第44話 サイレン

 俺たちは始まりの町ミラの一画に構える、スタイン亭というワルスタイン専門店へ訪れていた。

 朝方だというのに店は客であふれている。

 だがそれもそのはず、グレイベルクで何かあったらしいと、客がヒソヒソ話をしていた。


 ここへ来るまでにそんな町民や衛兵と何人もすれ違った。

 どうやら最後に王城へ放った黒い球体が、ミラの町からも見えていたらしい。

 横着はするもんじゃないなと、少し反省した。


 大きめの丸テーブルにはワルスタインのステーキやサラダ、そして酒など、朝食とは思えないメニューが並べられている。

 ジークたちは運ばれてくるなり急ぐように食べていた。


「思ったんだが、今回の襲撃はお前らだけで何とかなったんじゃないか?」

「結果的にはな。だがアリエスは手ごわい相手だ。本来ならばあのようにはいかなかっただろう」


 三人のローブには認識阻害の魔法が付与されている。

 だから“アリエス”などと口にしても周囲の者は誰も何も思わない。

 もちろん俺のローブにも認識阻害の効果がある。


 そんなことより、トアに借りている物だというのに返り血が酷い。

 俺は手に入れたスキル《洗浄》でキレイにしておいた。


「つまりアリエスは暗殺が得意だったわけだろ?」

「暗殺と言っても、アリエスはその筋ではSランク認定されるほどの腕の持ち主だった。普通の暗殺とはわけが違う」


 いくら聞いても釈然としない。


「力を借りたのにはもう一つ別の理由がある。俺が最も危惧していたのは召喚された勇者の存在だ。勇者の居場所についてはあらかじめ情報をつかんでいたが、介入は十分に考えられた。今回、何故あそこにいなかったのかが不思議なくらいだ。もしあそこに勇者がいたなら、やはりお前の助けは必要になっていたはずだ」

「勇者ねえ……それはそうとして、お前らはこれからどうするんだ?」

「次は魔国へ向かう」

「魔国?」

「大森林を抜けた先にある魔王の国だ。詳細は聞いてないが、父の頼みでな」


 魔国――もしかするとそこにトアの両親がいるかもしれない。

 俺は念のため、ジークに魔国の方角を確認しておいた。


「ニトはどうするんだ」

「俺は……ラズハウセンに戻って旅を続けるつもりだ、仲間もできたしな。そういえば今思い出したが、大階段で深淵魔法がどうとかって言ってたよな。あれはどういう意味なんだ?」

「ただのおとぎ話だ、つまり存在しない。戯れ言だ、気にするな」


 ジークは大した話じゃないと言う。


「あくまで俺個人の仮定の話だ。おとぎ話とは誰かが作ったものであり、その中に登場する物や人物は製作者の妄想に過ぎない。だが今は、すべてがそうではないのかもしれないとも思っている」

「今は?」

「ああ。何故なら喋る杖は実在していたわけだからな」


 ジークはそう言いながら、俺の椅子の隣に立っているヴェルを見た。

 杖だというのに、こいつは俺の支えがなくても勝手に歩き勝手に立つのだ。


「つまり、ヴェルもその本に出てくるってことか」

「名無しの冒険者よ。名前のない冒険者の物語なんだけど、彼も旅の道中で喋る杖を仲間にするの」

「ふ~ん、何で名前がないんだ?」

「知らないわ。私も小さい頃に読んでもらっただけだから……」


 エリザは少し物悲しそうだった。

 何か過去を思い出させてしまったのだろうか。

 そこへアルフォードが口を挿む。


「あれは子供をしつけるために親が読み聞かせていたものだ。友達を大切にしないとみんなに忘れられるぞってな。俺は母にそう教わった」

「深淵魔法っていうのは?」

「物語の最後に、“深淵の魔法にとりつかれた裏切り者の冒険者は、深淵に落ちた”って一文が出てくる。俺も詳しくは覚えてないが、確かそんな感じのことが書かれていたはずだ」

