第208話 食事という名の拷問
「様子はどうだ?」
「おそらく……もう……」
「……そうか」
ここはパスカンチンから少し離れた荒野の岩陰。そこにダームズアルダン金騎士長アルブレヒト・ヒューマン以下4名の姿があった。転移についてはもう数人分の余裕はあったものの、偵察を大人数で行う訳にもいかず、部下3名を連れ、騎士長が送られた訳だ。
そしてパスカンチンだが、もうすべての工場が崩れ、そこには国と呼べるような姿はない。無数の突起物が施された防壁、火の手と煙に包まれた工場の残骸、倒壊した煙突。その先に、不自然に無傷の城がたたずんでいる。
「アルブレヒト様、あれは何でしょうか? あの白い者たちは……」
「おそらく……あれが慈者の血脈であろうな」
「慈者の血脈ですか?!」
「声が大きいぞ」
「す、すみません、ですが慈者の血脈と言えば、慈善事業団体の名前ですよ? それもここ最近、耳にするようになったばかりの小規模な団体のはずです。そんな者たちがどうして……」
「分からぬ……分からぬが見えているものを疑うことはできん。これが真実であろう」
そこから見える国の正門前に、見渡す限りの獣人の大群がいた。その傍らには白装束の者たちが数名いる。その姿はここからでも容易に確認できた。
2人の部下は口を開くことなく、メガネのような小さな魔法陣を展開し、その様子を窺っていた。“双眼鏡”のようなものだろう。
そして1人の部下はその様子に困惑し、アルブレヒトに答えを見出したが、それは到底、信じられるようなことではなく、むしろ混乱するばかりだった。
何故なら彼らはここに、『龍の心臓』がいると覚悟した上で駆け付けたのだ。それがまさかテロ組織ではなく、ただの慈善事業団体。小規模な宗教団体だったのだから。
「彼らは、一体……」
その様に言葉が出てこない部下。
「いずれにしろ、一度シュナイゼル様に報告した方が良いだろう」
するとその時だった。
「騎士長!」
部下の一人が小声で知らせた。緊迫した様子だ。
「どうした?」
「誰か、出てきました」
するとアルブレヒトは目を細めながら“メガネ”を展開し、正門前を窺った。
「……あれは」
そこに見えているのは他の者と同じ白装束の者だ。だが一人だけ様子が違うのは、頭に獣と人間の頭蓋骨を合わせたような異様な仮面を身に着けている点である。額から生えた2本の角は、捻じれながら後頭部に向かって伸びている。
そしてその背後に、浮遊した状態の“人間”の姿も見えた。
「トンパール様……」
驚愕の表情を浮かべるアルブレヒト。
「これは……」
トンパールの姿を確認した3人の部下は、その様子に何もできず、ただ目は逸らすべきではないとし、瞬きせず凝視していた。“敵”を見失わないために。
「つまり……王城が落ちたということか」
それは事実上、パスカンチンの亡国を意味する。
「報告だ、ただちに報告せねば……」
血相を変えたアルブレヒト。事態は既に、騎士長ではどうにもならないところまできていた。偵察などしている場合ではない。一刻も早く、シュナイゼルに事を伝えなければいけない。襲撃を行ったのは『龍の心臓』ではなく『慈者の血脈』だということを。
「一時、撤退だ」
アルブレヒトがそう告げた。その時だった――
『――誰に報告するつもりだ?』
背後でまったく違う声が聞こえた。
「くっ!」
アルブレヒトはまったく反応できず、振り返りながら距離を取る。そしてその様子に目を疑った。
今の今まで普通に話していたはずの部下たちが、首を失い痙攣している。
「……」
額から汗が伝う。アルブレヒトは恐怖と怒りを抑え、混乱しながらも冷静さを保とうとした。だがいくら取り繕おうと、目の前にいるその者を睨みつけることしかできない。
「偵察か? シュナイゼルも人使いが荒い。あいつも所詮は愚物か、部下をゴミとしか見ていない。その証拠に、アルブレヒト・ヒューマン……」
「なっ!……」
「――これからお前は死ぬのだからなぁ?」
アルブレヒトは理解が追いつかない。
「何故……私の名前を……」
