第5話 自然保護区の仕様書

「おはよう。櫻子。」

荒廃した世界に点在する研究所でシニアサイエンティストの櫻子は端末から聞こえる懐かしい声を聴く。

「おはよう。リュウ。もう私達百年以上、実際には会っていないのね。」

彼の名前はリュウ、おそらく中華系の移民なんだろうか?名前から推測するに先祖は島国の日本ではないようだ。

「エネルギーの無駄遣いはできない、簡潔に聞きたい。一体どうやって百年なんて短い時間で自然淘汰をすすめることができたんだ?君の計画はミラクルだよ。生物は通常、百年などという短い期間で進化することはないはずだ。教えてくれ、よほどヤバイことに手を染めているのではないだろうね。まさか禁忌の。」

櫻子は話したくなるのをこらえた。しかし、うまく計画が進むまで話すわけにはいかないのだ。

「通信を切らせていただくわ。バイオ技術の進歩を侮らないほうが良くてよ?とだけ言わせてもらうわ。」

そう科学技術は今となっては時が自動的に開発するものとなった。正確に言えばAIの研究者が休むことなく研究を続けているから、人間の研究者である彼女が何もしなくても成果はあがる。それにかこつけて「バイオ技術の進歩」とは滑稽な嘘としかいいようがない。真実は違っている。

「櫻子、禁忌を犯すのは絶対にさけるべきだと思う。それが滅亡の一因になったのは間違いないだろ?いや全ての原因はそこにあるはず。……禁忌を犯してないと誓ってくれるか?」

櫻子は回線を切った。嘘をつくのに耐えられなかったから、そして、嘘を言ったことが確実に相手にバレるのを避けるために。リュウは櫻子の恋人であったこともある、彼女は彼に嘘を突き通す自信がなかったのだ。


 彼女はふと目を研究所の本棚に目をやる。そこには「自然保護区の仕様書」と書いてあるフォルダーがあった。

「そうよ、私は禁忌を犯している。リュウさん、ごめんなさい。人は計算VR世界で堕落した。そこでAIたちに世話されながら、今も1兆人を超える人口の「人類」がデータ上は生活している。彼らは現実というものの意味などわからない。仮にVR世界からこの現実世界に戻ってきても、全員精神的に狂ってしまうの。一体どうすれば、現実に目を覚ましてくれるのか?ずっと考え続けてきたの。それがこの仕様書よ。」

フォルダーから冊子を取り出し、眺めるとそこには「交配を促進する教育制度と社会制度と環境への考察」とか「VR世界と現実世界の橋渡しに必要な手順」などと書いてある。

「ごめんなさい。VR世界を創ることは禁忌。でも、それしか人類を再び現実世界に連れ戻す方法はないわ。上手く行けばきっと分かってもらえる。いいえ、きっと私は定命の者に戻されるわ。でも、いいの。リュウ許して。もう、私は例え、いつか死んだとしても、精一杯任務を果たした充実感を得たい。」

櫻子は独り言を続ける。

「嘘は誰にも心地よいものね。人は分かり合えないほうが良いのかもしれないわ。」

1兆人のデータを参照して、分かり合った上で許し合える他人なんて居ないのはもう分かっていた。そして端末に言う。

「重要事項。優良種の天使との交配をすべて記録に撮りなさい。そこにAI社会に適応できる優良種が優良種たる重要なヒントがある……。」












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