第255話 生徒誘拐事件

 英雄。それは平凡な冒険者にとっても一国の騎士にとっても最上級の名誉であろう。


 人々がそうであると認めた瞬間からその者は英雄と呼ばれ、憧れと尊敬の眼差しでその者は称えられる。

 そして人々は安堵し、それまで彼らを支配していた不安や絶望は嘘であったかのように過去のものとなるのだ。

 人々は英雄がいる限り自分たちは守られると、目の前の平和に喝采を送った。


 だがそれは結局のところ、人々のおしつけにしか過ぎなかった。

 英雄は何より、英雄であることを望んでいなかった。


 ――英雄ニト。彼はそうであった。


 英雄という耳触りの良い言葉と、その感触に吐き気を覚え、最終的には嫌悪した。

 だが人々はそんな英雄のことなど知らない。

 彼らには自分たちの都合しか見えていないのだ。

 ゆえに彼らは勘違いしている。


 そしてここにも一人、英雄という美徳を鵜呑みにし、それを常識と疑わず勘違いした者が一人、惑わされていた。


「そんなはずはない。だってあいつはヒーラーだ。それに……だとすれば、あいつは英雄なんだろ?……なら、そんなはずは……」


 ――園田健四郎。

 自分の考えを疑う言葉をぶつぶつと呟き、見落としたかもしれない事実を模索する。

 園田は政宗とニトが同一人物であると、疑いつつも自身の中で認めていた。


「あの時だって、自分でそう言ってたんだ。ヒーラーだから攻撃魔法が使えない代わりに、守ることはできるって……」


 だが発せられた言葉からは、事実を認められず葛藤する者の心が窺えた。

 それは彼が《英雄》という記号に、《誰だって英雄になりたい》という考えを持っているからだ。


「はあ? 守ることができるだと? ヒーラーが何を守れるってんだ? 治癒魔法ってのは路地裏に捨ててあるような回復薬にすら劣るんだぞ。何も守れやしねえよ」


 イグノータスは園田の言葉を拾いけなすが、もはや会話など成立していない。

 園田は自分の考えを整理することで頭がいっぱいだった。


(明確な殺意を向け転移で追放された日高は、その後ラズハウセンで帝国の襲撃を阻止し、英雄ニトとなった。ダンジョンを攻略し、もはや死後は伝説となれるほどの実績だ。それほどの栄誉を手にしておきながら、日高は対校戦に現れると俺たちの目の前で京極を殺した。それどころか……まさか、小泉たちまでも?……なんでだ? なんでそうなる?)


 それほどに恨んでいるからだという考え方も当然できるだろう。むしろそれが一番自然だ。

 当然、このままでは日高に殺されてしまうという考えもあった。

 だが園田の考えは多重的なものだった。


結論を言えば園田は政宗を見下しているのだ。

園田の中には今も、日本にいたころの弱々しい政宗の姿がある。


 それまで見下されるだけの日々を送っていた者が少し小さな功績を上げただけで、周囲は手の平を返したように馴れ馴れしくすり寄ってくるなどという現象は、学校という社会に身を置くこの年頃の生徒たちの間では、時折目にする光景だ。

 つまり、今の園田がそうなのだ。


 彼らの意思は酷く無機質なものだった。


 思考の隅に意図的に追いやられたままの、殺されるかもしれないという恐怖。

 だがあの日、演習場で対面した時の政宗の表情、目つき、会話の内容、声の温度から、園田は都合の良い解釈をし、『あいつが俺たちを殺すはずがない』と唾をのみ微笑む。

 すると『そもそもニトと政宗が別の者である可能性もある』という、万が一の勘違いで呼吸を落ち着かせ、あの日、追放というアリエスの横暴を阻止できなかったことへの良心の呵責と、それを理解してくれるはずだという英雄へのおしつけと共に安堵する。


 だが安心したはずの園田の表情が引き攣っているのは、彼の根底が《無機質の意思》で出来ているからである。

 人を見下したつけが回ってきたのだ。


 園田は今、足元をすくわれた感覚に襲われていることだろう。それが抑揚をつけて何度も園田を襲うのだ。


「それに攻撃魔法が使えねえだと? ギャッハッハッハッハッハ! お前は馬鹿か? カサンドラとその魔軍を意図も容易くあしらったような化け物が! 魔法を使えねえ訳がねえだろうがあ!」


