第197話  アンク・アマデウス

 ラグーの町に、慈者の血脈は現れた。


「そう言えば、以前魔的通信に掲載されているのを見ました。慈善事業団体とありましたが……」


 スーフィリアの疑問に、フランチェスカは答える。


「実際のところは何も分かりません。この団体には謎が多く、耳に入る噂は悪いものばかりです。これだけ人々に支持されているはずが、裏では人攫いをしているだとか、人身売買をしているだとか、そんな噂が絶えないんです」


「じゃあ黒ですね。火のないところに煙は立たないとか言いますし」


 政宗は即答する。

 興味はなさそうだが、あまり良くは思っていないように見える。


「すべてデマだとも言われています」


 フランチェスカのアンク・アマデウスを見つめる目は、それまで輝きを放ち、何にでも興味を示していた記者の目とは違った。嫌悪感に満ちた否定的なものだった。

 アマデウスの掲げた右手の合図で、歓声が止み、アマデウスは語りかけた。時計台の上で、足をすくませ震えている女に。


「躊躇っているな」


 周囲の反応から、その声が、特別な異才を放っていることが窺えた。声の質からして、そこまで歳は重ねていないようだが、異世界において、声などなんのヒントにもならない。

 女性は恐怖を押し殺すように答えた。


「私は、もう生きたくない!」


 悲痛の叫びだ。

 アマデウスは両手を広げ、声に抑揚をつけながら語った。


「それでいい! 不平等、理不尽! 言いだせばキリがない。これらはこの世のことわりであり、逆らうべきものではない。人生において、巡りくるものというのは自身のごうとして受け入れるしかない。すなわち、お前が今その場所に至った事実、これは受け入れるしかなく、またそうすべきものなのだ」


 アマデウスの言葉に、場は静まり返り、誰もが聞き耳を立てていた。白き者が何を語るのか。群衆はそれが知りたいようだ。


「お前は水だ! すなわち、川の水が時に穏やかに、また時に曲がりくねり、そして時に激しく流れるように、すべては自然という理にあり、お前は理に反することなく、今そこに至った。では何を恐れることがある? 何を躊躇っている?」


 その演説に、トアは表情を歪ませていた。


「あの人、何を言っているの?」


 気味の悪さを感じた。語り口が問題なのではない。まるで自殺を正当化するような内容に、トアは嫌悪した。

 自殺志願者の女は言葉を返す。


「いけないことだと分かっています。命は尊いものだということを」


「そうだ! 確かに生命とは尊い。だが生命とは生まれ、そして死にいくもの。それが生命だ。では何故、今、お前は死を切り離した? 死は生と同様に尊いものだ。ならばお前がいま死を受け入れようとしているその意志に、躊躇いがあっていいはずはないだろう。何故ならそれはお前がいま言った尊き生命というもに、背くことと同義だからだ。理を受け入れず、そして流れに背くこと、これは己への背信である。死への冒涜は生命への冒涜! その場所から一歩でも後ろに下がった時、お前は自身が忠誠を誓ったその尊き生命に背き、そして、その身に悪臭をまとい、周囲に腐敗をもたらし瘴気をただよわせ、けがれとなる!」


 女性は唇と肩、そして足を振るわせ怯えている。


「貴様は命を愚弄するつもりか!」


 畳み掛けるように問うアマデウス。周囲の者は、誰一人それを否定しない。


「なんだか怖いのです」


 ネムは怯えていた。

 ネムにはよく分からない内容だが、良くないものなのだろうという思いは過っていた。


「これが慈者の血脈です」


 フランチェスカも嫌悪感を浮かべている。


「さあ、死を受け入れよ! その先にあるもの、すなわち! それが幸福である! 我にお前の選択を見せてみよ!」


 アマデウスは、左手で何かを掴むように指を歪に動かし、そして掲げた。

 掲げた腕の先に見えるのは、恐怖に震えた女性の姿だ。


『『『早く飛び降りろよ!』』』


『『『さっさとしろよ!』』』


大衆がまた騒ぎ立てる。

すると徐々に掛け声が響き始めた。

そしてそれは、次第に巨大なモノへと姿を変え、まるでそこに集まった者たちが、ただ野次馬ではないことを意味する。


『『『受け入れよ! 受け入れよ! 受け入れよ! 受け入れよ!』』』


気付くとそこに集まった全員が、ある一定のリズムを刻みながら声を出し、女性に対して自殺を促していた。

それはアマデウスの言葉を正当化するモノばかりだ。

声に出せば出すほど声は大きくなり、一部の野次馬の興奮は高まっているようだった。

さらに通りかかった者たちも巻き込み、時計台広場を包み込む言葉、そして人間の持つ負のパワー。

それが如実に感じられた。


その瞬間、女性は涙を流しながらニッコリと微笑み、塔の上から飛び降りた。

後悔があったかどうかは分からない。

女性は当初、時計台に登り、どうするつもりだったのだろうか?