「裏切り者ねえ……」

「まあ、所詮おとぎ話だ。深く考えるようなものではない。それに、そもそも深淵魔法というのは、特定の魔術を指す言葉ではない。あれは魔法を悪用した者に対して使う、皮肉や戒めのようなものだ。魔法の深淵に落ちるような真似はするな、とな」と、ジークが補足する。

「つまりアリエスやヨハネスみたいにはなるなってことだ。あいつらは言ってみれば、ある種の深淵に落ちたんだよ」


 一瞬でも家族だったアルフォードには、何か思うことがあるのだろうか。

 そう語るアルフォードの目の奥に、やはり悲しみが見え隠れしているような気がした。


『さっきから話を聞いてりゃあ、好き勝手言いやがって。お前ら酷え奴だなあ。深淵はあるに決まってんだろう』


 するとヴェルが気分を害したような顔で三人を見ていた。


「あるに決まっているとは、どうい意味だ。何を言っている」


 ジークは冷静な口調だが、少しばかり戸惑っているようにも思えた。


『そのままの意味だ。マスターの魔法のすべてが深淵であり、この世界において深淵とは特定の存在だけを意味する。存在しないだのおとぎ話だの、いい加減なことを言われちゃ困るぜ』

「ヴェル。お前、やけに詳しいなあ」

『当たり前だろ、俺はマスターの半身だぜ?』

「半身? それよりそのマスターってのはなんだよ。できればやめてほしいんだけど」

『自分の胸に聞くことだ。俺はマスターが望んでるからマスターと呼んでるだけだ。それ以外の意味はねえ』


 三人はお喋りなヴェルの話についていけないといった様子だった。

 その後は無視して肉に気を向けていた。

 どうやら深淵とはそれほどに非常識なものであるらしい。

 ヴェルがいくら訴えても、ジークは口ごもるばかりで納得した様子は見せなかった。



「やはり一緒に来ないか」

「……いや。ラズハウセンに帰るよ」


 俺たちはミラの正門前に来ていた。

 時間にしてもう正午は過ぎているだろう。

 辺りはスタイン亭を訪れた頃よりも騒がしくなっていた。

 ちらほらグレイベルク兵の姿も見える。


「色々すまなかったな、急に呼び出してしまって。だが助かった。ありがとう」


 そう言ったのはジークだった。顔に似合わず律儀な奴だ。


「別にいいさ。経験も積めたし、それに、次は俺が呼ぶかもしれないしな」

「その時は遠慮なく言ってくれ、直ぐに駆け付ける」

「でも、まさか偶々出会った奴らと国を襲撃することになるとは思ってなかったよ」


 そう言うと、三人は「同感だ」と笑った。


「じゃあ、転移魔法をかけるわ。場所はニトが転移前にいた所にしか飛ばせないけど、それでいいかしら?」

「ああ、そこで大丈夫だ」


 正門から草原の先をふと見つめた。

 遠くに、防壁に囲まれたグレイベルクの姿が見える。

 あそこには佐伯や、他の勇者たちもいる。俺を見捨てた奴らだ。

 アリエスを殺した後に生まれた、この説明のつかない感覚。

 心はまるで落ち着かず、何故か喪失感を覚えている。

 意味不明だ。


 アリエスを殺し、俺は心の底から満足感を得たはずだ。

 だがその後に襲ってきたのは何とも言い表しがたいこの感情だった。

 分からない……分からないが気持ちのいいものではない。

 何を間違ったのだろうか……。

 だが何かを間違ったのだろう。

 だから俺は今も後ろ向きに悔やんでいる。


「ヴェル……」


 何故かヴェルに話しかけていた。


『マスターに分からねえことは俺にも分からねえぜ。だが今じゃねえんだろう。マスターもそう感じてんじゃねえのか?』


 ヴェルは俺の心を理解するように即答した。


「……かもな。でも、分からない」


 転移の光に包まれると、背後に立っていた三人の姿が消えていく。

 俺は何も分からないまま、グレイベルク領を後にした。



――『緊急避難警報! 緊急避難警報! 現在、緊急避難警報が発令しています。住民の皆さんは速やかに避難してください。繰り返します。住民の皆さんは速やかに避難してください』


