第31話 オールド・ゲルト
市場には目もくれず、ずっと素材袋の中に入ったヨワスタインの肉を眺めているトア。
「なあ、ネムが怖がるからやめてくれないか」
「べ、別にいいじゃない。それにネムは怖がってないわ。ほら」
「綺麗なのです」
ネムはなにやら足を止めていた。
「ネム、どうしたんだ?」
ネムは露店に並んだ青い透明の石が付いたネックレスに見惚れているようだった。
「すみません。これはおいくらですか?」
仕方なく聞いてみる。
「3000リオンだ。嬢ちゃん、気に入ったかい?」
店主は俺ではなくネムへ問いかけた。
「はいなのです! とても綺麗なのです!」
いやらしい店主だ。
引き下がれなくするためにこんな幼女を利用するとは。
「お目が高いねえ。こいつはパルステラで取れた結晶石だ」
「パルステラなのですか?」
「ああ。だが国がなくなっちまってからはあまり流通してねえ。次いつ手に入るかもわからねえ代物だ。買うなら今のうちだぜ」
「パルステラの峡谷から取れる結晶石は有名ですよ。今は青い色をしていますが、何年も身に着けていると持ち主の魔力に反応して色が変わるんです」
「何色になるかはその時までのお楽しみだ。身に着ける者の魔力の質によって純度が変わってくる。過去には大魔導師が身に着けていた物が裏で流れていると、商人の間でちょっとしたニュースになったりもしたなあ」
「……じゃあ、これを三つください」
面白そうな石だ。
それにネムも欲しがっているしこれくらいはいいだろう。
旅の土産だ。
「ありがとうなのです! 大事にするのです!」
首にネックレスをかけてやると、ネムは頬を赤らめ無邪気に喜んでいた。
「私の分まですみません」
シエラさんは照れくささを隠すようにそう言った。
「マサムネ。その、私にもかけてくれない……」
頬を赤らめ顔を隠すように下を向きながら、トアが上目づかいでそう言ってきた。
「べ、別にいいけど……」
トアはわざとやっているんだろうか。
こんなことで俺まで顔を赤くするわけにはいかない。
そう思いながら自然な表情をつくるも、トアの首の後ろに腕を回した時、目が合い恥ずかしさから笑みが零れてしまった。
「ありがとう」
「う、うん……あ、シエラさんにもつけましょうか?」
「いっ、いえ! 私は大丈夫です……」
照れ隠しからシエラさんをからかってしまった。
慣れないことはするもんじゃない。
その後、俺たちは道なりに町を歩き観光を続けた。
路地を歩いていると、ワインとジョッキが交差する絵の描かれた看板を見つけた。
ガラス越しに中を確認してみると、どうやらここは酒屋らしい。
「マサムネ殿。ここは酒屋ですが、中に入りますか?」
察してくれたシエラさんに誘導され、俺たちは店の中へ入った。
「いらっしゃい!」
店に入るなり店主が声を掛けてきた。
「なんだかお酒くさいのです~」
「ネム、ここは酒屋だよ」
「あんたら冒険者かい? 何かお探しの物でも?」
「探してる物は特にないんですけど、その、おすすめとかありますか?」
「そうだなあ……今ならこれとか、あとこれとか」
店主はいくつかのワインやウィスキーを紹介してくれたが、俺にも予算があり軽々とは手が出しづらい。
苦笑いを浮かべながら、何もない壁へ目を向け話を流そうとしたのだが、そこでとあるポスターを見つけた。
それはお酒のロゴに似合うおっさんの絵が描かれたワインのカーラーポスターだった。
「オールド・ゲルトは品切れだ。昨日ならあったんだけどなあ」
店主はそう言って何故か薄ら笑みを浮かべていた。
「オールド・ゲルトって、このポスターに描かれているワインのことですか?」
すると俺の問いに何故か固まったような表情のあと、店主はまた苦笑いを浮かべた。
「いや、まあ、それはそうなんだが。あんた、もしかしてオールド・ゲルトを知らねえのか?」
「はい、初めて聞きました」
「珍しいなあ。それは今や幻のワインとすら呼ばれている銘柄だ。もう製造されてねえどころか、この世に存在すらしてねえだろう。昨日ならあったなんてのは冗談だ。俺もガキの頃、父親の書斎にあったそいつをこっそり飲んで以来、飲んでねえし見てねえ」
そこであることを思い出した。
先ほどからこのロゴをどこかで見たことがあるような気はしていたが、不意に思い出した。