試に登ってみただけかもしれない。

だがそんな都合は簡単に砕かれた。

強制的に執行された自殺。

アマデウスは、大衆を操り、女性の一歩を促した。


するとそこにさらなる大歓声が巻き起こる。


『『『うぉおおおおおおおおおおお!』』』』


そして女性は落ちていく。

地面に向かって、真っ逆さまに。

もう、助かることはないだろう。


観衆は煽り、傍観者はその様子に無表情な笑みを浮かべた。

被害者は女性のみ。だが誰が止められただろうか?

この場に、それを止めようとした者などいたのだろうか?

だが女性が飛び降りてしまった今、それはもう分からない。


「やっぱ人間って……生きてちゃいけないな」


無意識の中、そんな言葉が零す政宗。

その言葉は群衆の声に呑まれ、空しくかき消された。


だが女性が地面に触れかけた時だ。


――女性の身体が空中で止まった。


「え?」


トアがその様子に声を漏らした。


地面すれすれで止まる女性。

見るとアマデウスが、その女性に向けて、手をかざしている。


「よくやった! 彼女の命は尊きモノだ!」


すると女性の体が、ゆっくりとアマデウスの元へと引き寄せられていく。

どうやら女性は気を失っているらしい。


するとアマデウスの傍らに、複数の白いローブを纏った者たちが現れた。

それらはデスマスクのような白いマスクを顔に張り付け、白いフードとローブで全身を隠していた。


「アマデウス様、お預かりします」


「頼んだ。丁重に扱え、『転生の儀』を行う」


「かしこまりました」


すると気絶した女性は、複数の信者の群れと共に、その場から消えた。


「人々よ! 死にたくなければ一度、――死ね! であれば、あるいは死ぬこともできなくなるだろう。もはや死を恐れる必要もない。 私は生命の神、アンク・アマデウスだ! 心臓にアンクを宿し、絶望するお前たちに道を与え! 求めるお前たちを導いてやろう! さすれば! この世界も救われよう……」


そしてアマデウスは、大衆にそれ以上、何も語ることなくその場を去る。


「うわ! 今こっち見なかった?」


するとトアがまた表情を歪ませ、そして全身でそれを表現していた。

どうやらアマデウスが一瞬、トアたちを見たらしいのだ。


獣と人間の頭蓋骨を融合させたようなその仮面からは、視線を確認するような隙間はない。

近くに行けば見えるだろうか?

だが少なくとも、ここからは確認できない。


「見ましたね、どういうつもりでしょうか? 気味が悪いです」


フランチェスカも同意見だ。

ということは、そうことなのだろう。


ドリーは『生命の神』の背に魔道具を向け、シャッターを切っていた。


「こりゃあ、また記事になるな?」


興奮するドリー。


「私は嫌よ? あなたがやりなさい」


それに対し、フランチェスカは否定的だ。

もうそこに、魔的通信の記者としてのフランチェスカはいない。


「寒気がするのです……」


ネムは尻尾を立たせながら、体を摩っていた。


「じゃあもう気がすんだだろ? シュナイゼルも待ってることだし、馬車に戻ろう」


政宗はあっさりとそう言った。

特に感想も述べなければ、トアたちの言葉に同意する様子もない。


「腹ごしらえもしたし、さっさと馬車に戻って休もう」


疲れているようには見えないが、政宗はそう提案した。


「“祭り”には興味がないんだ……」


すると政宗は、時計台に背を向け、その場を去る。


人間の群れを抜け、5人が政宗の後を追う。

ネムは小走りで政宗の横に並んだ。

そして政宗を足元からじっと見上げている。


「ねえ? ニトはああいうの、どう思うの?」


するとトアが隣に現れ、突然、そう尋ねた。


「ん?」


政宗はいきなりのことで、その意味が分からない。


「ああいうの、どう思うの?」


「どう思うって?」


“ああいうの”とは、どういう意味だろうか?

政宗はそう思っていた。


「だから、気味の悪さは感じないの?」


「感じるけど? それがどうしたんだ?」


感じるからと言って、それが何だと言うのか?

