第5話 紅いドラゴン

「姫様! 頭をお下げください!」

「ヒースクリフ、このままでは二人とも終わりです!」


 その馬車には馭者ぎょしゃがおらず、独りでに走っているようであった。

 青い髪の王女が、騎士――ヒースクリフという護衛に守られていた。


「魔力も持ちそうにありませんし、このままでは……」


 トライファールとは魔道具だ。

 動力源は魔力。


「人間! 俺様の宝を盗んでおいて、ただで済むと思うなよ」


 馬車の外から聞こえる低く図太い声に、二人の表情はますます深刻さを増した。

 そこで屋根が突然に吹き飛ぶ。


「さあ、俺様から盗んだ宝を返して貰おう」


 馬車の真上から燃えるような顔が覗いた。

 二人は無数の牙とその鋭く大きな瞳に固まる。


「わっ、渡しません! 渡すわけにはいかないのです! わたくしにとってはこれは、必要なものなのです!」

「ほお、それは命よりも大事なものか?」ドラゴンは眼光を覗かせた。

「姫様! お下がりください!」


 ヒースクリフはドラゴンに剣先を向け、王女の前に出た。


「まさかその棒切れで俺様に挑むつもりではあるまいな。爪楊枝ではこの瞳すらくり抜けぬぞ?」


 ヒースクリフの額から汗が流れた。腕は微かに震え、剣が小刻みに音を立てる。


「実に下らん。俺様は盗まれた物を取り返しに来ただけだ」

「返せません! これはアルテミアスにとって必要なものなのです!」


 次の瞬間、ドラゴンは巨大な右腕で進路を塞き止め、馬車を無理やり停止させた。


「愚かな。人間とは実に愚かな生き物だ。これだけ情けを掛けてやったというのに……やはりお前らは何百年経とうと変わらんか――」


 馬車を止めた腕を大きく振り上げ構えるドラゴン。


「姫様! お逃げ下さい!」


 腕が勢いよく振り下ろされようとしていた瞬間だった――

 ――ドラゴンの巨体へ向けて、勢いよく飛び蹴りをする男の姿が、王女の目線の先――上空を通過した。


「ドラゴンスレイヤーキック!」


 ドラゴンの震える唸りにも、負けず劣らずな元気のよい掛け声だった。


 ヒースクリフは目を疑った。

 片手で馬車を踏み潰せるほど巨大なドラゴンが、体をねじらせバランスを崩し、まるで形を変えたサンドバックのように飛んでいったからだ。


「ぐぉわ!」


 ドラゴンは突然の衝撃と圧力に悲鳴を上げ、体を持っていかれた。

 転がりながら地を大きく削り、そして動きを止めるとぐったりと倒れた。


「ぐっ……なんだ。なにが起こった」

「さすがドラゴンだ。これくらいじゃ殺れないか」


 馬車を横目に前方の巨体を眺め、この時、政宗はステータスの欠落を理解した。

 渾身でもないが、それなりに力を入れていたこともあり、まさかドラゴンが起き上がるとは思っていなかったのだ。

 つまりそれは人間や獣人、魔族といった種族間での差異が関係しており、生物別での性質をステータスは数値に表さないのだと理解した。


「貴様……人間か」

「人間だったらどうした」


 ドラゴンの鼻息は大地の砂を巻き上げ小さな突風を起こした。

 だが小さな政宗にとってはちょっとした嵐だ。

 右手を一振り。政宗は風を起こし砂煙を追い払った。