 するとイグノータスは「最初から微妙に話が噛み合ってねえと思ってたんだよな~」と言いながら、ビシャスとフェルゼンの元へ戻る。


「兄者? 何か分かったポロン?」


「ふむふむ、すべてを悟った表情をされておりますな!」


「あ? ああ。いやな? こいつらがダメなら最悪、帝国に行こうかとも考えてたんだ。もしくはグレイベルクか……」


「グレイベルク? ですがあの地は……」――とフェルゼン。


「ああ、分かってる。騒ぎを起こせばルシウスが来る。だから考えてたんだ。一人は死んじまってもういねえ。あとはニトを除けば、行方不明者は4人だ。だがそのうちの一人は……確か、グレイベルクから脱走した奴だったか?」


「そうポロン、確か名前はイチジョウポロン?」


「そうだ。そいつはもう見つかってる。そいつでもいいんだが、俺が目星をつけてたのは、あとの3人だ。だが……」


「ポロン?」


「して、どうされましたかな?」


 ビシャスとフェルゼンの疑問を背に、イグノータスはそのにやけ面を生徒たちに向けた。


「話は聞いてただろ? なあお前ら? その三人は今、どこにいんだ?」


 だが生徒たちは真実をまだ呑み込めておらず、動揺するばかりだ。

しかし動揺しながらであれ、魔族三兄弟が無駄話を続けていた間、考える時間は十 分にあったはずだ。


 相変わらず表情は晴れず、俯く園田。驚きを隠せない表情の木田。

 予想もしていなかった事実に何故か笑いが零れている柊――恐怖しているのだ。

 中にはまだイグノータスの言葉の意味に気づいていないものもいるだろう。

 だが生徒たちの大半がその事実に気づき、そして知った。


 ――日高政宗はニトであるということを。


「ビシャス、名簿を出せ」


 黒いコートのポケットから一枚の紙きれを取り出すビシャス。


「三人の名前を読み上げろ」


「え~と……タチバナタケシ……コイズミアキラ……タドコロテッペイ。以上だポロン」


「この三人だ」


 イグノータスはもう一度尋ねなおした。


「この三人がどこへ行ったのか、知っている奴はいるか?」


 小泉たち三人はあの日、皆に一切なにも告げることなく姿を消した。

 そしてそれは丁度魔族の襲撃と重なっていた。

 内心、魔族に殺されたのではないかと疑っていた彼らは、不安を消し去るために、希望的観測に基づき《三人は旅に出た》ということにし、考えることを保留とした。

 だから分からないのだ。どう答えるべきなのかが……。


「簡単な質問だろ? この三人がお前らの前から去った時、そいつらは何て言ってた?」


 するとイグノータスのその問に後ろからビシャスが口を挟む。


「だけど兄者? それは少し質問がおかしいポロン? だってこの三人は人知れず消えたと、そう記事にはあったポロン? 道中でそう話したはずだポロン」


「そうだ!」


 その時、まるで「ビンゴ!」とでも言わんばかりに、イグノータスは大きな声で事実を叫んだ。


「だから気づいたのさ。そしてそれに気づいた俺は、ニトとこいつらとの関係についても察しがついた。だから奴はこいつらとは行動を共にせず、またニトなんていう意味の分からねえ偽名を使ってやがるんだ」


「どういうことだポロン?」


「分からねえか? 十中八九、その三人はもうこの世にはいねえ。何故ならカサンドラの襲撃があったその日、三人はニトがもう殺してるからだ」


「ちょっ、ちょっと待ってください! あなたは一体なにを言って……」


 園田はイグノータスの言葉の意味が分からなかった。

 混乱するばかりで整理が追い付いていない。


「だってそうだろ? 死体がなかったってことはそういうことだ。まさかお前ら、俺たち魔族が殺した人間を食うとでも思ってたんじゃねえだろうなぁ? ギャハッハッハッハッ! まあ、俺も適当に言ってる節はある。だがお前らのその反応を見りゃ分かる。一応は探したんだろ? そんで見つからなかった。そして都合のいいように処理をした、だろ? だがなあ? 答えは簡単だ。ニトが何故お遊戯会、、、、のまっ最中に公然と生徒を殺したと思う? それもお前らと同じグレイベルクの勇者だ。なあ? 何故だと思う?……答えは簡単だ。ニトがヒダカマサムネだからだ。深くは知らねえが、そう言やお前らは納得すんだろ? じゃあもう答えは出てんじゃねえか?」


