第228話 暗黙の理解

 黒いローブに身を包んだ、2人の者を見下ろすシュナイゼル。


「今〈ジーク〉と、そう申したか?」


 一条が口走った言葉は聞こえていたようだ。シュナイゼルは、フードにより隠れた2人の頭を見下ろす形で様子を窺う。反応を見ているのだ。

 現状、2人に対し、シュナイゼル率いる金騎士は数十。それらで周囲を囲んでいる状態にあり、優位な立場にあった。だとて、油断ができないのは、彼らが龍の心臓である可能性を考慮しているからだ。

 無論、2人は正にその組織に該当する。そして、シュナイゼルは薄々、気づいていた。


其方そなた、龍撃のジークか?」


 《龍撃》とはジークの異名だ。その出所は定かではないが、ジークは以前に、そう呼ばれるだけのことを為し、《龍》と印象付けられるような、魔法か、あるいは姿を見せたのだろう。


 一条はもう一度、口走ったことに対し「すみません」と小声でジークへ伝える。が、返答はない。

 だがジークは考えていたのだ。

 組織の決まりとして、素性を知られる訳にはいかない。これまでどんな戦いにおいても、龍の心臓の実態が暴かれる可能性は、その都度、排除してきた。そうしてきたからこそ、この組織は守られてきたのだ。

 だがだからと言って、ダームズアルダンの兵を、王を皆殺しにするのか? それは正義、いや、自分たちが《信じているもの》に値する行為か?――ジークは自身にそう問いかけ、打開策を考えていた。

 正義を為している訳ではない。優先すべきは信条だ。己のルールに従い行動する。そのルールに従えば、ダームズアルダンをとは戦闘をすべきでない。


 だがその考えは、シュナイゼルが放った次の一言で、またやり直しに戻る。


「つまり、お主が龍と?……龍の心臓と申すか?」


 シュナイゼルの問いの心意は安直だ。組織の名の由来など、もはや誰も知らない。だが皆、知りたがっている。何故、彼らは《龍》と呼称するのか? つまり龍撃のジーク。だが理由はもう一つある。何より、この場に居合わせたこと、それが最もな理由だ。


 シュナイゼルらがパスカンチンの現場検証を始めてから随分と経つが、生存者は誰一人として見つかっていない。

 そもそも彼らは、この一件を龍の心臓が関与したものであると定め、そして駆け付けたのだ。そして、そこに現れた得体の知れぬこの2人をそう思わずにはいられなかった。これはごく自然な反応なのだ。


 突き付けられた問いに、迫られた答え。

 そして、ジークは思案した果てに、その答えを見出した。


「俺たちは、龍の心臓だ」


 潔くフードを取り、素顔を明かしたジーク。それに続き、一条もフードを脱ぐ。


「そ、其方は……」


 シュナイゼルは直ぐにもう一人の者が、以前、魔族戦で共に戦った《一条》であると気づいた。


「イチジョウ殿。そうか……其方は、この組織の者であったか」


「はい、ご無沙汰してます。シュナイゼルさん」


 神妙な表情で、隠すことなく答えた一条。ジークは何も言わなかった。


「なるほど、龍撃のジーク、勇者イチジョウ。其方らが……ごほんっ、御存じかとは思うが、まずは改めて名を名乗っておこう。我はシュナイゼル、ダームズアルダンの王だ。ここへはパスカンチンからの緊急要請を受け、参った。だがこの有様だ」


 シュナイゼルは2人に、目の前の城の惨状と、もう一つ別のものを見せた。


「其方らに少し聞きたいことがある。まず、戦う意志はないと見て良いな?」


「ああ、戦闘はしない。俺も話がある。豊王よ、これはあなたを信用に値すると判断したからこその決定だ。そう理解してほしい」


 ――つまり他言無用ということだ。そしてシュナイゼルは分かっている。


 シュナイゼルとジーク。2人の会話は短く、はたから見れば、それで良いのかと、首をひねってしまうようなものだった。だが2人は互いに窺い合い、探り合い、明かした心意の元、警戒は必要ないと判断したのだ。