「貴様。それは俺様が紅龍――ハーディー・ドゥ・シュタイン・ゴッホと知っての無礼か!」

「無礼?……よく分からんが攻撃をやめろ。俺が言いたいのはそれだけだ」

「なにか勘違いしていないか。先に危害を加えたのは奴らだぞ。俺様はこう見えても大人しい方でな、下界には手を出さんのだ。愚かな人間の想像するドラゴンとは違うのだ」

「そう言ってるけど、どうなんだ」倒れた馬車の陰に隠れる二人を見た。「先に手を出したのか?」


 王女は迷った。そして焦った。ヒースクリフは右腕を出し、今も守ろうとしている。

 だが王女はまったく頼っていなかった。


「どなたかは存じませんが!」馬車から姿を見せる王女。「お助け下さい! そのドラゴンが襲ってきたのです!」

「姫様、下がってください」ヒースクリフは顔を真っ赤にし動揺する。


 王女は白いドレスを身に着けていた。

 背後にはあの贅沢な馬車。

 政宗は直ぐにそれが王族であると確信する。


「ああ言ってるけど、どうなんだ。具体的に何をされた?」

「あ奴らは龍の宝玉を盗んだのだ。龍王様が俺様に授けたドラゴンの宝よ。人間が手にしていいようなものではない」


 紅いドラゴンと青い髪のお姫様。

 政宗は見比べた。どちらを助けようかということだ。

 龍の宝玉が気になってもいた。だがふと気づく。

 考えに耽っていた自分に、ドラゴンは決して手を出さなかったのだ。


「なんだ。なにを見ている、人間」

「いや。お前、全然襲ってこないな」

「ふん。だから言うたであろう、俺様は襲わないと」

「ふ~ん。ま、できれば俺もドラゴンは殺したくない。ファンタジーを殺すなんて馬鹿げた行為だし、それがいい奴ともなれば当然だ」


 政宗は王女へ振り返った。


「なあ、このドラゴンから盗んだ物、返してやってくれないか?」

「なっ! 馬鹿な……。あなたはドラゴンの言葉を信じるのですか!? 人間ではなく、ドラゴンの言葉を!?」

「基本的に信じられないのは人間の方だ」小声でつぶやく政宗。

「……」その言葉にドラゴンは鼻で笑っていた。

「申し訳ありませんが聞こえません!」


 王女には本当に聞こえていなかった。


「ぐだぐだ言ってないで早く返せってことだ。このままだとお前ら殺されちゃうぞ? あそこに見えてるあの国だってついでに滅ぼされかねない。お前らの国だろ?」

「ほお、それは良い事を聞いた。宝玉だけでは手持ち無沙汰だったのだ。ちょっくら滅ぼしてから帰ろう」


 ドラゴンは政宗のノリが分かっていた。

 互いに顔を見合わせあい笑った。


「言っておくがこのドラゴンはマジだ。というより、そもそもお前らの手に負える相手か? 無理だろ。宝玉は諦めて、あんたも王女なら国を守れ。もうこれ以上は言わない。あとは好きにしろ」

「姫様。宝玉をもって防壁の中までお逃げください」


 ヒースクリフは険しい表情を浮かべた。

 一方で王女は冷静だった。


「…………分かりました。宝玉はお返しします」

「姫様?」

「ヒースクリフ。言い伝え通りならばあれは紅龍です。既にわたくしたちの手に負える相手ではありません。返さなければあの者の言うように、アルテミアスが滅びてしまいます」

