第256話 人間の血、柵みたり

 この城の中にいる者は少数だ。


 エレクトラさんは基本的に自室にいる。

 廊下で見かけることもあるが、この城からはあまり出ていないようだ。


 リサさんの姿は見ない。城の中にもほとんど気配は感じない。

 トアに聞いていた話とは違ったが、もうそこに疑問も持たなくなっていた。

 リサさんはおそらくこの国の防衛に務めているのだろう。


 そしてルシウスさんだが、この人も同じだ。書斎にこもりっきり。

 トアには町へ遊びに行けなどと言っておきながら、城にこもり続けている。


 そんなトアだが、毎日のように姉であるロザリアさんの帰りを確かめている。

 それに対するエレクトラさんの返答は相変わらずだ。中身などない。


 ネムはトアと遊んでいる。

 スーフィリアは書庫にこもりっきりだ。指輪の反応もあるので分かる。


 そして、俺の方はというと……俺も同じようなものだ。

 兎に角、ここへ来てからというもの何か頭がぱっとしない。

 トアにとってはもちろん良かったことだ。それは分かっている。

 だがどこかで来るべきではなかったのではないかと、意味不明な疑問を抱いている。


 そんなことを思いながら城の中を徘徊していると――


「マサムネくん、少し散歩でもしないか?」


「はい?」


「庭園だよ」


「別に、構いませんけど……」


 ――雲一つない晴れた空の下、またしても庭園横のひらけた部屋でルシウスさんに捕まってしまった。

 この人は偶に魔力を消す。

 傍にはいつもの世界鏡があった。


 俺は言われるがまま、なんとなく庭園へついて行った……。


「ここの生活には慣れたか?」


「まあ、はい」


 と言ってもまだここへ来て数日しか経っていない。

 花壇の間を通りながら庭園を歩く。


「スーフィリアさんはここ最近、どうやら書庫にいるようだね?」


「そうみたいですね。何か調べものがあるみたいで」


「アルテミアスの王女といえば、かの有名なトライファールの製造者だ。もちろんここにも魔道具の知識はある。魔族にしかない技術がね。おそらく彼女はそれをもとめているんだろう」


