第172話 それぞれの恩恵

 ――客席に現れた英雄を、快く迎えた者は、一人としていない。

皆、ニトを見るなり、先ほどの試合を思いだし、そして顔を背けた。


だが政宗は気にすることなく、3人のことだけを考えていた――






 会場を支配しているのは恐怖、そして不快感。

すべて俺に対してのものだ。

何故だが分からないが、さっきよりも如実に『感情』というものを感知できているような気がする。

こうして客席を歩いている間も、皆、目を伏せながら俺を見る。

だが中には“怖いモノ知らず”な輩もいた。


『最低だよなあいつ? あんなもん、英雄でもなんでもねえよ! ただの賊じゃねえか!』


『最っ低!』


『普通あそこまでやるかしら?!』


『あんなイカレタ奴だったとはな?!』


罵詈雑言。そして誹謗中傷。

聞こえてくるのは、すべて、俺に対する侮辱だった。


だが殺す気にはならない。

何故だか分からないが、それらの声が俺には十分に聞こえていて、意味さえも理解できる程だというのに、まるで自分の体じゃないみたいに、指すら動かない。


俺は歩きながら自分の腕を確かめてみた。


「……」


だがちゃんと動く。

分かっている、ちゃんと動くことくらい。

だが“体が動かない”のだ。

身体が『殺す』という方向へ向かない。


こんな連中を消すことなど容易い。

ただ腕を一振りすれば、その周囲の奴もまとめて殺せるだろう。

だがそんな簡単なことができない。

兎に角、やる気がでないのだ。

先ほど、色々と殺し過ぎたことに罪悪感を覚えているわけではない。

むしろそういう意味での気分は晴れやかだ。

歯に挟まっていた物が取れたかのように、身体が軽い。

だがやる気だけが出ない。

脱力感があるわけでもないのに、やる気が出ない。


そう言えば、アリエスを殺した時もそうだったような気がする。


「ニト!」


その時、トアの声がした。

気付くと俺は3人の待つ客席まで来ていた。


すると、俺の名を呼ぶトアを、周りの連中が見ていた。

どこもかしこも悪意しかない。


ここには今、悪意しかないのだ。


「3人共、俺がいない間に何かなかったか?」


俺は席に向かいながら周囲にも聞こえるように尋ねる。


「何か? って、どういう意味?」


「いや……何もないならいいんだ。だがその時は俺に言うんだぞ? 直ぐに殺してくるから」


この謎のやり取りにトアは『え?』という表情を浮かべ、以前のように、どことなく悲しい表情を浮かべる。

そしてそれを悟られたくないような、苦笑いよりもはっきりとしないくらいに口角を上げ、不自然な笑みを作っていた。


だがスーフィリアだけは分かっているようだった。

何故ならネムもトアも平常なのに対し、スーフィリアだけは明らかに周囲へ殺気を放っていたからだ。

いや嫌悪感か? とにかく周りの者への怒りを感じる。


「スーフィリア、気にするな。いつものことだ」


俺がそう言うと、スーフィリアは、はっと驚いたような表情の後、ニッコリと微笑み「はい」と優しく頷いた。


俺は席に着き、次の試合までの時間をそこで過ごすことにする。


「ねえニト、なんであんなことを?」


「言わなくても分かってるだろ? 腐敗の排除だよ」


「それって……」


「いや、あいつらは関係ない。単純に俺の話だ」


トアが気にしているのは『龍の心臓』についてのことだ。

俺が腐敗の排除などという表現をしたからか、少し心配した表情をしていた。


するとその時、魔光掲示版に俺と京極の名が表示された。

だがアナウンスはまだ聞こえない。