「愚問であろう? ダームズアルダン金騎士長、その名を知らぬ者がいるとでも?」
「アンク……アマデウス、お前は……一体……」
相手の出方を窺っている訳ではない。ただ先手を取られことと、音も立てずに一瞬で部下が殺されたことに動揺しているのだ。アルブレヒトは、はっきりと力の差を理解していた。剣を抜くか、それとも魔法を詠唱するか? だがその判断も正解ではない。長年、騎士長として多くを経験してきたアルブレヒトには分かっていた。
――自分には勝てない。
それは明白だった。
そして、戦意を喪失したアルブレヒトに手をかざすアマデウス。騎士長はただ動揺し、後退りすることもできない。足が動かないのだ。
「初めまして、龍の心臓です――」
そして、冗談交じりの言葉が聞こえた瞬間だった。アルブレヒトの首が飛び、血飛沫が舞った。
「手間をかけさせただけか……」
アマデウスの感想は辟易としたものだった。
そして辺りが真っ赤に染まると、そこには4つの人間の死体が転がっていたるだけであり、アマデウスの姿は消えていた。
――――。
▽
襲撃が終わり、集合する慈者の血脈。
「おろすよん! ここからおろすよん! お前たち、余にこんなことをしてどうなるか分かっているよん?!」
宙に浮いた状態のトンパールは、足をバタつかせながら喚き散らしていた。その周囲にはトンパールを睨みつける奴隷たちの憎悪が渦巻いている。するとアマデウスは演説を始めた。
「同胞たちよ! 我らは慈者の血脈! この男の愚行を聞きつけ、お前たち同胞を救出すべく参上したのだ」
広野に響き渡る声は、開放された奴隷たちを静まらせた。そこにはアマデウスの神たる所以があるのかもしれない。皆、彼の声とその姿に目を奪われていた。
「お前たちはこれより自由だ! どこへでも好きなところへ行くといい。だが居場所がなく、我に救いを求める者には、導きを与えてやろう。強制はしない。お前たちはもう、自由なのだから――」
するとその時、一人の白き者が魔法を詠唱すると、大地が蠢き、そこに簡易的な檀上が現れた。人が数十人上がっても余裕が残るほどの広い檀上だ。
するとアマデウスは、トンパールと共に檀上へ上がった。その間もトンパールは“下せ下せ”と喚いている。
「ではこれより! 裁きを行う!」
するとアマデウスの傍らに次元の切れ目のようなものが現れ、そこから大きな銀のテーブルが現れた。
「王城の台所から拝借してきたのだ。“食事”とは、椅子に座り、テーブルの上で行うものだろう?」
するとアマデウスはトンパールをその銀テーブルの上に下した。トンパールの小さな背丈に、このテーブルは十分であった。
そしてアマデウスは、また次元の狭間から何かを取り出す。
――銀食器だ。
無数のフォークとナイフ。それらが次元の狭間から限度なく落ちてきた。気づくと檀上に、銀食器の山ができていた。するとアマデウスはフォークを手に取り、呟くように答えた。
「贅沢な豚だ。お前たちには強制労働を強いり、その一方では、このような無駄な物を大量に溜め込み、甘い汁を吸っていたのだ。お前たちは! これまでこの豚の飼育を強制されてきたのだ! この豚が至福を肥やし、日々を怠惰に過ごすために働かされてきたのだ! その事実を受け入れよ! 現実を見つめよ! そして!……それは今日で終わりだ! これからお前たちは自由、そして!……」
「ぎゃあぁああああああああああ!」
その時、アマデウスが手に持っていたフォークで、トンパールの手の平を力一杯、刺した。
「いやぁあああああ! 痛いよぉおおん! 痛いよぉおおおん!」
フォークは手のひらを貫通し、テーブルに刺さっている。トンパールの右手はテーブルに固定される形となった。
「ハハハハハハハハハハハハハ! フハハハハハハハハハ!」
アマデウスは心の底から笑うように、腹を抱えた。
「醜いな、トンパールよ――」
「痛いぃいい! 痛いよぉおん! 腕がぁあああ!」
