第98話 老獪なる幻魔

 第三使徒・大将軍カイセンドンと対峙するのは、牡牛座タウラスのビフテキ。

 本名、ビフテキ・フォーマルハウト。王女ムニエルの教育係であり、妖精騎士団の実質的なリーダー。齢五十三の高齢ながら現役で騎士の座に就く、騎士団一のベテランである。

「残念だよカイセンドン。軍人にとって裏切りがどれほどの罪か知らぬわけではあるまい。私は君を後継者に指名するつもりだったのだがね。今では自分の見る目の無さを後悔しているよ」

「腑抜けた王国軍を放置しているという点で、確かに貴様には見る目が無かったなビフテキよ。見るがいいこの洗脳兵士の素晴らしさを。弱音を吐くことも、上官に逆らうことも無い。これこそが理想の軍隊だ。国防に携わる者はこうでなくてはならん」

 カイセンドンの引き連れる洗脳兵士は、いずれも元王国軍人。自ら進んで軍を抜け教団入りを志願した者達である。

「哀れなものだ。パワハラの行き着く先は洗脳により意思を奪われ人形同然か……」

「そうやってパワハラだ何だと腑抜けたことを言うからいけないのだ。そのせいで現代の王国軍がどれほど腑抜けたか……俺は奴らの根性を叩き直し古き良き軍人の正しき姿に矯正してやったというのに。それを苛めだパワハラだなどと……まったくけしからん!」


 元王国軍中佐、カイセンドン。代々軍人を務めてきた、平民ながら裕福な家庭の出身。彼自身もまた非常に優れた軍人であり、一時は牡牛座の騎士の最有力候補として名が挙がる程の男であった。

 しかし彼は、現代の王国軍に強い不満を感じていた。彼の理想とする軍隊は、かつて世界最強と謳われたゾディア王国軍。だが四百年に及ぶ長き平和は軍の形を大きく変え、現代の妖精王国軍はそれとは大きく異なるものとなっていたのである。

 度重なる軍縮。徴兵制が廃止され志願制に。軍の雰囲気も堅苦しく殺伐としたものから、明るく華やかで市民に寄り添うものへと移り変わっていった。元より軍事史を愛好していたカイセンドンは軍人の身になったはいいものの、己の愛する歴史上の軍隊と相反する現代の軍隊を受け入れることができなかった。

 それでも国防意識は高かったため、我慢して国のために尽くし続けた。元より戦いの才能はあったため、八面六臂の活躍ですぐ出世コースに乗った。あらゆる武器の達人、一騎当千の勇者として持て囃され、次期妖精騎士は確約と囁かれた。

 だが彼は部下を指揮する立場になるにつれて、ある野望を持ち始めた。今の軍は腑抜けている。だから自分が内側から変え、歴史書に書かれた強き軍を取り戻すのだと。

 そうして始めたのが、徹底したスパルタ主義であった。作戦や訓練で失敗した者、弱音を吐く者や上官に逆らう者、個人的見解で軟弱だと判断した者には容赦なく暴力を振るった。なまじカイセンドン自身が圧倒的に強かったものだから、部下達は誰もがそれに従うしかなかった。

 やがてビフテキが老いを理由に引退を仄めかし始めた頃、いよいよ自分の時代が来たとカイセンドンは確信した。だがそこに水を差したのが、妖精騎士団の一角たる蟹座キャンサーのドリアであった。

 ドリアは騎士候補者に対して独自に素行調査を行っており、それによってカイセンドンの行ってきたパワハラの数々が白日の下に晒された。当然騎士候補からも外され、挙句の果てに王都から地方に飛ばされることとなったのである。

 閉ざされた野望。カイセンドンの受けたショックと怒りは相当のものであった。正しいことをしている自分が何故罰を受けねばならないのか。間違っているのは今の軍の方なのにと、何度も心の中で囁いた。

 だが、そこから転機が訪れるのは程なくしてだった。フォアグラによるクーデターの勃発。これはカイセンドンにとって願っても見ない幸運であった。フォアグラに王族暗殺事件の黒幕という冤罪を被せ、結果としてクーデターの引き金を引いた人物こそが因縁のドリアだったのである。

 カイセンドンはこれを利用して軍の中のフォアグラ信奉者達を集め、ドリアへのリンチを決行した。表向きにはフォアグラに冤罪を被せたことへの制裁という形であったが、その実態はカイセンドンの私的な復讐であった。

 この時、既にカイセンドンの実力はドリアを上回っていた。まずはカイセンドンが一対一で戦ってドリアを戦闘不能にし、その後フォアグラの信奉者である軍人達がリンチをするという形であった。

