第246話 王女の帰還

 俺たちは大森林に囲まれた魔族たちの町へ遊びにきていた。

 だが遊びにきたとは言っても、ネムやスーフィリアは周囲の魔族へ警戒しており、どうやらそれどころでもない様子だ。


「念のため、あまり離れない方がよろしいでしょう。特にスーフィリアさんは人間ですし、一人になるのは危険です」


 リサの忠告に緊張したような笑顔で頷くスーフィリア。


「スーフィリア、前に渡した指輪は持ってるか?」


「こ、これのことでしょうか?」


 俺の言葉を直ぐに理解し、スーフィリアは左手の薬指、、、、、に反射して光るその指を見せてくれた。


 聞くべきかどうか迷う。スーフィリアは意味を分かってやってるんだろうか?

 そもそもこの世界の風習が分からない。

 指輪が左手の薬指にはめられているからといって、動揺するのもおかしなことだ。

 俺はもう少し平常心を心がける必要があるだろうか?


 だが指輪を見せる時、スーフィリアは言葉を濁すように、一瞬つまらせていた。 何も思うことがない、という訳でもないだろう。


「……ああ。それを肌身離さず身に着けておけよ? それがあれば、どれだけ離れていても俺はスーフィリアの場所が正確に分かる。何かあっても直ぐに助けてやれる。それに、少し細工もしてあるしな」


 細工とは、以前トアの指輪からクリストフに向かって放たれた《白い腕》のことだ。

 俺はこれに魔術 《束縛ディエス・する者オブリガーディオ》を込め、トアに何かあった時は対応できるようにしていた。

 指輪はトアやスーフィリア、ネムに危険が迫ると反応するようになっている。


「ネムもちゃんとしてるのです!」


 スーフィリアに続き、嬉しそうに満面の笑みと指輪を見せつけてくるネム。


「ああ、それをちゃんと持ってるんだぞ?」


「はいなのです!」


 この指輪は意図せず持ち主から離れた場合にも機能する。


「出て行けよ!」


 その時、何やら物騒な騒がしい声が聞こえた。

 俺たちはその声を同時に聞き取り、何事かと同時に振り向く。


「なんですか?」


 俺は分からずリサさんに、どうしたんですか、と目を合わせ答えを求めた。


「……なんでしょうか。嫌な予感がします」


 だがリサさんは、声の聞こえた方向に見える人だかりに視線を定め、同じく分かっていない様子だった。


「ウルズォーラは平和な国です。そしてこの平和な国に問題を持ち込むのは大抵、シャステインと決まっています」


 リサさんはそう呟きながら、思わしくない確信的な表情と共に、その人だかりへ足を進めた。

 俺たちは互いに目で『どうする?』といった感じにコンタクトを取りながら、仕方なくリサさんについていくことにする。


 そして人だかりを抜けると、そこに騒ぎの正体が見えてきた。


「ここはルシウス様の統べる魔国だ! お前たちのような汚らわしい者が立ち入っていい場所ではない! 即刻立ち去れ!」


 まず目に映ったのは、白いはかまのような服装をした数人の女性たちだった。

 彼女たちの見た目はどこからどうみても人間であり、全員が黒く艶のある長髪をしていた。


 そして、おそらくあれは魔国の衛兵だろう。彼女たちは二人の衛兵に睨まれながら、出ていくように説得されていた。

 だがそれは説得というよりも一触即発のムードだ。

 そしてそれら全体を町民たちが軽蔑を含んだ眼差しで睨み、囲んでいる。

 ここに、その白い袴の女性たちを受け入れる者はいないことが見て取れた。


「カサンドラ様は亡くなられた……人間の手によって……」


 するとその白い袴の先頭にいた一人の女性が緊迫した雰囲気の中、静かに落ち着いた様子で口を開く。

 その声には無念と悲しみ、怒りのような感情が込められていた。


「カサンドラ様だけではない。多くの魔族たちが無残にも一方的に殺されたのだ! お前たちはそれでいいと思っているのか!」


「関係ないだろ! それはシャステインの問題だ! ウルズォーラに持ち込むなよ!」


 対し、町民の一人が強い口調で言い放つ。理解もなく突き放すように。


「シャステインだけだと思っているのか?! 人間たちはこの国も手に入れようとやってくるぞ?! そうなってからでは遅いのだと、何故気づかない?! お前たちはこの国がどうなってもいいのか?! 仮にも同じ魔族ではないか?! 同じ魔族である……それも魔王であるカサンドラ様の死に対し、何も思わないのか?!」