政宗は冷めていた。


「……そう。別に、だからどうって訳じゃないんだけど……」


するとトアは、それ以上は尋ねず、何故か遠慮しているように見えた。


「何を怒っているのですか?」


するとトアに続き、足元のネムがそう尋ねた。

政宗は不思議そうにネムを見下ろす。


「怒ってる? 俺がか?」


その問いに、ネムはコクコクと2回頷いた。


「怒ってないけど?」


ネムはその答えに表情を変える訳でもなく、じっと政宗の表情を窺っている。


スーフィリアは何も言わず、何故か政宗の背後にピタリとくっつきついて来る。

この状況は何だろうか?

政宗は歩きづらそうに苦笑いしつつ、疑問符を浮かべた。

そして疑問の先に、それだけ先程の光景に気分を害したのだと、3人の心情を労わった。


“やはり仮面をしていた方が、居心地がいい”……表情を気にしなくても良いことから、政宗は心の中で密かにそう思った。


仮面というのは便利な物で、正体を隠せる上に、相手に表情の意味を悟らせない。

政宗は長く“仮面生活”が続いたせいか、その弊害を感じていた。


「慈者の血脈なんか放っておいて、さっさとこの町を去ろう。どうせロクな町じゃないんだ」


3人は政宗がそう言うと、何故か黙ったまま、顔を窺っていた。


政宗は実際のところ、トアとネム、スーフィリアの心意が分からない。

いつものように、またネムの頭をなでてはいるが、応え方が分からないだけだ。

そうすることで、日常に戻そうとしているのかもしれない。

なんせ、先程の光景は、あまりに非日常的なものだった。


「ああいったモノは、関わらない方が賢明です。ニトさんの判断は正しいでしょう。早くここを去った方がよさそうです」


後ろの方でそんなことを言うフランチェスカ。

その間もドリーはシャッターを切り、町の様子を撮影していた。

町の風景も記事に載せるのだろうか?


だが政宗は、関わりたくないどうこうではなく、単純に、早くダームズアルダンへ行きたいだけだった。

ダームズアルダンでの用事を済ませ、トアのために魔国へ行きたいだけだった。







 「早かったな」


馬車に戻ると、リビングでくつろいでいるシュナイゼルの姿があった。

そして彼の第一声はそれだ。


「馬はまだなのか?」


「いや、もう準備はできているが……」


もう出発は出来るということだが、シュナイゼルとしては、もっと遅くなる予定だったようだ。

この町は裕福な町ではないものの、それなりに広い。

だからもっと観光なりしてくるものだと思っていた。


「この町はもういい。早く出よう」


そう伝えながらソファーに座る政宗。


「なんだ、もうこの町には飽きたのか?」


ティーカップを片手に、尋ねるシュナイゼル。


「特に観光するところがなかっただけだ」


するとトアたちは疲れた表情でソファーにつく。

フランチェスカも表情が暗い。


「ん? お主ら、到着した時よりも少しやつれてはおらぬか?」


その言葉に、一斉にシュナイゼルの方を向く、トアたち。

顔には「聞くな」と書いてある。

すると仕方なく、フランチェスカが答えた。


「慈者の血脈がいました」


「……なるほど」


すると不自然な間を空け、直ぐに納得するシュナイゼル。

どうやらシュナイゼルも慈者の血脈については知っているらしい。

それほどまでに、『慈者の血脈』は知名度の高い組織だった。


「情報によれば、ここ最近で勢力を増してきた宗教団体だったな?」


「そうです。死人が出るようなモノではありませんでしたが……少し気分の悪いものを見てしまいました」


フランチェスカは詳しくは言わなかった。


未だに暗い表情のフランチェスカ。

その横でドリーは“カメラ”の整理をしている。


そしてしばらくすると、馬車が動き出した。


「お酒とお肉はおいしかったわね?」


トアは『岩窟王の湧き酒』を思いだしていた。

先程のことは兎も角、食事には満足したらしい。


「だな? 酒は最高だった」


「食事をするだけならまた来てもいいわね」


「……そうだな」


政宗は一拍おき、そう答えた。


トアはお酒が気に入ったのだろうか?

それとも肉だろうか?

