第2話 オリバー・ジョー

 豪雨に見舞われ激しい雨粒が打ち付ける。


「おい、しっかりしろ!」


 若きアーノルド・ラズハウセンの目の前には、一人の女性が倒れていた。

 頭には茶色い猫耳が付いており、彼女の木にもたれかかりぐったりとしている。


「獣人……」


 アーノルドは彼女を抱き抱え、雨の中を馬で駆けた。


 そこは家とは呼べない小屋のようなものであった。

 アーノルドは彼女を暖炉の傍にある椅子に腰掛けさせ、毛布を掛ける。


「ここは……」

「ん、気が付いたか。あんた、倒れてたんだ。こんな雨の中で」


 彼女はアーノルドから湯気の立ったコップを受け取った。

 薄っすら笑みを浮かべる。


「悪いがコーヒーしかないんだ」

「いえ、ありがとうございます」


 彼女はコーヒーを一口、飲み。


「おいしい」

「そいつは良かったな。あんた名前は?」

「……アンナと言います」


 アンナは獣族だった。

 それもただの獣族ではない。

 獣国ネイツャート・カタルリア――その国の第2王女であった。

 アーノルドがそれを知るのは、彼女に出会ってから随分と後の話になる。

 その際、アンナはアーノルドに頼み事を告げた。

 それは獣国の追手からかくまってほしい、というものであった。


 アンナは獣国の思想や体制に耐え兼ね、国を逃げ出したのだと言った。

 この時代、獣国にはとある思想が根付いていた。

 獣人こそが高位の種族だという考え方だ。

 思想により、獣国では他種族との関わりが禁じており、だがアンナは違った。

 アンナは他種族間での関わりこそが素晴らしいと信じていた。

 何より、アンナは外の世界に興味があったのだ。


 アンナは養子となった。

 アーノルドの父もまた寛容な人物であり、養子に迎え入れたいという息子の頼みを受け入れたのであった。

 名をリチャード・ラズハウセンと言って、ラズハウセンの前王である。


「お前は私の孫のようなものだ」


 リチャードは生前、そう言ってアンナを可愛がっていた。


 しばらくして、アンナは一人の男に恋をすることになる。

 それがオリバー・ジョーだ。



「おいオリバー、貴様、アンナを泣かせたら許さんぞ!」

「は! お任せください、必ずやアンナ様を守ってみせます!」

「お父様、オリバーを虐めないでください!」


 アーノルドは複雑な心境だった。

 アンナにもいつかは男ができる。

 それは分かっていた。


 いつかは折り合いを付けなければいけない。

 守る者から送り出す者へと変わっていくのだ。


 オリバーはひた向きな男だった。

 元々戦うことを嫌い、人どころかモンスターすらも殺すことを躊躇っていた。

 だがオリバーはその感情を押し殺し、アンナを守るために自身を鍛え上げていく。

 気づくと《灰の団》において隊長の座を任されるまでになった。

 だが物事はそう上手くはいかない。


 この時代、獣国に“獣族以外は劣等”という思想があったように、獣族への差別もまた、あったのだ。


「なあ隊長、あんた最近獣族の女とよろしくやってるらしいなあ?」


 オリバーとアンナの交際を周囲の者は嘲笑ったのだ。


「フレッジャー、言葉には気をつけろ」

「悪い悪い、まさか俺たちの隊長様が、あんな汚れた種族と恋仲になるとは思わなくてなあ」


 オリバーはフレッジャーの胸倉をつかんだ。


「……もう一度言ってみろ。二度とつまらないことが言えないように、喉を焼き切ってやる」

「灰にすべきはその獣族だろうが。俺たちは灰の団だ。そうだ隊長、俺がその獣族の女を殺してきてやろう、そんで前線に物資として送ってやろうじゃないか。これで多少は獣人も生まれてきた意味があるってもんだ、そうだろ!」