「マギ婆さまのお告げでも、ですか」

「……仕方がないことです。それにお告げは絶対ではありません、可能性です」


 その後、宝玉はドラゴンへと返された。

 だが政宗は半信半疑だったのだ。

 馬車から宝玉を取り出した王女の姿に、心の底から呆れため息をついた。


「悪いな」

「お主が謝ることではない」

「なあ」

「……なんだ」

「背中に乗せてくれないか」

「……断る」

「なんだよ」


 政宗とハーディーは歯を見せ笑った。


「宝玉は無事取り返せた。それより、貴様は一体何者だ? 俺様を蹴り飛ばした人間など、あ奴以来だ」

「俺はただの冒険者だ。それより俺も聞きたい。あんたはやっぱりドラゴンなのか?」

「いかにも。俺様はドラゴンだ。世間では紅龍の名で知られている。人間の世界にはあまり姿を見せぬようにしているから忘れられているやもしれぬがな」

「そうか……。俺はニトだ」

「ニト? 変わった名だ」

「ドラゴンに名前があるって初めて知ったよ」


 まじまじと見つめるドラゴンに、政宗は疑問を浮かべた。


「なんだよ」

「……お前を見ていると昔を思い出す」


 ドラゴンは巨大な翼を広げた。

 それは自身の体よりも大きな翼だった。

 そして空高く飛び上がった。


「ではさらばだ、人間。この借りはいつか返そう」

「次いつ会うか分からないだろ……」


 もう言葉はなく、ドラゴンは飛び去った。

 そこで思い出すのは贅沢な馬車に隠れる王女のこだ。政宗は振り向いた。


「なあ、もういったぞ」政宗の声に二人は姿を見せた。

「宝玉は……」とヒースクリフ。

「持っていかれたよ。元々あいつのもんだろ」

「ヒースクリフ。もう良いのです」


 王女は警戒する様子もなく政宗へ近づいた。


「わたくしはスーフィリア・アルテミアスと申します。あちらに見えます要塞都市アルテミアスはわたくしの国」

「なるほど。やっぱり王女か」

「お分かりでしたか」

「なんとなくな。贅沢な馬車が似合う美貌だ」

「スーフィリア様!」そこでヒースクリフが二人の間に割って入った。「不用意に身分を明かされないでください。まだ信用できると決まったわけではありません」

「彼はヒースクリフ。私の護衛です」


 一人緊迫した様子のヒースクリフを無視するスーフィリア。


「俺はニトだ。ところでなぜ一国の王女様が盗みなんかやったんだ。それもドラゴンから」

「それは……」王女は言いにくい様子だった。

「それは貴様のような一般人が知る必要のないことだ」

「酷い言い分だ。それが命の恩人に言うセリフか? アルテミアスの貴族はみんなそうなのか? あ~あ、がっかりだよ……」


 王女はその言葉に下を向いた。

 そこでトアたちを乗せた馬車が到着する。


「マサムネ! 怪我はない?」


 最初にトアが飛びだしてきた。

 続いてネムとシエラの姿も見えた。


「ああ。物分かりのいいドラゴンだった。どこかの国の騎士やお姫様とは大違いだった」

「分かりました!」うつむいていた王女は勢い良く顔を上げた。

「……は? 何が?」

「そこまで仰るのなら、あなたを城へお招きいたします」

「“仰るなら”の意味がわからないけど、それは俺の仲間も一緒でいいってことか?」

「へ……」


 スーフィリアは下を向いていたせいでトアたちの姿に気づかなかったのだ。てっきり政宗一人だけかと思っていた。


「も、もちろんです! みなさん全員、城へお招きいたします!」







 要塞都市アルテミアス。

 ここはアルテミアス家が所有する王城――バーファレク城だ。


「お父様。ただいま戻りました」

「帰ったか、スーフィリアよ。それでどうであった?」


 両端に国旗の連なる広間を、ステンドグラスの窓ガラスから差し込む日差しが照らしていた。

 だがそれは王座の後ろに見えるものだけだ。

 広々としつつも、政宗にはそこが閉鎖的であるように感じた。


「宝玉は手に入りませんでした」

「なるほど。して、その者らは誰だ」


 スーフィリアの後ろで片膝をつく四人。

 政宗は心の中で窮屈さを感じていた。

 だがシエラに念をおされていたこともあり表情には出さない。


「ご説明いたします」

「ふむ」


 頷く王へ、スーフィリアはさきほどあったことを話した。


「此度はスーフィリアを助けてくれたこと、誠に感謝する」

「いや、俺は全然っ――」そこへ、シエラが肩をつついた。

「マサムネ。言葉は慎重に。どんな些細なことであっても、アルテミアス王の逆鱗に触れれば私たちは即座に死刑です。粗相のないようにお願いします」

「有難きお言葉」シエラの忠告を聞いた。

「ところで父上、マギ婆さまはどちらに?」

「ここにおるわい」


 広間の隅から一人の老婆が現れた。

 腰を曲げ歩きにくそうにしている。


「マギ婆さま、申し訳ありません。宝玉はドラゴンに奪われてしまいました」


 その言葉にため息をつく政宗。

 もう一度シエラは肩をつついた。


「ぬっ!」突然、マギ婆なるものが目を見張った。視線の先には四人の姿がある。

「マギ婆、どうされましたか」スーフィリアは不思議そうに尋ねる。

「スーフィリア、そ奴じゃ! わしが見たのはそ奴じゃった!」

「え、俺?」


 老婆が力強く指をさしたのは政宗であった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る