第9話 スーフィリア・アルテミアス

「お父様!」


 大扉を開いた途端に聞こえた悲鳴はスーフィリアのものだった。

 玉座の前にはジークたちが集まっており、尻餅をついたいつかの国王の姿がある。


 辺りにはジークたちが殺したものと思われる、関係者たちの死体が散乱していた。

 死屍累々とはこのことだ。

 至る所に血飛沫が飛び散っている。

 血だまりを跨ぎ王座へと進んだ。


「お主ら、龍の心臓か……」

「フレデリック・アルテミアス。日常的な横領、殺人、強姦。そして大量殺人の罪により、死刑に処する」


 ジークは王の首元に刃をあて淡々と答えた

 まさかそこまでの悪人だとは知らなかった。

 この国は一体どうなっているんだ、先進国じゃなかったのか。


「くだらん、実にくだらん。この国は我の物だ、それをどうしようが我の自由であろう」


 言い分は典型的な物だった。


「お前の感想など、どうでもいい。とりあえず死んでもらう、それだけだ」

「死んでもらうだと、はっはっはっ、では聞くが、お主らと我、一体何が違うと言うのだ、お主らも己の裁量で殺人を、罪を犯しておるではないか」

「信条の違いだ」

「信条と申すか……くっくっ、では我の行いもその信条とやらによるものだ。わざわざ殺されるほどのことではない。罪の定義は――」

「定義は俺たちがこの場にいることだ」

「……」

「俺たちが殺すと決めた、それだけのことだ」

「……娘も、すーフィリアも殺すというのか! 待ってくれ、娘は違うのだ、娘は!――」


 その先を言う前に、王の首はジークの刀により切り落とされた。

 切断面から血が不規則に飛び出ている。


「それも俺たちの裁量で決まる」


 ジークは首の無い死体にそう呟いた。

 そこには冷たさしか感じられなかった。


「次はお前の番だ」

「ああ」


 ジークは俺にスーフィリアを殺すよう要求してきた。


 スーフィリアの目には涙は愚か、悲しみさえ感じなかった。

 これが目の前で親を殺された者の反応だろうか、俺にはまるで、何か感情が欠如している様に感じる。


「王女様、一つお聞きしたいことがあります」


 王女は視線だけを俺に向けた。


「国民への大量虐殺を命じたというのは本当ですか?」


 俺には信じられない。

 無力を嘆き、助けたいのに助けられない。

 あの時の彼女からは自身への失望と国民への謝罪の念が感じ取れた。

 だが今、目の前にいる王女からは何も感じない。

 まるで別人だ。


「少し仮面を外します」


 俺が伝えるとジークたちは俺とスーフィリアから距離を取った。

 彼等に背を向け、俺は面を外す。


「スーフィリア」

「……ニト様?」


 どうやら俺のことは覚えていてくれたらしい。

 だが嬉しい気持ちにはなれない。


「俺の質問に答えてくれ、指示を出したのか? あの時、あそこに集まっていた民を殺せと命じたのか?」

「何故あなたがここに……そうですか。あなたは、龍の心臓だったのですね」

「あれは嘘だったのか?」

「嘘?……いいえ、わたくしは嘘などついていません」

「じゃあ虐殺を命じたという話はデタラメか、信じていいのか?」

「いいえ、それは命じましたよ」


 スーフィリアはあまりにあっさりとした表情で答えた。


「そんなはずは……じゃあ何で嘆いてたんだ、自分は無力だと悔しがってたじゃないか?」

「だって皆さんお好きでしょう、国を想い悲しむ王女は?」


 これがスーフィリアか……。


 その表情には、もはや国民への愛情などないように思えた。

 あの衛兵が言った通りだった、彼女は狂っている。

 父親の影響なのか、だとしても冷酷な狂人であるという真実は変えられない。


「虐殺を命じたのか」

「命じました。ですがあの時、お父様は私の言うことを聞いてはくださいませんでした。あれほど火を放ってほしいと言ったのに、城に燃え移ったら困るからと矢と剣で殺させたのです。どうせ死ぬのなら一度は見ておきたかった。群衆が、あの規模の群衆が一度に燃える姿を……」


 真実とはなんだろうか。

 目の前にいる彼女が真実で、あの時の王女は偽物で……。

 だが俺の心はどうしても彼女を信じたいと、今でもそう思っている。

 何かがずっと引っかかっている。


「嘘をついたのか」

「いいえ、わたくしは嘘などついていませんよ。あなたが見たいように見た、ただそれだけではありませんか?」

「……」

「どうしてそのような悲しい表情をされているのですか、わたくしには分かりません」

「……」

「わたくしは王女とスーフィリア、この二つの仮面を被って生きてきました。国民の前や大事な席では王女、城の中ではスーフィリア。それが私にとっての“生きる”ということです。ですがそれは誰でもそうなのでしょう、ニト様も同じですよね? あなたも冒険者ニト、そして龍の心臓のニトという2つの仮面をお持ちです、ではわたくしと、一体何が違うのでしょうか?」