 直後のオリバーの行動は想像に難くない。

 彼はフレッジャーを焼き殺したのだ。

 その炎は中々彼を燃やしきらず、じっくりと時間をかけ焼死したという。

 残されたのは灰のみ。


 オリバーは他の団員がいる目の前で殺した。


「獣族への差別は許さない。一言でも発した奴はこうなると思え」


 それはすぐにリチャード王の耳に入った。

 王は彼を不問とし、贔屓ひいきを受けたオリバーへの批判は強まった。

 誰もが言われた通り、獣族への差別を口にしなくなった。

 だがオリバーへの批判は別だ。

 彼は部下から陰で“けもの飼い”とそう呼ばれることとなった。



「今日はあなたの好きなホーンバードのお肉よ」

「そいつは楽しみだ!」


 オリバーとアンナは王都から離れたとある森の中に小さな家を建て、そこで暮らしていた。

 灰の団の隊長として王都を離れる訳にはいかず、だがアンナへの被害が心配だったからだ。

 チャールズ王は森への滞在を許した。

 誰も二人の所在については知らない。


「お父様!」


 森に現れたアーノルドを見つけると、アンナは直ぐに駆け付け抱き着いた。

 だがアーノルドが現れること、それは招集を意味していた。


「招集ですか?」


 オリバーは訊ねた。


「ああ、前線の範囲が拡大し、被害が強まっている」


 アンナは悲し気にうつむく。

 アーノルドに会えることは嬉しいが、オリバーがいなくなることも考えてしまう。

 彼女の心境は複雑であった。


「直ぐに戻るからアーノルド様と待っていてくれ。きっと無事に戻ってくるから」

「うん……」


 待っていてくれ。

 アンナはそう言われるのが嫌いだった。



 ウラノス草原の戦い――。


 一人の男により、この戦いは歴史に名を残すことになる。

 それがオリバー・ジョーだ。

 彼は灰の団の歴代隊長の中でも最強と称される。


「おい、あれはまさか……」


 炎を身に纏った、その少数精鋭の部隊を見た者は、口々に恐れを呟く。


「間違いねえ……灰の団だ!」


 その瞬間、敵陣営に警鈴が鳴り響いた。


「オリバー・ジョーが出たぞ!」


 しばし、彼は“遺灰”の名で知られた。

 その姿を見た者は一瞬にして灰となり、跡には灰すら残らない。

 灰も残らないことから、人が死んだのかどうかすら分からない。

 彼は当時、戦場において最も恐れられていた。



 アンナはアーノルドと共に、オリバーの帰りを待っていた。


「アンナ様、ここにおられましたか」


 とある一団が現れた。

 その者たちの頭にはアンナと同じ獣の耳が生えていた。

 だが形は様々だ。


「貴様ら、何者だ」

「お父様……」


 アンナは殺気立つアーノルドを制止する。

 彼女は諦めていた。


「我々は獣国ネイツャート・カタルリアより参りました、獣王セリオン様の使いの者です」


 それはアンナの獣国への帰還を意味していた。


「獣国の戦士が一体何の用だ、ここはラズハウセンの領土だぞ」

「お分かりになりませんか? 我々は、そちらにおられます王女様を連れ戻しに参ったのです」

「……アンナは私が倒れている所を見つけ、私が今日まで育ててきた。私の娘であり、ラズハウセンの一国民だ」


 使いの者は、その言い分に笑みを浮かべた。


「それはつまり、ラズハウセンが獣国の王女を誘拐したと、そう受け取っても宜しいということですか?」


 当時、獣国は大陸最強とまで言われるほど、武力において右に出る国は無かった。

 獣国では騎士のことを戦士と呼ぶ。

 戦士は強靭な肉体と、獣術と呼ばれる独特な武術を有していた。

 比べラズハウセンは弱小国だ。

 獣国と争えば結果は目に見えていた。


 アーノルドは言葉を詰まらせた。

 見兼ねたアンナは自ら告げた。


「1日だけ。どうか1日だけ、お時間をいただけませんか? 明日にはあなた方と共にここを発ちます」

「アンナ?……」


 私は何もできない。

 自分と国民の命を天秤に掛け考えることなど、アンナにはできなかった。


「分かりました。では姫様、明日また参ります」


 使いの者の聞き分けの良さが、アーノルドには癪だった。

 完全に下に見られている。

 彼等には、アーノルドが逃げられないと分かっていた。

 逃げれば戦争が始まってしまう。

 だからこそ、この男は愚かな行動には出られない。

 アーノルドは見透かされていた。


「お父様、私はオリバーを死なせたくありません。もしオリバーの存在を知られれば、獣王はオリバーを放ってはおかないでしょう」


 獣人こそが最も優れた生き物であるというう思想。

 故に獣族以外との結婚など認められない。

 人間の子を孕むなど以ての外だ。

 もしそれが知られれば、男は殺され、女には懺悔ざんげと呼ばれる厳しい罰が待っている。


「幸いにも、私はまだあの人の子を孕んではいません。黙っていればバレることはないでしょう。オリバーは殺されずに済むはずです」

