第253話 イグノータス・ロゼフ・ラグパロス

 魔国ウルズォーラより空を隠すほどの木々が生い茂る大森林を北東に向け進む。すると森を抜けた先に見えてくるのは広大な荒れた地だ。

 地面は凸凹しており馬車が通り抜けるのは難しいだろう。

 だがそんな地に、第三の魔国――ラグパロスはあった。


 その地には《裂け目》と呼ばれる地を両断したような亀裂が多数存在し、その裂け目を利用し建設されたのがラグパロスだ。

 辺りには村などない。


 上空から裂け目を除くと、そこには深層に向かて城下町が広がっている。

 自然発生した壁面に、へばり付くように建てられた家々。そして施設。

 それら様々な建造物がいびつに絡み合い最下層まで続いている。


 そして魔王の城はそんな裂け目の城下町を見下ろすように、この裂け目の中央――最上階に建てられていた。


 城を支えているのは8本の交差した柱だ。

 裂け目の上に寝かすよう敷かれた柱。それが中央で交差し、その上に魔王の城は構えている。


 周囲に防壁などはなく、城は無防備な状態にあった、

 だが誰がこの国を襲うだろうか?

 ――この邪悪で狡猾な魔王の城を。


 すると一際甲高い笑い声が城の外へ響いた。

 城の正面入り口へと続くこの長い橋を渡り、城へ足を踏み入れると、目の前に現れるこのどこまでも続いているかのような赤いカーペットの敷かれた長い廊下。

 さらにその廊下を真っ直ぐに進むと赤い血の装飾が施された大扉が見えた。

 ――魔王が居座る玉座の間だ。


「ギャハハハハハハハハハ! おいビシャス! あいつのあの間抜けな面を見たか?!」


 ――イグノータス・ロゼフ・ラグパロス。魔国ラグパロスの魔王だ。


 最初に目に飛び込んでくるのは、額から生えるねじれた二本の牛の角だ。

細身の筋肉質な長身に、黒いパンツ。

 素肌に一枚、袖のない光沢ある黒いコートを身に着けている。

 ジッパーなど閉めず正面は開けたままの着こなしだ。

 そして両腕や首元、さらけ出された胸元や割れた腹筋には、様々な色彩の模様が描かれている――刺青だ。

 だがその模様の意味は分からない。


 そして整えられた逆立つ金色の短髪をかき分けながら、いい加減な姿勢で王座に腰掛け、目の前の魔族二名と向き合っている。

 彼らもイグノータスの王座に似た椅子にそれぞれ腰を下ろしていた。


「見たポロン! 確かに見たポロン! でもそんなことより王女様が可愛かったポロ~ン」


 次男――ビシャス・ロゼフ・ラグパロス。


 同じく額には二本のねじれた牛の角が生えている。そして逆立つ金の短髪。

 体型はイグノータスとは正反対の肥満体質だ。

 黒いパンツをはいてはいるが、それは今にもはちきれそうだ。上半身は裸。

 椅子の横に黒いコートが捨てられたように落ちている。


 そしてビシャスの椅子の横には肉やら果物やらが寄せ集められた、大きな皿の乗ったテーブルが用意されており、ビシャスは骨付きの肉を頬張りながら話を聞いていた。

 それぞれに食材は用意されているのだが、ビシャスしか手を付けていない。

 イグノータスは先ほどからワインにしか手を付けていなかった。


次兄あにうえはあのような乳臭い娘をご所望か? まったく……人格を疑わざるを得ませんなぁ」


 そして三男――フェルゼン・ロゼフ・ラグパロス。

 ねじれた牛の角は言うまでもない。その金色の長髪と鼻の下で伸びたダンディーな金色の髭は、彼を紳士に魅せる、、、ことだろう。

 二人とは違い袖のある黒いコートを羽織り、腰の位置でジッパーを止め、スタイリッシュに見せているところもフェルゼンの特徴だ。


 フェルゼンはその左右にはねた鼻髭を触り、ねじりながら、隣の兄を馬鹿にしていた。


「それにしても本当にあれが《英雄ニト》だポロン? ミーにはまったくそうは見えなかったポロンよ? 魔力もとんでもなくひ弱で、はっきり言ってただの子供ポロン!」


「馬鹿が、ありゃ偽装してんだよ? 少し考えりゃ分かんだろうが?」


次兄あにうえ、その軽薄な発言をやめていただいてもよろしいですかな? 一々長兄あにうえにつっ込ませるのはやめていただきたい。不愉快なのはそのみっともない体型だけに――」


