第25話 祭り前――ずっと今日だったらいいのに

 それは、ずいぶんと漠然とした問いかけだった。


「自分の周りの世界……って、私たちが生きてる、この全世界ってこと? それとも、魔術を扱う界隈のこと……?」

「うーん……どっちも、かな」

「ど、どっちも? えー……難しいなぁ……」


 その曖昧な問いかけに、マリーは言葉を濁す。

 シータは、それを見て、空笑いするかのような笑みを浮かべる。


「はは……そう、だよね、うん忘――」


 そんな、諦観にも似た言葉を遮ったのは、マリーの明るい言葉だった。


「……でも、私は、少なくとも今、ここに生きてること、後悔してないよ。確かに、今まで、色々あったけど、ね。うーん、だから、敢えて言うなら……うん、感謝してる、かな」

「感、謝?」

「そう、感謝。だって、毎日が、楽しいから。……そりゃ、苦しい時とか、しんどい時もあったけど、でも、それでも、今、ここにいること、後悔してない。……ううん、むしろ、そう言うのがあったから、今の私がいるって、そう思ってる」

「……お父さんのこと、とかは?」

「あ、あー……それは、確かに難しいけど……けど、父さんの、あの決意した瞳は、忘れられないから。……だから、世間に父さんがいろいろ言われてるのは、そりゃあつらいけど、でも、それで一番つらいのは、父さんだし。だから……うーんなんだろ、私が何かを恨むのはお門違い? あれ、何か違う気が……」


 むーっと唸りながら考えこみはじめてしまったマリーをシータは優しい瞳で見遣

る。


「……そっか、マリーは、そんな風に考えるんだ」

「……シータは、違うの?」


 暗に自分はそうではないと仄めかす言葉に、マリーは心配そうな表情を浮かべる。


「……私はね、この世界が、息苦しいなって、思う」

「息苦しい……」

「そう。……どこかへ行こうとすれば行こうとするほど、何か大きな壁があって、それを越えようとすればするほど、からだに糸が絡まって、動けなくなる……」


 シータの飲み干したグラスの溶けた氷が、カランと音を立てる。シータの話は、ずいぶん抽象的な内容だった。だから、マリーはどう言ったものかわからず、こう訊ねた。


「その糸は……切れないの?」

「……無理よ。私が、私という存在である限り、ね」


 そう言って窓の外を眺めるシータの横顔が、余りにも寂しそうで。だから、マリーは、言った。

 自分が、彼女にしてあげられることは、あまりにも少ないけれど。

 しないで、後から後悔するより、よっぽどいい。


「……じゃあさ、今日今からを、最高にしよう!」

「え?」

「今までがしんどかったならさ、今からを、最高にすればいいんだよ!」

「え、そんな、だってもうこんな時間……」

「いーの! ほら、行くよ!」

「あ、ちょっ」


 渋るシータの手を引いて、店を出る。

 外は相変わらずの暑さだったけれど、冷房に冷えた体には心地いいくらいだった。


 そうしてその後は陽が沈むまで買い食いしたり、アミューズメント施設で遊んだりして、二人は過ごした。

 気づいたときには、もう空はオレンジ色に染まり、東の空は暗くなり始めていた。


「んー楽しかったー!」


 夕陽のよく見える海沿いの桟橋通りを歩きながら、両手を天に突き上げて大きく伸びをしながら、シータの方にクルッと器用に振り返る。


「シータ、どうだった?」

「ははは、私も、なんか考えてたことが飛んでっちゃった」

「よかったー」

「うん……」


 二人で、夕陽を見ながら、歩いた。


「……私、やっぱりこの街が好きだな。……もう、あの乾燥した空気は吸いたくないや……」

「ふふ……でもいいの? マリー。それじゃ、お父さんのこと調べられないよ?」

「げー……それもそうか……」

「……でも、私も、この雰囲気が好きだから、わかる、よ」


 そうして、二人で並んで歩いて。


「あ、見てみてシータ! このぬいぐるみ、可愛くない!?」

「え?」


 急に駆けていくマリーを慌てて追う。

 その店は観光客目当てのお土産店だった。ファンシーなぬいぐるみが、ショーウィンドウに鎮座している。


「ね、これ、二人で買おうよ」


 マリーが指さしているのは、その中でもカバンにもつけられそうなサイズのひもの付いたぬいぐるみだった。


「二人で……」

「うん、お揃い!」

「……いい、ね」


 にっこりと二人で笑いあって、会計を済ます。


「へっへへー。見てみて! 早速つけちゃったー」


 店を出ると、マリーは肩に提げていたカバンの取っ手に、早くもぬいぐるみをぶらさげる。


「なくさないようにしないと」

「うん……。私も、絶対、なくさない……」


 シータは、ギュッと、手にしたぬいぐるみを握りしめる。

 そして、沈みゆくオレンジの光を眺めながら、つぶやく。


「……ホント、ずっと今日だったらいいのにって、そう思っちゃった」


 それがどういう意味か聞こうか悩んだ一瞬の間に、シータはくるっとこちらを向くと、


「もう、こんな時間だし、帰らないと。今日は、ホントに楽しかった。ありがとね、マリー」


 と言って、返事も聞かずに「じゃあね」と手を振りながら、マリーの家とは反対の方向に駆けていく。


「うん……バイバイ、シータ」


 呆気にとられながらも、半ば反射的にマリーも手を振り返す。

 魔術五大家オナー・カードたるシータの家はもしかしたら門限のようなものがあるのかもしれない。こんな時間、と言うには気の早いような時間ではあったけれど、空が多少暗くなってきているのも、また紛れもない事実。マリーも家兼店への帰路を急ぐのであった。

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