「知ってったんですか?」


「何がだい? 彼女が王女であることか? それともトライファールを作れることか?」


「全部ですよ」


「君がここへ来た以降に知ったんだ。私にもそれくらいはできる」


 魔王なのだから当然といえば当然か。


「私は君の前では魔王であるべきだと思っていた。だから私は昔の自分に戻ることにしたんだ」


 ルシウスさんはそこで足を止めた。庭園の中心だ。

 そして辺りを見渡し、軽く深呼吸している。


「あの時、対面して、直観的に気づいた。君には《感情感知》あるのだと……マサムネくんも同じ感覚を抱いたはずだ。だから私は恐れた……」


「恐れたって、ルシウスさんがですか?」


「今に分かるさ。魔族であれ魔王であれ、生命は結局のところ同じなのだろうね。自己憐憫な魔王の姿など、誰が見たいと思う?」


 徐々に分かってきていた。

 この人は今日、俺に何かを話そうとしていると。


 庭園の袖に人一人分ほどの小さな鉄の扉が見えた。

 ルシウスさんの後へ続こうとしたとき、ふとトアの声が聞こえた。

 振り返ると遠くの庭園にトアの姿が見える。

 どうやら俺を探しているようだ。


「トア、こっちだ」


「無駄だ。今トアに私たちの姿は見えていない」


「どういうことですか?」


 手を振りながらトアの名を呼ぶ。

 だがトアは一向に俺に気づく気配がない。

 聞こえていないようだった。ずっと辺りをキョロキョロと見渡している。

 庭園の隅にあるとはいえ、ここは比較的ひらけた場所だ。

 トアの視界にも入っているはずだ。気づかないはずがない。


「結界が張ってあるんだ」


「結界?」


「この家でトアだけがこの場所に気づかない」


「……」


「ついてきなさい。見せたいものがある」


 そう言ったルシウスさんの横顔が寂しげに見えた。

 時折見ることがる。

 俺は何も返答せず、庭園のトアを置き去りに、ルシウスさんの後を追った。


 そしてしばらく歩くと、庭園とはまた違った華やかな場所へたどり着く。

 ――花畑だ。

 そこには色鮮やかな花がちりばめられており、辺りには何もなく、下が花で埋もれた広場の真ん中に、何やら石でできたような像がたたずんでいた。


「あそこだ。ついてきなさい」


「はい」


 シウスさんに誘導されついていく。

 そしてその石の前で足を止めた。


「これって……」


「これが、君の知りたがっていたことだ」


「これをトアは?……」


「知らない。いや、知っているはずだ。少なくとも中の、、トアは知っているはず……今でもしっかりと覚えているはずだ」


「中のトアって、どういうことですか?」


「もう分かっているだろ? 君がトアに対し抱いている疑問の正体がこれなんだ。トアの中にはもう一人、別の人格がいる」


「……別の……人格」


 俺はトアと初めて出会った日から、これまでトアの身に起きたすべての出来事を ゆっくりと思い出しながら、その墓を見下ろした。


「ロザリア、さん?」


「そうだ……これはロザリアの墓だ」


「……」


「でも、トアはロザリアさんの帰りをずっと待って……」


「覚えてないんだ。トアは覚えていない。そうしなければトアは生きられなかった」


 トアは毎日のように姉であるロザリアさんの帰りを待っている。

 エレクトラさんもルシウスさんも、それに対しまるでロザリアさんが生きているかのように「明日には帰ってくる」と決まってそう答える。


「何のためですか? 何のために、トアに嘘を……」


「トアが壊れないようにするためだ。あの日の記憶はトアの心を破壊する。もう、次はない」


「あの日の記憶?」


 おもむろに黙りこむルシウスさん。


「それを説明する前に、まずはこの国のしがらみから話す必要がある。遥か昔の話だ。最初の魔王ロゼフ様は起源の湖で生まれた」


 唐突に話を始めるルシウスさんの言葉に、俺は流れに任せ耳を傾ける。

 その間もルシウスの中には自分を卑下するような弱々しい感情があった。


「ある日、ロゼフ様は一人の獣人と結ばれたそうだ。その者の名はネイツャート・オブリビアス・カタルリアという白猫族。のちに現獣国の最初の王となるものだ」


「ちょっ、ちょっと待ってください! 魔族が獣人と恋ですか?」


「驚くことでもないだろ? すべてに歴史がある」


 この国の民は知っているのだろうか?


「そしてしばらくして、その二人の間に双子が生まれた。ウルズとゾーラという、性別の違う二人の魔族だ。だからこの国はウルズォーラと呼ばれる。その二人がのちに治めたからだ。そして今に至るまでそれは続いている」


「じゃあ他の魔国は……」


「魔族の寿命は長い。ネイツャート様の死後、ロゼフ様が次に妻として迎えたのは大蛇族であったという。それも白い蛇人だ」


「蛇人……」


 シャオーンと同じだ。


「そして二人の間には白蛇と魔王のハーフが生まれた。その魔族の名はシャー・ステイン。現シャステインの最初の魔王だ。だがシャー・ステイン様が生まれてすぐ、これは本当か嘘か分からないおかしな話だが、ロゼフ様が残された書物によれば、妻である白蛇は出産と同時に子に食われて死んだという」


 どこかで聞いたような話だ……。


「そののち、ロゼフ様はその生涯の最後の伴侶として、とある人間を妻に迎えた」


「今度は人間ですか?」


 なんということだ……まさか魔族の祖がただのヤリチンだったとは。


「そうだ。その人間との間に生まれた者の名はラグ―・パ・ロス。現ラグパロスの最初の魔王だ。ラグーの町へは行ったことがあるか?」


「ラグーですか? 確か、荒くれ者の休憩所でしたよね?」


「あの地にはかつてラグーという名の大国が栄えていたという。ロゼフ様はその人間とラグーで出会われたと、そう書物には記されていた。その国の名を取り名付けられたのだ」


「それがこの国の始まりですか……」


 俺は何というか、まるでパズルを完成させた時のような感覚を覚えていた。


「そうだな……確かに始まりと言える。現在にまで続くしがらみという名の始まりだ」


 そう語るルシウスさんの感情は弱々しい。

 先ほど自分を蔑むように言って見せた言葉が示すのは、この感情のことだろうか?


「長男のウルズと長女のゾーラには魔族と白猫族の血が入っている。つまり、私の中にもネイツャート様の血が入っている。ネムさんとは遠い親戚にあたるわけだ」


 目の前の眉毛のない魔王を見て、俺は少し苦笑いをしてしまった。

 ネムとは似ても似つかない。


「二人は仲が良く、そこに隔たりなどはなく、死するその時まで共にこの国の魔王であったらしい。その後どのようにしてその血が受け継がれていったのかは分からないがな」


 若干寒気のする話だ。それ以上は聞かないことにした。


「そして次女であるシャー・ステインは女性であった。それが現シャステインが女性国家である理由だ。その思想は現在まで受け継がれている。だから亡きカサンドラは女性しか王とは認めなかったのだ。そして次男であるラグー・パ・ロスは、余った土地を受け取りそこに現ラグパロスを築いた」


「根本的な話なんですけど、何で3つも国があるんですか? 腹違いとはいえ同じ家族のはずじゃ……」


「シャー様とラグー様がそれを認めなかったのだ。と言っても領土の分与についてはさほど深く記録が残っている訳ではない。だが特にラグー様は二人の下につくことを認めなかったのだそうだ。その後、争いを危惧したロゼフ様は領土を三つに分け、それぞれに治めさせた」


「なるほど、そういうことですか。それはなんというか……しがらみですね」


 この国の始まりは分裂であり、その理由は偶然ではなく、気持ちのいいものでもはない。

 一族の血にまつわる根深いものだった。

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