第196話 慈者の血脈

 ダームズアルダンへと向かう王室御用達の馬車の中。

 つい先ほどまで別室へ消えたはずのシュナイゼルも揃い、リビングは人で溢れていた。

 あれから3日が経った。

 激しい雨が降り続いていた空は晴れた。

 ネムは車窓から外を眺め時間をつぶしている。

 政宗はハイルクウェートから書籍『死と生の愚弄ぐろうあざむき』に目を通していた。


 この本にはその名の通り、死と生に関する魔法が記されている。

 死を愚弄し欺くとは、生を与えるか得るための魔法ということである。生を愚弄し欺くとは、死を与えるか得るための魔法ということ。

 生きるための魔法に、トアを救う鍵が隠されていると政宗は考えている。

 

「なに読んでるの?」トアが訊いた。

「ヒーラーでも使える攻撃魔法の本だよ」嘘をついた。

「そんな魔法、あるの?」

「どうだろう」

「ヒーラーだと」シュナイゼルが向かいのソファーで驚いた。 「ヒーラーと申したのか?」

「言ったけど」

「ニト殿はヒーラーなのか?」

「ああ」少し不愛想にいった。


 シュナイゼルは頭をかかえた。


「話には聞いていたが……職業を誤魔化す輩というのは少なくないのだ。お主もその類であると思っていた」


 シュナイゼルは、ニトが嘘をついていると思っていたらしい。


「ニト殿は常日頃からその仮面を被っておるのか」

「外すことはあまりない」

「ときには外すこともあるということか」


 ニトに疑いの目が向けられている。

 異端審問の最中は誰が見ているか分からなかったこともあり、あのような嘘をついた政宗だった。

 だがシュナイゼルの問いに対し、もうその必要もないと判断したようだった。

学校を離れたことで警戒が解けたようだ。


「あれは嘘だ」

「その仮面は外した方がよい。それはお主を表す記号だ。それを見てニトだと分からぬ者はもういないと思え。面倒事に巻き込まれたくないのであれば、今後その仮面は控えた方がよい。呪いの件が虚言ということであるならば、少なくともダームズアルダンでは外した方がよいだろう」


 面倒事に巻き込まれたくないからこそ素顔を隠した。偽名も名乗った。だというのに、今ではニトという名前の方が面倒事を引き寄せる。


「面倒ごと?」

「騒ぎになるぞ」


 この仮面がブームになっているという魔的通信の記事を政宗は思い出した。その忠告も頷ける。ダームズアルダンでもニトの名は有名なのだろう。

 シュナイゼルの助言通り、政宗は素顔を晒すことにした。仮面は光の粒子となり、左耳に集まると金色のリングピアスになる。


「これでいいか?」


 そこには懐かしの政宗がいた。トアたちにとっては珍しいものではない。寮の中では常に仮面を外していた。

 政宗の素顔をみたシュナイゼルの第一声は間抜けなものだった。


「子供?」


 政宗は露骨に不満そうな顔をした。子供とは失礼な王だ。

 シュナイゼルが豪快に笑い始めた。


「いや、すまぬ。まさか英雄ニトの正体が、幼さの残る少年だとは思わなかったのだ」

「大きなお世話だ」


 しばらくして馬車が止まった。

 だがダームズアルダンまでまだ数日かかることは政宗も知っていた。


「ラグーについたようだ」

「ラグー?」政宗は訊いた。

「知らぬか。休憩所として利用される町だ。治安はさほど良くはないが、馬も人間も休憩するには便利な場所なのだ」

「便利ねぇ」


 窓から覗いてみると、枯れた土地の上に築かれたような活気のない風景だった。そのわりには人が多いように見える。

 立地がいいからだろうか、と政宗は思った。学院を出てここまで、道なりには町も国もなかった。





 フランチェスカとドリーを加え、政宗たちは『岩窟王がんくつおうの湧き酒』という飲食店へ立ち寄っていた。看板の下に〈グドゥフカ〉と店主の名前が掘られてあった。

 シュナイゼルは「王が容易くこのような町へ入るわけにはいかぬ」と馬車で待機している。

 仮面がないと落ち着かない。政宗はニトを辞めてやろうと思い、京極から奪った固有スキル『隠蔽いんぺい』でレベルを10に設定した。これで政宗をニトだと気づく者はいないだろう。最弱のヒーラーの完成だ。