そして……


「……ん?」


それは、何となく視線をあたりに移した時だった。

突然その中の一人から、黒い影のようなものが見えた。

俺はゴミでもついているのかと、目を擦りながららし、もう一度見てみる。

すると次はその隣にいた者にまで、それはおよんでいた。


次第に影が広がっていき、そこから見えるすべての者の体から、上へゆっくりと漂うような黒い影が見え始める。

遠くに見える者だけではない。

俺の背後にいる者まで、同じ影を背負っているのだ。


そして気づくと、会場全体が黒い影で覆われていた。


「ニト様、どうされましたか?」


「いや……それより皆、これが見えるか?」


俺は会場全体に広がっている黒い影を眺めながら尋ねる。


「これって?」


だがトアの返答はそんなものだった。


「この黒い靄のことだよ」


「靄とは……一体、何を仰っているのですか?」


するとスーフィリアは疑問符を浮かべながら、俺の視線の先を追っていた。


「ご主人様?」


どうやらネムにも見えないらしい。

何故か心配される始末。


3人共、俺の言っている意味を理解していない。

俺に見えているこの異様な光景が、3人には見えていないのだ。


そこで、今きづいたのだが、3人には靄が出ていない。

そして別の場所を見渡してみると、他にも靄のない者がいた。

あれは……獣人だろうか?

トカゲのような尻尾が生えている。

それからあれは……人間?……いや……頭に犬のような耳が生えてる。


どういうことだ?


一部、 黒い影のない者たちがいる。

そしてその殆どが獣人であるような気がする。

だが影のある者の中にも、ちゃんと獣人の姿はある。

人間でありながら影のない者もいる。

どういうことだ?


だが予想はつく。

こういった場合、大抵原因は『深淵』だ。

おそらく、また俺の中で変化があったのだろう。

最初は感情を感じ取れるようになった。

そして次に、この黒い影だ。

これにも何か意味があるはず。

もしや、この黒い影は感情なのでは? いや、答えを出すには情報が足りない。

だが俺は間違いなく、そいつらの中にある、“何か”を見ている。


「……見極めが難しいな~」


するとその時、放送が流れた。



――『これより追加試合を始めます。ニト選手および京極選手は、フィールドへお願いします』



どうやら今回、面倒臭い入場はないらしい。

控室ではなく、いきなりフィールドに来いときた。


「これで最後か……」


もう正直、佐伯との一戦でやりきった感はある。

これ以上、この茶番で見せるものなどない。

また適当にあしらって終わりだ。


「じゃあ、ちょっと行ってくるよ」


「うん……」


「応援しています」


俺は、見上げるネムの頭をついでのように撫でる。

そして、くすぐったそうに頬を赤らめているネムを横目に、塀を飛び越え、フィールドに下りた。


すると同じように、客席から姿を見せる京極。

京極は俺を見るなり笑みを浮かべていた。

何を考えているのか分からない。

だがこいつからは悪意を感じない。

そして黒い影も見えない。

一体どういうことだ? こいつらからは出そうなものだが、何が違うというのか?



俺たちは互いにフィールドへ入り、そして向き合った。


すると試合のルール説明が始まる。


「さっきの……面白いスピーチだったね?」


その最中、急に京極が話しかけてきた。


「いえ、ほんの冗談ですよ」


俺は間を空けず、適当に返答する。


「そうかなぁ?」


「……」


面倒臭い奴だ。

俺に何が言いたいのか?