「誰が《蜷局族とぐろぞく》の言葉なんか信じるかよ! お前たちは化けの皮を被った穢れだ! 同胞じゃねぇ! 同じ魔族だと思っているなら片腹痛いぜ!」


 町民の男のその言葉に続くように、「さっさと帰れ!」と周囲の町民は怒号を向けた。


 すると俺たちの前にいたはずのリサさんが一人、集団を抜け、彼女たちの前に出る。

 留まっておけば良かったのかもしれないが、俺たちは何となくリサさんから離れないように、だがそれでも少し離れた距離を保ち行動した。


 そこで衛兵の一人が目の前を歩くリサさんに気づくと、かしこまったように胸を張った。

 だがおかしな奴だと疑問に思った傍からリサさんに対し、


「リサーナ様! お戻りになっておられましたか、申し訳ありません。また彼らが……」


 と言葉を濁しつつも、まるで敬意をはらうように声をかけたのだ。


「ああ、大丈夫だ。休め」


「はっ!」


 なんだ? リサさんはただのメイドじゃないのか?

 疑問は深まるばかりだ。


 そこで衛兵と同じく、“蜷局族”と呼ばれる彼女たちがリサさんに気づいた。

 そして先頭にいた先程の女性はリサさんに対し、友好的ともとれる笑顔を見せる。


 だが感情を感知できる俺に言わせれば、その笑顔は嘘で染まり切った、実に酷いものだった。


「リサーナ・リックマン……戻っていたか」


「マリシアス……」


 先頭の女性に対し“マリシアス”と、そう名を呟くリサさん。


 するとその奥からもう二人、別の女性が前へ出た。マリシアスと同じ、黒く長い髪の特徴的な、肌の白い女性だ。


「あら、リサーナじゃない? 戻っていたの?」


 マリシアスの右に並んだ女性は、親しげにリサさんを見ている。

 そしてもう一人、マリシアスの左の女性も同じく親しげに声をかける。


「ということは、トアトリカ様を見つけたということね?」


 すると彼女の声にマリシアスの右に並ぶ女性は、瞳を蛇のようなギラついたものに変え、リサさんを置き去りに俺を睨み、そして、隣にいたトアを見た。

 トアを見つめるその目は獲物を見つけた捕食者の目だ。俺がそう感じたのは、先程きこえた《蜷局族》と言う言葉。そしてこの目の奥に、《蛇》を見たからだろう。一瞬、シャオーンを思い出した。


「エモ……ドーマ」


 右から左に視線を移動させながら、リサさんはそう言った。


「トアトリカ様ですか?」


 そこで、そのギラついた蛇の目で探りを入れながら、エモがトアに問いかける。

だが直ぐにリサさんが間に入り、トアを背中で隠した。

 するとエモの視線は直ぐにトアからリサさんへ戻り、彼女は偽善の笑みを浮かべる。


「気安く話しかけるな。お前たちのような者が話しかけていいお方ではない」


「言ってくれるじゃないか?! いつから私たちにそんな口を聞くようになった?!」


「人間の分際で誰に口をきいている! リックマン風情が……でしゃばるな!」


 エモとドーマは何が気に障ったのか、リサさんの態度に異様なほど激昂した。そしてそれら二人を止めるのが先頭の女――マリシアスだ。


「静まれ――」


 それはやけに冷静で、静かな声だった。だがエモとドーマは理解したように出かけた言葉を直ぐに止めた。そして次の言葉も待たずに後ろへ引き下がる。


 このマリシアスという女がこの隊のリーダーであることは勿論、彼女らにとって逆らえない者であることを印象付けさせた。


 そんなことより、“人間の分際で”とはどういう意味だ?

 リサさんは猫族のはずだ。人間じゃない。頭には茶色い猫の耳が生えているし、どう見ても人間じゃない。

 “リックマン”という名と、何か関係があるのか?