 店内はにぎわっていた。人間に獣人、ドワーフの姿もみえる。

 政宗たちは適当にメニューから頼み、運ばれてきた酒とステーキで腹を満たした。


「俺が大魔導師になることが、スクープになるんですか?」


さきほどフランチェスカはが大魔導師になる心境について政宗へたずねた。


「なりますよ、もちろん。あの英雄ニトが大魔導師になるのですよ、なるに決まっているじゃないですか」

「大魔導師の具体的なメリットってわかります?」

「名誉じゃないですか」疑問形でフランチェスカはいった。

「ダームズアルダンの後はどこにいくの。やっぱり魔国?」トアが訊いた。

「どうだろう。かもしれない」


 トアが魔国へ戻ることを嫌がっているように見えた。彼女自身が話そうとしないので政宗も訊かない。心に踏み込むことを躊躇している。

 スーフィリアとネムが不安そうな目で一瞥したことに政宗は気づいた。


「もう3人を追いだすつもりはないから安心しろ。いきなりそんなことをするつもりはないし、パーティーを解散するにしても最終的に選ぶのは3人だ」


 ネムは肉を頬張った。表情を隠すように。政宗に見捨てられるとネムには行き先がラズハウセンくらいしかない。


「いつまでもお傍にいます」スーフィリアはいった。


 政宗に忠誠を誓っているのか、ただ好いているのか、政宗自身も実際のところは分かっていない。

 隣の席から興味深い会話が聞こえてきた。政宗は酒を飲みながら聞き耳を立てた。


『まじかよ。あの国そんなことになってたのか』

『一夜にして消えちまったらしい』

『消えたってどういうことだよ。人が消えたって意味か?』

『国ごと消えたんだ。人だけじゃねえ、まるで初めから何もなかったみてぇだったと』

『場所でも間違えたんじゃねぇか?』

『最初は俺もそうだと思った。だがそうじゃねぇらしい』

『マジかよ』

『ああ。だからもうカトレアはねえ』


 噂をさかなに酒に酔う。


「カトレアって何?」トアが小さな声で訊いた。


 フランチェスカが知っていた。


「王が変わったばかりの小国ですよ、悪行三昧の。どの国とも同盟を結ばず、奴隷制度を認め、獣人を集めていました」


 肉にフォークを突き刺したネムの手が止まった。

 政宗はそっとネムの頭を撫でた。しばらくしてネムはまた静かに肉を食べはじめた。


「同盟は結んでいませんでしたが、どうやら闇とは通じていたようですね。途切れることなく、奴隷が毎日のように運ばれていたと聞きます」


 魔的通信にも何やら掲載されるニュースであったらしい。

 そのとき酒場のマスターが頼んでもいないステーキと酒を持ってきた。


「ちょっといいですかい旦那」


 陽気なドワーフのマスターは優し気に微笑んだ。


「良かったらこれを食ってくだせえ。後こっちの酒もどうぞ」


 ステーキの載った皿をテーブルへ置かれた肉の焼ける音に、湯気がたっている。その左にウィスキーボトルを置いた。


「いいのか?」政宗はドワーフの顔を窺い見た。

「はい、サービスでさあ」


 ドワーフは微笑ながら答えると、カウンターへ戻っていった。テーブルには忘れずにウィスキーグラスが人数分置いてあった。

 政宗はグラスにウィスキーを注ぎ味見した。鼻からゆっくりと息を流す。美味い。鼻から抜ける蜜とバニラ、樽の香りが心地いい。


「ねえ」


 トアが訝し気にこちらを見ていた。

 政宗は「ん?」と表情で訊ねる。


「ん、じゃなくて、頼んでないわよねぇ」

「頼んでないけど。店のおごりだよ。大丈夫だって、酒に毒は効かないんだ。何しろ酒は体の毒を破壊してくれる」

「そういうことじゃなくて、なんで急にサービスしてくるのよ。たまたま立ち寄っただけなのに」

「知らない」政宗はいった。


 政宗は躊躇いなくウィスキーを流し込む。酒がまわり過ぎた時は、魔法で元に戻せばいい。

 トアは納得いかない様子だ。フランチェスカもドリーも手を付けない。


「食べないならもらうぞ」


 政宗はステーキを切り分け始めた。


「ニトさん、あんまり意味の分からない物は口しない方がいいですよ。非常に不気味なサービスです」


 ドリーがいった。


「大丈夫ですよ、ほら」


 政宗はウィスキーを流し込む。


「ネム、ステーキ食べるか?」

「はいなのです!」


 ネムは満面の笑みで追加のステーキに食らいついた。


「俺も獣人ならな。それならネムと同じようにたくさん肉が食えそうだ。ほんと、人間ってつまらないよ」


 政宗はウィスキーを一口含むと、ため息のように鼻から息をもらした。トアに見られていることに気付くと「何でもない……」とステーキを頬張った。





食事に満足し馬車へ戻ろうとした一行の耳に、歓声に似た声がきこえた。


「時計台広場の方ですね」フランチェスカがいった。

「行ってみようぜ」ドリーは楽しそうにいった。


 記者としての血が騒ぐのだろう。二人が時計台広場へと駆けていく。その後ろを政宗たちは追った。





『飛べよお!』


『さっさと飛び降りろよお!』


『ぐずぐずしてんじゃねえよお!』