 俺は、戻って来たのだろうか……。

 転移の光が収束した時、頭に流れ込んできたのは何やら騒がしい声だった。


「アナウンス……とは違うな」

『まったく、物騒な世の中だ』


 ヴェルは呑気にあくびしていた。

 周りを確認してみると、ここはエカルラート邸で間違いないだろう。

 自分の部屋に立っていた。


「この音は何だ……」


 繰り返されているのは“緊急避難警報”――住民への非難を促す言葉と、この頭が痛くなってくるような鐘の音だ。

 金槌で何度も叩くような音が外で響いているのが分かる。


 部屋を出て廊下を見渡してみた。

 だが誰の姿もない。

 鐘の音が少し大きくなっただけだ。

 窓の外を確認してみても無人の庭園が見えるだけだ。

 ここからでは町の様子は見えない。


 しばらく廊下を進み階段へ差し掛かった時、二階へ上がってくる誰かの足音が聞こえた。


「ん! マサムネ君じゃないか!?」


 そこに現れたのはブラウンさんだった。


「今までどこに行っていたんだい、心配したんだよ」

「ブラウンさん、この音は何ですか? みんなはどこへ……」


 俺の質問に、ブラウンさんの表情が暗くなる。


「……王都を、モンスターの大群が襲ったんだ」

「え……」

「このサイレンは住民への非難を知らせるものだ。既にシエラもヒルダも現場へ向かった、他の白王騎士の皆さんと一緒にね。トア君とネム君は警報が聞こえると飛び出して行ったよ。王都の防壁の外では、今も冒険者や王国騎士たちが戦っているそうだ」


