第10話 狂乱する意志

「一条さん、先ほどはありがとうございました」

「いえいえ、こんな俺でもニトさんの役に立てて良かったです」


 あの後ジークが俺に斬りかかりそうになった。

 そんな中の俺たちの仲裁を一条がしてくれた。

 解決はしていないが、それでも一戦交えるなんてことにならずに済んだのは一条のおかげかもしれない。


「ですが何故、王女を……」

「……日高さんに会えば、あるいは分かるかもしれません。おそらく彼も、私とおなじ虐げられた者ですから」

「虐げられた者?」


 一条にはその言葉の重さが分からない。

 だがそれは当然だ、こいつはこれまで虐げられたことがないのだろう。

 常に誰かが傍にいて、こいつは称賛されてきたのだろう。

 俺は高校に入学してからそんな一条の姿を見てきた。

 心のどこかで憧れに近い感情すら抱いていたかもしれない。

 だから俺の視界には気づくとよく一条がいた。

 だが知らないことが悪い訳じゃない。

 育った環境が違うのだから仕方のないことだろう。


 一条は俺に歩み寄ろうとしてくれていた。

 それは俺のような者には必要な存在だったのだと今なら分かる。


「ニト!」


 ジークの焦る声。

 さらに背後に魔力の波動を感じた。

 敵が5人と、5つの回転する光の槍が飛んで来る。

 おそらく風の属性魔術だろう。


「《侵蝕の波動ディスパレイズ・オーラ》!」


 俺は5つの槍を一気に覆い尽くせる程の波動を展開した。

 だが今思えば、それがダメだったのかもしれない。

 剣でも素手でも防げたんだ。

 効率など考えなくて良かった。

 いや……違う。それが問題なんじゃない。

 ヴェルは俺に言った。


 ――深淵はマスターの意志そのものだ。マスターが壊したくない物は壊さねぇ。侵したくない物は侵さねぇ。消したい物だけ、この世から消すのさ。


「ぐわぁあああああ!」


 悲鳴が聞こえた。

 だがそれは、正面の5人からではなかった。


 そこには左腕を失い肩から血を流す、一条の姿があった。


「一条……」


 俺の侵蝕だ。

 俺の侵蝕が一条の腕を侵して消した。

 何故だ、深淵は俺の意志に従うんじゃなかったのか。

 ヴェルはそう言ったはずだ、侵したくないものは侵さないとそう言ったはずだ。


「ニトさん?……」


 一条が俺に戸惑いを向けている。

 だが俺にも分からない。

 この波動が俺の仲間に触れたことは、これまで一度たりともないんだ。


 一条を救護するエリザとアルフォード。

 彼はアルフォードの肩を借り立ち上がった。


「……ニトさん」


 一条が右手で俺の後ろを指差した。

 背後で魔力の気配がする。

 敵はまだ死んでない、悔やんでいる場合じゃない。


 俺は頭に浮かんだ魔法へ 《反転の悪戯【極】》をかけた――。


「――《悔恨の産声パルトゥーレ・ピグマ》!」


 魔術 《拘束バインド》を反転させ、視界に入った5人すべてにその魔法を放った。

 動きを封じる魔法を選び、使えるように反転し詠唱。

 突然のことで俺は無意識にその行動をとった。


「あ、あ、あ、あ、あああああああああああ!」


 5人の動きが止まり、一斉に口を開き叫び始めた。

 図太い男性の叫び声は段々と別の者の声になっていく。

 これは……赤子の鳴き声だ。

 5人は同時に自身の首を抑え、苦しみ始めた。

 その時だ。

 5人それぞれの口を内側から広げ、裂くように、細長く真っ白な8本の指が、口の中から出てきたのが見えた。

 それが人間の物でないことは分かった。


 彼らの悲鳴など気にもせず、その指は顎、口、鼻、眉間、額、そして頭を、顔を縦に裂いた。

 次の瞬間、血が噴き出し、肌が異様に白い小さな人型の生き物が、体の中から人の皮を脱ぐように出てきた。


「生まれてしまった! 生まれてしまった! 生まれてしまった! 生まれてしまった! 生まれてしまった! 生まれてしまった! 生まれてしまった! 生まれてしまった! 生まれてしまった! 生まれてしまった! 生まれてしまった! 生まれてしまった! 生まれてしまった! 生まれてしまった! 生まれてしまった! 生まれてしまった! 生まれてしまった! 生まれてしまった! 生まれてしまった! 生まれてしまった! 生まれてしまった! 生まれてしまった! 生まれてしまった!」