『その気もないのにそんなところ登ってんじゃねええ!』


『臆病者がああ!』


『アバズレがああ!』


時計台を囲むように、群衆が集まっている。

というより野次馬だ。

もはや広場は野次馬の溜まり場と化していた。


そして皆、これを見に来たのだろう。


――時計台の上に一人、女性の姿が見える。


汚れた薄手の白いワンピースを着た、細見の女性だ。


女性は震えているようだった。

状況からして、おそらく飛び降り自殺を目的に登ったのだろう。

だが恐怖から足がすくみ、そして野次馬のせいで戻ることもできない。

戻れば何を言われ、何をされるか分からない。

石くらいは投げられるだろう。

今にも群衆は、何かしてきそうな勢いだった。


「ニト……あれ」


トアが不安そうな表情で指をさす。

その先に見えるのは、その女性だ。


「自殺だろうな……」


飛び降りた経験などなくても、見れば分かるだろう。

だが“自殺経験”のある政宗には、それがはっきりと分かった。

政宗は以前、自殺し、そしてそれは成功した。

だからこそ、今の政宗がある。


「あまり良い趣味とは言えませんね」


流石のフランチェスカもこうものは記事にしないようだ

表情を歪ませ、そこからは、はっきりとした嫌悪感が窺えた。


「趣味というか、ただの野次馬ですよ。どうせこんなもんじゃないですか?」


皆、他人事だから面白がっている。それだけのことだ。

政宗は冷めていた。


“命というのは、こんなものだ”と、政宗はそう考えている。

自分のことなら尊いが、他人の者など、ただの“数”でしかない。

数字が一つ増えようが、減ろうが、そんなことを気にする奴は変わり者だ。

つまり、何の意味もない。

もし気になるなら減った分、後で足せばいい。

命とはそんなものだ。

こいつら人間の命は……。

その様子を眺める政宗の目は、非常に冷たいものであった。


だがそれは政宗の考えでしかない。

しかしそれは、ここに集まった群衆たちにより、ある種、証明されているようなものだ。


『おい! ほら、さっさと飛び降りろよおお!』


“ほら、まだやめない”と、政宗は心の中で嘲笑った。

それが誰に向かられたモノなのかは分からない。

あるいは聞き慣れた道徳心を語る“潔白な者たち”へ向けられたものかもしれない。

“潔癖症”の政宗には、そういった者たちの“嘘”がはっきりと見えた。

そして、“偽善者”などという使い古された表現に嫌悪するほど、軽蔑していた。


“そいつらと比べれば、ここにいる輩は少なくともマシだ”と、また無言で皮肉る政宗。


「俗物ですね。自分で殺せないからこうなるのです。命は殺してこそ面白いというのに……」


するとスーフィリアが感想を述べていた。

殺してこそ面白いとは……また斬新な意見だと、政宗はニヤリと笑った。


「じゃあ、こいつら殺すか?」


政宗は問いかける。


「いえ、こんな“物”を殺しても面白くありません。それに今はそんな気分ではありませんので」


冗談だ。


スーフィリアは“物”という部分を強調して答えた。

以前のスーフィリアは人を物のように見ていた。

そしてそこに対し、今ほど自覚はなかった。

だが少なくとも人を人と見られるようになってきた。

だからこそ群衆に向かって、あえて“物”などと言ってみせたのだ。


それにしても野次馬というものは、暇人の集まりなだろうか?

活気に満ちあふれ、「まだ飛び降りないのか?」と何故か殺気だっている。

その様子に政宗の目は、益々、死んでいく。


するとその時、急に野次馬の声が止まった。

あまりにも不自然に、突然、ピタリと止まったのだ。


「あれは……」


するとフランチェスカが言葉を漏らした。

フランチェスカの視線の方向には、ある者が現れていた。


『アンク様だ……』


すると野次馬の一人が、漏らすようにそう言った。

そしてその目は、その者の姿に魅せられている。


『『『『アンク様だ!』』』』


『『『『アマデウス様!』』』』


『『『『生命の神よ!』』』』


『『『アマデウス様、万歳!』』』


すると突然、野次馬の視線が、時計台の女性からその者に移り、罵声が歓声に変わった。

群衆はさらに活気を放ち、もはや誰にも止めることはできない。


「アンク……アマデウス……」


その時、フランチェスカが言葉を漏らす。


そこに現れたのは、足が隠れるほどの真っ白なマントに身を包んだ者。

顔には、獣と人間の頭蓋骨を足したような仮面が見える。

仮面の額から後頭部に向かって流れる、捻じれた2本の角。

そしてマントの隙間から見える、真っ白な鎧に、広がって見える肩幅。

鎧には蛇が通った跡のような模様が彫り込まれている。

だがマントは二重になっているようで、正体は完全に隠れ、はっきりとは見えづらい。

そしてそれらすべてが、どの角度から見ても、“白一色”なのだ。


慈者じしゃの、血脈……」


フランチェスカは目を奪われながら、そう呟いた。

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