 これは2人の経験によるところが大きい。


「話の前に、少し見てほしいものがある。まだ一切、手は付けていない」


 すると金騎士の壁が開き、シュナイゼルは2人をある場所へと招く。そしてそれは遠目でも分かった――正門の直ぐ前にある《檀上》。


 檀上の側面には上から滴り落ちた血が媚び散りつき、固まっている。周囲の小石や砂利にも付着しているのが見えた。

 そしてその前までやって来た2人は、もう既に見えていたが、檀上へ上がり、その惨状を目にした。


「これは……」


 言葉を失うジーク。


「うっ……うっ……」


 一条はえずき出すとすぐさま檀上を降り、陰で嘔吐していた。

 その様に、辺りにいた金騎士たちは首をひねる。中には「あれは本当に龍の心臓か?」と半ば馬鹿にしたように、微笑する者もいた。

 だが一条は、まだこういったことには慣れていないのだから仕方がない。


「念のために確認する。これは其方らの仕業か?」


 檀上ではシュナイゼルがジークにそう尋ねていた。


「もちろん違う、俺たちじゃない」


 ――そこにあったのは、トンパールの死体だ。

 檀上に設置された銀の長テーブル。その上に、もはや誰だったのかも分からない、肉塊とかしたトンパールの姿があった。

 両腕と両足が切断されテーブルの下に落ちており、また胴体には首がない。

 首は檀上の隅に落ちていたが、もはや判別不可能なほど欠損していた。

 そして、切断された両手足、卓上の胴体と下半身、隅に転がる首。それらすべてに、無数のフォークやナイフといった銀食器が突き刺さっているのだ。

 血や、はぎ取られたと思われる肉の一部、もはやどこの部位の肉であったのかも分からないそれらトンパールの一部は、檀上を埋め尽くすほど散らばっており、足場に困る。

 だがそれ以外にも銀食器が無数に散らばっている。おそらくスペースがなく刺さらなかったものと思われる。


 ジークはそれら一つ一つを目で確認しながら、ここで起きた惨劇の様子を想像した。

 すると視界に入る、死体の下半身。

 丁度、股間部分に3つほど、手軽な大きめの石が置かれていた。石には挽肉のように伸びた肉が、少し筋などを残した状態で血と共にへばりついている。おそらくこの石を使い、叩き潰したのだろう――トンパールには生殖器がなかった。

 生きながらにして潰されたのか、それは分からない。

 だがそこからは、この王に対する私念――酷い恨みを感じた。


「拷問が行われたことは、言うまでもないな」


「うむ、そしてこれはトンパールで間違いない。欠損した首からも微かに面影が窺える上に、下に落ちていた服の内側から、《八岐の紋章》が見つかったのだ。体格や背丈から見ても、まず本人であることは間違いないであろう」


 つまり、これはパスカンチンが滅びたことを示す証拠だ。これをもって、この王国は完全に滅ぼされたことが決定した。


「だが、問題はもう一つある。既に見えているとは思うがな」


「……ああ」


 檀上に来るまでに、それはもう見えていた。

 シュナイゼルは檀上を離れ、するとジークをそこへ案内する。


「――この有様だ」


 正門のすぐ前に至った2人。すると傍らに、隅で吐き終えた一条が駆け付ける。


 さらなる惨状を目の当たりにするジーク。だがそれはもはや、《惨状》と呼んでよいのかどうかも微妙なものだった。

 何故なら――正門から見えるはずの国。そのすべてが、まるで、ここには初めから何もなかったかのように、塵一つなくなり、消滅していたからだ。


「……」


 ――大国の敷地を飲み込むほどの《巨大な穴》。


 ジークは言葉を失い、その光景をただ眺めていた。いや、光景などない。もうそこには何もないのだ。

 不自然に正門の枠だけが残っている。そこから襲撃者の猟奇的な一面が窺えた。

 そして、残された正門の直ぐ足元から広がる、巨大な穴。地面が深く広く掘られている。


「我らが駆け付けた時には、もう既にここには誰もおらず、この有様であった。我は初め、これは其方らの仕業かと思ったのだ。トンパールには其方らに狙われるだけの悪行の歴史があったからな」


「だがそれは俺たちじゃない。俺たちは奴をわざと生かしていた。この国が抑止力になっていたからだ。だがいつかは処理しなければいけない問題だとも思っていた……」


 こんなことを出来る者がニト以外にまだいるのか、と、そう心の中で驚愕するジーク。


「これは、はっきり言って……深刻だ」


 それがジークの正直な感想だった。もはや自分たちでは対処できない。


「誰であれ、これほどの力を有している者に対し、軽率な対応はできない。次元が違い過ぎる」


 大国を丸々飲み込むほどのその穴に、ジークは敗北を悟った。いや、まだ向かい合ってはいないことから、敗北と例えるには早すぎるかもしれない。だがその穴は、それだけ異常であり、誰にとっても信じられないものだったのだ。


「豊王、俺たちがここに来たこと。それから俺たちの素性に関する情報、そのすべては口外禁止で頼む。俺たちは信条に反する行動はしない。ダームズアルダンと一戦を交える意志もない。だがそれは、お前次第だと思え」


「肝に銘じておこう。我も不要な争いは避けたいからな、皆にもきつく言っておこう」


 心配することはないだろう。金騎士は王直属の精鋭部隊だ。力、それから思想に至るまでが統率されており、王の命令に従順なものしか所属していない。


「それに我とて、龍の心臓と関わったことを知られたくはない」


 国の長がテロ組織と繋がっているなど、あってはならないことだ。知れれば間違いなく反感を買うだけでは済まない。


 滅びた国に、もう用はない。この有様では救いようもないと判断したジークは、一条に本部へ戻ることを告げる。


「イチジョウ殿、すまないな?」


 そこで突然、謝罪するシュナイゼル。一条は何のことだか分からず、疑問符を浮かべていた。


「ヨハネスの暴挙が原因となり、其方ら勇者は、この世界に召喚された。強制召喚だ。それだけに留まらず、まさか、裏からこの世界を支えるような、龍の心臓に属していたとは……八岐の王として謝罪したい。この世界の事情に巻き込んでしまい、本当に申し訳ない」