そんなことを考えながら、しばらくソファーから動かない政宗。


そして窓の外に見える景色が動きだし、ラグーの町が遠ざかっていく。

――――。


しばらくすると、シュナイゼルはリビングを離れ、別室に戻っていった。


このリビングにはなんでもある。

ワインがあればウィスキーもある。


スーフィリアはワインを飲んでいた。

そして肉をつまむ。

何の肉かは知らないが、乾燥させたビーフジャーキーのようなモノだ。

スーフィリアは普通に食べているし大丈夫だろうと、政宗も食べてみる。


「フランチェスカさん? パスカンチンとユートピィーヤって、ここからだと遠いんですか?」


何となく、そんなことを尋ねる政宗。


「いえ、それほど離れてはいませんよ? どうしてですか?」


「いえ、特に理由はないんですけどね。なんとなくです。忘れてください」


政宗は異空間収納から先程のウィスキーと『オールド・ゲルト』を取り出した。


最初のダンジョンで見つけたこのワインだが、高価な物だと知ってから殆ど手を付けていないようだ。

と言っても偶に飲んではいるみたいだが。


酒は飲んでこその物だと思っている政宗。

だが金になるなら置いておくに限ると、あまり手を付けられないでいた。


「スーフィリア、こっちを飲めよ? 好きだろ?」


するとスーフィリアは、政宗のさしだす『オールド・ゲルト』に目を輝かせていた。


それより、これだけの食事があるなら、別にあの町へ行く必要もなかったのではないだろうか?

政宗は、ふとそのようなことを思っていた。


「フランチェスカさん? ダームズアルダンまではここからどれくらいかかるんですか?」


「そうですね……3日後には着くでしょう」


3日……では酒でも飲んで過ごそう。

それからダンジョンの様子でも見て来るか?

政宗の頭の中は適当だった。


「……とりあえず酒だな」


政宗はグラスにウィスキーを注ぐと、一口含み、そんなことを考えた。


「ふ……大魔導師か……」


ふいに零れる言葉。


「何か言った?」


トアがビールを片手にそう尋ねた。


「なんでもないよ……」


疲れた表情で窓の外を見つめる政宗。

だがそこには荒野しか見えない。


政宗は近々、“国”となる訳だが、これはいい機会かもしれない。

いずれ獣国にも行かなければいけないし、どんな国かは分からないが冥国にも行く必要がある。

その際に国という肩書は色々と役に立つはずだろう。

大魔導師が謁見を申し出ていると言えば、人を通さないという獣国も、引き受けてくれる確立が上がりそうだ。

国という概念に縛られることにはなりそうだが、悪い事ばかりではない。

利用できるところは利用すればいいのだ。


――最悪、力技でいけばいい。


政宗は酒に酔いながら、いい加減な考えを巡らせていた。











 ここは“富の国”カトレア。

人間の国にして、公然と奴隷取引を認めている国だ。


王の趣味は獣人の女性を集め、コレクションとすることであり、私利私欲にまみれている。

また他国との同盟などはなく、似たような国であるパスカンチンなどとも関わりはない。

よほどの無知か変わりものでもない限り、獣人は近づかない国だ。


冒険者ギルドがないことから、冒険者も近づかないと思いきや、実はそうではない。

この国は人の出入りが非常に多いのだ。


主にそれは商人や貴族、そして冒険者である。

しかし、何であれ健全な者はいない。


――皆、闇に通じた者たちだ。


商人は奴隷を購入すると、それを貴族などに高値で売りつける。

冒険者は奴隷を購入すると、パーティーに加え、好き放題するのだ。

奴隷は、無理やり攫われてきた者たちが大半を占め、中には村を襲撃され、火の手の上がる故郷を横目に連れてこられた者もいる。

境遇は様々だが、そういった経緯の者に幸せな者などいない。


――カトレアとはそういう国だ。


そんなカトレアだが、この国にはもう、人はいない。

それどころか、国すらなくなってしまったのだ。

国があったはずの場所は更地と化し、もうそこには何もない。

どこかの誰かが言っていたように、もはや、ここには初めから国などなかったかのようだ。


――だが痕跡はある。


カトレアは荒野にあった。

草木や、おかしな植物が乱雑に自生しており、本来、国が立つような場所でもない。

現在、国があったはずのその場所は、整地されたように平らで、草一つ生えていない。

周囲には相変わらず正体不明の雑草や植物が一面に広がっているのだが、広範囲に渡って、そこにだけ何もないのだ。


それは、ここに何かが存在していたことを意味し、ここで何かが起きた証拠である。

だが一夜にして消えた国のことなど、誰が知っているだろうか?


もはやこの国に何が起きたのか、それを知る者はいない。

カトレアは消えてしまったのだ。


そこにはもう、証拠などというものはない。


すべて、消えてしまったのだ。


――――。

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