「明らかにガチだったでしょ? 殺気も凄かったし、もしあの爺が止めに入ってなかったら、あんた、佐伯を殺してたんじゃない?」


何を言い出すかと思えば……


「馬鹿な、私が佐伯くんを殺すわけがないでしょ? 今後の学校運営に対しての、ただ指摘ですよ」


「流石に無理があるんじゃないかい? 俺に限らず、この会場にその言い訳を信じる奴なんていないと思うよ?」


「私は否定しました。後はお好きにどうぞ、大衆のままごとに付き合っている暇はありません」


すると何がおかしいいのか、京極は俺の返答に笑っていた。


「ところでさあ? あんた、さっきと様子が違うくない? なんかあったの?」


「は?」


次から次へと質問が止まない。お喋りな奴だ。

日本にいたころ何度かみたことはあったが、こんなにお喋りな奴だったとは思わなかった。


「マスクしてるから分かんないんだけどさあ? 明らかに佐伯とやり合ってた時よりも、殺気が出てんだよねえ~」


「殺気?……」


「うん。あんた――誰か殺したろ?」


……。


「……は?」


「なんかそんな気がするんだよねえ~ 殺した直後ってさあ? “におい”がすんだよ?」


におい?」


「あれ? 分かんない? Sランク冒険者なら分かるんじゃない? 今まで散々殺してきたんでしょ? 人も、モンスターもさあ?」


こいつはついこの間この世界に来たような冒険者だろ?

佐伯たちと同じように温室で杜撰ずさんな魔法を学んだだけの素人だろ?

だというのに…・・・臭い? なんだそれ?


「なんか、深刻そうだね?」


「深刻? どういう意味ですか?」


「まあ、適当に言っただけだけどね?」


こいつ……


「でも、あんたが怒るのも分かるよ。この世界は汚いからね」


「……そうですね」


早く試合を始めてほしい。


「俺も色々と暇なんだよ。この学校にはあんたみたいに強い人もいないし。だから、一度、あの爺を襲ってやろうかとも思ったんだ。そしたらガチで俺と戦ってくれるんじゃないかと思ってね? でもあいつ、全然隙を見せないんだよ~。だから他の奴を探しに、例えばVIP席なんかを周ってたわけ。そしたらあいつらの会話がゲス過ぎてさあ! 笑ったよ!」


そんなことを言いながら、京極は一人、楽しそうに笑っていた。


正直、VIP席を周ったなど、戯言にもほどがある。

あの部屋は関係者以外立ち入り禁止であり、部屋の外には扉の両側に衛兵が配置されているほど、警備が厳重なのだ。

そして入口は一つしかない。

透明になれたとしても、入れないだろう。


「ハハ……信じてないんだね?」


「いえ、そういうわけでは……」


「恩恵って言うのかな? 一応『戦闘師』ってことで学校側には届けてるんだけど、実はそれだけじゃないんだよね~」


「……なるほど」


どうやらこいつは戦いよりも、俺とお喋りがしたいらしい。


すると京極はニヤリと小さな笑みを浮かべた。


「俺さあ、職業が2つあんだよね?」



――――。



「は?」


「だから、職業が2つだってば」


……職業が、2つ?


どういうことだ?

職業とは1人につき1つじゃないのか?


「あれ? 食いついた? 意外だな~。あんたクラスの魔導師なら分かると思ったんだけど、もしかして、意外と知らなかったりする?」


京極は、益々、調子に乗ったように笑みを浮かべた。


「ねえ、聞きたいんだけどさあ? あんた俺の魔力、今どのくらい感じてる?」


するとその時、ルール説明が終わった。

もうそろそろか。


「そろそろですね」


「質問に答えてよ」


「試合が始まりますよ?」


「別にいいよ、どうせ本気なんか出さないんでしょ?」


「場合によります」


「俺の場合は?」


「あなた程度では、誤って殺してしまいますよ?」


「じゃあさ……」


するとその時、京極の表情が一変する。

そこには、それまでの愉快な表情とは違う、狡猾なものがあった。

そして――それと同時に、急に京極の魔力が大幅に上がったのだ。

多少の差ではない。

ほぼ2倍くらいに膨れ上がった。


「なるほどね……」


すると京極は俺の表情から、何かを読み取ったのか?


「流石のあんたもスキルで隠蔽すると分からないわけか?」


「スキルで隠蔽?」


「知らない? さっきも言ったでしょ? 俺は職業を2つ持ってるって。 『戦闘師』と『暗殺師』、これが俺の職業さ。そして暗殺師のスキル『隠蔽』。これは自分の魔力とレベルを相手に分からないよう隠蔽するものなんだけどね? そうか……知らないか……」


わざとしみじみとした様子で語る京極。


こいつの挑発なんかどうでもいい。

それよりも隠蔽だと? 魔力を隠せる?