「気にしないでください。どちらにしろ、もう俺たちは元の世界に戻れないでしょうし、仮に方法があるとしても、当分はこの世界で生きていかないといけない。なら、もうここは自分たちの世界だと、そう思うしかないんですよ。それに、これは俺が望んだことです。この組織に加わることを選んだのは俺です。だから、気にしないでください」


 一条はもう日本に戻ることを考えていない。あるのは、《日高》を見つけることだけだ。


「ふっ……そうか。其方は強き者だな」


「そうですか? 強くはないですよ、あれを見ただけでも吐いてしまいましたしね?」


 そんな他愛の無い話の中、するとジークが何やら、不穏な動きを見せる。耳に指を当て、何かに耳を済ましていた。


『ジーク、聞こえるか?』


「アルフォードか?」


 その漏れた言葉に、一条は何かあったのかと表情が強張った。

 下見だけを済ませて、何もなければ直ぐに本部へ戻る予定のはず。つまり念話があったということは、直ぐにでも知らせる必要のある、何かが起こったということだ。


『どうした?』


 ジークは、一条やシュナイゼルを待たせつつ、アルフォードに問いかける。


『説明は後回しにする、まずは聞いてくれ』


『ああ』


『――エリザをそっちに、強制転移してくれ』


 その言葉に、ジークの表情は険しいものへと一変した。一条のその雰囲気を読み取り、何かあったのだと察する。


『ジーク、とりあえず時間がない。エリザを転移させたら、事情はエリザから聞いてくれ。エリザには知らせるな、勘付かれたら終わりだ』


 勘付かれたら終わり――アルフォードのその言葉に、ジークは、彼が今どういう状況にあるのか、その姿を想像していた。

 時間がないと忠告するアルフォードに対して、「何があった?」という言葉が出てこないジーク。

 何も説明せず、ただ「エリザを転移しろ」とだけ伝えてきたことで、詳細はもちろん分からないが、ジークには分かっていたのだ――2人が危ない、ということが。


『俺が行く』


 だがジークは分かっている。


『加勢は無駄だ、分かるだろ?』


『……』


 加勢が必要なら、初めからそう伝えた筈だ。だがアルフォードはそうは言わなかった。まずエリザを転移してくれと、最初からそう言っていた。だからアルフォードの返答は分かっていたのだ。


『エリザを転移させたら次は俺だ。だがまずは、エリザを頼む。合図は俺が送るから、それまで魔法陣を展開したまま、待機しててくれ』


 微かに乱れる念話。おそらく動きながら話しているのだろう。


『ジーク……頼む。早く、エリザを』


 ジークはこの決断が何を意味するのか、それについてはもう分かっていた。だが、これがアルフォードの判断だ。


『分かった……直ぐに、エリザを転移する』


『ありがとう、ジーク。恩に着るよ』


『アルフォード!――』


 そこで一度、途切れる念話。ジークの声は届かない。


「ジークさん?」


 一条は明らかにただ事ではないジークの表情を窺いながら、指示を待っていた。

 そして、少しの沈黙が続いた後、ジークは直ぐに取り掛かった。


「一条、 転移魔法の準備だ」


「転移魔法ですか?」


「ああ、エリザをここへ、強制転移する」


 何がなんだか分からず一条は、慌てながら魔法陣を展開した。


 転移魔法は、この組織に入って最初に教わる魔法だ。転移が使えない者には酷なことだが、これが使えなければ、例外でもない限り加わることはできない。

 生憎、一条は勇者であり、万能だった。


「ジーク殿、一体何を?」


「説明は後でする。ユートピィーヤへ向かった仲間が危ない、どうやら敵と遭遇したらしい。とりあえずここへ強制転移させる。魔力を貸してくれるか?」


「も、もちろんだ! 皆の者! 魔法陣を囲み、魔力を供給せよ!」


 シュナイゼルは、説明の無いジークの焦る表情から、ただ事ではないことを悟り、金騎士に命じた。


 一条が魔法陣を展開し、安定を促す。周りの者が魔力を供給する。完璧な魔法だ。これでスムーズに転移できるだろう。


 《強制転移》とはその名の通りだ。相手の意思に関わらず、転移魔法をかけ空間移動を促す。これは魔術名というより、転移魔法の応用によるものだ。

 以前、アリエスが政宗にかけたランダム転移などは、これに該当する。

 そして、この魔法は魔力が多ければ多いほど、無詠唱に近い状態で発動できる。故に、逃走の際に良く使用される。

 エリザの性格な位置は、彼女が指に嵌めている指輪が知らせてくれる。だが距離が離れている分、発動までに少し時間がかかるだろう。それを補うのも、また魔力だ。


 一条の隣で、ジークも魔力の供給に入る。


「イチジョウ……2人が危ない」


 ジークは小声で、それだけを告げた。


「……はい」


 一条は返答に迷った。それほどジークが深刻そうな表情をしていたからだ。

 だが、ジークのその表情の意味も不確かなまま、パスカンチンの荒野にて、転移への詠唱は始まった。

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