「この豚は口に入れて良いものではない。とまぁ、冗談はさておき、この愚物は生命ではない。お前たち獣人が崇高な者であることを理解できない時点で、こいつはゴミだ。私たちとは違う。ということは殺しても良いということだ。いや、違うな……ゴミである以上は殺すこともできない。よって、これからそれを確かめるとしよう。命に化けたこの豚は、このように――」
するとまたフォークを、もう一方の手のひらに刺すアマデウス。フォークは貫通し、トンパールをテーブルの上に
「ぴぎゃああああああああ! 痛いよぉおんん! 痛いよぉおおん!」
「――まるで痛みを感じているように喚き散らすが、これは命を演じているだけだ。気にすることはない。そして一人ずつ、気が済むまでフォークで刺し、ナイフで刺し……または肉を切り分けるようにフォークで支えナイフで切ってもいい、それはお前たちの好みに任せるとするが、この豚がゴミか、または命のどちらなのか? 私たちで確かめようではないか? だが我はその前に憶測を述べておこう。これは豚に類似した人間を模しただけの愚物だ。生命ではない」
するとアマデウスは先頭にいた女性を指差す。猫族だろうか? 頭から黒い耳が生えている。
「まずはお前からだ、フォークとナイフを取り、この愚物がどちらか見極めよ」
すると女性はゆっくりと、アマデウスの言葉に惹かれるように檀上へと上がった。するとフォークとナイフを受け取る女性。
「頭と心臓はやめておけ……意味は分かるな?」
アマデウスは囁いた。つまり、これは茶番だ。――狂った茶番。演出に過ぎない。
どれだけ痛めつけられてきたとしても、いざとなると相手を傷つけられない者は多い。だからアマデウスは、その心の枷を外し、これから行う“食事という名の拷問”をより行い易くしたのだ。できるだけ彼らが気兼ねなく、後に後悔することなく行えるように。もちろんそうでない者もいる。怒りから躊躇いなく行える者もいるだろう。だがアマデウスは弱き者の心を理解していた。
そして弱き者の一人であるその女性は、すると躊躇いつつも、フォークを勢いよくトンパールの腕に突き刺した。
「ぷぎゃぁああああああああああああ!」
「は……あはは……あははははははははははは!」
すると壊れたように笑い出す女性。そこには満面の笑みが浮かび上がっていた。女性はさらに、ナイフをもう片方の腕にも同じように突き刺した。するとさらに幸せそうに笑う女性。
「はっはっはっはっはっはっはっは!」
爆笑――女性はそれまでにない幸せを感じていた。
「それで良い! では次の者だ!――」
その後、同じように檀上へ上がっては、フォークとナイフを突き刺していく獣人たち。中には人間の姿もあったが、人間に関しては檀上を降りた後、アマデウスが『転生の戯』と呼ばれるものを行い、人から別の者へと姿を変えていた。それを拒む者は一人としていない。“適応者”でない者は、もうここにはいないのだ。
同胞と適応者……救うべきは同胞だ。だが適応者は人間であれ、このように同胞と成り得る。だがそうでない者をアマデウスが救うことはない。既に救出時に排除済みという訳だ。
そして同胞と適応者を分け、適応者を同胞へと変える作業を、慈者の血脈では選別――『転生の儀』と呼ぶのだ。
「ぷぎゃああああああ! 痛いよぉおん! 痛いよぉおん! 痛いよぉおおおおおん!」
次々と腕や足、腹など、出来るだけ心臓から離れた部位に、フォークとナイフを突き刺されていくトンパール。気づくとそこには無数の銀食器が刺さった、豚の姿があった。次に刺す者は、邪魔な銀食器を手ではらってから刺すのだが、その際に激痛が走るのか、トンパールはさらに泣き喚いていた。
その姿を『
そして集結した慈者の血脈たちは、最後まで見届けていた。
――豚の叫びが“鳴り止み”、荒野が静けさを取り戻すまで……。
「ぷぎゃあああああ! 痛いよぉおん! もう嫌よぉおん! 謝るよん謝るよぉおおん! 痛いよんぉおん! 痛いよぉおおおん! ぴぎゃぁぁああああああああああ!……」
――――。
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