第17話 ヌートケレーン

 宿屋で朝食を食べていた。

 シエラさんはもう食べてきたらしい。


「先ほどは申し訳ありませんでした。私の早とちりで……」


 もう少しで宿が吹き飛ぶところだった。

 と、トアはまだ少し怒っている。


「もう気にしてませんから」と苦笑いしておいた。

「すいません」シエラさんはもう一度謝っていた。「ところで先ほどトア殿が、ニト殿のことをマサムネと呼んでいらしたようなのですが……」

「えーと。それはですねえ……」


 迂闊うかつだった。

 いや大丈夫。どうせ名前だけ。

 それに隠すのは無理そうだ。

 俺はシエラさんに偽名だと説明した。


「なので公の場ではこれからもニトでお願いします」

「なるほど。変わった名前だとは思っていましたが。分かりました。ところで本日はどのように過ごされるのでしょうか?」


 伺ってもいいかと気遣い、シエラさんは尋ねた。


「とりあえずギルドで依頼を受けようかと思ってます。お金もないので」

「なるほど。では私も同行させていただけないでしょうか。こう見えて、私も冒険者なんです」


 この国の騎士には冒険者登録が義務付けられているらしい。

 シエラさんはAランクの冒険者だった。


「私がいた方がより高報酬の依頼を受けられるかと」


 Fランクの冒険者が受けられる依頼はEランクまでだ。

 だがDランク以上に該当する依頼の場合でも、そのランクと同位の冒険者がいれば、同行することは認められているらしい。


「その方がレベルも上がりやすいですからね」


 トアは少し不満そうだった。

 






「何が良いでしょうか。ニト殿ならどれも大丈夫そうですが……」


 ギルドの掲示板には依頼が張り出されている。

 ふと思った。

 公に姿を見せない白王騎士が、ギルドに昨日と今日で2回も顔を出していいのだろうか。


「問題ありませんよ。白王騎士の顔は知る者しか知りませんし、いま私は騎士として来ているわけではありませんから」


 どうやら白王騎士は一般人に紛れ普通に生活しているらしい。


「シエラさん、これは何ですか?」


 字が読めない。

 ただし念のため、悟られるわけにもいかない。

 

「それはケレーンですね」

「ケレーン?……って、何ですか?」

「ケレーンとは森に住む巨大な獣のことです。2本の大きな角が主な特徴と言えます」


 トアも初めて聞く名前らしくい。

 分からないから俺が決めていいらしい。


「じゃあこれで」


 受付で手続きを済ませた。

 そこでシエラさんが用があるというので、向かいにあるシャロンさんの店を尋ねることに。


「こんにちは」

「あら、シエラ。今日はお仕事は休みかい?」

「はい。それでケレーンを狩りに行くのにカトリーヌ薬を買いに来ました」

「カトリーヌ薬?」シエラさんに尋ねた。

「はい。ケレーンは声で相手の行動を封じてきます。これは聴覚を保護する効果があるので、ケレーンの依頼を受ける際は必須なんですよ」


 モンスターを狩るにも色々と知識が必要のようだ。


「おや、あんたらよく見りゃ昨日のヒーラーとパラディンの嬢ちゃんじゃないか」今まで気づいてなかったのか。

「え、トア殿がパラディン?」

「あ……」


 シャロンさんは「しまった」という表情をしていた。


「いやー、口が滑っちまったねえ」あっけらかんとしている。

「まさかトア殿がパラディンだとは……驚きました」

「私も驚いたさ。あんたらがシエラと知り合いだとはね」

「パラディンの方が驚きですよ」とシエラさん。


 シエラさんの話によるとパラディンは稀だが白王に一人いるそうだ。

 軽々しく話していいことかと確認したら、「あっ」シエラさんは口を抑えた。挙句「これくらいなら大丈夫でしょう」と苦笑いだ。

 まったく。

 この人たちの口の軽さはどういうことなのか。







 ゴブリン退治に訪れた森だ。

 今は丁度、前方に見えている。

 遠くからでも分かっていたのだが、数人の冒険者が何やら森の前で座り込んでいた。


「いったい何があったのですか?」


 冒険者は4人。

 中には腕から血を流している者や顔に包帯を巻いている者がいた。

 何かに襲われたらしい。


「オークを探しに森の中へ入ったんだ。初めは何ともなかった。いつも通り、代り映えのしねえ森だった。ところがだ。急に雰囲気が変わった。ゴブリンどころかオークやハンティングウルフまでどこかに逃げていきやがる」


 冒険者たちは何かに怯えた表情をしている。


「あの時点で引き返すべきだった。あれは……ケレーンだった。俺たちには手に負えねえ。ただでさえな。だがあのケレーンはどこか様子が違った。前に何度か見たことがあるんだ。だがあんな感じじゃなかった。全身が発光して……とにかく、光の粒に包み込まれてやがった」