「あ、これのことか!」
異空間収納を開き、ダンジョンから大量に持ち帰ったあのワインを一本取り出した。そうだ。
それはまさにこのワインだった。
「おいおいおい、嘘だろ!? あんたそれ、ちょっと見せてくれねえか!」
興奮気味の店主へ軽く「いいですけど」とワインを渡す。
「あれって、前にマサムネがくれたワインよね?」
「ああ、元はダンジョンで見つけたものなんだ」
店主は虫眼鏡のような物を取り出し、ボトルの底や側面、それからコルクやロゴを確認していた。
「あんたこれ、偽物じゃねえよなあ?」
「分かりませんけど、味見しますか?」
「味見って、いいのか?」
店主の持ってきたグラスにワインを注いだ。
店主はグラスを回したりランプの灯りにかざしたりしながら、味と香りを確認した。
「マジかよ……本物だ。間違いねえ! これはまさしくオールド・ゲルトだ! あんた、これをどこで手に入れたんだ!」
「ダンジョンです」
「…………そうか。なるほど、ダンジョンか」
店主はダンジョンと聞くと神妙な面持ちになり、何かを考えている様子だった。
「なあ、あんた。頼みがあるんだが、これを是非、俺に譲ってくれねえか?」
「譲る?」
「タダでとは言わねえ、金ならいくらでも出す。そうだなあ……1000万リオンでどうだ? それにいくつかワインも付ける。なんだったらこの店の酒全部持っていっても良い」
「なっ! 1000万リオンですか!?」
隣でシエラさんが驚愕していた。
「ちょっ、ちょっと待ってください。お酒をいただけるのは有難い話ですけど、全部は流石にマズくないですか?」
「俺はせこい商売はしねえ。だから無知なあんたにも正直に話すが、このワインはさっきも言った通り、もう存在しねえとすら言われている物だ。値段を付けるなら1億はくだらねえ。酒好きなら喉から手が出るほど欲しいワインだ。貴族共に高く売れる。1億か10億か……一本あれば一生遊んで暮らせる金が手に入る」
嘘だろ。
俺はそんな高級なワインを何本もラッパ飲みしていたのか。
でもまだ百本以上は残っているし、樽を含めれば在庫は大量にあるから大丈夫か。
「だが問題がある。さっきは金ならいくらでも出すと言ったが、今の俺にはこれを買い取れるだけの金がねえ。今すぐに払えるのは3000万リオン、これが限界だ」
相当ほしいのだろう。
店主は銀行から全財産を下ろしてくるとまで言い出した。
「だが俺には伝手がある。元は俺の先祖が築いたもんだが、俺なら貴族共に直接ワインを売ることができるし、少なくとも現時点で10億の利益は約束できる。具体的には分からねえが、あんたには売値の半分を渡そう。それでどうだろうか?」
「10億リオン……頭がクラクラしてきました。まさかマサムネ殿がオールド・ゲルトをお持ちだとは……」
「シエラさんも知ってるんですか?」
「もちろんです。父がブドウ園を経営しているくらいですから知らないずもありません」
「この辺りでブドウ園って言やあ、あんたエカルラート家の人か?」
「はい。私はブラウン・エカルラートの娘です」
「なるほどな」
「小さい頃よく聞かされました。オールド・ゲルトこそ、この世に二つとない至高のワインだと。ですがターニャ村で豪快に飲まれていたワインが、まさかオールド・ゲルトだったとは……まったく気づきませんでした」
シエラさんはオールド・ゲルトに興味津々といった様子だ。
一方でトアは酒豪の割に見向きもせず、「お酒くさいのです」と鼻を摘まむネムを見て笑っていた。
そんなことよりワインをどうするかだ。
もし仮にそのままトンズラされても3000万は手に入る。
この世界の貨幣価値は分からないが、シエラさんが隣で呆気に取られている事実だけで説明は十分だろう。
「俺にとっては悪くない話です。ただ、基本的に俺は初めて会った相手を信用しません」
その言葉に店主は「もちろんだ」と一定の理解を示す。
「だが悪くない話ってのはどういう意味だ? これは間違っても一億はくだらねえ代物だぞ?」
少し困惑している様子だが、どうやら店主は俺を
「3000万リオン。それを今この場で支払ってもらえるのならワインはお譲りします。期待はしませんが、もちろん売値の半分も込みでという話です」
「マジか!? ほっ、本当に売ってくれるのか!?」