「兄者? つまりどういうことポロン? 答えが見えないポロン?」


「ふむふむ、ここまで出かかっているのですが……」


「簡単な話さ――」


 だがそれは簡単な話ではない。

 ここまでスムーズに彼らとニトの関係を見抜けたことに、イグノータスの魔王たる所以ゆえんがあるのだ。


「――こいつら奴の恨みを買ったのさ! 何の情報もねえ俺たちは、同じ境遇にあるお前らは皆どこかで繋がっているものとばかり思っていた。人間ってのはそういう生き物だろ? 何かにつけて群れる」


 イグノータスは話を進めながらも常に生徒たちを観察していた。


「町でニトを見かけた時、俺には一目でわかった。《感情感知》が使えなくとも、俺には、奴のその感情の一端である残り香くらいは嗅ぎ分けられたぜ? ありゃぁ復讐の匂いだ! 甘美なるまでに研ぎ澄まされた復讐の匂い! いや、そう決めつけるには少し感情的になり過ぎていた部分もある……だが奴の中には暗い何かを感じた。それが何かは分からねえ。だが今思うのは、それはお前らにとっても都合のいいもんにはならねえってことだ。ありゃガキの皮を被った化け物だ。同じ目の人間ならこれまでに何人も見てきたから分かる」


 そう言って目の前の生徒たちを睨むイグノータス。

 何人かはその雰囲気に怯み、半歩後ろに下がる者もいた。


「要はどいつを連れて行こうと奴を釣る餌にはなるってことだ。だったらなんでもいい。これで手間が省けるぜ。おい! そこのお前」


 イグノータスに再び声をかけられ、今になってビクつく木田。


「お前だ。俺たちと一緒に来い。お前はさっき“友人”だと言ってたよな? 俺が友人に会わせてやるよ?」


 そしてイグノータスはまた別の生徒たちの顔を窺い、物色し、ある者へ視線を定めた。


「そこのダークエルフみてえね女とユニコーンの尻尾の毛みてえに傷んだ髪の女! こっちへ来い、お前らも連れていく。ヒダカマサムネに会わせてやる」


 真島と木原だった。

 イグノータスの言葉通り、真島の日焼けした肌はダークエルフのようであり、また木原の金髪はユニコーンの尻尾のようかどうかは分からないが、痛みきっていた。


「三人いりゃ十分だろ? 一応ルシウスに気づかれねえよう警戒は必要だ」


 茫然と立ち尽くす木田。

 そして怯えてものも言えない様子の真島と木原。

 だが三人のことなど知らず、イグノータスはこの先の予定について既に計画を立ている最中であった。


「そうだ。ついでにお前も来い? お前はよく喋る上にまだ何か情報を持ってそうだからなあ」


「兄上、先ほどから不思議に思っていたのですが、少し人間にこだわり過ぎではありませんかな? 問題はルシウスであってニトではありません。もちろん弱みはトアトリカでしょう。ですからニトから崩すというお考えなのでしょうが……」