「――兄者あにじゃ! なんだかフェルゼンがうるさいポロン! ミーを虐めるポロン!」


「しゃしゃり出るのはそのブヨブヨの腹だけにしていただきたい!」


「いい加減にしろ!」


 イグノータスの一言で喧嘩をやめる兄弟。

 仲が良いといえばそうなのだろう。これはいつもの光景だった。


「でも兄者あにじゃ? 仮にあのニトとかいうガキが偽装していたとしてもポロン? それほどの魔導師ということなのかポロン?」


「直属ではない男の部隊を使ったとはいえ、カサンドラの魔族軍を全滅させ、おまけにカサンドラまで殺したんだぞ? 弱え訳がねえだろ? それに奴は無傷だったと聞く。下手すりゃルシウスより上だ。俺でさえルシウスでさえ、カサンドラと魔族の軍を相手にするには、それなりの覚悟が必要な上に、やり合えばただじゃ済まねえ。無傷なんてことはあり得ねえ……」


 その言葉にまったく見当のついていないビシャス。

 そして「ふむ、いかにも」と形だけの理解を表すフェルゼン。


「それにしても偶には行ってみるもんだ。カサンドラを殺した英雄ってのが、一体どんな顔をしてるのか、それを拝むだけのつもりだった。それがまさか、あの|トアトリカ様にお会いできるとは思わなかった。まったく、ルシウスは何を考えてやがるんだ?」


 “トアトリカ様”などと呼んではいるが、そこには敬意など微塵も感じない。

 それどころか、それは相手を馬鹿にしさげすむ口調だ。

 その証拠に、イグノータスの言葉の意図を理解した二人はケラケラと同じく笑っている。


「びっくりしたぜ。ロザリアに瓜二つだ。しばらく見ねえ間に成長しやがった。思ったより元気そうだったじゃねえか」


「いかにも! もう少し病的な弱々しい女性であると記憶していましたな!」


「俺もそうだ。一時期はイカレてやがたって話だからな。ま、それもルシウスが城で守ってたせいで確認できなかったが」


「でも発狂でもされたら困るポロン。おそらくまだ《支配》を上手く使いこなしていないはずだポロン? ミーは下手に近づきたくないポロンよ」


「ああ、ありゃ厄介だ。あれさえなけりゃ、俺だってとっくの昔に――」


「殺していますか?」


 するとイグノータスの言葉をフェルゼンが意味深に遮る。


「あ?」


「私の見解では、まだ長兄あにうえにはあの男は殺れません。《支配》がなかったとしてもです」


「……分かってるさ。奴は強え。おまけに頭もきれる。洞察力も鋭いからなぁ、臆病ゆえに見えるもんがあんだろうよ」


「《感情感知》も厄介ポロンよ」


「あんなもんはもう俺たち相手にはどうってことねえ。そんなもん使わねえでも、あいつは俺たちの考えに気づいてる。トアトリカの帰国も、もう俺たちにバレてると仮定して行動してるはずだ、いや、待てよ?」


 急に何かをつかんだように、言葉が止まるイグノータス。


「そういうことか……」


「ん? 兄者あにじゃ、何か分かったポロン?」


「またいつもの勘ですかな?」


「ああ……だから、あいつはニトをトアトリカにつけたんだ。俺がニトに気づくと分かってたんだろうよ」


「ふむふむ……なるほど。確かにそういう風にも考えられますな! 現に我々は英雄ニトの存在を知りました。そこに注目してすらいます」


「でも人間ポロンよ? 流石にそこまでするポロン? 人間を城に入れるなんて……」


「お前は本当に何も分かってねえな? ルシウスにとっては種族の違いなんざ見た目の違いでしかねえのさ。念のため《真実の魔眼》でステータスを確認しておいた、そしたらどうだったと思う?」