「……私に、どうしろというのだ?」

「死んだことにしてください」


 それがアンナの答えだった。


「私は野盗の襲撃に遭い、殺されたと、そう伝えてください。オリバーはまだ若い。あの人と結ばれることを望む女性は、他にいくらでもいるはずです」

「アンナ……」

「お願いします」


 アンナの瞳から涙が零れた。


「明日、私が発った後、この家を燃やしてください」

「バカな、何故そこまでする必要がある!」

「真実を知れば、オリバーは必ず私を追ってきます。獣国にも来るでしょう。ですから彼には私の死を信じ込ませる必要があるのです」


 翌日。

 使いの者が現れ、アンナは獣国へと連れていかれた。

 アーノルドはアンナとの約束通り、家に火を放ち燃やした。


 オリバーが戦場から戻って来たのは、それから数日後のことであった。

 焼け落ちた家を前にオリバーは声を漏らす。


「アンナは、アンナはどこですか」

「野盗が襲ったのだ」

「アンナはどこに」


 家を見上げるオリバーの目は、まるで視点が合っていない。

 ただ見開いているだけのようであった。


「お前は、見ない方がいい」


 オリバーはその場に膝から崩れ落ちた。

 奇妙に笑い始める彼に、アーノルドは何も言葉をかけることができなかった。


 しばくして、オリバーは灰の団を辞めた。


 どんな種族であろうと虐げられることなく、自分の望む生き方ができる、そんな世界をアンナのために作る。

 オリバーの言葉に、その後アーノルドは彼を騎士の育成に務めさせた。


 しかし今から2年前、悲劇は起きた。

 オリバーはかつて部下だった者たちを、そして教え子を皆殺しにしたのだ。



 王都には鐘楼が鳴り響いていた。

 それは王都に異変が起きたことを知らせる合図だ。

 王城その周囲の至る所に、消えない炎が広がっていた。


「オリバー、止めろ!」


 アーノルドは試みた。


「アーノルド様、私は間違っていたようです。あの日、気づくべきでした。人間こそ悪であると」


 オリバーの目には憎悪が浮かぶ。


「アンナを失ってから私は、暗く深い、どこか知らない底ばかり見つめていました。それしか見えませんでした。そんな私に、部下は何と言ったか知っていますか?」

「オリバー……」

「獣飼いが獣を手放したぞ!」


 オリバーは両手を広げ高らかに笑った。


「私を、アンナを嘲笑ったのです!」


 周囲の炎が二人の顔をゆらゆらと照らす。


「あれから月日が経ちました。今はどうでしょうか、あの時代よりもマシですか。いえ、違います。会話が希薄になっただけです。皆、心の奥では今も他種族に対する差別意識を持っています。表に出さないだけです。人間とは偽善の集まりだ。多くは語らず、皆、内に秘め、隠したがる。自分こそが偉いのだと、高位の種族だとそう思っているのです。たちが悪い。もうこんな馴れ合いには疲れました。ここにアンナの居場所はない」

「違う! 良くなっているはずだ、それはお前も分かってるはずだろ? こんなことをしても、アンナのためにはならない!」


 アーノルドはふと気づく。

 背筋に悪寒が走った。

 オリバーの片目が赤く光っていたのだ。


「お前がアンナを語るな」


 オリバーの魔術は凄まじく。


「《水流の暴風アクア・ディ・ミストラル》!」


 アーノルドは防ぐだけで精一杯だった。

 オリバーは片手一つで周囲の炎を集め、目の前に火の柱を形成する

 すべての炎が彼の支配下にあるようだ。


「偽善の王よ! お前が築いたこの国は、人間そのものだ! お前はアンナを見殺しにした。獣人だからか?……アンナが獣人だから助けようとしなかったのか!」

「何を言っている……」

「見るに堪えない、虫唾が走るんだよ、お前らの馴れ合いは」


 オリバーは足元に転がる死体を見下ろし。


「こいつらが最後に発した言葉は国への忠誠だった。だがおかしいとは思わないか、命尽きるその瞬間まで、自らを押し殺し、真実は口にしない。いや、押し殺されたんだ。偽善の王が生み出したこの国の思想に」

「思想だと、どういう意味だ?」

「平和だ! それがこの国の思想だろう! お前はこいつらに平和を押し付けたんだ!、だからこの国では種族を差別し侮蔑する者はいない。だがそれは違う。お前は平和を謳うことで国に安寧をもたらしたつもりでいるが、それは屍の上に土を被せただけの行為に過ぎない、悪臭は隠せないんだよ」


 オリバーは周辺の炎を言ってんに集めた。


「平和を謳うから平和が壊れる、ならばどうすればいい? 破壊か? 違うな。灰に帰すことだ、記憶も痕跡もすべて消せばいい」

「聞いてくれ、アンナはまだ生きているんだ」

「お前がその名を口にするな」


 それがアーノルドの聞いた、オリバーの最後の言葉であった。

 彼は王都中に時雨のような火を降らし、公然と姿を消した。

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