「何を勘違いしてる? これはルシウスに勝つための策だ」


「……どういうことでしょうか? 私には分かりかねます」


「待ちなさい!」


 そんな中、二人の会話を遮るようにある者の声は聞こえた。


「生徒をどこへ連れていくつもり!」


 ――サブリナ・キッドマン。

 現フィシャナティカの臨時校長である。


 サブリナは演習場の入り口より、魔族三人を見下ろしていた。


「なんだ? ありゃ人間か?」


「ん~……あれは人間とは少し違うポロン? なんか混じってるポロン?」


 その時、二人の日常会話を遮るかたちで、イグノータスの正面にサブリナの姿が移動した。


「あ?」


 守護のつるぎ――サブリナが魔法により生み出した、魔力を帯びた武器だ。

 刀身はイグノータスの正面へ振り下ろされた。だがそれは直前で勢いを殺されたように止まった。


「元気な女だ」


 イグノータスが片手でサブリナの刃を止めていた。

 サブリナの額には汗が浮かんでいる。

 その時点で、いや、すでに演習場へ現れる前から、サブリナは彼らの存在に気づくと同時に、彼らとの力の差を知っていた。


 すると刃を指先で摘まむように止めた状態で、イグノータスはサブリナの髪の匂いを嗅いだ。


「……ん? ああ、そういうことか」


「兄者?」


「兄上?」


「おそらくだが、こりゃ古代種だ」


 サブリナは古代種。その言葉にビシャスとフェルゼンは興奮気味に笑った。


「だがこれじゃあ何の役にも立たねえ。それなりには長命だろうが俺たちほどじゃねえ。成り損ないだ」


「きゃっ!」


 その直後、その一瞬の間に押しつぶすような圧力がサブリナを襲い、彼女は後方へ飛ばされた。

 反応すらできなかったサブリナは無防備な状態で見えない攻撃を受け、吐血すると客席にめり込む形で叩きつけられ、そのまま意識を失った。


「超人族は貴重だポロン? 絶滅した生き物ポロン? ミーのコレクションに加えたいポロン」


「やめとけ、ありゃ超人族じゃねえ。言ってみりゃ亜人だ。それも成り損ないの亜人。体の半分以上は人間だ」


 サブリナが起き上がらないことを確認し、三人の魔族は振り返った。


「お前ら、前を歩け。さっさと行くぞ」


「兄者? あの女は殺さなくていいポロン? きっと魔的通信に載るポロンよ?」


「どうでもいい。カサンドラの残党だと勘違いするだけだ」


 二人の無駄話を横目に、真島、木原、木田、園田は傍を通り過ぎ、誘導されるがまま演習場の入り口へ向かう。


「それにしてもお前ら、この世界へ召喚された者同士だってのに冷てえ奴だなあ? 誰一人止めようとしねえとは、こいつらを連れていってもいいってのか?」


 だが演習場に残った生徒たちからの返答はない。


「けっ、顔に面でも張り付けてやがんのかよ。少しは悲しそうにしてみたらどうだ? これだから人間は嫌だぜ」


「兄上、戻りましょうぞ。ここにはもう用はないはずです」


「フェルゼン。常に自分の勘を疑え」


「……」


「俺たちが気づけるくらいだ。ルシウスは気づいてる。俺がニトに興味を示すことくらい、奴は分かってた」


「はい。分かっております。だからこそルシウスはニトを娘の隣においたのだと……」


「そうだ。そして奴は臆病であり、用心深い。口では種族にこだわりがないと言ってはいるが、それは奴の本質じゃねえ。奴には弱点が多い。あの日、奴が俺の存在に気づけなかったように、奴には隙があり、それは時折すがたを見せる」


「つまり、どういうことでしょうか? 私には兄上が何を仰りたいのかが……」


「こいつらはただの人間じゃねえ。異界人だ。だからルシウスはニトを娘の傍に置いたんだ。人間だとも思ってねえんだろうな。奴はそういう男だ。つまり、奴はそこまでは調べたんだ。だから俺も知る必要がある、だが奴と同じ知識を得ても意味はない。さらにその上をいく必要がある。それが一見、無関係などうでもいいことであろうと、どこかにあるはずだ。奴を陥れるための、その《隙》へと繋がる何かがあるはずだ。フェルゼン、それを見つけるんだ。《感情感知》の弱点は無知……奴の知らない隙を見つけろ。疑われようと確信できねえなら意味はねえ。そうすればルシウスをつぶせる」


 そう言ってイグノータスは去り際にもう一度、残った生徒たちの方を見た。


「確信のないところに隙がある……」


「……理解しました」


 イグノータスがその場を後にすると、フェルゼンも同じく姿を消した。


 残った生徒たちはただ茫然と入り口を見つめていた。

 サブリナが刹那に飛ばされ意識を失った光景を見た時から……いや、彼ら三人の姿を前にしたその時からだ。

 そこに、彼らは圧倒的な力の差を感じ、それを認めた。

 助けるという発想すら生まれぬほどに、彼らは恐怖を感じていたのだ。


 後にこの一件はビシャスの予想通り、意識を取り戻したサブリナと残された生徒たちの情報により、魔的通信へ掲載される。

 だがそこには魔族が三人現れたとしか書かれていなかった。


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