「違いの問題じゃない。君が殺人を命じたということが問題なんだ」


 今になって気づいた。

 スーフィリアは殺人についての罪意識が俺たちよりも圧倒的に低いんだ。

 だから俺が殺人ではなく嘘を責めていると思っている。

 感覚が違い過ぎる……。

 だからジークは殺せと言ったのか。


「理解できないから、だから殺すというのですか? やはりあなたもわたくしと同じではありませんか。私も理解できなかったのです、一方的に慕ってくる国民たちが……」

「理解できなかった?」

「では良いではありませんか、彼らはわたくしを慕っているのでしょう? ならば彼らをどうしようと私の勝手ではありませんか。ニト様、あなたが知らないだけで、みんな勝手なのですよ? わたくしはある日、気づいたのです。彼らがなぜ私を慕っているのかを」


 知っているさ。

 人が勝手なことくらい。

 佐伯は勝手に俺を都合のいいように判断した。

 それが虐めとなった。


「ですがそれは違いました。彼らが慕っているのはわたくしではなく、王女でした。ですがわたくしは、それすら間違っていたことに気づいてしまったのです。彼らは慕ってすらいなかったのです。彼らはわたくしを理解できなかったのです。だからその埋め合わせを“慕う”という行動で補っていただけなのです。分かりますかニト様、今のあなたと同じです。彼らは見たいように見ていただけなのです」


 人は誰しも都合で生きている。

 すべての行動はこの“都合”で説明できてしまうのだ。

 であれば、王女が勝手だと言ったその言葉の意味も分かる。

 だが何故、それが殺人に至るのか……いや、分かる。

 俺にも覚えはある。


「理解のない彼らは“慕う”ことを選び、わたくしは偶々“殺人”を選びました。いえ、選んだというより、気づいたら目の前で起きていたという感じでしょうか。そこには、あなたが思っているような善悪は存在しません、存在しないのです」


 善悪は抽象的な概念だとジークは言った。

 自分たちは信じることに従って行動しているだけだと。

 だが、それなら俺は何を信じているのだろうか。

 俺の信じている“もの”とは一体なんだ?


 俺は何を信じて、今この剣を彼女の首元に向けているのだろうか。


「ほら、あなたも同じではありませんか。理解できないものを人は拒み、あわよくば虐げるのです。そうすることで、心の埋め合わせをするのです」


 そうだ、俺は虐げられてきた。

 彼女の言っていることは間違っていない。

 佐伯が俺を、アリエスが俺を見捨てたように、人は理解できないもの拒み虐げる。

 でも国民はどうだろうか、彼らは本当にそんな理由で彼女を慕っていたのだろうか。

 いや、それは俺には分からない。

 王女にしか見えない景色というものがあるのだろう。


「何故、私だけが求めてはいけないのですか?」


 何故、俺だけがこんな目に遭わなくちゃいけなんだ……。


「理不尽ではありませんか?」


 ああ、理不尽だ……。


「何故、わたくしは王女でなければならなかったのですか?」


 俺が被虐者である理由はなんだ。

 他の奴でも良かったはずだ。 


「であれば、殺しても良いではありませんか」


 そうだ……俺はあいつらを、佐伯を殺す。

 間違ってない。


「ニト、そろそろ殺せ――」


 いや……。


「――彼女は殺さない」

「……なんだと?」


 彼女を殺すこと。

 それは自分自身を否定するということだ。


「ニト、何を言っているのか分かっているのか?」

「彼女は殺すべきじゃありません」

「こいつらの罪は殺人だけじゃない。この国は他国に武器を流している。それはトライファールで作られた魔導具だ。それが戦争を助長させ、被害拡大につながっている。そして何より彼女は上級錬金術師、製造者の一人だ」

「製造者?」

「この国でトライファールの製造管理をしていたのは彼女だ」

「スーフィリアを殺せば」

「トライファールを根絶できる」

「……

「トライファールは上級職を有した少数の魔導師により作られる。他の者はもう殺した、あとは彼女だけだ。この国に錬金術師は彼女しかいない。彼女さえ殺せば、このさき武器が作られることはもうない」


 だから殺すのか。

 いや、それもジークの都合だ。


 スーフィリアは目を瞑り死を待っている。

 受け入れているんだ、ここが自分の最後だと。


「既に作られた残りのトライファールは?」

「このあと工場を一掃する。既に流出してしまったものは仕方がない。だが魔道具は永久的に使えるものではなく、いずれ限りがくる」

「なるほど。彼女が作らない限りはもう生まれないということですか」

「そういうことだ」

「分かりました。では彼女は私に預からせてください」

「今話しただろう、彼女は生かしてはおけない!」


 ジークの怒号が広間に響く。


「彼女はもうトライファールを作りませんよ」

「彼女の場合、存在そのものが罪だ。生かせない」

「ジーク、前に言いましたよね、信じる道を進めばいいと。これが私の信じる道です。スーフィリアはここで死ぬべきじゃない、諸悪の根源は王であり、スーフィリアではない」

「……彼女を生かしてどうするつもりだ、今度はお前がアルテミアスでも建国するつもりか!」

「パーティーに加えます。今後は王女ではなく、冒険者として生きてもらいます」


 俺は目を瞑るスーフィリアへ訊ねる――。


「それで構わないな?」

「……わたくしの命は、ニト様に捧げます」


 俺はスーフィリアの手を取った。

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