「はい、構いません」
「まさか……本当に売ってくれるとは思わなかった」
店主は何故か深刻そうに右手で額をさすりながら頭を抱えていた。
「分かった! ちょっと待っててくれ、銀行から金を下ろしてくる」
そして突然そんなことを言い残し、勢いよく店を飛び出していった。
しばらくすると、店主はそれほど大きくもない袋を片手に息を切らしながら戻って来た。
「すまねえ、まずは500万リオンだ」
荒い呼吸を落ち着かせ、カウンターに袋の中身を出しそう言うと、次は店の奥へ消えた。
「こんなに待たせちまって申し訳ねえ。これが残りの2500万リオンだ」
戻ってくるなり意気揚々と答える店主。
「合わせて3000万!」
そこにはやり切った男の笑顔があった。
目の前のカウンターに札束が積まれている。
一万リオンの紙幣が3000枚だ。
どうやら財産の多くは店の中に隠していたらしい。
だが何故、500万だけ銀行なのだろうか。
それよりこの世界にも銀行があったとは知らなかった。
俺も口座を作りたい。
「確かに受け取りました」
俺はあえて紙幣の枚数は確認せず、新品のワインを一本渡した。
特に必要もないだろう。
というより、俺にとってこの一本はこの店主にとっての一本ほど貴重ではない。
ワインならいくらでもあるんだ。
ケチる必要はない。
「この恩は必ず返す。売値の半分は忘れねえ。そうだ! さっきも話したが、良かったら店にある酒を好きなだけ持っていってくれ! 約束通り全部でもいいぞ。俺に二言はねえ!」
店主がしつこく勧めてくるので、俺は良さそうな酒を数本選んだ。
「本当にそんだけで良いのか? もっと選んでもいいんだぜ?」
だが割と時間をかけてそれなりに選んだはずが、店主がしつこい。
「いえ、これで十分です」
「……あんた変わってんなあ。もっと欲深く生きねえとダメだぜ」
大きなお世話だ。
だがオールド・ゲルトとはそれほどに価値のあるものなのだろう。
店主の様子からそれだけは分かった。
売値の半分はシエラさんの家まで持ってきてもらうことにした。
ラズハウセンのエカルラート家は有名であるらしく、場所は知っているそうだ。
店主としては口座があれば直ぐに入金もできて便利だということだが、俺には口座がない。
「ラズハウセンにはよく行くから構わねえが、できれば早めに口座を作っておいてくれると助かる。大金はあまり持ち歩きたくねえからなあ」
「分かりました。そうします」
とんだ拾いものだ。まさかワインがこんなところで化けるとは思わなかった。それはそうとして、この大金をどう使うかだが……。
「シエラさん、そういえばボレアスさんの依頼でレイピアが折れてましたよね?」
シエラさんはオールド・ゲルトを試飲しながら何やら店主と語り合っていた。
「……お恥ずかしい話ですが、実はそうなんです」
そう言いながらシエラさんは腰の鞘から折れたレイピアを取り出す。
店主は「見事に折れてんなあ」と感心している。
試飲をやめさせた方がいいだろうか。
「剣士の恥です」
シエラさんはそう言いながら苦笑いしている。
「それは高価な物なんですか?」
「それなりには、というところですね。白王騎士にはそれぞれに合わせた武器が支給されているんです。ラズハウセンにおいては最も価値のあるものと言えます」
どうやらこのレイピアはシエラさん専用の特注品であるらしい。
「なるほど。じゃあ、今からレイピアを買いに行きませんか?」
「お! 太っ腹だなあ~」と店主。
「こういったお金は周りに還元しておくに限るんですよ」
「ですがお返しできるものがありません」
「気にしないでください。トアやネムの服も買いますから」
「私の服?」
「ネムの服なのです?」
相変わらず鼻を摘んでいるネム。
「ああ。毎日その服ってわけにもいかないだろ? 買えるうちに買っておこう。ネムには頑張ってついてきた褒美ってことで。その時レイピアも買いましょう」
トアの服は何故だが汚れない。
魔法的な何かが働いているのだろうか。
「それじゃあ俺がこの町一番の店を紹介してやる」
そこで話を聞いていた店主は、何故だかやる気に満ちた表情でそう言った。
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