 異常なほど痩せこけた細長い指と、あばらの浮き出た脇腹。

 腕と脚は人間のものと変わらないが、その小さな体には似つかわしくない真っ黒な長い髪が目立つ。

 体内から出てきたせいか、体や顔、髪から血が滴り落ちている。

 それはまるで、生まれたばかりの赤子のようだった。

 何かを探しているかのように周りをキョロキョロと見わたす5人の子供。

 5人は口々に「生まれてしまった」としきりに呟く。

 まるで生まれたことを後悔するかのように。


「《治癒の波動ヒール・オーラ》!」


 俺は我に返りすぐに一条の左肩を手当てした。

 だが一条の腕はもう戻らない。

 彼の左腕は侵蝕が消してしまったんだ。


「ニト、どういうつもりだ!」


 アルフォードだった。


「俺は……」

「わざとか、わざとイチジョウを狙ったのか!」

「そんなつもりは!……」

「大丈夫です、アルフォードさん」


 一条だった。


「出血は治まりましたし、疲労感もありません。それに俺には右腕があります……」


 一条は右腕で、腕のない左肩をさすりながら答えた。


「すいません……一条さん。すいません……」

「気にしないでください。ジークさんが叫んだ時に、避難しなかった俺が悪いんです」


 違う、これは俺の責任だ。

 一条はこの先も腕を失ったまま、もう戻らないんだ。

 俺のしたことは、そういうことだ……。


「マスター! マスター! マスター! マスター!」


 そこへ先ほど俺が生み出した5人の子供が近寄ってきた。

 5人はまるでヴェルのように、口々に俺を「マスター」と呼ぶ。


「なんだ?……」

「マスター、生まれてしまったのお! んで、殺すのどれ?」


 そいつらの瞳に俺はぞっとした。

 異様そのもの、まるでクレヨンで黒く塗りつぶしたような何も感じない深い黒。

 吸い込まれるような感覚だ。


「マスター、殺すのどれ?」


 聞かれている意味が分からない。

 内一人が細く高い声で訊ねてくる。


「ニト……そいつらはなんだ?」


 ジークは眉間にしわを寄せひどく警戒していた。


「マスター、これ殺す? これ殺す?」

「……止めとけ。どこへでも、好きなところにいけ」


 俺は言った。

 今はこんな訳の分からないものを相手にしていられない。


「好きなところ?」


 5人はお互いに顔を確認し合うと、問題が解決したのか、どこかへ走り去って行った。


「なんだったのよ」


 エリザはその背を汚い物でも見るかのような目で見ていた。


「アルフォードとエリザは、ここでイチジョウを見ていてくれ

「分かった」

「待ってください、俺は歩けます」

「ダメだ、お前はここで休んでいろ。ニト、工場を破壊しに行くぞ」

「……分かりました」

「わたくしもご同行いたします」


 スーフィリアは俺の腕を掴んだ。



「一条を殺す気なのか?」

「違う……そんなつもりはない。俺は守ろうとしたんだ」

「だが一条の腕はなくなったぞ?」


 どう答えればいいのか分からない。


「分からないんだ。この魔法は俺の意志に従うはずだった。俺は、お前らも一条も傷つけるつもりはなかった。だが一条の腕は……」

「よく分かりませんが、それがニト様の意志だということではありませんか?」


 スーフィリアが満面の笑みで言った


「意志…………違う! 俺はあいつを殺すつもりはもうない! あいつは違ったんだ!」


 だが事実が証明している。

 あと少しずれていたら、気づくのが遅れていたら、一条を殺していた。


「……重症だな」


 ジークは溜め息をついた。


「分かった。お前がそこまで否定するんだ、そういうことなんだろう。それにお前からその言葉を聞けて良かった。もうこの話は止めよう。いくら話してもあいつの腕は戻らないんだからなあ」


 俺はどうしてしまったのだろうか。

 正常だよなあ……いや、正常なはずだ。


「行くぞ、工場を破壊する」

「……ああ」


 その時、ふとヴェルの言葉を思い出した。


 ――――深淵を疑うのか?


 それが何を意味しているのかは分からない。

 だが、何か引っ掛かるものを感じてならなかった。

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