第三章 魔術総本山 ヴェネト

第一節 祭り前

第22話 祭り前――魔術を教わる覚悟

 ヴェネト。


 入り組んだ湾の奥の浅瀬に立地する島を中心に構成された、コルシズ教の遺産群を含む歴史的な街並みは世界的にも有名で、観光都市として名高い。けれど、この街にはもう一つの側面がある。

 そのもう一つの側面というのが……魔術師の総本山、というわけだ。


 そもそも、魔術とコルシズ教の関係は非常に深い。今や歴史の教科書に載るようなコルシズ教の始まりだが、その中でも神と奉られるクロスのことを世界で最初の魔術師と考える人も少なくはないという。現代では魔法と呼ばれるその神代の奇跡がどういうものであったかは、今となっては定かではないが、そんなクロスが最盛期を過ごし大きく発展した都市がこのヴェネトの始まりとされている。


「ん~~~……」


 シュヴェスタの家兼マリーの仮住まいはそんなヴェネトの街のはずれに位置していた。


「はーーーっ!」


 大きく伸びをし、息をはく。

 あの事件から早二日。

 あの日の出来事がまるで嘘であるかのように島には穏やかな時間が流れていた。


「お客さん全然来ないけど、相変わらずここの経営大丈夫なんですかー? サンキューさーん」


 この建物は、一階がイートインスペースもあるカフェ兼パティスリー。二階と三階がシュヴェスタとマリーの暮らす居住スペースになっている。

 そんな一階のカフェのテーブルに突っ伏しながら、顔だけを奥にいる人影に向け、マリーは尋ねる。

 マリーの格好は、フリルの付いた古風なウェイトレスといった面持ちで、いわゆるメイド服というやつだった。頭の白のレースがその少し色素の薄い薄紅の髪によく映えていた。


「んー? まぁこんな店でもそれなりに何とかやれてるもんさ」


 さわやかに言いながら奥から麗美に飾り付けられた、透き通るようなケーキを持って現れたのは、端正な顔立ちをコック姿に包んだ男性だった。

 サンキューさんと呼ばれた彼の作るスイーツは、マリーやシータに言わせると「この街のどんな有名店にも劣らない」らしい。けれど、いかんせん店の立地が悪く、街はずれの路地裏にあるため、店の売り上げは芳しくはなかった。

 そんなサンキューさんは店のショーケースに持ってきたケーキを入れ終えると、


「それに、もうすぐ創世祭だからね」


 と、腰に手を当てながら言った。


「創世祭! もうそんな時期かー。今年はバタバタしてたからあっという間だったなー……」


 店に流れる空気同様弛緩しきった声でマリーは口からため息とともに言葉を漏らす。


「祭りが始まったらここも忙しくなるんだから今ぐらいは、ゆっくりしないとね。ところで、件のアイアス君は今どうしてるんだい?」

「あー……アイアスならシュヴェスタさんに連れられて今日も特訓です」

「今日も?」

「ええ……それが、なんて言いますかね……」


 と言いながら、マリーはヴェネトに帰って来てからのことを思い出していた。


☆☆☆


「え? 魔術を教えてほしい?」


 それは、ヴェネトに帰ってきたその日のことだった。

 驚くシュヴェスタにコクンとうなずいたのはアイアスだった。


「というよりも……まず、彼は一体何者なんだ?」

「あ、あはははは……」


 そういえば、シュヴェスタさんにはアイアスのこと何にも言ってなかったなあ、と思い返す。けれど、時間もなかったことを考えると、それは当然、仕方なかったとしか言いようがない。


「え、えーと、それには色々ありまして……」


 と、丁度いい機会だったので、イヌビアでの出来事を路地裏でアイアス含む集団に襲われたこと、その後アイアスをヴェネトに連れていくことになったこと、飛行機で謎の連中に襲われたことなどを手短にシュヴェスタに説明する。


「ふーむ……」


 それを聞いたシュヴェスタは渋い顔をしていた。

 もしかしたら、彼は、いまだ様々な人々から恨みつらみを買っているフレッツェの娘である自分が、あのような場所に向かうことを許可したことを悔いているのかだろうか……。一瞬、マリーの脳内にそんな考えが浮かんだが、次の一言がそれを滅茶苦茶に破壊した。


「まあ、何とかなったんだからそれはもういいや。それよりもなんだって? じゃあ君は魔術をマリーに教わったとかそういうわけじゃなく、元から知ってたってことか」


 その質問とも自らへの確認ともとれる発言に、アイアスは頷く。


「ふーん。それで魔術を教わりたい、と……」


 シュヴェスタの書斎に、何とも言えない空気が流れる。普段は足の踏み場もないこの書斎だが、珍しく人間が座るスペースが存在しているのは、おそらくサンキューさんが見かねて整理してくれたのだろう。


「アイアス君は、なにか勘違いしていないかい? 魔術っていうのはさ、そんな希望に満ちた万能の能力ではない。……それとも、それを分かった上で、君には成したいことが、あるのか?」


 三階建ての建物の三階の日当りのいい場所に位置しているため、この部屋はマリーの自室などの他の部屋に比べて暑い。冬場は丁度いいが、夏場の今は汗が肌に滲むのは避けられない。

 で、あるというのに、マリーはなぜか寒気を感じていた。

 この、シュヴェスタ・ラインベリーの放つ、威圧感に。


 これが、魔術界最高峰の実力者十二人により構成される組織・奥の十二席ステンドグラスに属する人間が放つ、オーラ……。


 思わず生唾をゴクリと飲みこむ。

 チラッと隣を見ると、アイアスはしかし相変わらずの無表情だった。……いや、これはもしかして真剣な表情なのだろうか?


「ある」


 アイアスが発したその言葉は、うだる室内を切り裂いた。

 突然、シュヴェスタがパンと、両手を叩く。


「オーケー。合格だ。基礎から俺がみっちり叩き込んでやるよ。奥の十二席ステンドグラス直々の授業なんて魔術大学の学生でもそうそう受けられないぜ? 覚悟しておけよ、アイアス君。……まぁ、話を聞く限り、素質は十分って感じだけどな」


 そう言いながら、壁にかかったカレンダーを眺め、


「まぁ、早い方がいいだろ。明日から始めるぞ。……文句はあるか?」


 そういうシュヴェスタに、アイアスは首を振って答えとした。

 あっという間の話に、一瞬ぽかんとしたマリーだったが、しばらくしてほとほと呆れた声で漏らしたのだった。


「……勝手にどうぞ」

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