「クッソ弱かったとかそういう話ポロン?」


 うんざりしたようにビシャスを睨むイグノータス。

 ビシャスはすぐに「ごめんポロン。ふざけただけポロンよ~」と誤魔化す。


「その様子からして、何か思いもよらぬ内容であったということですかな?」


「そうだ。まず先に言っておく。名前と職業しか見えなかった」


 その言葉に対し、またもビシャスが「おうぅ~!」とふざけたように茶化す。

 口元をニヤニヤさせながら怯えていないくせに、怖がるフリをしているのだ。

 イグノータスは無視していた。


「それは何と言いますか……まったくけしからんですな!」


「“けしからん”の一言で片づけられりゃあ、苦労ねえがな? だが問題はそこじゃねえ。奴の職業はあろうことか《ヒーラー》だった」


「なんと!」


「最弱ポロン! 最弱ポロンよ!」


「だから問題なんだ」


「ふむふむ……偽装しているとお考えですか? 名前と職業のみしか確認できなかったように、長兄あにうえの眼でも突破できぬ偽装だと? そういうことですかな?」


「…………いや。偽装にヒーラーを選ぶなんてのはアホだ。ここは魔国だぞ? むしろ目を引くだろ?」


 二人はイグノータスの言葉に「確かに」と頷く。


「本物だと仮定しよう。そうだった場合……だがあの姫さんが弱え奴を傍におくとは考えづらい。どこをほっつき歩いてたのかは知らねえし興味もねえが、あの父親譲りの臆病さを兼ね備えた姫さんが、わざわざ普通のヒーラーをパートナーとして選ぶ訳がねえ。それに証拠はちゃんと出てんだろ?」


 するのその問に対し、フェルゼンは胸元から一枚の折りたたまれた紙を取り出し、開けた。


「え~……ラズハウセンでの帝国の襲撃を阻止。次にダンジョン攻略。その前にダンジョン前で、ウラノスの息子を返り討ちにしていますねぇ」


「死んだのか?」


「いえ殺したとは書いてありませんでした。相手はラージュという《王の盾》の一人です」


「そりゃウラノスの次男じゃねえか。それで?」


「次にハイルクウェートにて、密かに起きておりました帝国の戦士と魔導師二名による襲撃を阻止しております」


「なるほど、そんでその後は対校戦とカサンドラの一件か……」


「ですな!」


「明らかにおかしい。ニトってのはどこの出身だ?」


「出身地は不明です。風の噂によれば、本人が”田舎の方“とだけ言っていたとか言っていないとか……」


「なんだそりゃ?」


 イグノータスは鼻で笑って見せた。そして傍にあったワインを一口。


「まったく、ふざけた奴だぜ。そういや奴の名前の欄には《ヒダカ マサムネ》とあった。こっちを本名と仮定するなら、おそらく戯国の人間だ、本人は濁していたがな」


「でもそうなるともうどうしようもないポロンよ? 戯国はミーたちにとっては未知の領域ポロン? 調べるのは無理ポロンよ~」


 するとビシャスの付け加えた言葉を無視した訳ではないだろうが、イグノータスはおもむろに席を立つと、ワイングラス片手に王座の前を行ったり来たりと往復し始める。


 だがその様子に二人は何も言わず、ただ黙ってみているだけだ。


 そしてしばらくして、突然、イグノータスの足が止まった。


「して、一体これはどういうことですかな?」


「つまりこれはどういうことポロン?」


 興味津々といった様子で、前かがみになりながら訪ねるビシャスとフェルゼン。

 おそらくこれはいつものことなのだろう。二人はそれを理解している。

 このイグノータスの往復は、何かの前触れなのだ。


 そしてイグノータスは零れるように言葉をつぶやいた。


「グレイベルクだ……」


「おお!」


「なるほどポロン!」


「あの土地には地脈の関係でおかしな魔力の波動が集合してやがる。昔から勇者はあの地でしか誕生しねえと言われているくらいだ。だからこそグレイベルクは何世代にも亘り、あの地を独占できている。恩恵とやらの力だ!」