「光の粒ですか?」とシエラさんは心当たりがありそうだ。


 その時だった。

 森の方から耳当たりの悪い音が聞こえた。

 金切り声とでも言えばいいだろうか。

 刺さる感じだ。


「奴だ!」と冒険者の一人が。

「あいつ……まさか俺たちを追ってきてるんじゃないだろうなあ!」


 口々に例のモンスターのことを呟き動揺が増す。

 森の方から木々の騒めく音と共に、鳥たちの飛び去って行く姿が。

 また同じ鳴き声が聞こえ、するとそれは振動だった。

 なにかが近づいてくるようだ。


「間違いねえ………俺たちの血の匂いを追ってるんだ。……立て! 防壁まで逃げるぞ!」


 傷ついた体に力を入れ、その場を離れようと。

 その時だった。

 けたたましい奇声と共にそいつは姿を現す。


「…………奴だ。追ってきやがった!」


 冒険者たちの怯えは絶頂に。


「逃げてください。私たちがここで押さえます!」

「も、申し訳ねえ! 行くぞ、みんな!」


 冒険者たちは背を向け、おぼついた足で駆けて行った。


「話を聞いて予想はついていました。これはケレーンではありません。ヌートケレーンです」

「ヌートケレーン?」


 毛のない爬虫類のような体。

 角は……トナカイに似ている。

 顔は羊のよう。

 だが体は動物園で見た熊の何倍ものデカさ。

 光る粒子が浮遊している。


「マサムネ殿!」と既にニトと呼ばないシエラさん。

「はい!」いつも以上に元気よく返事をした。

「体は大丈夫ですか?」

「……体? はい。何ともありませんけど」


 なんの質問だと思いきや、シエラさんは苦しい表情をしていた。

 体が軽く痙攣している。

 足は動くようだがトアも同じような顔をしている。


「流石です。ケレーンの声は聞くだけで相手の動きを封じます。三半規管に負荷がかかるのです。ヌートケレーンも同様。ですがただのケレーンとは比べ物になりません」徐々に硬直が解けてきたのか口だけは動くようだ。


 ケレーンの討伐はAランクの依頼。

 だがこいつ自体はBランクのモンスターらしい。

 ただしヌートケレーンは違う。

 こいつは正真正銘のAランクだ。

 中でもこいつの場合は、奇声の範囲が広いらしく狂暴なことから、依頼があった場合は《危険依頼》として張り出されるらしい。

 

「マサムネ殿の力は一度、それも一瞬しか拝見していませんが、もしもの時は……お任せしても、大丈夫でしょうか」

「はい。もちろんです」


 ヌートケレーンはレベル32の弱小モンスターだった。

 この緊迫した空気が茶番に感じ得てくる。


「トア、大丈夫か?」

「うん、もう平気」どうやら硬直が解けたらしい。

「では行きますよ、マサムネ殿!」シエラさんが走り出した。

「トア、シエラさんの援護を頼む。俺のことは気にしなくていい」

「分かったわ」

「《氷の一速アイス・ムーヴ》!」


 シエラさんが左側から攻めていった。

 足元から移動先に向けて氷の道が現れ、滑りながら草原を素早く――。


「《氷の大刃フリーズ・エンチャント》!」


 構えたレイピアに氷の纏う姿が見えた。

 目前まで加速して近づき、そこで氷に包まれたレイピアをヌートケレーンの右足に向けて振り下ろす。

 と、弾かれた。


「やはり……。ダメでした」


 すぐさま後退したシエラさん。

 想定内のようだ。


「《稲妻ライトニング》!」


トアが電撃を放った。

ヌートケレーンの頭上に現れた魔法陣より電撃が降り注ぐ。

だが魔術は何故か、かき消された。


「マサムネ、魔法が通らないわ!」

「ヌートケレーンは角で魔力を操ると聞いたことがあります。まずは角を破壊しましょう」シエラさんが提案する。


 周囲に浮かぶ光りの粒子がヌートケレーンの角へ集まり始めた。

 おそらく……。


「あいつ、何かするみたいだぞ!」その様子からブレスの気配を感じた。


 案の定、ヌートケレーンは咆哮を放ったのだ。

 シエラさんはギリギリで避け、トアはなんなく。


「マサムネ、私が行くわ!」


 トアの足元に魔法陣が現れていた。


「《稲妻の咆哮ライトニング・ブレス》!」


 正面にたて連なる2つの魔方陣が立てかけられたように現れた。

 轟音と共に、強烈な閃光が放たれた。電撃だ。

 電撃は一直線に向かい、ヌートケレーンの角に直撃。


「流石、パラディンだ」


 トアは少し照れていた。

 だが、ふとして電撃はかき消された。


「これでもダメか」

「おそらく魔法の類は弾かれてしまうかと」


 シエラさんはいつになく弱気だった。


「奴がブレスを放った瞬間、体を覆っていた光が一瞬消えているのが見えました。おそらくその隙を狙えば」

「ダメージを与えられますか?」とシエラさん。

「おそらく」


 その一瞬を狙うのは可能だ。

 だがシエラさんは大丈夫だろうか。

 奇声の影響だろう。かなりつらそうだ。

 ここは最も安全な方法を選ぼう。


「俺が行きます」トアには目で合図した。

「……分かりました」間を空け答えるシエラさん。「ではせめて援護を」

「いえ、大丈夫です。すぐに終わりますから」


 そこで《神速》を発動し、ヌートケレーンの頭上まで刹那に乗り移った。

 気づいていないのか、大人しいもんだ。







「《術式破壊ソウル・ブレイク》!」と案を講じた。


 ガラスの割れる感触を得た政宗。

 思った通りだと、笑みを浮かべる。

 どうやら術式が含まれていたらしい。

 モンスターにも魔力があるのだと気づいた。


 ヌートケレーンを包んでいた光が急にスイッチをオフにされたように消滅する。


「なっ、今の魔法はいったい……」


 衣を剥がされたヌートケレーン。

 遠目のシエラは、政宗が何をしたのか分からない。

 トアにとっても同様だ。


 政宗はヌートケレーンの左角を握ると、思い切って折った。

 暴れだすヌートケレーンにくれず、さらに右の角も折る。


「よし、これでOKだ」


 再び《神速》で2人の元まで距離を取った。


「これで魔法も通るはずです」

「まさか、角を……」とシエラ。


 ただもう一つ、政宗には試したいことがあった。

 それはターニャ村での一件に基づく。

 それはオリーバー・ジョーの首筋にナイフを突き刺した時のことだ。

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