 ドリアへの復讐を遂げたカイセンドンは、共犯者達と共に教団へと寝返った。自身が反体制側に回ることへの抵抗感はあったものの、フォアグラには思想や境遇に共感を覚えるものがあった。フォアグラによる新体制で己の理想とする強き軍隊を作るため、カイセンドンは軍人の身を捨てたのである。



「君は今の王国軍を腑抜けだ何だと言うが、その王国軍の活躍なくして王都テロの犠牲者ゼロは成しえなかった。彼らはこの上なく優秀な軍隊だよ。それに王都テロで完敗を喫した側の立場である君が今それを言うのは負け惜しみにしか聞こえないが」

「負けたのは俺ではない、腑抜けの下級幹部どもだ。奴らの指揮では洗脳兵士も力を発揮できまい」

「自分は違うとでも言いたげではないか」

「撃てーっ!」

 ビフテキとの会話を打ち切るように、カイセンドンの命令がバトルルームに響く。三十もの銃が、ビフテキに狙いを定めた。

 ――が、洗脳兵士達はその体勢のままピクリとも動かなかった。命令だけが、空虚に響いたのである。

「どうした!?」

 思わず動揺するカイセンドンを見て、ビフテキはふっと笑う。

「彼らに君の声は届かんよ。彼らは今、幸せな夢を見ている。パワハラ上司を懲らしめる夢をな」

「馬鹿な……洗脳兵士に精神干渉魔法が効くはずがない!」

「彼らとて本人の意思が完全に消えたわけではない。これで動かなくなるということは、彼ら自身それを望んでいるということだ」

「あ、ありえん! これは幻覚だ! 洗脳兵士が俺の命令を聞かない幻覚を見せているな! 貴様!」

 カイセンドンは剣を抜き、洗脳兵士を突き飛ばしビフテキに切りかかる。大きく振りかぶり、力一杯薙ぎ払われた達人の一閃。だがその剣先は、ビフテキの人差し指と中指の間に挟まれて止められた。

「な……!」

 信じ難い光景に、カイセンドンの全身から汗が噴き出す。

「これも幻覚だ!」

 ビフテキは歳を感じさせぬほど鍛え上げられた鋼の肉体の持ち主であり、常人では持ち上げることすら難しい大斧を軽々と振るう歴戦の勇士。だがたとえそれでも、カイセンドンの必殺剣を指二本で受け止められるはずがないのだ。これは明らかな幻覚であると確信したカイセンドンは言葉に出すと同時に頭の中でも強く念じ、剣に力を籠めた。すると幻覚のビフテキはすっと消え、振り下ろされた剣は床に刺さった。

「見たか! 幻覚は幻覚だと解っていれば破るのは簡単だ! 俺のような強き精神力の持ち主に精神干渉魔法を使うなど、愚の骨頂!」

「強き精神力か……君はよく部下に精神論を説いては暴力を振るっていたそうだが、果たして君の精神力はどれほどかな?」

 姿の見えないビフテキが、どこからともなく話す声。振り返ると、いつの間にか洗脳兵士達の姿も消えている。

「お、俺はまだ幻覚の中にいる……!」

 明らかに現実感の無いこの状況、カイセンドンは幻覚を解こうと精神を集中させる。

 だがその時だった。突如鋭利な刃物で切られたように、右手首から先が吹っ飛んだ。

「な……!」

 続けて腹が裂かれ、大量の血と内臓が飛び出す。

「うぎゃああああああ!!」

 カイセンドンの絶叫が響き渡る。生きたまま、体を切り刻まれてゆく。どれだけ体を切られても、死ぬことも気絶することもできず意識は残っている。この場にカクテルがいたら狂喜乱舞しそうなほどの凄惨な幻覚が、カイセンドンの精神を破壊してゆく。精神を集中して幻覚を解こうにも、痛みがそれを阻害する。これが幻覚だとわかっていても、イメージが体に痛みを認識させるのだ。

「あまりに悪趣味なのでな、これを使うのは気が引けるが……裏切り者に据えるお灸としては丁度よかろう」

 騎士を一人倒した実績に裏付けされたカイセンドンの強さを、ビフテキはよく知っている。老いた身で真正面から戦って勝てる保証は無かった。だからこそ、一度も刃を交えることなく倒す手段を選んだ。

 もがき苦しむカイセンドンを尻目に、ビフテキは扉を開けバトルルームを出て行った。



 全てのトラップが解除された廊下を、拳凰は一気に突き進んだ。その先にあるものは、第一使徒のバトルルーム。勢いよく扉を開けて、拳凰は意気揚々と入室した。

 扉を開いた途端、顔に吹きつける冷気。そこはさながら、冷凍庫の中のような寒さの部屋であった。面積は狭く、飾り気は全く無い。レバーやマジパンのように趣味の部屋を兼ねたりはしておらず、シンプルに戦闘だけを目的として作られた部屋である。

(確か第一使徒は氷の魔法を使うそうだな。自分の有利なフィールドでの戦いを強制させる要塞……なかなかよくできてんじゃねーか)

 凍えそうな寒さの中、拳凰は敵の策略に感心した。

(つーか肝心の敵はどこだ?)