中々便利そうなスキルだ。

だから急に魔力が跳ね上がったのか……改めてみると中々じゃないか。一条よりもデカい。


俺が使えばどうなるんだろうか?

感じ取れないほどの魔力を下げる訳だから、例えば周囲に魔力を感知させるよう促せたりできるのだろうか?


「Sランクって言うくらいだから、長いこと冒険者だったわけでしょ? なのに暗殺師のスキルは知らない訳?」


「……」


こいつはさっきから俺に何が言いたいのだろうか?

俺に本気を出させたくて挑発しているのだろうか?

なんとなくだがそうではないような気がする。

だから、先ほどから感情を探り意図を読み取ろうとしているのだが……読めない。


「俺さあ~佐伯とは中学のころから一緒だったんだよ。かといってそこまで仲が良かったわけじゃないけど、まったく話をしなかったわけでもないんだよね? なんていうか腐れ縁みたいなもんでさ? 境遇が似てるからか、あいつの考えが何となく分かったりするんだよ」


唐突に話を変え、また先ほどのペースで話し出す京極。


「例えば、あいつの嫌いな人間のタイプとか。もっと言うとあいつを嫌いになりそうな人間とかかな」


「……」


その時、俺は何となくだが、この会話自体に、上手く説明できない危うさを感じていた。

その正体に気づけぬまま、京極の話は続く。


「なるほど……そうですか……」


その時、司会者が試合開始の合図を告げた。


「君さあ? 正直、言葉が過ぎるんだよね。あんなことで怒る奴がいるはずないでしょ? そう考えるのが普通じゃない? 特に君はダンジョンを攻略したSランク冒険者で、いわゆる英雄なわけでしょ? だったら尚更、もう違和感しかないよね?」


“君”……京極は急に、言葉のニュアンスを変えた。

まるで距離が縮まったような口調で話すのだ。


するとその時、中々試合を始めない俺たちに対し、会場からヤジが飛び始める。

だが京極は表情一つ変えず、真っ直ぐ俺の目を見つめたまま、話を止めない。


「何だろう……初めて君の噂を聞いた時、1ミリもそれを疑わなかったわけでもないんだよね? だって知名度が低かったのかどうかは知らないけど、それまで冒険者ニトなんて誰も知らなかったらしいじゃない? それもそのはず、君がギルドに冒険者登録をしたのって、つい数ヶ月前の話なんだろ? 魔的通信に書いてあったよ。それから君は帝国を返り討ちにし、ラズハウセンの英雄と呼ばれ出した。あんたの名が広まりだしたのって、俺たちがこの世界に来てしばらく経ってからでしょ? それも英雄はヒーラーだって言うじゃないか? はっきり言って違和感しかないっていうか、話が出来過ぎなんだよね」


「試合を始めましょうか? そしてさっさとこのくだらない大会を終わらせましょう」


「ヒーラーが冒険者としてやっていけるなんて話、俺は一度も聞いたことがない。グレイベルクの教師ですらヒーラーを笑いの種にしてたし、これまで出会った冒険者も旅の魔導師も、ヒーラーは攻撃魔法すら使えない不遇な存在だと、それ以外のことを言った奴はいなかった。でも事実は事実。ヒーラーがSランクモンスターを倒しダンジョンまで攻略した。この事実は変わらない。ダンジョンについてはよく知らないけど、どれだけの挑戦者が死んだのかは知ってるし、それだけ分かれば十分さ。君が異常だってことは、自ずと分かる」


するとその時、最後の言葉を言い切ったと同時に、京極の姿が消えた。


だが俺には、こいつの動きが見えている。


「流石!」


見切られたことを喜ぶ京極。

その声と共に、俺の背後から蹴りが飛んできた。

俺は焦らず振り返り、蹴りをいなす。


「俺は佐伯とは違うよ? “日高くん”……」


「……」


……。


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