 頭が真っ白になった。どういうことだ。

 何故そんなことになっている。

 俺が留守にしていたこの数時間に、一体なにが起きたんだ。


「白王騎士って、全員ですか?……」

「ああ……だが詳細は国民には知らされていない。だがそれほどの事態だということだろう」

「トアもネムも戦場に……状況は、戦況はどうなんですか?」急かすように尋ねた。

「……あまり、良くないらしい。どうやらSランクのモンスターまで現れたらしいんだ。だから避難が始まったんだよ」

「Sランク……」

「最初はそうではなかった。ただのモンスターの異常発生だと聞いていた。だが突然、事態が急変したんだ」

「急変?」

「ヌートケレーンという精獣が何匹も現れたらしいんだ。それからだった。国全体に避難警報が発令された。その頃には死者も出たらしいと、町では騒ぎになっていた」


 ブラウンさんの表情が暗くなる。


「妻や屋敷の者は先に避難させた。すまない、私は止めたんだ。だが自分は猫族の戦士だからと……二人を止める事ができなかった。すまない……」


 言葉を詰まらせるブラウンさんを置き去りに、俺は直ぐに家を飛び出した。


「マサムネ君!」


 早く、みんなのところに行かないと……。

 大切な、仲間なんだ。だから――。



 普段なら賑わいを見せる平和で穏やかな市街地。

 だがそこはもう、閑静な住宅街と化していた。

 町の雰囲気に呑まれるように、茫然とする政宗の足取りが落ち着いていく。


『なんだこりゃあ、寂しい街だなあ。誰もいねえじゃねえか』


 ヴェルは人の少なさに愚痴をこぼしていた。


「そんなものは置いて行きなさい!」 


 政宗は荷造りをしている住民の姿を見ていた。

 既にほとんどの住民が避難を終えているのか、人影は数えられる程度しかない。


「パパ、お引越しするの?」


 そこで政宗の視界に、一人の少女の姿が映った。


「そうだよ。でも少しの間だけだ、心配しなくていい」


 父親は娘を不安にさせまいと頭を撫でる。

 政宗は、歩き進みながらその姿を見ていた。

 市街地を抜けると数人の住民や商人らしき者。

 また旅人と思われる者たちが政宗の横を通り過ぎて行った。

 表情はそれぞれ深刻そうだ。

 そこへ、政宗にとって見覚えのある顔が現れる。


「あんた……まだ逃げてなかったのかい」


 シャロンは政宗を見るなり血相を変え驚いた。


「シャロンさん……」

『なんだこの婆さんは?』

「残念だよ……私もこの国には長いこと住んでるけどねえ。だけどもうどうしようもないのさ」


 シャロンは辺りを見つめながら、どこか遠くを見つめるように話した。


「防壁の外から戻って来たっていう、何人かの冒険者が話してたよ……戦況は良くないらしいねえ」

「良くないって……シャロンさん! トアやネムがいるんですよ! シエラだっているんです!」

「なっ!……トアって、あの魔族の子かい!? なんでネムまで……」


 どうやらシャロンは知らなかったようだ。


「ホントに……バカな子だよ。あの子は……」


 シャロンは目に涙を浮かべていた。


『縁起の悪い婆さんだ。マスター、死臭が移らねえうちにさっさと行こうぜ』


 ヴェルがそう言った時、何かの割れる音が聞こえた。

 見るとシャロンが尻もちをつき、その隣でつぼが割れている。


「あんた……そりゃなんだい……杖が……」


 政宗はそんなシャロンを横目にその場を離れる。


「ま、待ちな!」


 政宗の背中に呼びかけるシャロン。


「あんた、まさか行くんじゃないだろうねえ!」

「……」

「止めときな! 命を無駄にするだけさ、ヒーラーのあんたにできることなんかありゃしないよ!」

『なあマスター、この生き物はなんだ? もしかしてこれがモンスターなんじゃねえのか? ここでこのSランク婆を殺っとこうぜ!』

「先を急ごう」


 政宗はまた歩き出す。


「待ちなって言ってんだ! 冒険がしたいなら諦める勇気も必要だよ! あんたはまだ若いんだ! これ以上、死者を出さないでおくれ!」


 そこで政宗は足を止めた。


「ヴェル、ここから防壁の外まではもう少しかかる」

『飛んで行くってのはどうだ?』

「飛ぶ?」

『そう考えてたんだろ? 怠惰なマスターは《神速》を使うよりも、ひとっ飛びできねえかと考えた。あるぜえ、俺たちには飛ぶ方法がなあ』

「Sランクのモンスターがいるって話さ! そんなところにあんたが行ったって、奴らの餌になるだけさね! ヒーラーの出る幕じゃないんだよ!」

「正門まではまだ距離がある。《神速》を使ったとしても建物に沿って行くしかない」


 その時、政宗は背中にむずがゆさを覚えた。

 そして背中が膨れ上がったかと思うと、ローブを突き破り赤黒い二つの影が現れる。


「ぐっ……」


 背中に知らない感覚を覚える政宗。


『怠惰の私翼だ。これで戦場まで直ぐだぜ』


 それは二枚の翼だった。

 政宗が思い描いたことのあるような巨大な翼。

 黒く塗りつぶしたようなものだが、微かに赤黒さを帯びている。


「あんた……一体、なにさ……」

『一人でも操れるはずだ』


 政宗は翼を広げ、空を見上げた。


「三人は、俺が助ける――」

『深淵の時代だ! 時代が俺たちを呼んでるぜえ!』


 そうヴェルが意気込んだ時、政宗はその黒い翼と共に空へ舞い上がった。


 シャロンは言葉を失い、しばらくそこに立ち止っていた。

 すると上空に漂う一枚の黒い羽が見えた。

 それはゆらゆらと宙を漂い。

 そして地に触れた瞬間、黒い灰となり消えた。

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