 するとイグノータスはため息をつきながら王座に腰掛けた。


「フェルゼン」


「なんでしょう?」


「数か月前にグレイベルクが行った《勇者召喚》。あれで召喚された異界人のリストを作らせろ」


「ふむふむ、分かりました。私の記憶が正しければ、確か召喚されたのは21名だとか……」


「なんでもいい。とりあえずその21名の中に、《ヒダカ マサムネ》がいねえか確認しろ」


「《ヒダカ マサムネ》ならいるポロンよ?」


「は?」


「え?」


 突然、隣で目をこすりながら肉を頬張っているビシャスがそういった。


「おいビシャス、そりゃどういうことだ?」


「この間、暇だったから魔的通信を読んでたポロン?」


「てめえ、まだあんなもん読んでやがったのか?!」


「だって面白いポロ~ン……」


「はぁ~、それで? どういうことだ?」


「確かに召喚されたのは21人ポロン? だけど行方不明者が数人いるらしいポロン。そのうちの一人が《ヒダカ マサムネ》ポロン。だからニトは召喚されし勇者ポロン……ん? 勇者?……ぁああああああああああ! 大変ポロン! ニトはグレイベルクの勇者ポロン!」


 勝手に語り、そして自分が知っているはずの情報に驚き慌てるビシャス。

 イグノータスは呆れ、フェルゼンは毎度のことなのかにこやかな表情で眺めていた。


「フッハッハッハッハッハッハッハッハッ! 持つべきものは兄弟だ! でかしたぞビシャス! これで手間が省けた」


 だがそう言われた傍から、ビシャス本人は「ん?」と不思議そうな表情を浮かべていた。


「して長兄あにうえ? いかがなさいますか?」


「グレイベルクへ向かう」


「なるほど、ですがそうなるとまたルシウスが止めに入ってくるかと」


「……確かにそうだ。ったく……うぜぇ。奴のつらを思い出しちまったぜ。この間の戦争もそうだ。奴が出しゃばらなけりゃあ、今頃グレイベルクなんざとっくに滅びてる。おまけに保護者気取りなあいつは、俺たちの戦争を全部自分の手柄、、にしやがった……やってくれるぜ。思い出すだけで腹が立つ」


「ですがあれは仕方がないでしょう。あそこでやめていなければラグパロスが滅びていました。ルシウスの裏にはカーペントもおります」


「くそがぁ。魔族のくせにドラゴンとなんか組みやがって……」


 イグノータスはいくら絞り出してもルシウスの存在で両断される自身の考えと発想にうんざりしながら、疲れたようにまたワインを一口すすった。

 だがすぐに目はギラつく。


「いや……だったら騒ぎを起こさなきゃいいんだ。勇者はグレイベルクにいんのか?」


「グレイベルクに一人、フィシャナティカに数十、それから帝国に二人ポロン。あとは行方不明ポロン。行方不明者のリストも作るポロン?」


「いや、いい。フィシャナティカに行く。グレイベルクと帝国はパスだ。一人ってのも面白くねえし、それにウラノスは厄介だ。奴ら、、の魔法は面倒くせえ。なんで帝国に異界人が二人もいんのか知らねえが、今回は放っておく」


 そしてイグノータスはワイングラスを置き、王座から腰を上げた。


「ったく。なんか知らねえ間に人間界が騒がしくなってやがるな~」


「いかにも!」


「だから兄者あにじゃも魔的通信を読んだ方がいいって言ったポロン。ミーは何度も言ったポロンよ? これはミーのせいじゃないポロンよ?」


「ああ、別にお前のせいにはしてねえさ。今この瞬間に知ったこと! それ自体に意味があんのさ!」


 王座を離れ、大扉へと歩き出すイグノータス。


「ビシャス! フェルゼン! 行くぞ!」


 そしてイグノータスはニヤリと不敵に笑った。


「――久々の人間界だ」

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