 当然、拳凰はここに戦いに来た。だが第一使徒の姿は見えない。

(まさか、ここで俺を凍え死にさせる気か? 第一使徒ともあろうもんがそんな戦わずに勝つつもりかよ)

 つい先程、妖精騎士ともあろう者が戦わずに勝ったことは露知らず。そんな考えが拳凰の頭を過ぎった。

(モヒカンのおっさんもいねーが……マジでどーなってんだ?)

 なお、ハバネロは現在手加減しながらヨーグルトと戦って王国兵が人質を救出する時間を稼いでいる。

(ちっ、こんな寒いとこにいても仕方が無え、向こうの扉から出てくとするか)

 この部屋の先にあるのは、教祖フォアグラの部屋に繋がる通路。本来であれば第一使徒がそれを守っているはずだが、それがいないのでは仕方が無い。拳凰はさっさとこの部屋を通過しフォアグラとの戦闘に向かおうとする。

 が、その時、拳凰の背後で扉が開いた。拳凰は瞬時に振り返り身構える。

「そっちからのご登場かよ。随分な不意打ちじゃねーか」

 第一使徒ジェラート、先程拳凰の入ってきた扉からまさかの出現。異様に長い腕をだらりと垂らし、凍りついたように虚ろな目で拳凰を見ている。

「悪かったな……少々留守にしていた」

「テロリストが謝りやがったぜ。こいつは驚いた。まあいい、さっさとやろうぜ」

 相手が現れたのならば話は早い。早く戦いたくてうずうずしていた拳凰は、歯を見せて笑い身構えた。



 第六使徒マジパンの守る扉を抜けた先にある階段を進み、ハンバーグは大聖堂の最上階に辿り着いていた。拳を掌で受け止めて気合を入れると、大扉を開け決戦の地に足を踏み入れる。

 そこでは一人の男が、魔法陣の中心で瞑想をしていた。緩いウェーブのかかった緑の長髪で、精悍な顔立ちの男。自ら神を名乗り国に叛旗を翻した、元妖精騎士にしてフォアグラ教団の長。この男こそが、教祖フォアグラ。現獅子座の騎士と先代獅子座の騎士が、ここに邂逅する。

「始めまして、と言えばいいか? 前任者さんよ」

 ハンバーグが話しかけると、フォアグラは体勢を変えぬまま目を開いた。

「今の獅子座か……愚かにも神に挑んだのは貴様が二人目だ」

 二人目という言葉にハンバーグは首を傾げる。すると、あるものが視界に入った。

 無人であった第七使徒ヨーグルトのバトルルームを素通りして真っ先にこの部屋に辿り着いた、双子座ジェミニのソーセージ。それがこの部屋の隅で無惨に横たわっていたのである。

「ソーセージ!!」

 騎士団の一角が早くも倒されたことに、ハンバーグは衝撃を受けた。ソーセージは四肢を切り落とされ、切り口からは血が流れ出ている。

「こやつも貴様も私がいた頃には見なかった顔だ。弱いものだな、今の妖精騎士団は」

「俺と戦った後でも同じ口が聞けるかな?」

 一度は動揺したもののすぐに呼吸を整え、臨戦態勢に入る。

「教祖フォアグラ、お前の首を取るのはこの俺だ!」

 ハンバーグは駆け出し、先手必勝とばかりに渾身のストレートを放つ。フォアグラは瞑想の体勢のまま不動であった。

 拳はフォアグラの顔面を突き抜けたかに見えた。否、実際に突き抜けていたのだ。だが、まるで手応えが無い。まるで空気でも殴ったかのような感覚。フォアグラの体は、煙状の気体となって霧散していた。

「話にゃ聞いてたが、本当に体を気体に変えられるようだな」

「これぞ神の御業。私にはあらゆる攻撃が通じない。貴様もそこに倒れている者の二の舞にしてやろう」

 煙の濃い部分が寄り集まり、空中に半透明のフォアグラが姿を現した。



<キャラクター紹介>

名前:第三使徒・大将軍カイセンドン

性別:男

年齢:42

身長:218

髪色:黒

星座:牡牛座

趣味:軍事史

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る