かってたはずですよね? その時点で殺しておくべきだったんですよ。今殺したところで遅いくらいだ。魔族の歴史がどうとか繁殖力がどうとか、そんなことを言っていられた段階はもうとうに過ぎてるんです」
「トアが支配されたままでいいのか!」
ルシウスは問い質した。感情に任せて。
すると政宗はしばらく黙りこみ考えるそぶりを見せる。
それからゆっくりと口を開こうとしたが、そこで表情が微かに揺れた。
ルシウスは違和感を覚え、「なんだ?」と問う。
「じゃあ、トアも連れていきます」
政宗はその動揺にも似た
「なんだと?」
「トアであれ、もう一人のトアであれ、とりあえずその場に連れていってどうするのか決めさせるんです」
「……」
「大丈夫ですよ。ダンジョンの魔物より危険度は低いはずです」
「だが……」
「
「そのための選択だと?」
「トアが望むなら喜んで殺します。でも、トアは優しい魔族です……もし決められないというなら、その時は俺が代わりに判断します」
ルシウスはどう返答すべきか分からなかった。
これまで悩み続けてきたのだ。
直ぐに答えが出るはずもない。
「俺が戻るまでにどうするのか決めておいてください」
「ん? どこへ行くつもりだ?」
「少し急用が入っただけです。直ぐに戻ります」
「待て! トアはどうするんだ?」
この時、政宗の頭には念話によるジークからの救助要請が届いていた。
それが先ほどの《何か》の答えだ。
その後、ジークの頼みを引き受けた政宗は龍の心臓との決別という名の救助に向かい、慈者の血脈――アマデウスとの一騎打ちへ挑むことになる。
「心配しないでください。直ぐに戻りますから……あ。そういえばルシウスさんはカーペントをご存知ですよね?」
「カーペントだと?」
いきなり話が二転三転する政宗に、ルシウスは困惑していた。
「はい。実は、俺はあの黒龍が作ったよく分からない組織の一員なんですよ。今思えばどういう偶然だったのか、少し笑えてくる部分もありますけど、こっちの世界に来て間もないころ組織に勧誘されたんです。なんで引き受けたのか、今となっては微妙なところではあるんですけど……でも、そろそろデメリットは切り捨てていく必要があるみたいですね……用事を簡単に済ませたらすぐに戻ってきます」
「……つまり、グレイベルクは……君か?」
どうやらグレイベルクでの襲撃の件については、ルシウスの耳にも入っていたようだ。
「……」
だが政宗はルシウスの目を見るも、答えはしなかった。
「直ぐに、戻ってきますよ」
そして軽く微笑みかけ、答えぬままロザリアの墓石に背を向けると、ゆっくりと歩み始める。
「……もう、離れる訳にはいかないんだ」
最後の言葉は小さく、ルシウスへ届く前にそよ風にかき消された。
政宗はそう呟くと、ルシウスへの説明もないまま、数歩進んだところでダンジョンの渦を出した。
そして数秒立ち止ったが、やはり何も答えず、そのまま渦へと姿を消した。
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