 そういえば……以前にもどこかで聞いたような気が……。


「リサーナ」


 マリシアスはリサさんの名を呼ぶと不必要に間を空け、次の言葉を話す。

 常に相手を観察しているかのような瞳――シャオーンと一瞬だが重なった。


「シャステインはいつでもお前を歓迎している。亡きカサンドラ様もお喜びになられるはずだ」


「出ていけ。次はない」


 だがリサさんは愛想もなく、強い言葉で突き返す。

 その言葉にマリシアスはリサさんをじっと見つめた後、何も言わずに一団を引き連れ町を去って行った。


「――国境の警備を固めろ。誰も国へ入れるな」


 直ぐに傍の衛兵へ命令するリサさん。その表情や声色は明らかにメイドのものではなく、彼ら――騎士の上にたつ者の風格を感じさせた。


 そして衛兵も散らばり、辺りには町民と俺たちだけが残っていた。

 リサさんと蜷局族の話は終わったはずだというのに、何故か町の人たちがここを離れようとしないのだ。


 すると一人の老いた女性がおもむろに片膝をつき、こちらに頭を下げる姿が見えた。


「ん? なんだ?」


 誰に尋ねた訳でもない。ただ思わず疑問が口から零れてしまった。

 だがネムやスーフィリア、トアも同じように戸惑っている様子だ。


 俺たちの疑問など置き去りに、気づくと辺りの町民たちが次々と周囲や隣に習い、片膝を地面につきこうべを垂れる。

 それらが俺たちの周囲を囲った。


 その頃には俺もそれが何を意味しているのか、その答えが分かっていた。


「我らが姫よ。よくぞ、お戻りになられました」


 ――すべての魔族がトアに頭を下げている。


「大きく……なられて……」


 中には涙を流している者もいた。最初に頭を下げた老婆だ。


 リサさんはその光景に対し、優しくもどこか悲しげな笑みを浮かべ、町民とトアを見つめていた。

 行方不明だった王女が帰ってきたのだ。喜ばしいことなんだろう。

 だが、何故リサさんの感情はその笑みを含め、こんなにも悲しみに溢れているのか?、

 この国に来てから、いや、リサさんに出会ってからか? もっと遡ればトアの様子がおかしくなった時から、心のどこかで引っ掛かっている違和感。

 それがここにきて、何故か俺に警告するように脈を打つ。

 だが答えは依然として謎のままだ。


 それより、流石は王女だ――と言いたいところだが、町へ来るたびにこれを毎回やられては面倒臭い。

 トアも明らかに困っているし。

 だが民との交流が王女の務めだというのなら、俺は何もしてやれない。

 これはトアの役目なのだろう。


「蛇に邪魔をされてしまいましたね」


 するとそんなことを言いながらこちらへ歩いてくるリサさんの姿が視界に入る。


「マサムネ様、今日はもう城へ戻りましょう」


「え? もう帰るんですか? 今来たばかりですよ?」


 俺の問いに、リサさんは何かを考えている様子だった。


「すみません。まさかこんなことになるとは……私のミスです。私も国に戻ってまだ日が浅いのです。まさか彼らがこの国にあれほど堂々と現れるとは、思ってもいませんでした」


「彼ら?」


「おそらく、先ほどの白装束の者たちのことを言っておられるのでしょう」


 スーフィリアが俺の疑問に答えてくれた。

 だが俺が気になったのは、その“彼ら”という言葉のニュアンスだ。


「そうです。彼らにトアトリカ様を見られてしまいました。と言いましても、それは差ほど問題ではありません。問題ではありませんが、一度ルシウス様にお伝えする必要はあります。トアトリカ様を連れて、先に城へ戻っていただけませんか?」


「それは……別に構いませんけど……」


 観光がしたかった。後、あの木の上に登ってみたかった。

 だがリサさんの表情は少し深刻そうだ。

 それに、なんだかおかしな違和感も覚える。

 もしかすると俺が思っている以上に、何かマズイ状況なのかもしれない。


「分かりました。まあ、町へはいつでも来られますし、今日は一度帰ります。二人もそれでいいよな?」


 念のためネムとスーフィリアに確認すると、空気を察したように、二人は迷わず頷いていた。

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